第88話 別れの曲(2)

(1)

 奢侈的な調度品などはヴェラッシェンドでも随分目にしてきたが、こちらが引くほど国威を誇示しているペリシア古典建築様式、それらを更に誇張せんばかりに飾り立てられた壁・天井の絵画、博物館のように飾り立てられた絹織物の数々等々見せつけられると、無意識でも有意識でも緊張してしまう。


 あくまでイェルドの警護として、凍馬と共にペリシア共和国の迎賓館の待合室に通されていたランは、自国の迎賓館とついつい比べるように、調度品や茶の質を確かめてしまうのだったが、待つという無為な時間を重ねるにつれ、天窓に切り取られた四角い空の色が変わるのを見つめ、ぼんやりとしていた。


 片や、光の民の世界にいた時と比べても、イェルドと凍馬の会話は増えたようだ。隠密部隊やロイヤルガードの誰かの話題や美人と評判のメイドの何某の俗っぽい話、さらには使い勝手の良かった武具の話、そして、二人の故郷・メダラルフォールの話まで、共有できなかった時を埋め合わすように、どちらからともなく兄弟に話しかけるので、会話が止まらない。


 傍で何ともなく双子の話を聞いていたランは、一笑ついでにイェルドの横顔を覗いた――終幕の到来を知って以来、やっと晴れたように見える彼の顔を確認した彼女は、口元を緩め、また天窓の向こうを見遣る。

 いつか見たような四角い窓枠に切り取られた大空は、亡くした友の優しさも、敗走のやりきれなさも、戦友との休息も、国土の奪還の決意も、愛すべきものと交わした約束も、一遍に思い出させてくれる切ない澄んだ色をしている。

「(また、会えるんだな……)」

盟友・イオナとは半年振りの再会となる。たかだか半年間ではあるが、世界を揺るがす出来事の渦中にあり続けていた彼等にとって、こんなに待ち遠しい再会は無い。一つ一つの思い出を噛みしめながら、今や遅し、とランは大きく息をついた。


 待合室の、金や真珠で装飾のされた重たい扉が軋んで、向こう側から老騎士が駆け込んできた。

「お待たせして申し訳ございません」

恭しくラン達に頭を下げた老騎士は、控えていた警備の兵士に何やら耳打ちして、退席させた。

「恐れ入ります。本日予定していた会談ですが、元帥副官の都合が付けられない旨連絡がありましたので、延期とさせて頂きます」

「はァ?」

と、不服そうに声を上げたランを制したイェルドは、代替日を問うた。しかし、老騎士、曰く。

「現段階では、未定としか申し上げられない」

体制が変わったとはいえ、正常国交の無いペリシアならではの茶番だろうか、とヴェラッシェンド出身のランとイェルドは顔を見合わせた。

「では、数日此処でお待ちしていて良いのでしょうか?」

そもそもペリシア当局側に会談を設ける意思があるのかどうかを確認する為、イェルドはあえて問う。

「それは構いませんが、数日中に段取りを設けるお約束は致しかねます。その点、悪しからず、ご了承頂きたい」

老騎士は一つ唸り声をあげた。そこへ、

「シュナイダー殿、お急ぎください」

と、老騎士を呼ぶ声が上がった。軍服を着た男性が数名、入り口で待機している。

「(これは、不測の事態が起こっているのか)」

そう判断したイェルドは、

「では、数日此処にてお待ち申し上げております。イオナ殿にもそうお伝えください」

と、体良く回答しておいた。


 思わぬ肩透かしを食らったものの、幾らか気を取り直したラン達は、ペリシアの用意した従者という名目の監視者に従うまま、宿泊エリアへ渡る。

 赤い絨毯の敷かれた一室の、凡そ足元に集められた照明は、サロンを彩る鮮やかな色に高貴な落ち着きを与え、重厚な空間に奥行きを与えている。

 先程の顛末とは裏腹に、そこでは静寂が貫かれていた。そこに何ともいえない不気味さを感じるのは、数日まで敵国であったという偏見があるからだろうか。

 「では、我々は別室に控えております。何なりとお申し付けください」

と、従者がサロンを後にした。

 革靴の音は遠ざかり、やがて重たい扉が閉まる音と共に完全に消えてしまった。


「うーん……何か、拍子抜けだなあ」

ランが口を開いて直ぐに出てきたこの言葉が、全員の率直な感想である。

「体制が変わったばかりですからね。多忙なのは理解できますが、」

イェルドとしては、あの騎士達の慌てぶりが気がかりだった。

「イオナさんに、何も無ければ良いのですが」

イオナは、全竜を統べる竜王を宿すことのできる、世界随一のドラゴンマスターである。そのスキルは多岐に亘り、扱う魔法分子量は世界屈指である上、彼女ほど博識で知略戦略に長けた術者はそういない。正常に魔法が使用できる環境において、彼女は無敵と言って良い。

