第24話 絵画の部屋

 思わずブロムは、バードと顔を見合わせた。普段あっけらかんとしているバードも、さすがに眉間に皺を刻み、険しい表情になっていた。

「音とか、してましたよね」

「ああ」

「でもこれ」

 廃屋に足を踏み入れると、靴の脇からフワリと埃が舞う。バードは顔の前にかざした腕に絡みつく蜘蛛の巣を忌々しく振り払った。思い直したように外から手頃な枝を拾ってくると、振り回した。年季の入った蜘蛛の巣は、破れる際にパリパリと音を立てた。

「床の埃といい蜘蛛の巣といい、実体のある何かが居た形跡じゃないですよ」

 言われずとも分かっていると言いたいのを堪え、ブロムは苦々しく頷いた。

 取り憑いた実体もないのに、鼓膜に感じる物音を立てられる悪霊。相当に強いはずだ。しかし、気配から察せられる力はそんなに強く思えなかった。その差が、不気味だ。

 舞い上がる埃にクシャミをしたサンディが、ふと鼻を上げた。しばらく湿った黒い鼻先をうごめかし、床に点々と足跡をつけて壁に寄る。

「何があった」

 元は、間隔をあけて引かれた線の間に小さな花束をあしらった可憐な壁紙だったのだろう。色褪せ、埃で薄汚れて模様もはっきりしない壁紙は、剥がれかけていた。サンディは、その下の方を前足で引っ掻いていた。

 爪先にかかった壁紙が、ついに破れる。現れた段差に、ブロムは顔をしかめた。目を凝らして段差を辿れば、一般的な扉の大きさの四角がうっすらと見てとれた。

「隠し扉か」

「行ってみますか」

 壁を探ったバードが振り返る。頷いた後に、ブロムは首を傾げた。

「しかし、取っ手も無いが」

「ですねぇ。体当たりしたら、屋根ごと崩れかねない」

 ふたりで、扉に仕掛けがないか探った。壁に張り付くように隅々まで調べる間に、突如、扉が消えた。

「うわあっ」

「キャウン」

 多々良を踏んで隣室へ転がり込んだふたりと一匹が振り返ると、背後には壁しかなかった。

「どういう、仕掛けだ」

「特定の刺激に反応して物質の元素配列を変化させることは可能ですが、こんな応用の仕方は見たことがないです」

 高等学校の教書をなぞったバードの返答に、ブロムは柄を見下ろした。

 刺激。扉が消える直前、柄が壁に当たった気がした。電気が通っていない廃屋で今、科学的な刺激を発せられるのは、魔石だけだ。

 嫌な予感が走る。

 ここは、いったん引いて、ギルドに報告すべきだ。

 口を開こうとしたブロムを、バードの呆気にとられた声が遮った。

「あれって、ブロムさん?」

 彼が指差す先に、絵画があった。見回せば、この部屋の壁は絵画で埋めつくされていた。風景や花、静物を描いた絵が、額縁もろとも埃に覆われている。

 その中で唯一の人物画を、バードは指差していた。

 本を胸に抱き、微笑む菫色の髪の女性像。

「フラウ?」

 柔らかな笑顔は、ブロムというより、双子のフラウに似ていた。魂狩りになる前だとしても、ブロムはこんなに穏やかな表情をした覚えがない。いや、そもそも、何故このように印象のかけ離れた優しく儚げな肖像画を見て、ブロムだと思ったのか。単に、髪の色が同じだけではないのか。菫色の髪なぞ、この惑星では珍しくもなんともないというのに。

