第56話 理容室と思い出
夏休みが始まってから早くも1週間が経過した、8月1日の土曜日。
俺たちは、総武線に乗って、実家方面に向かっていた。
馴染みの理髪店に顔を出すためだ。
発端は、今日の昼過ぎのこと-
◆◆◆◆
受験勉強の合間の茶休憩の時間。
テーブルの向かいの古織を見ると、いつものようにニコニコ。
しかし、少し違和感がある。
って、そうか。
「古織、だいぶ髪伸びたか?」
セミロングくらいの長さだった古織の髪。。
しかし、今は、後ろ髪が肩近くまで伸びている。
「みーくん、ようやく気がついたの?」
「てことは、後ろは伸ばしてたのか」
「結婚した時から、少しずつ伸ばしてたんだけど」
気が付かなかったの?と非難がましい視線を向けられる。
毎日の変化が少しずつだと意外に気が付かないもんだ。
「気が付かなくて悪い。長いのもよく似合ってるぞ」
「みーくんが、さらっと褒め言葉言ってる……!」
「俺だって、言う時は言うんだよ」
こう言っちゃなんだけど、髪を褒めるのなら、
そこまで恥ずかしさを感じないというのもある。
「ありがと。みーくんも、だいぶ髪伸びてきたんじゃない?」
「前と後ろがうっとうしくなって来たな。正直」
特に、暑い日が続くと、髪が熱を吸収してる気すらする。
「せっかくだし、髪でも切りに行ってくるか」
「じゃ、一緒に行こうよ。私も、前髪短くしたかったし」
「でも、1000円カットに一緒に行ってどうするんだよ」
一緒に行動したい気持ちはわかるが、さすがにそれはどうなんだ。
そもそも、ケチらず美容室に行ってもいいと思うんだけど。
ま、細かいケアは自分でやる奴だったし、今更か。
「そうじゃないよ。実家の近くでお世話になってたとこ、山口さんのとこ」
「そういえば、しばらく顔だしてなかったな」
「そういうこと。久しぶりに顔だしてみない?」
「結婚の報告もしてなかったし。たまにはいいか」
山口理容室は、実家の近くにあった、家族経営の理容室だ。
美容院の類ではなく、散髪とシャンプーが中心の小さな理容室。
お義父さんが懇意にしている店で、小さな頃からお世話になっていた。
◇◇◇◇
というわけで、電車で実家方面に移動する道すがらの俺たち。
「昔のみーくん、クリーム塗られるの嫌がってたよね」
山口理容室は、俺たちガギの事をやけに可愛がってくれた。
剃り残しにクリームを塗られて剃刀を向けられるのを嫌がる俺は、
「もうちょっと我慢しなさい、
なんて言われてたことがよくあった。
「お前も「みーくん、我慢しないと駄目だよ」とか言うもんな」
「だって、みーくん、本当に落ち着きが無かったんだもん」
「あれ、滅茶苦茶くすぐったかったんだって」
もちろん、そんなのは本当に小学校の時分だ。
大きくなるにつれて、俺も大人しくなっていった。
「しばらくぶりだけど、
「みーくんは、美奈さんによく懐いてたよね」
「……ほっとけ」
山口理容室は、おばさんとおじさん、娘である美奈さんの三人で経営している。
美奈さんは、俺たちを歳の離れた弟妹かのように、面倒を見てくれたものだった。
しかし……
「おー、意外に変わってないな」
「でも、看板がちょっとお洒落になってる。ほらほら」
言われて見上げると『Cut Salon Yamaguhi』だ。
以前は、『山口理容室』だったんだけど。
「いらっしゃいませー。道久君に古織ちゃん、お久しぶりね」
ちょうど俺たちを出迎えた美奈さんが微笑む。
歳は30台前半。整った容姿に、スラッとした体格。
人当たりの良い性格もあって、大層モテている。
にも関わらず、いっこうに結婚する気配なし。
おじさんやおばさんはよく嘆いていたものだ。
「お久しぶりです。髪が長くなったので、カットお願いしたいんですけど」
「私も、前髪が長くなってきたので、カットお願いします」
「二人揃ってなんて、随分久しぶりねー。お母さーん」
