第79話 おわりのはじまり

(1)

 月明かりに青白く光る部屋の中に凶器が光っていた。ランはそのそれぞれを一様に睨み付けると、一つ嘆息を付いた。

「掛かって来るのは一向に構わんが、少ない隠密を更に減らす覚悟で来ることだ」

皇帝の背面から俄かに滑り出た銀の刃に、流石の隠密達も怯んだようである。一度、老公の意見を仰いだ。

「うむ。陛下の仰るとおりである」

この期に及んでまで、なお傅く素振りを見せるダイダロスに苛立ち、ランは一度剣を右へ薙いだ。

「次は、斬る」

ランにそう言われて初めて、ダイダロスは自分の外套の襟元に横に切れ目が入っていることに気付いた。

「光の民の世界で、また更に腕を上げなさったようで」

つくづく、困ったお方だ――ダイダロスは苦笑交じりでそう言うと、剣を召喚した。

「しかしこの老輩、貴女と刺し違える覚悟はできております」

何と、ダイダロスはランに剣で挑もうというのだ。

 ランは一度目を閉じた――確かに、あまり好きな人物ではなかった。母が亡くなった時も父に仕事を強い、直ぐに次の后をと話を進め、そのくせ媚びる様に王室の周りをせわしなく動き回って、城務全てを監督していた。しかし、王家の自覚の無さ過ぎる自分を親の代わりに叱ってくれ、時に親以上に自分の成長を喜んでくれる人物であると信じているところもあった。それだけに、正直、とてもとても悲しかった。

「(これは、夢ではないのか?)」

もう一度それを確認したランは、目を開けた。視線の先には、凶器を翳す城務大臣が冷笑を浮かべていた。

「気でも触れたかダイダロス?」

流石にランは戸惑った。こう見えても、彼女は、ヴェラッシェンドでは元帥・バーナードに次ぐレヴェルの剣の腕を自負してきた。よりにもよって皇帝に謀反がバレて自棄を起こしたか、或いは目的が他にあるのか。どちらを想定せねばならないかくらい、数多の試練を潜り抜けてきた彼女には、判っていた。

「面倒臭ぇな、まとめて掛かってきやがれ!」

ランの怒号は巧く引き金となった。

(2)

 イオナはメーアマーミーを見た。

「魔法核弾? そんな代物がこんなところにあるなんて、聞いて無いわよ」

魔法核弾が如何なるものかは既述の通り、国はおろか世界丸ごと滅ぼしかねない魔法化学兵器の傑作であり、同時に民の犯した世界最大の“罪”である。

「成功したんだ。ついこの間……半年くらい前のことだ」

メーアマーミーは淡々と説明した。

 ペリシア帝国の国立古代魔法研究所と呼ばれる機関は、古代と呼ばれる時代に絶滅した魔物を遺伝子から復元したり、ヴェラッシェンドが歴史の闇に葬った副脳を生成したり、魔法遺伝子配列の解読やクローン技術を大成してきた。

 「半年くらい前」に成功した技術もその一つである。即ち、古代期の光の民が闇の民全体への抑止力として造成したという、魔法核弾である。

「次なるヴェラッシェンドの遠征で、魔法核弾と同じ原理で作られた爆弾を試験的に使用する予定だった」

これがペリシア帝国の“勝算”であった、とシュナイダーが補足する。

「魔法核弾なんて、フィクションで充分なハッタリになるじゃない!」

何故生成したのか、とイオナはシュナイダーに詰め寄る。が、それでは何の解決にもならない。

「カウントの解除可能性は?」

メーアマーミーは淡々と事実確認を進める。こんな時に冷静沈着でいられるこの男こそ、ある意味一番の役者なのかもしれない。

「解除装置が完全に破壊されています。今から解除装置の複製を作るには最短で1月かかり、カウントゼロに間に合いません」

シュナイダーの報告の途中だが、

「間に合わせろ、と伝えろ」

メーアマーミーは指示を出した。

「情報を統制しておけ。民が自棄を起こせば混乱が混沌を呼ぶだろう」

御意、とシュナイダーも早速仕事に取り掛かった。狼狽していた老騎士が嘘のように健全な顔色を取り戻すのを見て、イオナも幾らか落ち着いたところである。

「そういえば、今、私に指揮権は無かったんだったな」

そんな些末な事を思い出したように呟いたメーアマーミーは、イオナを試しているようだ。

「『終幕』……か」

そういえば少し前にそんな言葉を口にしていた青年を、イオナは知っていた。

「この事態を想定していた人を、一人だけ知っているの」

指揮権者・イオナはニンマリ笑った。

(3)

