匪石之心

 ゴォォォォォッ‼



 炎に包まれた工場敷地内の路地を走って逃げる生徒たちの最後部に、いわなが 常磐ときわとその友人グループはいた。


 グループの先頭を走る常磐ときわには一緒に逃げている友人たちの姿が見えないため、自分1人しかいないように思えて不安になる。それで、先ほどもかけた言葉を後ろの3人に再度かけた。



「ついて来てるか!」


「「うん!」」



 声はゆき りっつきかげ のものだった。その女子2人の声しかせず、1人いるはずの男子の声が聞こえなかった。常磐ときわとは物心ついた頃からずっと一緒の幼馴染、たちばな さくの声が。



「リッカ? 返事してくれ!」



 常磐ときわが【リッカ】と呼んだ場合、それはりっのことではない。昔から渾名でそう呼んでいる、さくのことだ。


 りっと仲良くなったばかりの頃は常磐ときわ咲也リッカを呼ぶとりっも反応することがあったが『自分が女子を下の名前で呼びすてにすることはない』と言うとりっもすぐ慣れた。


 だから今、常磐ときわの呼びかけにりっが返事をすることはなく……呼ばれたさく 当人からも、返事は来なかった。



「リッカ? リッカ‼」


たちばなくん?」「たちばな?」



 常磐ときわは不安が膨れあがった。さくから『絶対に後ろを振りむくな』と言われていたので気が引けたが、心配が勝り、足をとめて振りかえった。りっもそうしていた。


 さくの姿はどこにも見当たらなかった。まさか1人だけ逃げ遅れて、火勢の強い後方にいる? 常磐ときわはゾッとした。



「リッカ‼ どこだ‼」


たちばなくん! たちばなくん‼」


「ウソでしょ、たちばなたちばな‼」



 りっも必死に呼びかけているが返事はない。3人は顔を見合わせて青ざめ──そこに、横合いから声がかかった。



たちばななら、さっき転んでたぜ~?」


「お前ら置きざりにしてやんの~♪」


「「「‼」」」



 常磐ときわさくりっと仲良くなった今月上旬7月7日、七夕で願った内容のことでりっをからかい、りっをかばったさくに論破された男子2名だった。りっと同じ5年2組の。



「そんな大事なこと、なぜもっと早く教えん!」



 常磐ときわは鬼の形相で2人に詰めよった。2人よりずっと大柄な常磐ときわがそうすれば威圧感は相当になる。常磐ときわの知る2人は度胸のあるほうではない。


 しかし今はニヤケ顔を崩さなかった。



「いや~、俺たちも逃げるのに必死でなぁ?」「それに俺らー、お前らには声かけづらいじゃーん?」


「そんな場合か! 人の命がかかってるんだぞ‼」


「ははっ! そうだな、たちばなの命がかかってるよなァ⁉ ならお前らこそ俺らに構ってる場合か?」「こうしてるあいだにもたちばなのヤツ、助けを求めて泣いてるかも知れないぜ~?」


「‼」



 不愉快だが、そのとおりだった。


 ここで怒っている場合じゃない。


 常磐ときわさくがいるであろう火の海を振りかえり──そちらへ走りだすりっの姿を見て、慌てて追いかけ2人の腕を掴んでとめた。



「離していわながくん、たちばなくんを助けないと‼」


たちばなが心配じゃないの⁉ 幼馴染でしょ‼」


「素人の俺たちが行っても二重遭難になるのがオチだ! あいつが助かっても、自分を助けようとして友達が死んでたら、あいつは一生それを引きずって苦しみ続けるんだぞ‼」


「「ッ‼」」


「リッカのことはプロに任せるんだ。俺たちはそのためにも早く避難して、あいつが取り残されていることを消防に伝えないと」



 常磐ときわも断腸の想いだった。


 親友の自分こそが火に飛びこんででもさくを救いたい。だがそんな自己満足は状況を悪化させるだけだ。情けなくても最善の道を選択せねば。



「そう……だね」


「ゴメン、いわなが


「構わん」



 自分がさくを心配していないと疑ったからの謝罪に、常磐ときわは無愛想に答えてしまい悔やんだ。さくならこんな時も優しく対応したろうに。これだから自分はヒーローになれないのだ。



