第四節 テント暮らし


「暗くなっちゃいましたね」


「そうだね」


 雨はまだ降り続いていた。街の店は明るいが、少し離れると街灯が無い場所もちらほら出てくる。時刻は午前2時を過ぎている。


「私、終電逃して、あと3駅なんですけど。歩いて帰ろうと思ったんですけどあと何分くらいでしょう? 1時間あれば着きますかね?」と言うと、「1時間以上かかりますよ、絶対。何でそんな安直な考えに辿り着いたんですか?」と返されてしまった。


「もう、今夜は僕のとっておきの秘密基地に泊まらせてあげますよ」


一瞬ドキッとした。二人きりで一夜を共にする。現実離れしてきたようで寒気がした。


少し躊躇ってから、


「え、いいんですか。ありがとうございます」


とは言ったものの、秘密基地という呼び名が気になる。


「こっちについてきて下さい」と彼が言うので、私はついていくことにした。20分くらいだった。


 そうして、辿り着いた場所は川が目の前を流れる場所で林の中だった。葉が沢山ついている丸みを帯びている造り物の草木のような所をすり抜けてきた。


彼は棒のような三脚を組み立て、シートを張った。どっからどう見てもテントだ。私用のテントも用意してくれるのかと思いきや、用意してくれなかった。


 川には丸太が掛かっている。彼に聞いてみた。


「この丸太の先には何があるんですか?」そう聞くと、彼は険しい表情をして怖がった。


「熊が出るよ」


「は?」いきなりの生命危機に固まってしまった。


「だから、熊だって。僕も遭遇した事ある」


(えーっ)


「まぁ、本当に危険になったら爆発させるから」


(爆発?)


彼は手にランタンを持っている。これから、何をするのかと思って眠い目をこすり、待っていた。


すると、丸太の上にランタンを置き、釣竿つりざおを持った。そして、川の中へ釣竿を投げた。しばらくすると「釣れた!」と言い、こちらに見せてきた。一人でやってたらどれだけ痛い人か、痛感する。


き火の上に銀網を乗せ、釣った魚をすぐに焼いた。

3匹あったが「食べていい?」と聞くと「ダメ」と言われてしまった。そして彼が一人で完食し、テントの中へ。だが、トイレに行きたくなってしまった。


「トイレは?」


「僕はここでしてるけど」


「は? 汚っ!」


ここでしたら川汚染になるに違いない。それにトイレした川で釣った魚を食べるとは汚すぎる。想像しただけで気持ち悪い。


「もしくは、バーに戻る?」


「いや、それは。大丈夫です、我慢します」


気をまぎらわす為に何か話題が無いかと思考をめぐらせた。思いついたのがまだ何も知らない人同士なので、自己紹介だった。


「自己紹介まだだったからするね。私は如月此葉といいます。26才です。趣味は花と料理とファッション、それに読書と音楽鑑賞や映画鑑賞です」


何の変哲も無い一般的な自己紹介だ。


「僕ははやてっていいます。苗字は内緒。あとはさっき言った通りだよね。他に聞きたい事ある?」と颯は言った。


「聞きたい事かぁ……何て呼べばいい? 私は何でもいいよ。あとここ、完全にホームレスだよね。親と一緒に暮らせないの? どうしてこんな若いし、年近いのにこんな所で暮らしてるの?」詮索みたいで我ながら罪悪感を抱いたが、気になったので聞いてみた。22才でテント暮らししてる人、他にいるだろうか。親に追放でもされたのだろうか。もし、追放されてたなら可哀想で仕方ない。


「呼び方は何でもいいよ。ホームレスかもしれないけど、これでいいんだ。ここで暮らしてる理由は言えないかな。親とのことも」


じゃあ、何で聞きたい事ある? って言ったんだよ。ウェルカムっぽかったのになんか残念。気になって眠れないじゃんか!!


「分かった。颯くんって呼ぶね」


「じゃあ、僕は此葉って呼ぶから」



「おやすみ」


「おやすみ」


そう挨拶を交わし、眠りに就いた。お互いは体を密着させている。


 まさか、女の人をここに泊めるとはな。寝息が当たって安心する。こんなの久しぶりだ。ストレートの栗色の髪は綺麗に整えられてて、素敵でランタンに照らされて、光輝いている。肩より少し先くらいまで髪は伸びていた。まつ毛も長く、鼻も高い。肌も白くて美しい。さっきキスした唇は口紅で赤く染められている。近づくと甘い香りがする。香水だと思う。ファッションセンスもあって憧れの美人だ。顔も可愛いし。それにしてもさっきのキスは衝撃的だったな……忘れよう。ひょっとして僕のこと好きなのか? そう思い、右を向いた。静かに眠っている。考えるのをやめた。明日はどうなっているのかな……


