第43話 四大元素(3)
(1)
“あの島には神様が眠っておられる”
イェルドは、養父・アルがこの“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)”について、そのように説明したことがあったことを思い出していた。アルの言う「神様」とは、ディストのような“四大元素”の神使達を指すのかも知れない。
「では、ソニアという人も――」
「ええ、ソニアは大地護神使です」
ディストがイェルドの懸念を事実と認めた。成程、戦って「勝ち目がない」と言われた訳である。しかし、そうと分かって、こんな場所でのんびり語っているわけには行かない。
眼前の風護神使には、相変わらず攻撃の意思などは感じられないものの、時に、寒気がする程の強烈な濃さの闇魔法分子が熱帯樹林全体を覆ったところである。
イオナとビルフォードの為、「早く戻らなければ」とラハドールフォンシーシアを召喚しようとしたイェルドに、「心配無用」とディストは引き止めた。
「ソニアは、イオナという人の為になりたかっただけのようです。どうも、彼女の方が気を遣ってしまったみたいですが」
「イオナさんの為、……ですか?」
そういえば、イオナについて、イェルドが知っていることは、ペリシア帝国の元要人ということくらいである。
「彼女は、貴方の異変に気が付きました」
「え……」
「民が神に近づいている今こそ、救いを希うのなら、仲間を求めては如何でしょう」
浜風に、ブロンドの髪が翻る。諭すような口調でディストは続けた。
「それでは、……ランさんが……」
イェルドは首を横に振る――世界が終わることよりも、終わりに手を伸ばすのがランであることが辛いのだと、イェルドは自覚した。
その様子を見ていたディストが、図ったように呟いた。
「貴方が独りで思考をめぐらせたところで、終幕は来たるべきして来るもの」
形有るものは何時かは潰える。それは民も世界も同じこと、と彼はそう言い切った。つまり、彼もまた「諦めろ」と言うのだ。
「エリオと話がしたいんです。彼には、終幕がどのようにやって来るのか見えているのではないかと思って」
即ち、ランがどのように世界に終末を告げるのか、せめてイェルドは知りたいと思っていた。
「……彼女が進んで終わりを選ぶとは、到底思えないのです」
大きな音がしたので、イェルドは一度、森の向こうを振り返る。空へ向かって光の柱が伸びている。それが陽を反射した水魔法分子と判るまで、暫しかかった。
「主はエリオとはいえ、我々は基本的に、“ルーン”を持つ者との盟約に従い、極めて形式的にチカラを貸与するのみの存在。世界大戦の惹起にも、終幕の到来にも、凡そ関心などありません」
悪しからず、とディストは微笑んだ。
リョウ(明護神使)やセイ(暗黒護神使)の終末観とは全く異なる彼の冷徹さはある意味当然である。そもそも四大元素は、絶対元素の二種・光や闇の世界観とは質を異にする世界、即ち、自然界のフィールドである。
それに、とディストは重ねて続けた。
「貴方はまだ、誰のことも何も知らないままです」
風護神使・ディストは口元を緩めた。
漣(さざなみ)の音さえ消え入りそうな日の光が痛い。イェルドは困惑を押し殺せない程動揺していた。
「貴方が“神”に背を向けた日の事を思い出せますか?」
少し強く風が吹いた。イェルドは目を伏せる――
無国籍地帯にある森の中に兄と共に遺棄されていたイェルドは、偶然通りかかったヴェラッシェンド帝国で最も権威ある聖戦士に育てられた。
イェルドは、福祉の充実した国の上流階級者である養親に慈しまれ、何不自由ない生活を送ることができていた。与えられた高水準の教育を受け、自ら進んで選択した厳格な修行によって功徳を積んだ彼は、誰もが有能と認める僧侶となるに至った。
しかし、共に遺棄されていた兄は違った。
“私は、お前と一緒に捨てられていたお前の兄を守ってあげる事ができなかった”
養父の臨終の懺悔を聞いた彼は、ほんの一重の偶然の差で生き長らえ、高い身分を与えられた自分の幸福にさえ罪深さを感じ入るようになったのだった。
(神は民を平等にお救い下さりはしないのか?)
