第38話 アンチテーゼ―勇者と魔王―

(1)

 レッドキャッスル帝国という異世界の殺風景な山間やまあいの基地から本国に戻る途中、ペリシア帝国元帥・メーアマーミーは、エリオから受け取った中間報告書に目を通していた。

「一人、リストの名前と照合の取れない人物がいるそうだな」

メーアマーミーは自分の側近に問い質す。

「恐れながら、……」

 中間報告書記載の「ラン」とは、ヴェラッシェンド帝国第一皇女のことである。

 「イェルド」とは、ヴェラッシェンド帝国軍の聖戦士長のことである。

 「ツェイユ」とは、俗称は“凍馬”と呼ばれている世界的な大盗賊のことである。

 しかし、

「“イオナ”という女のデータが、ペリシアはおろか、ヴェラッシェンドにも存在していないようなのです」

「亡命者リストは洗ったのか?」

「勿論です」

メーアマーミーは溜息をついた。

 エリオが集めた情報によれば、このイオナという女は、レッドキャッスル帝国軍の傭兵学校の入学試験で満点を取っている。一般庶民では、凡そ考えられない学の高さである。

「是非とも、我が帝国にも欲しい人材だな」

元帥は皮肉を込めてそう言うと、側近を下がらせた。

「(そういえば、)」

彼女と同じ名を持つ、似たような小賢しい女を、彼は知っている――もう随分昔に、彼女は処刑されてしまったが。

「(イオナ、か)」

“処刑された”というのはあまり正しくは無い。婚約者であった彼女を、抹殺したのは彼自身だ。

「(エリオめ。下らんことを思い出させる)」

舌打ちをした帝国元帥は、一度時計を見た――戦況は優勢。焦る必要は無い。

「(もう一度、レッドキャッスルの基地に赴く機会がある筈だ)」

行く行くは自分こそが光の民の世界で、世界併合の為の総指揮を取りたい、とメーアマーミーは思っている。

「(エリオに任せたままではペリシア帝国の為にはならないだろう)」

反逆的なエリオにとっては、さぞ面白くは無いに違いないが。

「(――オレにはオレの正義がある)」

メーアマーミーというぺリシア帝国元帥は、「命に代えて守るべき正義があれば、何にだって耐えられる」と思っているタイプの、よくあるサラリーマンである。


裏切りにも、別れにも、孤独にだって――


(2)

 ジャン=ヴァリコにある宿の部屋のベランダから、沈み切らぬ日と真逆の空に疎らに星が見える。

 かつてはもっと多くの星が見えたのだそうだが、その光が大地に届かないくらい大気が汚れてしまったのだと、つい先刻、ビルフォードが教えてくれた。

 

 人魚の唱えた石化呪文は、実は、イェルドが神学校時代に習得していた平易な状態回復呪文(リカバー)で容易に回復するものだった。そういう意味では、咄嗟の判断であったにしろ、凍馬がイェルドに後を託していたのは大正解だったようだ。



 ”どうせまた、光は闇を受け容れられず、闇もまた光を受け容れられずに戦いが始まる” 

イェルドでさえ、暗黒護神使の言葉には納得せざるを得なかった――それは、自分もそう思っているフシがあったからだ。

「(光と闇――共存すれば退けて争い合い、隔離すれば均衡を失い世界が消えてしまうなんて……)」

イェルドは思う。もし『神』の概念を認めるならば、これはあえて瑕疵ある世界と民を創造した『神』自らが齎したアンチテーゼではないか、と。

 民が民を傷付け合う前世代への回帰など無意味、とセイは更に畳み掛けてきた。

「(やはり、それならばいっそ、混沌に陥る前に全てを終わらせた方がマシなのだろうか)」



 あの重苦しい沈黙を味わうことなく済んだ4人の仲間達は、むしろ、幸運だったのかも知れない――イェルドが溜息をついたその時、隣の部屋の窓が開く音がした。

 足音軽やかにこちらに近付いてくる者の正体など、振り返るまでもなく、イェルドには判る。

「ランさん……」

しかし、彼は少し、困惑した。

「なーに黄昏てやがる?」

彼女に悪気はない。が、イェルドは正直、小さな恐怖があったのだ。

「……綺麗な景色だな、と思っただけですよ」

「遠くから見る世界は大体美しいもんな」

――あまりにも純粋すぎる彼女が知らなくても良いことが、あまりにもこの美しい世界には多すぎて。



 ”『神』の意思が終幕、という理屈なら、”

イェルドは、言った。言ってやったのだ。

“『神』の意思で世界が終わるなら、いっそ『神』を排しませんか?”

