第34話 versus controls

(1)

 夢の途中だったが、ランは飛び起きてしまった。

 すぐ隣のベッドにイオナが眠っていたのを見て漸く安心した彼女は、大きな溜息をついてもう一度ベッドに横になった。

「(久々に見たな、あんな夢)」

幼少に一度見たことのある、月が落ちて来る夢である――大きな白い月が地面に迫ってきてどうしようもないのに、自分は逃げることも隠れることも出来ずに、月で溢れんばかりの白い空を見上げて呆然と立ち尽くしているのだ。ただ、

「(一人じゃなかった)」

ランは今見た夢を辿る。

 後ろから自分を励ますイオナの声が聞こえた。目の前には気丈に笑ってくれている凍馬がいて、傍らには優しく肩を抱いてくれているイェルドがいた――だから、昔ほど、怖いとは感じなかったのだ。

「(でも何で、今更こんな夢を?)」

漠然とした恐怖に立ち向かうことに対する予兆ではあるかも知れない。明日は人魚を探しにベルシオラスに赴く。彼女とて、全く恐怖が無いわけではない。

「(アタシも、もっと強くならなきゃ!)」

守られてばかりでは、大切な人を失うことだってあろう。ランは、エリオとの戦いを少しずつ思い返しながら反省し、アユミの為に祈りを捧げた。

 ふと、

「……フフフ、ランちゃん、それは愛よっ!」

突然のイオナの声にビクついたランは、恐る恐る彼女のベッドを覗き込む。しかし、当のイオナは呆れるぐらいぐっすり眠っていた。寝言であるようだ。

「行くのよランちゃん! 今なら絶対イェルドさんは陥ちるワよ!」

「勝手な夢見てくれてるんじゃねえよ!」

枕を手にしたランがイオナの頭部目掛けて強烈スパイクを決めたところで、緩やかに夜が明けていった。

(2)

 早々にレニングランドに別れを告げた5人は、進路を南にとる。

 目指すはベルシオラス公国――そこは『人魚の伝説』の残る貿易の盛んな小国である。

 町の入り口・ダーハと呼ばれる地域は貿易港として古くから名を馳せていただけに、町の活気はレニングランドに負けず劣らずといったところである。ウォーターフロントが立ち並ぶ西岸に、最近、あからさまな人工建築物の跡が見つかったのだという。

 『サンタウルス聖紀』によれば、それは『双子の勇者』により壊滅させられた魔王軍の基地ということになるのだが、果てさて。


 5人の乗る馬車は更に南下して、ベルシオラス首都・ベルシャーレを経由しながら、人魚の棲むジャン=ヴァリコという小さな町に入る。

 延々と続く海岸線を走っている馬車の車窓から見えていたウォーターフロントやバザーが小さくなっていく。その間、何と14時間。流石に5人も疲れきってしまった。間もなく世界は全面大戦へ向かうかもしれないという混沌とした情勢の中、このベルシオラスはいち早く中立国宣言を出し、領土上空の飛空騎の航空を一斉禁止し始めたからである。

 「今日は無理せず、明日にしましょうよ?」

このイオナの提案に、誰も異を唱えることができないほどの長旅だったのだ。ただ、

「足代は、今度で良いさ」

ビルフォードの素性に勘付いたレニングランド出身の御者が、そっと「頑張ってくれ」と、声をかけてきてくれた。平和を愛する光の民が、ビルフォード等反戦派に寄せる期待は、こちらの想像以上に高いようだ――士気は最高潮に達した。


 「なんか最近、やたら時間が経つのが遅ェような気がするんだよなァ」

 宿にて。

 割り当てられた部屋に入った凍馬が、ふっとそんなことを言った。

「ここ一週間で、状況が急変していますからね。当然ではありますよ」

イェルドが荷を解く――必要な武器とそうでない武器をまた改めなければならないだろうか。丁度一週間前に準備しておいた武器はランをアユミから奪還するための武器であり、後で買い足した武器はエリオと戦うための武器である。必要とあらば、明日は人魚とも一戦交えなければならないが。

