第33話 エニグマ
(1)
イェルドとビルフォードが古典に当たっている間、レニングランドの町で「市内観光」という名の情報収集をしているラン達は、首都・レベッカの観光名所である屋台街で昼食をとっていた。
「……。」
「……。」
ランとイオナは、積み上がる皿と目の前の食べ続ける男を交互に見ては呆れていた。彼が大食漢ということはよく知っていたのだが、このところ、身を隠して逃げるような移動が立て続いていたせいか、彼の食べる勢いは凄みを増していた。
「トーマ、アンタの胃袋どーなってるの?」
具合を悪くしないかと、つい心配してしまうランが、思わず凍馬に声をかける。
トマトと木の実と加工肉、そしてチーズを香辛料で炒めた具を詰めた大きめのパイ20個完食で、1グループ分の料金が無料となるシステムを売りにしている屋台に入ったものの、そんなノルマなどはとうに達成している。昼食代が浮いたのは良かったのだが、いつのまにやら記録更新がかかっているらしく、凍馬の死闘を観光客までもが声援を送って見守っていた。
見ているだけでも胸焼けがしてきたランとイオナは、それぞれ一度、深呼吸した。
「何時飯にありつけるか分かんねェ生活してると、こーなるもんなんだよ」
などと、本当かどうかも判然としない回答をくれた凍馬が更に注文をしようとしたが、異世界にその名を刻んでどうする、と辛うじてランが食い止めようとしたが、大勢の観衆が声を上げて凍馬を称え、通りがかりの楽団員一行が即興でファンファーレを披露し、大きな拍手が巻き起こる――ランの制止虚しく、凍馬は、異世界でも「伝説の男」となったらしい。
2人組の商人が、ラン達の隣の席に着く。風体や会話の内容から察するに、どうやらアンティークを扱っている行商人であるようだ。
先刻の「伝説」の件で恒例の口ゲンカを始めたランと凍馬に注意を払いつつも、イオナは古物商達の会話を聞いていた。
「全く、この時代になっても“人魚の呪い”に打つ手無しとは……」
「いや、むしろあの人魚の洞窟に近付いて、こうして命を取られずに済んだことを喜ぼうじゃないか」
“人魚”といい、“呪い”といい、この光の民の世界にもそのような旧世代の遺物があるなんて!――イオナは椅子から身を乗り出した。
「そのお話、詳しくお聞かせ願えませんこと?」
ランと凍馬も一時休戦して(!)、イオナと古物商達に注目した。
「ワタシ達は先程まで、この国の南にあるベルシオラスってところに発掘作業に出ていたのですが、そこには、何千年も前から人を喰らうと言われている人魚が住み着いているらしくって」
男達の説明の途中だが、ランから挙手があった。
「ニンギョって、ホントに居るの?」
人魚など、物語でしか聞いたことが無い。しかし、この古物商達が冗談を楽しんでいるようにも見えない。
「ワタシ達も、ニンギョなどお伽話か、とうに絶滅していたものだと思っていたのだよ」
かつて、光の民と闇の民が一つの空間に共存していた時代、ベルシオラスの海には、カナッサマーメイドと呼ばれる海の民・人魚が生息していたという。書籍によれば、彼女達は、食料となる光の民を捕獲する為に嵐を自在に操り、何千隻もの船を海に沈めたらしい。
「嵐に沈んだ船に積んであった財宝の中に、歴史的に価値あるものがきっとあるだろうと思って、ワタシ達は人魚の棲家といわれる祠(ほこら)のあるベルシオラスの海岸に近付いた。そうしたら……」
何と、祠と言われている場所に近付くにつれ、身体がどんどん石化していくという現象が起こったと言うのだ。
「怖ェ話だな」
凍馬は屋台の主が好意で作ってくれたフルーツの盛り合わせに手を伸ばした。
「でも、ちょっと妙ね」
イオナはそのフルーツを古物商達にも取り分ける。
「人喰い人魚のクセに、ワザワザ主食である人間を石化するなんて」