そう言い切ったイェルドの元へ明護神使が進み出た。

 覚束ない足取りではあったが、明護神使のその表情は、これまで以上に険しいものだった。

「(『神使』などと呼ばれている彼等の前では、愚弄もいいところだったな)」

今ならイェルドもよく判るのだが、その時はそれがイェルドの本音だったのだから仕方がない。

 しかし、

“貴方に『神』は殺せない”

明護神使はそう断言し、イェルドの左手を取った。

“『神』は貴方を心から慕っておられるから。そして――”

意外にもそこで、明護神使はイェルドの手に“金のブレスレット”を託してくれた。

“貴方もまた、『神』を慕っている”

明護神使の声が洞窟に小さく共鳴する。

 神など信じてはいない、と反論しようとしたイェルドだったが、それは誰よりも尖った暗黒護神使の口調にかき消された。曰く。

“回りくどい”

冷たく言い放たれたその言葉の意味は直ぐには分からなかったが、その後にも次のように言葉は続いた。

“終幕を回避する具体的な方法とは、光と闇が同一空間内で争う低次元の時代に立ち戻り、魔法分子バランスの均衡を取り戻すこと。それができるのは、『双子の勇者』のみだ”

なお、それによって、民はまた殺戮し合う悲劇の時代の扉を敲く事になるかもしれないことは既述の通りである。

“問題は、所謂『神』に代わって終幕を遂行する者を『勇者』が抹殺できるか、ということだが、”

小首を傾げたイェルドに、「即ち、」と暗黒護神使は更に分かり易く説明した。

“お前達は、神に代わって終幕を遂行する者――『魔王』を始末できるのか?”

 漸く、イェルドは気が付いた。

 単純に『魔王』と『勇者』という代名詞に身近な固有名詞を当ててみたところ、――それは悲劇を予兆していたのだ。

“まさか、”

イェルドは息を呑んだ。

“貴方達の仰る『神』や『魔王』は……”

イェルドの目が無意識に捉えていたのは次期『魔王』であるランだった。



 その『魔王』は、今、勇者・イェルドの傍らで夕日に映える世界を眺めて目を細めていた。 

「良かったね、”金のブレスレット”手に入って」

屈託のない彼女の笑顔は、「少女」よりも艶やかで「女性」よりもあどけない。

 世界に終幕を導く『魔王』を滅ぼすため、『勇者』は存在する――イェルドは左腕で夕日と同じ色を反射しているブレスレットに視線を落とした。

“ドイツもコイツもでき損ないのグズばかりだな”

と、暗黒護神使はぼやいていただろうか。

 終幕を導く筈の『魔王』は好戦的だが明朗快活・純粋で思いやりに溢れている。

 『魔王』を討つべき『双子の勇者』は凶悪犯罪者と公僕聖人でもって且つ、『魔王』を心から慕っている。

 ――誰が責められよう。

「これでめでたく、イェルドも『勇者』だな」

などと、何も知らない『魔王』は喜んでさえくれている。

 


 主を見つけた“金のブレスレット”が落ち着きを取り戻したのを見た暗黒護神使は、幾らかの妥協をしたついでに、舌打ちをくれた。構わず、明護神使はイェルドに告げた。

“終幕の到来を知る者にしかこのブレスレットを託せないと思っていたけれど、それは、貴方にとって残酷すぎると思っていたんだ”

それは、彼の懺悔のようでもあった。

”耐えられそう?”

カナッサも問う。

“せめてその時が訪れるまで、『終幕』に関する記憶に封をかけてあげましょうか?”

明護神使の僕であるというこのカナッサも、終幕は来たるべくして来るものだと、既に何処かで割切っているのだろう。むしろ暗黒護神使の言うように、何も知らず終わりを迎えられる民は“幸せ”と言えるのかも知れない。

「(でも――)」

イェルドは結局、記憶の封印を断った。”金のブレスレット”を与えられた以上、明護神使・リョウと問題意識を共有しなければならないような気がしたのだ。というのも、

“民が築き上げてきたこの世界から、民が居なくなるなんて、……オレは違うと思うんだ”

世界に対する民の存在意義を全肯定し、明護神使はその思いとともに金のブレスレットをイェルドに託してくれたのだから。

 そして、

“何故、貴様は民を庇う?”