「こんなことなら、ヴェラッシェンドでもっと真剣に戦闘の訓練を積んでおくべきでした」

ここ一週間、戦いっぱなしのイェルドが溜息をついた。

「アサシン(暗殺者)にでもなるつもりか?」

ここ一ヶ月、比較的平和と言える日々を送れている凍馬が苦笑した。

 ――キラリと真鋳製の金具が光る。その鈍い光を目ざとく見つけた凍馬は焦る。

「オイオイ、小型爆弾なんか持ち歩くなって!」

「こういう武器は使って処分するしかないんです」

イェルドは慣れた手つきで、丁重に且つ厳重に保管しておく。

「(今夜こっそりパクって処分しておくか)」

良き兄・凍馬は、弟の安全と健全な将来の為に誓った。

「それにしても、」

イェルドは三段ロッドや短剣の手入れをして、もう一つ溜息をついた。

「近付く人間を無差別に石化してまで財宝を守っているという人魚が、果たして、説得に応じて“金のブレスレット”を引き渡すでしょうか?」

話のきっかけに切り出されたこの手の弟の疑問に答える必要はない、と凍馬は口元を緩めた。大凡の疑問なら、彼は自分の中で大体の答えを検討し、とっくに解決していることが多いからだ。

 しかし、この出来の良い弟も、時に漠然とした迷いを持っていることがある。凍馬は、イェルドが何に迷っているのかについて言及すれば良いのだ。そしてその答えは、かなり高い確率で、弟の主観的な要素の中にある。

「戦いたくないんだろう? 人魚となんか」

「え……?」

案の定、イェルドは戸惑いを見せた。凍馬は最近気がついたのだが、この弟、殆ど自分のことには無頓着な上、鈍感なのだ。

「どうせ此処には暫く誰も来やしねえさ。少しは素直になりやがれ」

凍馬は言ってみた。弟は、困った時によくする例の笑みを見せ、一つ小さな溜息をくれると、すっかりウェーヴが緩くなってしまった髪を少し撫でて、

「――そうですね、その通りです」

と白状した。そもそも、この戦いは闇の民同士の争いが行き着くところまで発展した結果でしかない、と彼は思っている。

「空間を隔てた光の民の世界に棲む人魚に危害を加えてまで、“金のブレスレット”を奪取するのは、……正直気が引けます」

例えそれが、エリオに対抗する唯一の手段だとしても――イェルドは、あの戦いで殆ど役に立たなかった武器の一つ一つを並べてみて、もう一つ溜息をついた。

「チッ、ヒトの義弟おとうとに魔法手榴弾持って向かって行った奴の台詞とは思えねえな」

との兄の野次に、「それが私の仕事ですから」と言おうとしたイェルドだったが、たった今、“素直に”とのクレームが付いたばかりだったので、言い直す。


「何か、アユミの存在の何を取っても面白くなくって」


カチッ、と短刀(ダガ)の鞘が閉じる音が部屋に響いた。

「……悪ィ、何か生々しかった」

弟からただならぬ妖気を感じた凍馬が、早急に話を本題に戻す。

 丁度、陽を隠す入道雲の流れる音が聞こえてきた。

「オレが“銀のブレスレット”を見つけた時はな、」

参考になればと思い、ヴェラッシェンドの城内にある宝物庫で“銀のブレスレット”を見つけた時の事を、凍馬はなるべく詳しく話した。吸い寄せられるようなプレッシャーがあったことや、直接手に取るまでもなくそれは装着されていたこと……