 そう、正常に魔法が使用できる環境においては――


「ちょっと、今夜の酒でも買ってくるわー」

凍馬がやおらサロンを離れた。

(2)

 まだ眠たげなメーアマーミーが、手渡された“犯行声明文要旨”に目を通し、溜息を吐いた。

「……懲りない連中だな」

犯行声明を出したのは「シェラード“赤い月”戦線」である。イオナ旧帝国軍元帥副官を拉致誘拐した旨、明記されていた。

 シュナイダーは、解決の為の交渉に割ける予算と範囲を併せて報告し、メーアマーミーの判断を仰ぐ。

「カネが惜しいなあ」

などと、随分な事を口走るメーアマーミーの、その一言は聞き流しておいたシュナイダーは、時刻と天候を確認した。

「そろそろ、先方から取引の打診があるでしょう。それまで、お待ちになりますか?」

メーアマーミーとは随分永い付き合いとなるこの老騎士は、最早、この上官の考え付きそうなことぐらい見当が付く。上官の口が開いた。

「とりあえず、今夜の煙草でも買ってくる」

彼はわざわざ応えずに、車の手配をさせた。

「お気をつけください」

つくづく、彼は変わったとシュナイダーは思う。実質的にメーアマーミーの筆頭側近である立場としては、あまり彼を単独で行動させてはならないとよく心得ている。しかし、彼の一番の理解者としては、彼が単独行動を望んでいるのならそうさせてやりたいのだ。

「(閣下は如何に色を授けましょうか?)」

服の色さえ黒一色という上官が、この土壇場とも言うべき局面で。

(3)

 一通り、アマンダからの報告を聴いたデュトゥールが天を仰いだ。

「混乱しているようだな、ペリシアは」

愛娘の帰宅がずれ込んだ件を、父上皇は嘆いているのである。

「あれだけ絢爛豪華な護衛を付けたんや。あまり心配することもないで」

誰が誰の護衛をしているのかについてはあえて伏せて報告をしているが、話の腰を折られるよりはマシだとアマンダは思うのである。ましてや、今回はどうしてもやり辛い進言をしに参上したところでもあるのだ。

「一つ、人事の件で相談がある」

本日一番の懸案事項を切り出したアマンダの言葉を遮って、デュトゥールは溜息交じりで核心を突いてきた。

「聖戦士長のことか?」

やはり、父上皇はあまり面白くなさそうである。アマンダは苦笑を飲み込んだ。

「一時は凍馬と同じく、隠密部隊で引き取ろうと思うたんやけれど、」

アマンダは長い睫毛をパチリとさせて、上皇の顔色を窺う。

「イェルドはどうも有名人過ぎて、隠密としては目立ち過ぎるのではという懸念が部隊員から出とるんよ」

口角を上げてそんな事を切り出したアマンダの意図していることが何となく分かった上皇は、血相を変えて首を横に振った。

「ならん! 断じてならん!」

頑なに核心の話を拒絶する上皇だが、昔からこの天下のナンパ男を丸め込むのは得意中の得意なので、この期に及んでアマンダは焦りはしない。

「むかーしむかしの話やけれどもォ、」

などと間延びした口調で切り出したアマンダの意図が手に取るように解るのだろう、上皇は黙り込んでしまった。

「この帝国に身寄りの無い、門地不明の青年がふらりとやってきて、実力を買われて隠密部隊で働いていたことがあったんよォ」

何ともいえない表情で自分を見つめるデュトゥールに、かなりの快感と若干の胸の痛みを覚えつつ、アマンダは続けた。

「その青年な、当時の皇帝・ラナ様を、身を挺して守護した挙句に右目を完全に失ってんけれど、何とロイヤルガードに引き立てられてなァ――」

ニンマリとアマンダは微笑んだ。

「まあまあ色々ゴタゴタしながら、終にはラナ様とめでたく結ばれましてん」

それはめでたい話だなァ、などと顔中の筋肉を引き攣らせながらデュトゥールが微笑んだ。

「おめでたいやん、なァ?」

アマンダは二枚の書類をデュトゥールに突き出した。1通目は「推薦書」であり、2通目は「ロイヤルガード任命書」である。


――夕映えの通称・洗濯広場に良く映える高貴なる物達の影は一層濃さを増し、世界に蒼く寄り添ったままいがみ合っている。

(4)