 エリオはシュリの真っ赤な背中を見つめていた。

 エリオが主と見做している彼は今、飛空騎のグリフォンの首を抱くようにもたれかかっており、かなり息苦しそうである。白い服は血液で真っ赤に染まっているので、副脳という不肖・単細胞で考えても彼を苦しめている原因はよく分かった。

 当面のエリオの問題は、この応答しない「エリオ」という人物自体がシュリをどうにか救えるのか、というところである。主従関係を全うする為、エリオは副脳から「エリオ」という人物を探る。そうしている内に脳裏に浮かんだのは、雨降りの薄暗いスラムである。

 その日、ペリシア地方は強い雨が降っていたらしい。その郊外のスラムは普段、クリミナルや孤児で賑わう闇市の盛んである場所であるようだが、雨の所為か、人影は疎らだったと記憶している。

 路地裏の粗末なテントとテントをかき分けると、ビルとビルの隙間に倒れこんでいる男が居た。彼は何事か呟いているようだったが、その声は頼りない音にしかなっておらず、内容を聞き取ることはできなかった。理由など知らないが、彼も今のシュリと同様、呼吸がままならない状態で、何度と無く咳き込んでは泥水を吐いていた。その景色の遠くでは、子供の騒ぐ声が聞こえる。「カネを、」「飯を、」と聞こえてきた。いつもシュリといる塒と変わらないような場所ではありそうだ。

「ジュリオ……」

と、やおらエリオは呟いた。その瞬間、頭の中でサイレンの音が大きく鳴り響き、エリオは思わず耳を塞いでしまう。目を閉じれば、瞼の裏には崩れて砂埃を上げる天井や壁――そんな場所で、自分は、崩れそうな何者かの身体を抱いて、何度も何度も、狂ったようにヒール(回復呪文)をかけ続けていた。しかしその甲斐もなく、傷口は一向に塞がらない。感じているのは強烈な絶望感である。その時、やおら息絶えそうな何者かは弱弱しく目を開け、口元を緩めてみせたのだ。こちらに何かを伝えようとしている。

「もういいよ。……もう大丈夫だよ?」

戸惑い気味のシュリの声で、エリオはふと我に返った。握り締めた己の両の手に残る正のチカラを存分に孕む闇魔法分子結晶と、シュリの苦笑と塞がった傷を見るにつけ、回想に従うままに回復呪文ヒールを連発していたのだと思われる。

「失礼」

エリオは冷や汗を拭った。どうも、引き出してはならないものを引き出そうとしている気がする――

「失礼は、ボクの方」

シュリは前に向き直った。後方に座るエリオから、シュリの表情は分からなくなってしまった。

「ボクだって回復呪文ヒール使えるのに、使う気にならなかったんだ。もう、どっちだって一緒だし」

エリオは意味を考えるが、途中でシュリに遮られてしまった。

「折角、兄上が生かしてくれたのに……」

不肖・単細胞では、こう言ってまたグリフォンの首にもたれて顔を伏せたシュリの気持ちまで推し量ることは適わない。

「……ボクは、どうすべきだったのかな」

故に、シュリのこの問いに対するエリオの答えは、いかにも原始的だった。

「泣き疲れるまで泣けば良かったのだと思います。そうすれば、貴方は生きている間中、弔うこともできました」

今更遅いと、叱責されそうだとエリオは思った。が、主は意外にも素直に従っているので、「善し」とすることにした。

(4)

 メイド姿をしている敵国隠密が先ず二人、ランの前に躍り出る。相手の利き腕は両方とも右であると瞬時に判断したランは、なるべく二人を引き付けておき、自分の間合いに敵を引き込む。今、その寸前である。