「オレの意思とは関係なく、オレは“銀のブレスレット”の持ち主になった訳なんだ」

この用が済んだらちゃんと返すつもりだ、などと彼は律儀に断りを入れて、更にこう結んだ。

「“金のブレスレット”も、主を選ぶんだろう」

兄の助言は、イェルドの複雑な思考系統にも素直に落ち着いた。

「ここまで来たら、きっとワザワザ人魚と戦う必要なんて、無いんだろうよ」

その表現は抽象的だったにもかかわらず、イェルドが納得できたのはやはり、“双子だから”ということなのだろうか。

「ま、心配すんなって。もう他にオレの兄弟名乗ってくる奴は出てこねえから」

――オレが『双子の勇者』なら、お前も間違いなく『双子の勇者』だ。そんなことをサラリと言った凍馬は、ふかふかのベッドにゆったりと足を伸ばすなどしていた。

 「兄さん……」

アユミが、エリオの撃った魔法球の禍々しい光の向こうに消えていってしまったあの日以来、凍馬の額からは紺色のバンダナが消えていた。その兄の真意など、解ったつもりになってはいけないと肝に銘じていたのだが、イェルドは、今は“素直に”言っておきたかったのだ。

「アリガトウ。とても……気が楽になりました」

双子達は互いに、ぎこちなく照れた笑みを交わし合った。

ふと。


外の窓からこちらを覗き込んでニンマリと笑っている女の首!


「……アイツ、いつもああなのか?」

「……ええ」

双子達の動揺をよそに、隣の部屋からイオナの高笑いが聞こえてきた。

(3)

 例によってルンルンでベランダから戻ってきたイオナは、同部屋で剣を握るランの邪魔はしないように、静かにベッドに座った。

 ランの構える剣の先には、水を張った小鍋。ランは、その小鍋の水をこぼさないように集中力を高めていた――剣身に炎魔法分子を圧縮し、その負のチカラで攻撃力を高め、剣の切れ味に換えるのだ。エリオとの戦いで会得した、新しい剣術である。

「(流石、次期魔王ね!)」

イオナは感嘆の溜息をも飲み込んだ。ランの闇魔法分子の支配率は、闇魔法分子自体と正式な盟約を済ませている凍馬に匹敵するレヴェルである。そんな彼女が炎魔法分子自体を正式継承しているのだ。彼女が、ヴェラッシェンド帝国軍が抱える精鋭のソーサラー(魔法戦士)達よりも完成された魔法技術を持っていることは、まず間違いない。

「(でも、)」

彼女には、彼女を守る為に戦う帝国軍がついているので、わざわざ危険を冒して戦う必要は無いのだ。むしろ、彼女が危険に遇う事こそ極力避けなければならないのに。

「(ランちゃんが世界最強になる必要は無いのよ!)」

この嘆息は飲み込みきれずに、思わず頭を抱えてしまったイオナをよそに、

「イオー、お湯沸いたよ! お茶にしよっか」

ランが、炎魔法分子で灼いた鍋を持って彼女を呼んだ。

「大道芸一座が歓迎しそうね」

イオナは苦笑いして、部屋に備え付けのティーパックを取り出す。

 