そう吐き捨て、明護神使から目を背ける暗黒護神使の表情を、この時偶然、イェルドは垣間見てしまった。

 

 ――彼は、明護神使と同じような、救いようの無いほど思い詰めた憂いの表情をしていたのだ。


「(きっと暗黒護神使も、“終幕”など望んではいない!)」

イェルドは確信した。

 また一つ舌打ちした暗黒護神使は、「手間かけさせるんじゃねえ」などと悪態をつき、勝手に然るべき場所へと戻っていってしまったが。



 あの日アリスから授かったこの任務の本質は、初めから“四大元素”の停止、ひいては、終幕を前に世界そのものを停止させることが目的であったのだ。光の民の世界を侵略せんとするスペルマスターの撃破はその為の方便に過ぎない。


 果たして神託者・エリオは、終幕の到来を既に察知していたのだろうか。もし彼が終幕を避けんとしているのだとすれば、彼の言う“理想世界”に民が生き残れる為のヒントが隠れているかも知れない。

「(一度、エリオときちんと話をしてみる必要がある)」

イェルドは決意した。

 しかし、エリオの方に聞く耳がなくては困る。


“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)に、”四大元素”の根源があるわ”


 つい先ほど、イェルドは“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)”に行くことを皆に提案した。

“エリオのチカラを封じる為には、”四大元素”そのものを無力化しなればならない”

と、アリスの言葉をそのまま伝えたところ、全会一致でそれは賛成された。


 ただ、それをすると世界が停止する――アリスはイェルドの目をしっかり見て念を押した。

 四大元素のエレメントの全てを停止するということは、魔法に依拠する総ての技術や術者に影響が及ぶ。停止するならば、極力短いスパンで行わなければならないことも申し送られた。

 確か、イオナが失笑しただろうか。「無茶するわね」などと。



 「イェールード!」

ランの声がして、イェルドはふっと我に返った。

「何一人で悩んでんだよ?」

「え?」

「何か、そんな声してるよ?」

彼女の表情はイェルドから見えなかったが、声から察するに、今は頬を膨らませてムッとしている、といったところであろうか。

「永く潮風に当たっていた所為か、少し、疲れているみたいです」

終幕など、知らない方が良い――イェルドも結局、アリス達と同じ判断をし、人魚の洞窟で起こった出来事を何もかもひた隠したままだ。

「そっか。アンタは一日中潮風に当たってたんだよね」

ご苦労様、とランが呟いた声が、真夏の風に乗って、イェルドの耳にも届く。


 菩提樹が乾いた音を立てて揺れただろうか。

「また、見ちゃったんだ」

と、ランが切り出した。何かと耳を傾けたイェルドに、『魔王』が告げて曰く。


「月が落ちる夢」


あまりの偶然に、驚いてしまったイェルドは、思わず言葉を失ってしまった。彼女は、この世界に『終幕』を導く者――そんな事など、まだ知らずに済んでいる当の彼女は、昨夜見た夢の内容をそのままイェルドに伝えた。

「でもさ、」

しかし、イェルドの危惧に反して、ランのその話は逆説で繋がった。

「アタシ、別に怖くはなかったんだ」

その返事が意外だったので、イェルドは戸惑う。すぐにランの笑い声が返ってきた。

「アタシも、もう、お子様じゃないって事なのかもな」

「……っ!」

 このままでは、皆、死んでしまう! それも、彼女の手によって――イェルドは堪らなくなって、思わずその場に崩れ込んでしまった。

「イェルド?」

いつもと違う彼の様子が気になったランは、強引に柵を伝って彼の部屋のベランダへと飛び移った。

「ランさん、……」

いつもなら、そんな危険なことを今後しないよう窘(たしな)めるところ、しかし、何だか今日はその言葉も出てこない。驚いた表情を向けたまま、言葉を失ってしまった彼の代わりに、ランが口を開いた。

「いつもそう、」

ランは、座り込んでしまっていたイェルドの肩に自分のショールを巻くと、溜息を一つくれてやった。

「アンタは、独りで無理してる!」

イェルドはハッとして、思わずランの表情をじっと見つめてしまった。

 その彼女の表情は、「何故、貴様は民を庇う?」と暗黒護神使が明護神使から目を逸らした時の、あの表情によく似ていた。


 ――本当に、よく似ていたのだ。


「ホラ、ぼーっとしてないで、さっさと寝る準備!」

思いがけず赤くなった頬を隠すように、ランは強引にイェルドの腕を引っ張り、部屋へと押し込んだ。

「明日に疲れを残すと、勝てるケンカも勝てなくなるぞ!」

ちなみに、明日にはもう“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)に往く予定である。

「そうですね」

引っ張られた腕を摩り、イェルドは何とか笑みを作った。しかし、ふと部屋の中に違和を感じたイェルドは、例によって対角の兄のベッドを見た。


――枕の上に、黒髪の女の首!


「アラァ、ランちゃんも夜這い?」

偶然、部屋を訪れていたイオナが、二人を見てニンマリと笑った。

「テメェこそ何しに来たんだ!?」

激高するラン。

「(始終現実に立ち返らせてくれるこの環境は、有難いというべきか)」

苦笑も引きつるイェルドは、今日のところは疲れもあって何とか安眠することが出来たという。

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