 ふと、目が覚めたイオナは、まず襲い掛かってきたひどい痛みに眉を顰めた。己の四肢を拘束する枷が皮膚に食い込んでいるようだ。そして、顔を顰めて気が付いたのだが、側頭部を強く打ちつけたらしく、表情を変える度にズキズキと痛みが走った。

「(やっぱり、魔法を使わせてはもらえなさそうね)」

此処が何処だかイオナには見当も付かないが、今、四肢を拘束されていて横になっていることなら何とか判断できた。

「(恐らく、“シェラード「赤い月」戦線”ね)」

イオナは、自分を標的にしている最も有力な敵の名を知っていた。

「(だとすれば、まだ此処はペリシアかしら)」

敵のアジトは旧帝都のスラムである。活動範囲は無国籍地域(通称「修羅の森」)の一部にまで及ぶ広範囲ではあるが、構成員は比較的少ない為、テロルの殆どはセディアラやその近隣でしか起きない。イオナは身を捩じらせて辺りを確認した。その刹那だった。

「動くな!」

近くに人がいたことにも驚かされたのだが、その声があまりにも幼かったので、イオナは思わず顔を上げてしまった。

「……うっ!」

木の爆ぜる音が聞こえたと思った瞬間、イオナの左肩にはボウガンの矢が刺さっていた。

「動くな!」

痛みと引き換えに、イオナには幾つかの情報が齎された。ボウガンを撃った敵の服は白いフードであることから、先ず間違いなく、敵は“シェラード「赤い月」戦線”であること。そして、自分はこのテロリスト集団の目的を果たすべく「取引材料」となっていること。

「(目的は恐らく……)」

それを絞り込もうとしたイオナだったが、引き続き放たれたボウガンに阻まれた。

「死ねよ、国賊!」

国賊の意味さえ理解しているのか定かで無いくらいのあどけなさの残る声だが、向けられているのは確かな殺気である。イオナは向けられた鏃を見つめた。

「何してやがる、このクソガキ!」

開いた扉と同時に怒号が聞こえてきた。もう次の瞬間には、イオナにボウガンを向けていた者が蹴倒されていた。フードが外れたので分かったのだが、やはり、ボウガンの構成員は少年兵であった。

「ガキは外で見張ってろ!」

代わりに現れた者も白いフードを被っている。声色から男性であることは分かるが、それ以上得るものは何も無かった。その彼は、今は「これだから中毒者ジャンキーは困る」とか何とかぼやいている。少年兵は唾を吐き捨てると、フードを被り直して外へ出た。

「目的は何?」

イオナは試しに入れ替わった構成員に話しかけてみた。足音が近付いてくる。左右異なる音がするので、どちらかが義足なのだろう。

「世界が慄く竜王ってのはどんな醜女シコメかと思ってたが、随分な美人じゃねえか」

どうにも頭の悪そうな輩がやってきたので、イオナは口を閉ざすことにした。

「どうだ? 下々の者から見下される気持ちは?」

彼の卑屈な笑い声がこの国の抱える憂鬱を象徴していた。

「このままヤっちまうか?」

(5)

 ペリシア旧帝国・セディアラのとあるスラムの一角に、遊技場がある。煙草の香りなのかロータスの香りなのか判別のつかない甘ったるい香りに、酒や吐しゃ物の臭気が混じる独特の臭いが立ち込めている。

 その遊技場に近付くにつれ、ダンスホールミュージックが爆音で流れている為、辺りはやかましくて仕方が無い。其処で眠るにはかなりの気合がいる筈なのに、睡眠薬とアルコールで記憶を吹き飛ばした若者がそこらじゅうにゴロゴロしている。

「バチガイ」

音楽に埋もれて聞き逃しそうになったが、訊き馴染んだ声でそう呼ばれたメーアマーミーはふっと視線を下ろした。路肩に一人、白いフードの男が座り込んでいる。

「背筋伸ばしてくるような場所じゃないよ、此処」

取り締まりは止してよね、などと笑った白いフードの男が声をあげて笑ったところである。

「何が望みですか?」

などと遊びの無い質問を切り出したメーアマーミーは、「シュリ様」と白いフードの男の本名を呼んでやった。案の定、彼は苛立ったのか「バチガイ」と、もう一度吐き捨てられた。