 ティーパックが沈み、時間をかけてゆったり浮かんできた。茶の葉の優しい香りが部屋に広がる。

「トーマがさ、」

ランは一口紅茶を飲んだ。

「気にしてたよ。アンタの解放呪文は成功したのか、って」

あまりにもストレートに質問をしてしまったので、ランはあまりちゃんとした回答を期待しなかった。案の定、イオナはニヤリと笑った。

「こういうテクニックも使わなきゃね」

まるで蜘蛛のような女だな、とか何とかランがイオナを詰って、大抵、そのまま本題は流れる。

 ――いや、今日は少し違うようだった。

「だいぶ経つのね。ランちゃんと出会って」

つまり、攻撃呪文に封印を施して“だいぶ経つ”と言いたいようだ。おや、と思ったので、ランは紅茶に口を付ける合間に、一度イオナと目を合わせた。

「ヴェラッシェンドは、どうだった?」

つまり、呪文を封印してみて“どうだった?”とランは訊いているのである。

「お陰様で、幸福な時間だったわ」

それなのに、何故、もう一度呪文の封印を解かなければならないのか――そう言われたような気がして、ランは思わず口を閉ざす。しかし、当のイオナは、

「何よ、罪悪感かしら?」

いつものようにニンマリと笑っていた。彼女の余裕が少し羨ましかったランは、つい口を尖らせて横を向いてしまった。構わず、イオナは続ける。

「……優しいのね」

 ベランダの外には、菩提樹。少し風があるのだろうか、橙に伸びた夕暮れの光を背に、黒くて丸い葉の影が揺れるのが神秘的で、2人共それに見惚れていた。

「もうちょっと、勇気が要るみたいなの」

ふと、イオナが口を開いた。

「杞憂だってコトは、よく解っているつもりだケド、」

双子達の居る隣の部屋から聞こえてきた談笑に背を向けて、イオナは「臆病よね」と溜息をついた。


「――あんな思い、もう二度としたくは無いの」


(4)

 サルラ山脈M・A(マウント・アッバス)にも、紅茶の香のする場所があった。

「……違うな」

モニター画面に映るポープを見て一言、エリオはそう呟いた。

「誰と比べようと言うのです?」

ネハネが紅茶を差し出して言った。

「ポープ様は目的個体でしかありません。例え、それが闇の民の容(かたち)をしていると雖も……」

「よく、解っているつもりだ」

エリオはモニターから眼を離して、もう一つ溜息をついた。

――招かれざる客が到着したのだ。

「やれやれ、だ」

幾つもの軍靴が慌しくこの部屋に近付いて来る音を、眉をひそめて聞いていたエリオは、モニターの画面をやっとの思いで切り替えると、その扉が開かれるのを待っていた。

 ノックの音が3つ聞こえた。

「……どうぞ」

エリオが頷くのを確認して、ネハネが返事をした。複数の軍靴の音が止まり、扉が開く。

「失礼」と先ず、4人。カーキと白の軍服を着た男達が現れる。エリオは彼等がやたらきちんと整列するのを煩そうに眺め、露骨なまでに面倒くさそうに椅子から立つ。やがて、漆黒の鎧と外套を纏った男が現れた。

「お久しぶりです、元帥閣下」

そう、現れた黒服の男こそ、ペリシア帝国軍元帥――メーアマーミー・デホラ・フォンデュソン。しかし、エリオは儀礼的な挨拶すら煩わしく、気だるそうに手前のソファーに座り込んだだけだった。

「久しいな、エリオ殿。元気そうで何よりだ」

メーアマーミーも淡々と挨拶を交わす。彼の方も、眼前の皇帝参謀室室長にあまり好かれていないことくらい、よく解っているのである。

「計画は順調そうだな」

「ええ、おかげさまで」

「どういたしまして」

気まずい挨拶から逃げるように、メーアマーミーの側近たちが部屋を後にした。エリオも、ネハネにコーヒーの手配をさせる。

 部屋には、エリオとメーアマーミー元帥だけが残された。

「今日のご用件は?」

目さえ合わせず、エリオは溜息交じりで問うた。が、メーアマーミーは声を上げて笑っただけであった。案の定、怪訝そうな顔をこちらに向けたエリオに、「申し訳ない」と前置きして、