「ウらァ!」

掛け声一発。ランは先ず、右上方向から向かってくる隠密に向け椅子を蹴り上げて攻撃のタイミングをずらし、向かって右下へと前転で逃れてもう片方の攻撃を躱わす。

「おらァ!」

掛け声二発目。ランは着地した足を切り返し、今、攻撃を躱わしたばかりの隠密の背後に回りこんで首を掴み壁に叩きつけてやった。

「まだやんの?」

壁に叩きつけられた隠密が失神して床に崩れた。もうその時には、ランの右手が握る柄の剣先は、もう一人の隠密の喉下寸前でぴたりと止まっていた。

「もういい! 下がれ!」

ダイダロスが隠密達の前に出た。ランはそれを確認すると間合いを広げ、剣を構え直した。

 じりじりと膠着すること数分、隠密の一人がランに向けてボウガンを放った。それを剣で叩き落したランの間合いに、ダイダロスが飛び込んだ。

「くっ!」

突き出したダイダロスの剣が、ランの左肩に深く刺さる。ランはそのまま壁にぶつかり、もたれかかってしまった。

「侮ってもらっては困る。私とて、かつてはこの帝国軍の将軍だったのだ」

ダイダロスはそう言うと一度汗を拭った。

「それにしちゃ、浅いな」

光の民の世界での戦いで、高貴なる彼女さえも深手を負うことには多少は慣れたが、痛みにはなかなか慣れない。それでもこの老騎士には怯む姿を見られたくなく、ランは血が噴き出す傷口を押さえ、敵を見据えた。

「貴女には散々頭を悩まされてきた。ここへ来て、情も移ったのかも知れませんな」

息を切らしながらダイダロスは笑った。

 刹那、強い眩暈を感じたランは剣を床に叩き付けるように突き立て、念入りに保護結界呪文バリアを唱える。

「てめぇ……やりやがったな……」

軽度の栄養失調中である上大量に出血してしまった所為で、意識が朦朧としてきたのだと思っていたが、どうも違うようだ。

「(毒だな、これは)」

おかげでダイダロスの魂胆がランにも確信が持てる程度にクリアになった。

「冥土の土産に、」

だから直感的にそんな表現を使ったのだろうか。ランは自嘲気味に笑った。

「冥土の土産に聞かせてくれよ、お前がヴェラッシェンドに背を向けた理由を」

今にも壊れてしまいそうな結界越しのダイダロスは、やおら饒舌に語り始めた。

「それは、貴女が原因ですよ、陛下」

(5)

 夜とも朝ともつかぬ時間にやってきたイェルド達に、リトリアンナ教会の住人も気付いてネハネの部屋を訪ねてきた。

「起こしてしまいましたか。申し訳ありません」

教会と別棟のネハネの部屋は、静かにしていれば養父の友人に気付かれることは無いと思っていただけに、イェルドは少し驚いた。

「いや、ネハネ殿に何かあったらいけないと思って、日頃から妻と気を付けていたところだったんだよ」

養父・アルの残してくれたものの内、最も尊く価値の高いものはこの友人である。重ねて頭を下げたイェルドは、ホッと溜息をついて友人を部屋に通す。察したアイリーンは、外で見張りをしている凍馬と交替する為、彼と入れ替わりで出て行った。

「少し気になることがあって、君と話がしたかったんだ。丁度良かった」

アルの友人は、ネハネが勧めた紅茶に手を伸ばす。

「数日前に更新された神託で、神学界は空転しているんだ。ネハネ殿も、聞いてはくれまいか」

何となく嫌な予感がして、イェルドとネハネは目を合わせた。

「“破滅の神が停止を手にし、終幕の時が来た”という内容だそうだ」

イェルドはテーブルの上に投げたままの尋問調書をちらりと見た。

「(同じだ……!)」

監獄島に留置されているかの老婆、何者かは一切不明だが、口にしたのはうわ言ではなく、れっきとした神託だったようだ。

「イェルド君、」

ふと、養父の友人からイェルドは話しかけられた。

「……君は、何とも無いかい?」

何故そんな事を訊かれるのか分からず、イェルドは首を傾げたまま頷いて、

「せいぜい今は、多少眠いというくらいです」

と答えるのが精一杯だった。


 丁度、アイリーンと見張りを交代した凍馬が部屋に入ってきた。

 ここで初めてイェルドの実兄にして“伝説の盗賊”とハチ会った養父の友人は、歓声を上げて凍馬を迎えて挨拶した。親友・アルが臨終まで抱えていた罪悪感がこういう形で報われた事を、彼は喜んでくれているのだ。

 その経緯は兄の知ったことではないので、イェルドも特に説明はしなかったが、何処かぎこちなく「弟がお世話になってマス」などと兄から社交辞令が飛び出したものだから、何となくこそばゆくってイェルドは俯いた――幸せそうだ、とネハネは口元を緩めた。