疑念に駆られるまま、イェルドは神に対する不信感だけを強めた。そして「答え」に辿り着いた。
「貴方は、自ら双子の兄を見つけて、彼を救わんとしましたね」
即ち、打開するのは結局のところ自分自身である、と――
ディストの言葉に、何とかイェルドは視線を上げた。
「私は、兄を……救えているのでしょうか?」
そう思い至った時に、何かがざらりとイェルドの心に触れた。確か、兄・凍馬と再会を果たした直後に感じた、「罪悪感」のようなものがこみ上げてきた。
「(罪悪感? いや、もっと気が逸るような、これは……)」
――双子の兄と対面してからずっと、イェルドの心のどこかに、焦りのようなものがあるのだ。知らなければならないことを、知らされていないような。
「(確かに私は、誰のことも何も知らない)」
イェルドがディストの言葉の意味を噛み締めたところ、
「“風”は貴方にチカラを貸しましょう」
と、やおらディストが本題に戻るものだから、イェルドは驚いた顔を美貌の彼に向けるしかなかった。
「えーと、それはつまり……」
「封印に応じます」
エリオとの戦いが終わるまで、と風護神使が譲歩したのだ。
「本当ですか?!」
考えてみれば、それはかなりの大事である。“世界が終わる”と、昨日アリスが危惧していた四大元素の「停止」ではないにしろ、封印が解除されるまでは全世界の風魔法属性を持つ術者(ユーザー)に甚大な影響を与えるだろう。
「もっと、民そのものの可能性を信じてみたいんです」
ディストはそこで、イェルドから大海原へと視線を移した。
時に、穏やかな風が砂浜を駆けていった。舞い上がる砂礫を防ぐ為閉じていた瞼を開けると、再びディストと目が合った。
「四大元素の“神使”というものが、単に主であるエリオに従い、彼の敵を排除すれば良いだけの存在ならば、我々にこのような自由意志など不要でしょう」
ディストは口角を上げて次のように結んだ。
「世界の終わりが来るまでの時間を、ほんの少し、貴方と未来に委ねてみます」
(2)
凍馬を包んでいた炎が風に撒かれ、ほんのりと熱だけを伝えて消えていった。
「イェルドが――“風の封印”の確約を得たようですね。」
その風を追うように視線を流したアレスは、イオナを2人に託してそう告げた。
「お、上出来じゃねえか」
全く経緯を知らない凍馬も、一応の安堵の溜息をついた。
「後は、貴女だけという事か?」
アレスが“水”の秩序を守る者であろうことくらいは、もうビルフォードにも分かるようになっていた。
「この際、勇者に従いましょう」
とアレスは口元を緩めた。しかし、
「“水”か……」
凍馬はためらう。というのも、凍馬自身も、横にいるビルフォードも、本来、水魔法属性のユーザーだからだ。ここで“水”を封印したところで、ともすれば自分の魔法やビルフォードの剣にも陰りが出そうだ。
「止めておこう。封印は“風”と“大地”で充分だ」
凍馬が決断を下した。勿論、ビルフォードも了承した。
この結論を「賢明な判断です」と評したアレスは、凍馬達の方へ歩み寄ってきた。いや、彼女は3人を更に追い越し、その後ろにあった人の背の高さほどある白い岩に対峙すると、足を止め、手をかざした。
そこは、円く開けた祭儀場のような場所の一角でもある。
「此処が、水の祠です」
アレスがそう言い終らないうちに、白い岩が大きく二つに裂けた。凍馬とビルフォードが唖然とするのをよそに、アレスがイオナを中へ入れるよう促す。
割れた岩の間に、小部屋ほどの空間がある。
「此処で、ランとイェルドの帰りを待つと良いでしょう」
岩屋の壁面には、黒っぽい色素の石を磨り潰した粉のような塗料で、古代文字のような模様が至る所に入っている。何とも神秘的な場所だ。
「此処が12時の位置だとすると、」
アレスは他3つの祠の位置も説明する。12時の位置が“水”。対角の6時の位置に“炎”。3時の位置に“風”。その対角の9時の位置が“大地”――
「今、“金と銀のブレスレット”がある位置の真下が中央です。一番影が小さくなる地点を基準にすると良いでしょう。」
役目を果たせば、“ブレスレット”は主である『勇者』に還ると告げ、彼女も在るべき場所へと戻っていった。