「オイオイ行っちゃうのか⁉」


「なんだなんだ、薄情だな‼」



 常磐ときわたちが避難を再開しようとした時、男子2人組が回りこんできて通せんぼした。なんだこの異様な執念は。常磐ときわは不気味に感じた。


 こうしているあいだにも他の生徒たちは先に行って、ここにはこの3人と2人しかいなくなっている。これでは自分たちも逃げ遅れているようなものだ。



「戻れよ! たちばなを助けに‼」


「そして4人で焼け死ねよ‼」



 常磐ときわは2人を殴りとばして突破しようか迷った。自分の力で殴っては2人はここから動けなくなってしまうかも知れない。それで死なれたら自分が殺したも同然だ。


 こんな奴ら死ねばいいとは思っても、自分で手にかける覚悟などない。常磐ときわとて平和な日本で育った小学生、当然だった。



「いい加減にしなさいよ‼」



 が2人に突っかかっていった。


 りっは──うつむいて、震えている。



「馬鹿なの⁉ ここだっていつまでも安全じゃない、こんなことしてたらアンタたちだって死んじゃうかも知んないのよ⁉」


「俺たちは、もう死んでるんだよ社会的に‼」


「お前たちに殺された、だから殺しかえす‼」


「ハァ⁉ ……ダッサ」



 りっをイジメていたところをさくという〔正義の味方ヒーロー〕に懲らしめられ、2人の評価は〔悪者ヴィラン〕として固まった。それで2人が5年2組で孤立しているとは1組の常磐ときわも聞いている。


 それもまた5年2組の生徒たちによる2人に対する〔イジメ〕ということか……実態がどれほどか知らないが、少なくとも2人がそれでこんな暴挙に出るほど追いつめられたことは事実だ。



りっをイジメた報いを受けて逆恨み?」


「イジメじゃねぇ! イジッただけだ‼」


「たかがあれくらい、村八分にされるほどのことかよ‼」


「勝手なこと言ってんじゃないわよ! アンタたちが軽い気持ちでやったことがりっをどれだけ傷つけたと思ってんの‼」


「お前らこそ! クラス全体で俺たちのことクスクス笑ってんのは軽い気持ちでだろ‼」


「俺たちが、どれだけ……!」


「自業自得よ! 甘えんなクズ‼」



(ダメだ、これは)



 どちらも自分たち側の受けた苦痛は不当であり、自分たち側が苦痛を与えたのは罰を受けるほどのものではない、と主張している。


 平行線だ。


 常磐ときわはもちろん心情的にはそしてりっの味方だが、それが公平でないのも承知している。だがどっちが正しいとか、今はそんな場合じゃないんだ!



 パチ……



 火の爆ぜる音。暑さが増した気がして振りむけば、火の手が迫っていた。もうここも危ない。かくなる上は、男子2人に怪我させぬよう加減しながら力ずくで突破するしか──



「⁉」



 常磐ときわが振りむいていた首を戻した時、それが目に飛びこんだ。氷を胸に押しあてられたような恐怖。無我夢中で駆けだし叫ぶ。



「お前らそこをどけぇ‼」


「は。どけと言われて」


「どく馬鹿が──」



 常磐ときわはしくじった。今の台詞では男子2人に『道を開けろ』と言っているようにしか聞こえない。もそう聞こえたようで動こうとしていない。


 に言ったのに。


 常磐ときわを抱きよせ後ろに跳んだ。それが精一杯だった。そしてを腕の中にかばいながら地面に倒れた常磐ときわの前で、男子2人はグチャッと潰れた。


 潰された。


 すぐ傍の建物の屋上から跳びおりてきた、双腕重機ボガバンテを破壊して工場に火をつけたあの巨大な虎型ロボットの、2本の前肢にそれぞれ下敷きにされて。


 2人だったモノから飛散したドロッとした色々を浴びて、倒れている常磐ときわも、隣に立つ白いワンピースのりっも、赤く汚れた。



「「イヤァァァァ‼」」



 常磐ときわが女子2人のように悲鳴を上げなかったのは冷静だからではなく動転した思考が頭を渦巻いていたからだった。虎に気づいていたのに、自分がもっとうまい言葉をかけていれば──と。


 2人を死なせずに済むように、そう考えていたのに結局、自分のせいで死なせてしまった。殺してしまった。その事実は11歳の少年には重すぎた。


 常磐ときわこそ泣きたい気分だったが、こらえた。目の前にはまだ2人を殺した虎がいる! 自分がりっを守らなければ!