 頭を振るブロムは、ぞわりと頸へ鳥肌をたてた。すぐ近くで、悪霊の気配が弾けた。

 右肩のすぐ後ろに、巨大な蝙蝠が飛びかかった。惑星に生息する最大の蝙蝠より三倍近い大きさだ。明らかに、取り憑いた悪霊の影響が表れていた。

 柄を抜くにも、利き手のすぐ後ろだ。左手に握り直す間にも、蝙蝠は鋭い歯をむいてブロムの首筋に噛み付こうと迫った。

 頬を、光が掠めた。

「大丈夫ですか!」

 バードが放った矢に片翼を射抜かれ、蝙蝠はキイキイ鳴いて後ずさる。体を捻って斬り落としたブロムは、両手に柄を握った。

「私を気遣う余裕があるのか?」

 絵画に気を取られている間に、悪霊に囲まれていた。取り憑かれた鳥や獣が、埃を舞いあげ、絵画を叩き落とし、飛びかかってきた。

 いつの間に、とブロムは柄へ意識を込めた。眩い光が伸び、刃となる。さらに溢れた力を纏った剣を薙いだ。怪鳥と化した鳥が二羽、羽を散らして落ちる。刃の先から迸った光が、さらに後方に控えていた栗鼠の肩先を貫いた。よろめく栗鼠の眉間を、バードの矢が射抜く。

「一体、どこから」

 続け様に矢を射かけながら、バードが呻いた。

 謎の扉が消え、この部屋は密室になっていた筈だ。なのに、実体もある獣は、視野に入らない部屋の隅の暗がりから、いつの間にか湧いて出てくる。

 瞬間移動という言葉が脳裏を過った。空間を歪める力が働いているのか。

 惑星間移動に使われるワープ航法は、エンジンの出力を増幅させ、光速を超える速さを出すことで実現させる。だがそれでは生体に影響が及ぶので、空間を歪めることではるか離れた二点を結び、より速く、より安全に物資や人の移動を行う方法について、アカデミーでも議論されていた。ブロムが学生だったときには、まだ構想途中で、グランと共に基礎実験を手伝ったことがある。

 ここでも鍵となったのは、人工魔石だった。

 人工魔石の持つ、あらゆる可能性を探る。それが、ふたりが所属する研究室の主題だった。ブロムが武器に人工魔石を組み込むことに抵抗を抱いていたのは、嫌でも過去を思い出す機会が増えるという理由もあった。

 しかし、人工魔石は簡単に手に入れられるものではない。使い方次第では惑星を簡単に吹き飛ばす威力を持つ武器にも使えてしまう。加工するには、政府やアカデミーの許可が必要だし、加工前の人工魔石は厳重な管理下に置かれている。

 このような、打ち捨てられた廃屋で使用されるはずがない。

「まさか」

 続けようとしたブロムに、悪霊が襲いかかった。後ろ足で立ち上がった兎は、耳の先が天井に達していた。取り憑かれ、巨大化した前足で横殴りにしてくる。

 剣を振るうが、兎は巨体を器用に操り、避けた。クルリと背を向ける。狭い空間ではあり得ない動きだったが、たしかに巨大化した短い尾をブロムに見せたと思うと、後ろ足を蹴り上げた。

 素早く床に伏せ、辛うじて避ける。だが、左手で短い悲鳴が上がった。サンディを庇おうとしたバードの服が、兎の爪に掛かった。そのまま壁に叩きつけられる。

 と思ったブロムは、目を見張った。

 バードの体は、壁に、正確には飛ばされた先に掛かっていた絵に吸い込まれた。

「え?」

 バードを飲み込んだ額縁は、しばらく燐光を放ち、何事もなく古びた金属に戻る。後には、ただ、静かな昼下がりの風景を描いた絵画が掛かっているだけだった。

 フワリと、ブロムの長い前髪が揺れた。空気が流れていた。だが、流れてくる元に開口部は見当たらない。逆に、流れていく先の、あの人物画の額縁が光っていた。吸いこんでいるのだ。

 吸引力が増していく。足を踏ん張るサンディの柔らかな毛がなびき、犬とは思えぬ輪郭になる。悪霊に取り憑かれた獣も、体の小さなものから吸い込まれていった。

「なんなんだ」

 ついに床から離れたサンディをキャッチし、ブロムもまた、必死に抗った。出来るだけ身を低くし、重心を落とす。

 ブロムより先に、巨大兎の体が浮いた。部屋いっぱいに膨らんだ体が迫る。避ける隙などない。

 巨体に絡め取られるように、ブロムもサンディを抱きかかえたまま、弾き飛ばされた。

 壁が迫る。通過すると分かっていても、咄嗟に衝撃に備え、息を止めた。

 音もなく水に飛び込むように、わずかな衝撃の後、ブロムの体は方向感覚のない空間に放り込まれた。



(#novelber 24日目お題:額縁)



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