凍馬は静かにイオナの身体を横たえた。彼女を取り巻く闇魔法分子の量が極端に少なくなっている。いつだったか、闇の民は「闇魔法分子が無くなると死んでしまう」とイェルドから教わったことを思い出した凍馬は、彼女のした無茶を慮る。
「何だか、慌しいな」
自分も床に腰を下ろし、凍馬がふと呟いた。
「まあ、オレは早いに越したことは無い」
ビルフォードも凍馬に倣い、腰を下ろす。
「イェルドは?」と凍馬が問い、ビルフォードがその問いに答えた。
「ランは?」とビルフォードが問い、凍馬がその問いに答えた。
「何が何だか、さっぱり分からねえな。」
まだ目を覚ます気配のないイオナを見、凍馬が嘆息を漏らす。要するに彼は、イオナに何があったのかを問うているようだ。直接そうは問わないところがいかにも彼らしかったので、ビルフォードは口元を覆った掌の陰で小さく笑った。
「竜王(ドラゴンマスター)という能力を知っているか?」
ビルフォードはこのような質問から始めた。
(3)
「待ちやがれこのクソ女!」
しかし、光を追いかけるように目を覚ましたランの視線の先に、例の「自分とそっくりな顔をした女」などいなかった。代わりに、突然目覚めて怒鳴り散らした自分を、きょとんとした面持ちで覗き込んでいる亜麻色の髪の青年がいた。
「えらく壮絶な夢を見ていたんだねえ」
失笑する亜麻色の髪の青年に、どこか見覚えがあったランは、とりあえず非礼を詫びると、そのままじっと彼を見つめてしまった。亜麻色の髪、白い肌、猫目っぽい碧眼……顔の特徴を追えば追うほど、やはり遥か昔に見たことがあるような気がしてならない。
「ん? チュウしてくれるの?」
亜麻色の髪の青年は悪戯っぽく唇を尖らせた。
「ドァホ」
とりあえず肘鉄を青年の顔面にお見舞いして(!)、再びランは考え込む――何故か、彼には懐かしさを感じるのだ。青年の仕草や、醸し出しているユルイ雰囲気などは、特に。
「ランちゃんったら、随分強くなったんだねぇ。うーれしいなあ!」
痛みに呻く青年の言葉から察するに、やはり、彼とは以前に出会っているようだ。
ランは、これ以上失礼の無い様に(失礼であるという認識はあるようだ)、思い切って尋ねることにした。
「アンタは、何処の誰だったっけ? 一度会った事があるような気がするんだけど」
ランの率直な質問に、待ってましたとばかりに亜麻色の青年はすっくと立ち上がると、ランの前に跪いて見せた。
「オレはランちゃんの守護霊デス」
“守護霊”などという青年のこの明白な妄言を突っ込もうとしたランだったが、彼女の前に突っ込みを入れた者がいた。
「いい加減になさい! 彼女が混乱してしまうじゃない!」
突如響き渡ったその声に驚くランの眼前で、黒いスカートと飴色のウェーヴヘアーが翻り、白く伸びた足が青年の脇腹を蹴り飛ばしたのだ。
「さ、バカは放って置いて、行きましょう。皆が待っていますよ」
突如現れた飴色の髪の女性もまた、ランは初めて会った気がしない――というよりも、彼女の容貌とよく似た人物を知っているのだ。
そう口に出してよいのかさえ分からず、気後れしているランの手を取り、飴色の髪の女性は凍馬達が待つという水の祠へと案内する。その後方を、ぶつくさ文句を言いながら、亜麻色の髪の青年もぴたりと付いて来た。
「あの……アンタ達は?」
やっと切り出せたランの質問に、飴色の髪の女性はすぐに答えをくれた。
「私は水護神使。後ろのバカは炎護神使。それぞれ四大元素で言うところの“水”と“炎”の秩序を守護する存在(もの)です」
しかしそれは、「きっと何処かで彼等とは会ったことがあるのだろう」と思っていたランの期待していた答えではなかった。
「(まあ、当たり前といえば、当たり前だよな)」
ランは軽い失望感を振り払い、強引に納得の意思表示を返した。そのようなランの思いを悟ったのかどうかは定かではないが、
「炎の加護を受けている貴女とそこの炎護神使は、深い縁で結ばれています。先程の、炎護神使の妄言は、凡そそういう意味です」
水護神使は更に具体的に説明してくれた。「それはそういう意味なのだ」と、やっとランも素直に納得した。
「ゴメン……あまりにも、母に似てたもんだから」
率直にそう漏らしたランの言葉に、誰からも返事はなかったが。
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