第30話 いつも側に

 ブロムはゆっくりと、サンディを眺めた。

 苦しそうに唸り、時に逆立てた毛の輪郭が歪む。固く瞑った目から、青白い火花が散った。

「さっきの戦いで」

 迫り来る悪霊を防ぎきれなかったのか。スカイに手一杯で、守れなかったのか。

 愕然とするブロムに追い打ちをかけるように、バードは静かに首を横に振った。

「廃屋で俺が助けてもらった時からですよ。ずっと、悪霊の気配がしてました。命令をよく聞いて、援護していたから、何か事情があって連れているのかと思ったら」

 バードは一度、息を吐いて言葉を切った。

「まさか、ブロムさんほどの魂狩りが、気付かなかったんですか」

 紫の目が細められた。呆れられているようで、ブロムは唇を噛んだ。

 門の脇で砂色の毛玉に出会った時、微かな魂を感じはしなかったか。

 片腕に易々と載る毛玉だった仔犬が少しずつ大きくなっても、目の前の姿に慣れて、成長に気付けないように。

 少しずつ濃くなっていく悪霊の気配に慣らされて、気付かなかったのか。サンディがギルドに寄り付かなくなったのは、他の職員や魂狩りに気付かれるのを恐れたからなのか。

 呆然とするブロムに、バードが魔石の手鏡を差し出した。ブロムにも見えるよう、サンディの姿を映す。

「グラン」

 思い出の中で見てきた人の顔。ブロムの目から、涙がこぼれ落ちた。

 ようやく、見つけた。

 なのに、ブロムは指先に触れる柄を握ることができなかった。

 グルル、とサンディが身震いをした。歯の間から涎が流れる。取り憑いた悪霊に抵抗する獣の、典型的な反応だった。ブワリと、悪霊の気配が膨らんだ。

 素早くバードが矢を番える。キリ、と弦が引き絞られた。危険を感じたサンディが、ぐわりと口を開けた。

「待て」

 ブロムは叫んだ。床に腕を突き、よろめく足で立ち上がる。荒い呼吸を整え、震える両手に柄を握った。

「私が、斬る。他の誰にも浄めさせない」

 十年間、この時のために魂狩りを続けてきた。ここで、グランを他人の手に委ねるわけにいかない。

 目の錯覚か、バードの表情が和らいだ。弓を下ろす。軽く頷くと、身を引いた。

「グラン」

 サンディに向き直る。

 悪霊の支配に抵抗する苦しみに体を震わせながら、弱々しく尾を左右に振る。端が垂れた潤んだ黒い目が、ブロムを見上げる。

 見つめ返すブロムの視界が涙で霞んだ。

 グランを自分の手で浄めたいと、それが叶わないならせめて浄められるのを見届けたいと願い続けてきた。それは、どこかで、悪霊であっても彼の魂と再会したい思いだったかもしれない。

 念願叶ってグランを浄めてしまえば、もう、二度と会えない。

 涙が、頬の珠花のタトゥーを濡らした。

 クゥン、とサンディの鼻が鳴った。後ろ足で立ち上がり、ブロムの涙へ鼻を伸ばす。だが、その体がビクリと強張った。床へ倒れ、激しく痙攣する。

 完全に悪霊化し、理性を手放すことに抵抗している。

 これ以上、苦しめてはいけない。

 ブロムは、柄を逆手に握りしめた。ふわりと流れ出た白い光が、緩やかに渦を巻いて透き通った刃となる。遥か水平線から顔を出した朝日に照らされ、オレンジ色に染まった。

 自分を変えてくれた、寄り添ってくれたグランに、実験が成功したら、伝えるつもりだった言葉を、口にする。

「ありがとう」

 ゆっくり、下ろした刃がサンディの毛に沈んだ。身震いをしたサンディの体から、光の粒が舞い上がった。ブロムの周りを緩やかに回り、柄の魔石へと吸い込まれていく。

 そのまま膝を折り、ブロムはサンディに覆いかぶさるように体を折った。弧を描くように、刃先を引き寄せる。

 サンディの体をすり抜けた刃が、ブロムの腹から胸へ通っていく。

 痛覚も、そこに何かがあるのかも、感じない。

「さよなら」

 浄められた魂を吸い込み終わった魔石は、静かに光を消した。ブロムの心臓に刺さっていた刃も消える。

「ブロム」

 気遣うフラウを振り返ることも出来ず、ブロムは座り込んだ。

 優しいフラウの手が、褪せて、塩を含んだ砂だらけになった菫色の髪を撫でた。

「長い間、おつかれさま」

 そっと、頭を抱きかかえられる。

 幾分離れた所で、小さな音がした。バードが置いたオルゴールが、金属的な鎮魂歌を奏でる。

 もう、魂にすら会えない。

 そのことが、こんなにも苦しいことだと、思ってもみなかった。

 瞼を閉じ、俯いていたブロムの鼻先に、温い息がかかった。

「わふっ」

 意識を取り戻したサンディが、ベロベロと顔を舐めてきた。

「やめろ」

 力なく振り払うより先に、サンディはクルリと尾を向け、瓦礫の山へ駆け寄った。

「なにか、大切なものがあるみたい」

 動物と意思を通じ合わせることができるフラウが、首を傾げた。ブロムも汚れた袖で顔を拭うと、灰色の瓦礫の中で揺れる砂色の尾を見つめた。犬は、自分のお気に入りのものを土に埋める習性があるとも聞くが、ここはサンディの縄張りではない。