――そう、“人喰い”ならば、石化などさせずに、食べてしまえば良いのだ。
「よっぽど高価な財宝を隠し持っているんだろうな」
古物商の一人が言って、もう一人も頷いた。
「よっしゃぁっ!」
凍馬が席を立つ。俄かに営業意欲が湧いてきたのである。
「ダメだ」
「ダメよ」
ランとイオナが凍馬を強引に席に押さえ込んだ。
「……っ!(まだ何も言ってねェってのに!)」
“伝説の大盗賊”は小さく溜息をついた。
(2)
イェルドの傍らに居たのは、体格の良い、戦士風の青年だった。一緒に資料を検索してもらっている司書の一人ではあろうが、この図書館の資料室という場所柄、彼が身に着けている藍染の装甲ジャケットや、2本の剣(此処では一切必要が無いと思われる)は何ともミスマッチなのだ。
「つまるところ、」
しかし、イェルドの動揺などお構いなしに、青年は話し始めてしまった。
「『神』に通じるチカラを引き出す為に、『勇者』が持ち得る“ツール”は2つあるということだ」
その青年は淡々とそう告げると、まだ少し気後れしているイェルドに一冊の本を渡した。
「『サンタウルス聖紀』?」
この本が物語であることはよく知られているだけに、流石にイェルドも戸惑ったが、
「これが単なる物語かどうか、賭けてみるか?」
その青年が覗かせた一瞬の笑みを見たイェルドはハッとした。見覚えがあるのだ。いや、よく似ているといった方が正しい。赤みの強い栗色の髪、くっきりと深い二重瞼、筋の通った鼻、厚めの下唇……
「(明護神使様?)」
しかし、目の前の青年からは、明護神使の柔和な印象よりももっと厳格なものを感じる。彼が一瞬覗かせた笑みも、穏やかな“微笑”というよりは、シニカルな“冷笑”である。その表情らしい表情すらもすぐに消して、青年は話を淡々と進める。
「この物語によると、“銀のブレスレット”は、闇の民の首長である『魔王(サタン)』の手に渡り、……」
青年は一度、怪訝そうな表情のイェルドと目を合わせる――ピン、と緊張の糸が張った気がしたのだ。ここからは聞き漏らすことなど許されない、重要なことを告げられるのだ、とイェルドは心して聞いた。それを確認して青年は続ける。
「それと番(つが)いの“金のブレスレット”は、人魚が持っていることになっている。」
「人魚?」
人魚などとうの昔に絶滅したものと思っていたイェルドは、思わずそのように聞き返してしまったのだが、青年は一つ頷き、イェルドから目を逸らしただけだった。
視線の先にあった鐘が正午の声を伝えて消えた。
「(金のブレスレットか……)」
兄の持つ“銀のブレスレット”と番(つが)いのツールである。こんなに早く最有益の情報得られるとは思ってもいなかったが、そう言われてみれば、左手首の消えない圧迫痕は、暗に、求めるべきツールがブレスレットであることを告げてくれていたのかも知れない。それにしても、
「人魚は、レニングランドの南方にあるベルシオラスの海岸に棲んでいる」
会話さえ煩わしいのだろうか、相変わらず、栗毛の青年は必要かつ重要な情報だけを淡々と告げると、もうイェルドに背を向けてしまった。
「あの、……」
イェルドは慌てて呼び止める。話しかけ難いことこの上ないが、とにかく礼を言わねばならないという気持ちもあった。しかし、イェルドが言葉を発する前に、
「礼を言われに来たワケじゃない」
と、青年は栗毛の頭を掻いた。彼にはまるで心を見透かされているようだ――イェルドはもう一つ驚き、戸惑う。そんなイェルドを置きざりにしたまま、
「お前達とも、また近い内に会う事になるだろう」
青年はそれだけ予言した。
「貴方は、……何者ですか?」
まさか、ここまできて彼が単なる司書だという答えなど期待していなかった。イェルドは彼の口が再び言葉を発するまで沈黙を保つ。今、彼が口元を緩めた。