 午前4時に起きた。早朝だ。清々すがすがしい空気を吸おうとテントから出る。勿論、此葉を起こさないように。外の空気は清澄としていた。川の水を触ってみると冷たかった。何もする事がなくて暇だなーと思い、空を見上げる。早朝とはいえ、朝日が昇り始めた頃でまだ暗い。1時間はずっと布と糸と黒いプラスチックで作られた椅子にただ、じっと座っていた。少しそこら辺を歩き回ったりはしたけれども。君が起きたのは多分、僕の1時間後で「急がなきゃ」と言っていたので話す刹那の時間すらなかった。テントがうごめいていた。その中にいるのは君だろうと予想がついていたので恐怖とかはなかった。


 ただ、寝起きの君も可愛くて、つい見れてしまった。パジャマ姿ではなく、着替えがどうしても出来なかった為、昨日の服のままだが、髪のボサボサ感などが生活感があって非常に良い。服もしわくちゃになっている。すっぴんも見てみたい。今でもメイクは充分落ちているが。


「急がなきゃ」と焦っている君。僕が「何か手伝う事ない?」と聞くと「無い」と即答され、「仕事?」と聞くと「そう」と答えた。


デザイン会社に勤めてると言っていた。相当、朝は早いのだろう。と思いきや、一旦家に帰るらしい。ま、そりゃ、そうだよな。


「じゃあね」


「ばいばい」


別れの言葉を交わして彼女とはさよならした。


けれど、彼女にバレないように家までついて行ってみることにした。



 家についた私は仕事の準備をして、急いで着替えをして、仕事場へと向かった。


話しかけないでほしいと言ってからは彩芹とは口を利いていない。

後輩の紗椰乃さやのから「雰囲気変わったね」と言われた。自分ではそうは思わないけど周りから見るとそうなのだろう。酔っていて記憶が曖昧な部分もあるが、昨日の事が夢だとは思えない。


 トイレに行って顔を洗ってきた。顔を叩いてみる。やっぱり現実だ。


颯くんに会いたい。そう思ってたら作業の手が止まっていた。


黄緑色で塗ってる最中、もう私は恋渕先輩じゃなくて颯くんと付き合ったほうがキスもしたんだし良いのでは? と思った。


 だから、午前の仕事が終わった後、屋上に行った。恋渕先輩は上のフロアに所属している為、呼び出すのが大変だった。待ってみたが来なかった。メールで忙しいとの事だった。


午後の仕事中もずっと颯くんの事ばかり考えていた。もし、屋上に恋渕先輩が来たら“すみません。お付き合いできません”って言えるのだろうかとも。


 そうして、一日の仕事が終わった。帰りは職場の最寄り駅から徒歩30分くらいのバーに寄った。だけど颯くんは見つからない。そして、昨日行ったはずの川まで行ってみた。私は方向音痴なので、メモまでしておいた。だから辿り着けた。まさか、テントとかの道具一式消えてるなんて……思いもよらなかった。(あの出来事は夢だったんじゃないか)とも一瞬思った。だけど、信じたくないという思いのほうがまさっていた。ここまで来て、歩き疲れてしまった。戻るのも往復しないと。大変だ。定時だから終電は乗り遅れてないはず。


(颯くんに会いたい)

(此葉に会いたい、早く帰ってきて)


交差する想い。


 一方、その頃颯は此葉の帰りを待っていた。玄関の扉の前で。我ながらスゴいとは思ってたけど、実際来てみると想像を絶するものだなぁ……


自動ドアのサイドや手すりがきんだし、清潔に管理されてるのが見て分かる。ガラスに傷や汚れもない。しかも64階。外を見るとライトアップされた夜景が楽しめる。


僕だってずっとここで待ってたわけじゃない。昼はパスタ屋さんで食べたし、マンション探索だってしたし、図書館に行ってみたりもした。マンション探索。これが意外と楽しかった。


 ようやく、彼女の姿が見えた。僕は急いで階段の裏に隠れる。此葉は鍵を開けて中へと入る。僕は5分くらい待ってインターホンを鳴らした。


「はい」


ウィンドウを見ると颯くんの顔。私はびっくりした。しかも何で教えてもないのに家を知られてるのだろう。さっき玄関に着いた時は颯くんの姿は無かった。


玄関を開けると、

「僕を拾って下さい。今日からよろしくお願いします」とお辞儀をされた。


「は????」


一瞬、頭が真っ白になった。


心のどこかで自分の人生が少し狂い始めた音がした。 

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