たまたま空いていた店内で、二人揃ってカットしてもらう事に。
おじさんは留守にしているみたいだ。
「半年以上来てなかったわよね。元気してた?」
櫛で髪を優しく整えられながら、他愛ない世間話。
「それなんですけど、実は、結婚したんですよ」
「け、結婚?冗談、じゃなくて?」
「ええ。そこの古織と、今年4月から」
「……」
「……」
「……」
美奈さんも、おばさんもしーんとしてしまった。
「おめでとう、二人とも。随分早いゴールインね」
さすがは美奈さん。素早く立ち直って作業を再開。
「ゴールって言うには、まだまだガキですけどね」
「今は、おじさまの家で仲良く新婚生活?幸せいっぱいってところでしょ」
「幸せなのは否定しませんけど。お義父さんからは、二人暮らしをするようにと言われてまして。千葉県の市川で二人暮らし、してます」
報告を聞いた美奈さんはきょとんとして。
「そうなの?古織ちゃん」
おばさんに散髪をされている古織に聞いている。
「は、はい。寝る時も毎日一緒で、幸せです」
いやいや、古織よ。なんでそんなことまで暴露してるんだ。
「あらあら、仲がいいこと。昔から、恋人ごっこなんてしてたけど」
「「ごっこ」じゃないです。みーくとは真剣なお付き合いです!」
「ムキにならなくてもいいじゃない。今は結婚してるんだし」
当時から、特に「こいびと」を強く主張していた古織。
美奈さんは、冗談と思ったのか受け流していたものだった。
「それなら、お祝いの品でも送らないとねえ」
どこか感慨深げなおばさん。
ガキの頃から見てた、俺たちがというのは思うところがあるんだろう。
「そうね。後で住所、教えてちょうだい?」
「そこまでは……いえ、わかりました。後で」
一瞬、遠慮しようとしたものの、古織から首を横に振られた。
こんなところで、遠慮するなってとこだろう。
それから、俺達は、ゆったりと髪を切って、そして、洗ってもらったのだった。
久しぶりに嗅いだここのシャンプーは、どこか懐かしい匂いがした。
こうして、昔話をしながら、リラックスして散髪してもらったのだった。
「今日の散髪代はサービスしておくから」
「さすがに悪いですよ」
「常連さんへの、サービスよ、サービス」
「いや、でも、しかしですね……」
全額サービスとなると少し気が引ける。
「二人暮らしなんでしょ。お祝いと思って」
「そうそう。今更遠慮なんてするもんじゃないよ」
二人にそこまで言われて、固辞するのも悪いか。
家計的に助かるのも確かだし。
「わかりました。ありがとうございました」
「二人仲良くね。また、来て頂戴?」
柔らかい見送りの声に送り出された俺たち。
どこか清々しい気分で店を後にしたのだった。
「美奈さんたち、元気そうで良かった」
「みーくんは、デレデレしてたよね」
古織は少し不満そうな顔。
「ちょっと、世間話しただけだろだろ。お前もその場に居た癖に」
「今だから言うけど、美奈さんに少し嫉妬してたんだよ?」
ぷくーと頬をふくらませて言う。
「あー。小学校の時、たまにつっかかってたのは、それでか」
俺と美奈さんの会話に、こいつが割り込んでくることがあった。
決まって不機嫌だったけど、そんな理由があったとは。
「お前、昔から独占欲強かったんだな」
「そうだよ?みーくんが、気づいてなかっただけ」
「大丈夫だって。昔から、お前一筋だから」
言いながら、髪を優しく撫でてあげる。
独占欲を示してくれるのは、俺としては嬉しいのだ。
「もう。今さっき、散髪したばかりなのに」
「悪い悪い」
「でも、もう少し撫でて欲しい」
「撫でて欲しくないのか、欲しいのか、どっちなんだよ」
「どっちも」
なんて言いつつ、気持ちよさそうに目を細めてやがる。
大通りに出るまで、しばし、そんなやり取りを楽しんだのだった。
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