「……オレは、セイ。セイ・サンタバーレ」
(3)
早速、イェルドはビルフォードにベルシオラスに向かうことを打診してみた。勿論、彼はすぐに馬車の手配を進めてくれた。
「それにしても、」
帰りの馬車の中、ずっと気になっていたので、イェルドはビルフォードにも“彼”の話をしてみることにした。
「あの図書館の中に、サンタバーレ王家の方がいらっしゃったとは」
あの栗毛の青年――セイ・サンタバーレのことである。
「それはまあ、偶然だろう」
このレニングランド公国とサンタバーレ王国は姉妹国同盟を結んでいるという。
「サンタバーレで功を収めた者が、例外的にセカンドネームに“サンタバーレ”を名乗ることを許すケースもあるそうだ。彼もそういう一族の子孫なのかも知れない」
そうだとすれば、『勇者』についての明るい知識をセイが持っていたのも頷けるだろうか。「それよりも」、とビルフォードは少しだけ笑った。
「オレは、“セイ”というファーストネームの方が気になる」
――馬車の車輪が石を噛んだらしく、大きく横に揺れた。「これもまあ、偶然だろう」と前置きをして、ビルフォードは続けた。
「気付かないか? “双子の勇者”の片割れの名前だ」
レニングランドという“勇者”に所縁のある土地だから、そういう名前も多いのだろうとビルフォードはまとめた。
「(でも……)」
イェルドはセイの残像を追いかける――やはり、かつて見た明護神使の容貌と重なってしまうのだ。それもまあ、偶然なのかも知れないが。
「お?」
ビルフォードが声を上げた。その視線は、『サンタウルス聖紀』を持つイェルドの左手首でピタリと止まっている。
「……治ったな?」
「え?」
イェルドは左の袖を捲くる。今朝までは確かにあった左手首の圧迫痕が、いつの間にか、すっかり消えてなくなっていたのだ。
「あ……」
“礼を言われに来たワケじゃない”
あのセイの言葉が、イェルドの脳裏をふっと掠めていった。
(4)
これは偶然だろうか。
どういうわけか、別行動をとっていたラン達までもが人魚の情報を持ち帰ってきており、落ち合った5人は、明日にも当該人魚について調査をすることで一致した。
「(ニンギョってどんな奴だろう?)」
人間を石化させることができる能力を持つ他に、どんな得体の知れない超上級呪文(ハイスペル)を使ってくるのだろうか、などとランは戦闘意欲に燃えている。
「(“金のブレスレット”があれば、エリオに匹敵するチカラを持つことは可能だろう)」
先ずエリオの動きを封じなければ、この世界は混沌に陥る――それを防げる“ツール”の手掛かりを掴めた事に、イェルドは内心ホッとしている。
「(人魚を見つけたとすれば、これは神秘よ!)」
絶滅したと言われていた人魚に、純粋に会ってみたいというのがイオナの本音である。
「(財宝……宝石か大金か。流通の少ないアンティークなら一儲けできそうだな)」
人魚や“金のブレスレット”よりも、人魚の“隠し財宝”の方に興味がある凍馬は、営業意欲に燃えている。
「……。(本当に、彼らに運命を委ねてしまって良かったのだろうか)」
ビルフォードのこの迷いは、残念ながら今日も解決することは無さそうだ。同じ目的に対し、一斉に違う方向を指した4つのベクトルを、彼は為す術も無く見守ることにした。
「この本によると、」
イェルドは読み終えたばかりの『サンタウルス聖紀』を置いて説明した。
「“勇者”は不老不死の人魚に“金のブレスレット”を託したということです」
――もしそうなら、人魚は“勇者”と面識があることになる。イオナが相槌を打った。
「今後の世界の趨勢について、何か良い助言を得られるかも知れないわね」
「成る程な」