「貴方はなかなか正直で良い」

と、言った。一方、面白くないエリオは舌打ちしてやおら席を立つと、ペリシア帝国軍元帥に背を向けた。

「私が今日来ることは事前に通達しておいた筈だが、ポープから攻撃を受けたんだ」

わざと、メーアマーミーは挑発した。彼もまた、ペリシア帝国現行体制に反逆的なエリオを好いてはいない。

「最近忙しかったもので……どうも失念してしまっていたようです」

「そのようだな」

メーアマーミーは雑然としているエリオのデスクを眺め回した。

「私の管轄下にある特殊工作部隊の工作員だったアユミという男が、何故かこちら側の世界で殉職したという知らせを受けたんだが?」

「……資料の通りです」

あくまでも頭を下げようとしないエリオの態度を見て、「まあ良いさ」とメーアマーミーが失笑して、何とか収拾がつく。

「用件なら、」

牽制し合っても仕方が無いので、メーアマーミーは話を進めることにした。

「用件なら、何度も言っている通り――」

しかし、元帥が前置きさえ言い終わらぬ内に「ならば、お断りします」とエリオが回答を出した。

「まあ、聞け」

「変わりません」

ぴりぴりと緊張した静寂が部屋を支配した。

「そう悪い話ではないと思うが……」

漸く、メーアマーミーは一つ溜息をついた。

「戦士としての能力も、参謀としての能力も――そして人望の厚さも、私は貴方に遠く及ばない」

淡々と、メーアマーミーは話を進めた。

「貴方は、私よりも帝国元帥に向いている」

そう、エリオは、ペリシア帝国軍の元帥の候補に挙げられているのだ。それも、皇帝直々の指名を受けているという。勿論、エリオにその気は全く無い。“ジュリオ”の件のことで、彼は未だにペリシア帝国そのものに強い不信感を抱いているからだ。そしてその理由を、現帝国元帥も知っていた。

「――貴方はまだ、ご令弟のことを根に持っているようだな?」

この部屋の空気の色が変わる。負の闇魔法分子がにわかに膨れ上がったのだ。

「失せろ!」

つい、エリオは殺気を放ってしまった。案の定、目の前の元帥は面白そうに笑っている。

「フ……今日の貴方はとても感情的で好ましい」

そう言ってまた笑う目の前の帝国元帥を此処で抹殺することくらい、エリオにはワケ無いことだ。しかし、彼が死亡すれば確実に、エリオは空いた元帥のポストに入らざるを得なくなる。それは、エリオにとって都合が悪い――戦闘力の差を考慮に入れても、その事をよく知っているメーアマーミーの方には余裕があった。だから、痛烈に核心を突けるのだ。

「断っておくが、貴方の弟の死亡について、帝国は無ら関与していない」

「……。」

それは、一部その通りである。エリオは口を閉ざし、元帥を睨み付けた――ジュリオの死の引き金は、他でもない、自分である。それも、2度とも。


 丁度、ネハネがコーヒーを二つ運んできた。

 手際よく済ませた彼女は一礼し、再び部屋を後にした。それを待って、

「確かに、全く帝国が関与しなかったとは言わないが、」

メーアマーミーは話を元に戻した。

「代替物で補償はしておいた筈だ」

「代替物?」

エリオは冷笑を返した。

「まさか、ポープのことを?」

もう一度まさか、と呟いてエリオは首を横に振ったが、元帥は頷いた。

「貴方の弟――ジュリオの体細胞で出来た、立派なクローン個体だ」

即ち、これが、ポープとアユミ(即ち、ジュリオ)が一度たりとも顔を合わせることの無かった理由である。確かに外見を見る限り、ポープは幼少期のジュリオとよく似通っている部分がある。

 しかし、同じ遺伝子情報で同じ個体が出来るほど命あるものは単純ではない。幾らジュリオの容(かたち)をしてはいても、つい先ほどネハネが指摘した通り、ポープはただ単にジュリオの遺伝子が使われているというだけの、代替可能な目的個体でしかない。彼はジュリオとは程遠い別人物であると同時に、ジュリオとは全く異なる人格を持つ、生きとし生きるものである。

「クローン個体『ポープ』は、異世界同士を繋ぐ為だけに造られた一つのツールでしかありません。使用期間も10年と限られ、目的外使用に至ってはモータルペナルティすらある」