「言わなかったっけ? もう望むものは何も無いよ」

シュリはロータスの樹皮を巻き始めた。

「アンタの大事なものをぶち壊してやりたい、とは思うかもしれないケド?」

一度、遊技場の扉が開いて、爆音が体腔に轟く。思わず眉を顰めたメーアマーミーの反応が生真面目で、シュリは思わず笑い声を上げた。それには構わず、

「私にも何も無いと、申し上げた筈ですが……」

という前置きを挟んで、メーアマーミーは淡々と取引に入る。

「……誤解されていらっしゃるようでしたので、お詫びに参りました」

間も無く、シュリから舌打ちが聞こえてきた。

「素直に血相変えて、副官を奪還しに来てくれた方がまだ可愛げあるのに」

アンタ相変わらず小賢しいよね――などとぼやいたシュリが小さく溜息をついた。

「取引したいんなら応じても良いよ。アンタには、借りがあるし」

意外にもあっさりとそんな事を言ったシュリの真意を読み取り損ねたメーアマーミーは、首を傾げて見せた。巻き終えたロータスの樹皮を一つ箱に詰めて、シュリは漸くメーアマーミーと視線を合わせた。

「アンタ、手加減してくれんだよね? こないだ」

シュリが言うのは、先日の地下通路での戦いの件である。兄の仇討ちだ、と襲撃にやってきたシュリについて、彼の父親という立場でもある皇帝・ジェフ3世は、非情にもメーアマーミーに抹殺を命じたのだった。

「……じゃなきゃ、お粗末だよアンタ」


 走光性に忠実な蛾が街灯に集り、羽をキラキラと輝かせていた。

 そう、忠義を尽くすなら、揺ぎ無いものの方が良い――シュリはメーアマーミーの表情を窺った。

 ファーストコンタクトで仕留め損ねた件も、トドメを刺し損ねた件も、背に突き立てた剣を直ぐに抜かなかった件も……どれをとってみても、メーアマーミーのシュリへの攻撃は詰めが甘かったと言われざるを得ない。

「それとも、ボクに討たれるのを待ってるワケ?」

シュリが冷笑を覗かせた。彼の白い肌とは相まって赤みの強い薄い唇が、まるで三日月のようにその端を鋭く引き上げる。

「――ですので、この度、謹慎処分を喰らいまして、」

メーアマーミーは口元を緩めた。

「現在私は、皇子を処分する立場にございません」

 メーアマーミーとしては、事実を正確に伝えているつもりである。そこに誰が何を勝手に想像するかについては一切関知しないことにしているが、結果誤解を生じさせたなら謝罪は辞さないというスタンスである。

「情緒のカケラも無いんだね、アンタって」

とシュリから本日二度目のお叱りを喰らってしまったので、メーアマーミーは素直に謝罪した。

 丁度、覚束ない足音が近付いてきて、二人は黙り込む。


 酩酊した男女二人がシュリに近付いて、「1箱」と告げ、金を差し出した。「売り切れ」だと金を突き返したシュリが、体良く二人を追い返したが、女が錯乱し始めたので向こうの方がなかなか騒がしくなった。

「頼り過ぎると、ロクなこと無いよね。何事もさ」

などとシュリがぼやき、

「頼るモノにもよりますよ」

などとメーアマーミーが異見を出した。

「アンタは恵まれ過ぎてるよ。生い立ちに感謝しなよ?」

シュリは鼻で笑ってやった。路肩に座って人々を見つめ続けていると、世の中の仕組みがよく分かるという。

 オーナー、と悲鳴のような声が聞こえた。シュリが顔を上げたのでメーアマーミーは彼と距離を置いた。

「店で客が暴れてます。手に負えなくて……」

そんな事を言いながら、遊技場の店員が血相を変えて走ってきた。「へぇ、珍しい」と感嘆の声をあげたシュリに、店員が何やら耳打ちした。やおら、シュリの表情が変わったのをメーアマーミーは目敏く見つけたところである。ふと、シュリがメーアマーミーと目を合わせた。

「アンタ、うかうかしてる場合じゃないかもね」

そう言ってケラケラ笑っているシュリの言葉の意味を推し量ることもままならないまま、メーアマーミーは交渉に踏み込むこととなった。

「お互い時間が惜しいところだし、本題に戻るよ」

シュリが重たい腰を上げたのだ。

「イオナ副官を無事に引き渡す代わりに、こちらに引き渡して欲しいものがある」

女の叫び声が止んだ。一体彼女に何が起こったのかは知ったことではない。シュリはそのまま続けた。


「アンタがバカみたいに守ってきた、ウチの父ちゃん返してよ?」


シュリの言う“ウチの父ちゃん”とは勿論、ペリシア帝国最後の皇帝・ジェフ三世である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る