「君は当時留学中だったから知らないかもしれないが、」

と、養父の友人は本題に戻った。

「現皇帝が誕生された際にアル殿が授かった神託が、また問題になっているんだ」

現皇帝とは、ランである。しかし、今の今まで、イェルドは知らなかった。養父がランについて、何らかの神託を授かっていた事など――

 窓側の壁に控えた凍馬が半月刀を壁に立てかけた頃合で、アルの友人は口を開いた。

「そうか、やはり、君には知らされていなかったのか」

低く唸ったアルの友人は、窓枠に映る月を見つめていた。

(6)

 ダイダロスの謀反は自分の所為?――戸惑い、言葉を失ったランに対して、老公の口は軽やかであった。

「前聖戦士長・アル殿が、貴女が産まれたその日に授かったという神託をご存知か?」

前聖戦士長・アル。彼についてランが知っているのは、イェルドの養父であるということくらいである。ダイダロスは続けた。

「貴女か生まれる直前、私はアル殿に呼び出され、こう切り出されたのだよ」


“陛下が御懐妊されている御子は、いわゆる”終幕ヲ呼ブ者”であると神託があるのだが、かと言って、この帝国きっての慶事の最中に切り出すわけにもいかなかい。一体どうしたものか”


ダイダロスはランに背を向けた。

「貴女がこの世に生まれた日、世界各国で原因不明の魔物の大量死や異常現象が報告され、何故かヴァルザード大魔王様が自己にかけていた不死の封印を解き、貴女が1歳を迎えるまでに貴女を産み落とした前王・ラナ様に大病が見つかり、直接神託を授かったアル殿も病の兆候が見られるようになり、……」

――ヴァルザード大魔王・先々代皇帝ラナ・前聖戦士長アルの3名はランが7つの歳を迎えるまでに皆、亡くなった。

「流石の私にも戦慄が走ったのだよ。貴女の存在そのものが世界の全停止に繋がるのだと信じるまでに、そう時間はかからなった。この世界の為、貴女や貴女が統べるこの大国をコントロールせねばなるまい。そう思い至るようになれば、ペリシア帝国の方が協力的だった」

閉じていきそうな意識の中で、ランはダイダロスの言っている意味を必死で解釈しようとしていた。しかし、どのように理解しようとしても、

「(アタシが、大祖父やママやイェルドの養父さんを殺したということなのか?)」

自分は終幕を呼ぶのだろうか、そんな事を考えたこともしようと思ったこともない。でも、

“魔王は終幕を呼ぶ”

エリオやネハネにもそんな事を言われたことがある。そう言われた時は、「そんなバカな」と食って掛かる余裕があったし、そう信じてくれる仲間も傍にいた。しかし今、その根拠の無い神託に強く反論できない自分が居るのだ。

 独りでいる所為だろうか、ダイダロスの話術の所為だろうか、先程見た神託の夢の所為だろうか。もし、その神託の通り、自分の存在そのものがそれだけで世界に終幕を齎すのならば……

「(アタシ、此処に居ちゃダメなんじゃ……)」

そんな思いに囚われてココロが蝕まれていくのが分かる。それを感じながら、ランは混濁した意識を手放した。

 誰の名も呼ばずに。

 誰の助けも希えずに。


 「ダイダロス様、」

隠密の一人が、皇帝の私室を後にしようとした老公を呼び止めた。

「あのお転婆にしては、冷静過ぎやしませんか?」

部下の指摘は確かに正しい。少し前の彼女なら、タンカの一つでも切って猛烈に反抗してきただろう。一つ唸って、ダイダロスは次の通り分析した。

「体調不良はあながち嘘でもなかったか」

そうなると……ダイダロスは時刻を確認した。

「今はまだ毒で動けまいが、朝までには副脳細胞が機能し始めるだろう。それから、だ」

ダイダロスは足早に部屋を退出し、隠密達もそれに続く。

「世界の“災い”は除されるべきであろう」


 ランの監視に当たる為、其処には一人隠密が残された。

 ランを副脳により確実にコントロールする為には、副脳の起動より先にランの意識が回復しては困るのだ。覚醒に立会い、見極め、必要な処置を施す。隠密は慎重にその時を待つ。

「――これ以上は待てぬ!」

隠密が、此処に居るはずの無い者の声を聞いたと思った瞬間、先程の戦いでランが剣を突き立てた丁度その場所の床が吹き飛んだ。

「!?」

驚く間も無く、隠密は後頭部に鈍痛を感じ、床に倒されてしまった。遠のく意識が最後に捉えたのは銀色の髪……

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