それが目的固体と呼ばれる由縁である。「その証拠に」と切り出したエリオは一つ、呼吸を置いた。

「ポープの魔法遺伝子配列は、ジュリオのものではなく、」

――刹那、メーアマーミーから笑みが消えた。エリオはすかさずとどめを刺す。

「閣下の手により暗殺された、イオナ前元帥のものです」

両者はそのまま睨み合いを続けた。

「イオナ前元帥の魔法遺伝子配列は、神の傑作とまで言われた程の優れたキャパシティーを引き出すことができるものだ。利用しない手は無いだろう?」

メーアマーミーがつとめて理性的に導いた模範解答を受け取ったエリオは、しかし、更に挑発を続けた。

「イオナ前元帥の婚約者だった貴方なら、充分なサンプルを入手できたでしょうね」

コーヒーカップの中のコーヒーが、メーアマーミーの殺気に煽られた負の炎魔法分子に灼かれ、蒸発して音を立てた。

「……失礼」

メーアマーミーは小さく溜息をついたようだった。頑なに公人であり続ける元帥に、つい同情的になってしまい、エリオは一旦攻撃の手を緩める。

「とにかく、私は、閣下のように衷心から帝国に尽くすことは出来ません」

重ねて、エリオは元帥就任を辞退した。

「帝国の秩序の為にならないような者は必要ない。私は自らの判断に誇りを持っている」

メーアマーミーは一口だけ、コーヒーに口を付けた。まだ舌を焼くほど熱い筈だが、元帥は眉一つ動かさずに平然と続けた。

「正直、私個人は、貴方のような方にペリシア帝国の元帥が務まるかどうかについて疑念を抱いている」

「それなら、話は早い」

「しかし、それはあくまで私の個人的な見解だ」

エリオはもう一度元帥に背を向けたが、元帥は構わず、再再度エリオに元帥就任の要請を出した。

「皇帝のご意思と国民の総意だ。貴方がペリシアの民である以上、それらを裏切ることは貴方の為にもならないと忠告しておく」

「それが馬鹿げた論理だと申し上げているんです」

この元帥の純粋過ぎる全体主義的思考が、エリオにはどうも冷え臭いのである。

「反逆的な私の態度が気に入らないのなら、貴方は貴方の愛する帝国の為、真っ先に私を抹殺すべきだ」

かつて反旗を翻そうとしていたイオナ前帝国元帥を貶め、抹殺したように――しかし、もうエリオの“殺し文句”にさえ、元帥は全く動じなかった。「貴方を裁くのは皇帝陛下であって、私ではない」という趣旨の、聞き飽きたいつもの台詞を聞かされたエリオは、小さく溜息をついて、

「……ペリシア帝国の元帥は、やはり閣下以外考えられませんよ」

と、ある意味の賛辞と侮蔑を一緒に吐き捨てた。そんな小癪な部下を一瞥したメーアマーミーは、しかし、ただ笑って見せただけである。この元帥、エリオ独特の“小賢しさ”は嫌いではないようだ。

「今日、これ以上話し合うのは無駄だな」

扉の外から、元帥の取り巻き達が「そろそろ時間です」と合図を出した。今日のところはエリオの勝利に終わるかに見えた。

 「報告を、一つ」

しかし、席を立つついでに帝国元帥が放った一言が、どうやら今日の切り札だったようだ。


「我がペリシア帝国は、先日ヴェラッシェンド帝国に宣戦し、既に北ヴェラッシェンドを制圧している」


その報告に驚愕のあまり放心するエリオを尻目に、メーアマーミーは冷笑を返した。

「第一皇女のいない隙を衝いただけあって、簡単にちたぞ。」

凍りつくエリオの目を確認したメーアマーミーは満足そうに笑った。

「――ペリシア帝国がヴェラッシェンド帝国を制圧するのと、レッドキャッスル帝国が光の民の世界全土を制圧するのとは、どちらが早いと思う?」

扉が開いた。カーキ色の軍服を着た男4人が、一斉に敬礼する。

「まあ、貴方のその顔を直接見ることが出来ただけでも、此処に来た甲斐があったな」

 次は良い返事を期待している、と言い捨てて立ち去っていく元帥の不敵な笑い声が耳障りで、エリオは耳を塞ぐように頭部に手をやる。


 「エリオ様?」

心配そうに上官を見上げたネハネの声に、何とか冷静さを取り戻したエリオは、力無く、副官にこう告げた。

「急がねばならないようだ」

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