「逃げるぞ‼」


「ええ‼」



 常磐ときわに手を貸し2人で立ちあがった。


 が呆けているりっの手を引き走りだす。



「あ、あれ?」


「り、りっ⁉」



 ガクン! とりっがその場にへたりこんだ。手を繋いだままのは引っぱられて足がとまった。りっが恐怖で腰を抜かしたと察した常磐ときわは自分が運ぼうと駆けよった。


 常磐ときわの動きは素晴らしく機敏だった。それでも3人が危険な存在の傍にあまりに長く留まっていたのも事実だった。のし、と動いた巨体はたった一歩で間合いを詰めて。


 常磐ときわの視界に、機械の虎の顔面が広がった。



(死んだ)



 やはり自分はヒーローになれなかった。


 死を前にして感じたのは悔しさだった。


 りっがトラックにひかれそうになった時、常磐ときわはとっさに体が動かなかったが、さくは動いてりっを救った。


 りっがあの男子たちにイジメられていた時、常磐ときわがどう助けたものか考えている間に、さくはさっさと行動してりっを救った。


 さくはそれでりっから好かれて。


 からも好かれて。


 やんややんやと皆から称賛されて。


 正にヒーロー。それに比べて自分はなんだ。ずっと対等だったさくに置いていかれた気がして、自分も彼の横にいて恥ずかしくない手柄が欲しいと焦った。


 大好きな親友に笑顔を向ける裏でこんなことを考えている自分がたまらなく嫌で早くこの状態から抜けだしたかった。


 でも。


 そんな邪念を忘れて、ただ助けたいと思った。りっのことも、のことも、あの2人のことだって。それなのに。あまりに惨めで、これなら恐怖に怯えながら死ぬほうがマシだった。


 走馬灯を見ていた一瞬が終わる間際。


 さくの声が聞こえたような気がした。



「──ァァッ‼」


「「「ッ⁉」」」



 幻聴ではない! 確かにさくの叫び声。と同時にけたたましい音が響いて、常磐ときわの眼前から虎の巨体が左へ吹っとび、建物の壁に激突した。


 機械の虎を吹っとばし、入れかわりに常磐ときわの前に屹立したその巨体は、ロボットアニメの主人公機のように見栄えの良い、全高4mほどの緑色の人型ロボットだった。



「みんな、無事⁉」



 人型ロボットの中から響いてきた声は、くぐもっていても聞き間違えようのない、さくの声だった。生きていてくれた。それどころか自分たちのピンチを助けてくれた!



「リッカ! ああ、無事だ‼」


たちばなくん‼」「たちばな‼」


「早く逃げて! トキワ、2人を‼」


「ああ! つきかげゆきを俺の背に‼」


「あ、うん‼」「ごめんなさい!」



 常磐ときわはしゃがみ、に手伝ってもらってりっをおぶった。小柄で華奢なのに異様に重い。自力で体重を支えていない人間は支えている人間より重く感じると、介護関係の話で聞いた。


 常磐ときわは歯を食いしばり、渾身の力を込めて立ちあがった。過去最高にキツイ重労働、だがここで根性を見せなくてどうする!



「行くぞ‼」


「「うん‼」」



 常磐ときわと走りだすと、ガオォォッ‼ と背後から虎型ロボットの咆哮が聞こえ、それから無数の騒音が鳴りだした。虎型ロボットとさくの乗った人型ロボットが戦っている!


 背中からりっが、涙声で訊いてきた。



たちばなくん、大丈夫だよね?」


「ああ、大丈夫だ!」



 常磐ときわは間髪入れずにそう答えたが確証はない。確証はないが、確信はしていた。自分でも馬鹿らしいと思う、全く説得力のない理由ではあるのだが。


 こんなロボットアニメの第1話みたいな展開で主人公が負けるはずがない! だが自分やさくのようなロボットオタクではないりっには、こう言いかえたほうが通じるだろう。



「なにせあいつは、ヒーローだからな‼」







 搭乗式人型ロボット【ブルーム】のコクピットで、側面モニターに映った走りさる3人の背中を見て、さくは安堵すると同時に胸が痛んだ。


 りっが、常磐ときわに、おぶられている。



(あんなに密着したらゆきさんの胸がトキワの背中に当たる! 少しはあるのか少しもないのかの答えをトキワが知ることに! 膨らんでいようがいまいがゆきさんのおっぱいが‼)



 こんな時になにを考えている。


 さくは自身の矮小さを恥じた。


 大好きな(きっと恋ではないけど)女の子の性的部位えっちなところが他の男にふれていると思うと物凄く嫌だった。


 だがあれがりっを救うために必要なことなのも、自分の筋力ではりっを背負って走れないのも分かる。常磐ときわは悪くないし、頼もしい。アホな嫉妬して申しわけない。


 りっのことは常磐ときわに任せておけば大丈夫だ。大丈夫じゃないのは自分のほうだ。またこのパターンか。



 ガオォォッ‼



 自分がこの機体ブルームで転倒させたメカタイガーが起きあがり、にらんできて、上げた咆哮から明確な敵意を感じ、さくは背筋が凍った。

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