 やがて、サンディは頭を振り、四つ足を突っ張って何かを引きずり出そうと、健闘する。

 フラウが瓦礫を取り除き、サンディと共に、それを持ってきた。

 見覚えのある箱型ケースだった。高温の炎に焼かれ、表面は煤けて脆くなっている。手近な破片でこじ開けると、中のものは炭化を免れていた。

「グランのだ」

 充電の切れた電子ノートやペンに、見覚えがある。だが、ひとつだけ、見慣れない小さなケースがあった。

 耳元で、軽く振ってみる。小さくカサカサと音がした。危険なものではなさそうだ。

 思い切って、蓋をスライドさせた。

「あ」

 柔らかな布に包まれ、薄紫色の金属の指輪があった。面は飾りになる宝石も彫り込みもない、シンプルなものだった。目の高さに翳し、内側の文字を読む。

 いつも、ブロムの側に。グラン

 もし、とグランの声が記憶の中でこだました。

『次の研究が成功して、俺が研究所に引き抜かれたら、どうする?』

 アカデミーのカフェテリアで、ブロムは口元へ当てる寸前だったカップを置いて首を傾げた。

『どうって。名誉なことじゃない。めいいっぱいの祝福をするよ』

『だけど、こうして一緒にゆっくり地球産エスプレッソを飲むこともできなくなる』

 指でカップを示され、ブロムはしばらく考えた。

 研究所の仕事は忙しい。一度実験に入れば、結果検証が終わるまで数ヶ月、外にでる暇もないと言われる。例え既婚者でも、親が死の間際になろうとも、担当する実験を見届けるまで現場を離れられない。

『だけど、グランは研究員になりたいんだよね?』

『まあな。名誉なことだし』

 どこか不貞腐れたグランに、ブロムは目を細めた。

『じゃあやっぱり、祝福するよ』

 寂しくないわけがなかった。迫る卒業後も、村に帰るつもりのないブロムは、隣町に仕事先を見つけた。

 馴染みのない町で働き、頼る人もなく過ごし、迎える人もない家に帰るのかと考えると、心細くてたまらないのが本音だった。

 グランは、気にしていたのか。

 彼の未練は、この指輪だったのか。

 ただの犬となったサンディは、きゅるんと潤んだ目でブロムを見上げ、舌を出してへっへと息をしている。砂色の顔が煤にまみれて黒ずんでいても、笑っているような顔だ。

 そっと、ブロムは指輪をはめてみた。十年間、斬る感触もない悪霊相手とはいえ剣を振るい続けたブロムの指の関節は、太くなっていた。小指ですら、第一関節までしか入らない。

「小さすぎるよ」

 泣き笑い顔で、ブロムは射し込む朝日に指輪を掲げた。

 静かなモーター音が空に響く。グランシステムを搭載した惑星間輸送機が、朝焼けの空を上昇する。


 未だ昏睡状態の三名を除いた九名の魂狩りとバードが、頭を突き合わせていた。

「どう?」

 円陣の中心には、通信機が置かれていた。ワイヤレスイヤホンを耳に当て、じっと目を閉じていた男が首を横に振る。

「ダメだ。繋がらない」

「それこそ、人工魔石でどうにかならないものかね」

 中年の男が、自分の山刀を掲げた。ブロム同様、人工魔石でレベルアップしているのだろう。

「だけど、回路が」

「あの」

 おずおずと、円陣から外れ気味に座っていた女が手を挙げた。

「わ、私、できるかも」

「お願いします。どうにかしてギルドから輸送機を出してもらわないと、怪我人の搬送もできない」

 にこやかに皆をまとめているのは、やはりバードだった。

 円陣から離れたところで身を横えるブロムに、フラウが微笑んだ。

「彼、グランに雰囲気が似てるね」

 額に腕を載せ、ブロムはうんざりと同意した。

 だから、彼とバディなど組みたくなかった。心の奥にしまっていたグランの思い出を引きずり出され、感傷的にさせられた。

「これから、どうするの?」

 バードを見ながら、フラウが尋ねた。

「そうだね」

 レベルアップのため宿泊した宿で、この件が終わったらグランの魂と会えなくても魂狩りを辞めると、決意していた。フラウと他の惑星に移住し、全て忘れて新しい生活をするつもりだった。

 ブロムは、藍色の目で気怠くバードの金髪を追った。

「後は、若い者に任せるよ」

 だけど、と躊躇いながら、今度は目の前で揺れるふわふわした砂色の尾を目で追う。

「裏方で、彼らを支えていけたらと思う。だから、その、移住は、フラウだけで」

 細くなる語尾を、フラウはブロムと同じ藍色の目を細めて遮った。

「じゃ、また、いつだって帰ってきてね?」

 怨霊に刻まれた頬の傷は痛々しかった。しかし、それ以上にフラウの表情は輝いていた。

 円陣から、歓声が上がった。

「繋がった! すでに、こっちに向かってるって」

 すぐさま、体力が残っていた者が、枠だけになった窓から飛び出した。砂の荒野に塔のように突き出した舳先へ上り、外套を振る。

「見えた! ギルドの輸送機だ。おーい!」

 魂狩りの面々に、ぎこちない笑顔が広がる。忘れていた笑みと誇りを取り戻しつつある魂狩りの姿に、ブロムは指に引っ掛けた指輪をかざした。

 彼らにも、帰る場所があるといい。心が疲れ、孤独に陥りがちな魂狩りが、元の人間らしさを取り戻せる場所を、この惑星上に作ろう。

 決意を込めた拳を、サンディが柔らかな舌で舐めた。


 未練を抱いた魂が悪霊となる惑星で、今日も魂狩りは闘う。


〈了〉



(#novelber 30日目お題:塔)


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魂狩りブロムと魔石の技術 かみたか さち @kamitakasachi

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