ビルフォードは、しかし、視線を落とした――少なくとも光の民にとって、“人魚”とは歴史的な“害獣”でしかない。現に、ベルシオラスの沿岸区域はまだ立入禁止区域に指定されたままだ。ラン達が古物商達等から聞いてきた情報を全て信頼するならば、人魚がいわゆる“財宝”を守るために攻撃を仕掛けてくる可能性が、大いにあろう。
「戦うことになるのかな?」
ビルフォードと同じ懸念を、ランも持っていた。彼女はイェルドから『サンタウルス聖紀』を借りてパラパラと頁を捲ってみた。もし戦うことになった場合、彼女に勝つことは出来るのだろうか、と。
「無理ですよ。人魚は不老不死――私達よりももっと高レヴェルの呪文を扱うことのできる超上級術者(ハイユーザー)でもあるんです」
イェルドは治ったばかりの左手首を摩りながら人魚に関する予備知識を確認する。
なお、このように彼の視線が聞き手に向いていない場合例外無く、彼の頭の中は別の事を考えている。今回は勿論、あの栗毛の青年のこと。
「(セイは、何を意図しているのだろう)」
自分達と人魚を引き合わせることだろうか。それとも人魚の撃破だろうか。単に“金のブレスレット”の在り処を教えてくれただけなのだろうか。それとももっと何か、深い意図があったのだろうか。
イェルドの考え事の最中だったが、
「イェールドー、戻って来ーい」
ランが強制的にイェルドを話のテーブルに連れ戻した。
「あ、済みません、何でしたっけ?」
ランの呆れ顔とイオナとビルフォードの失笑が視界に入る。気持ちにゆとりが無い為に、どうも集中力が低下しているようだ。イェルドは反省しながらランの話に耳を傾けた。
「いざとなったら、人魚と戦わなくっちゃなんないよねぇって話」
今の話題は、“金のブレスレット”を人魚が引き渡してくれない場合についての対策の話であるようだ。超上級術者(ハイユーザー)である人魚とは戦わないに越したことは無いのだが、状況がそれを許さない場合がある。
「あ、の、さァ、」
イェルドの背後から、凍馬がぬっと顔を出した。
「別に、ワザワザ戦わなくったって、……取れるモンは盗れるんだ、ぞ?」
ニヤリ、という音が今にも聞こえてきそうな笑みを凍馬は浮かべている。
「!」
他4人が顔を見合わせる間、幾許か静寂があって、
「ダメよ! ダメダメ! 此処まで来てそんな事しちゃあダメ!」
「そーだよ! そんなの全然正々堂々としてないじゃん!」
女性陣が色めき立つ。一方、イェルドとビルフォードは顔を付き合わせたままだ。
「ちょっと、治安官憲2人組もちゃんと止めに入りなさいよ!」
ちなみに、イェルドはヴェラッシェンド帝国の、ビルフォードはレッドキャッスル帝国の公共の福祉を擁護・維持する公務員である。
「悪いな、オレは……何も聞いていなかったんだ」
「生憎、私も……」
「をゐっ!?」
“公共の福祉”が風前の灯であることは、どうも確からしい。
(5)
レッドキャッスル帝国首都・カッカディーナにある宝石商社チェスターグループ本社の社長室にいるネハネは、気持ちの整理に手間取って手を付けられずにいた手紙の封を、今やっと開けたところである。
***
ネハネさんへ
***
手紙の宛名は上官のエリオでなく、自分である――そんなところがいかにも彼らしく、既に胸が詰まりそうだったのだが、ネハネは何とか読み進める。
***
ネハネさんへ
睡眠薬なんか飲ませてゴメンナサイ。
この手紙が読まれている頃には、オレはもう何処にもいないのだけど、伝えたいことがあって、手紙を書きました。
***
その書簡は紛れもなくアユミの遺書であった。
手紙の内容は単純な事務手続きの引継ぎに関するものが殆どで、彼が特殊工作員として得ていた俸給の保管口座や、工作員時代に特に懇意にしていた者の名等が記されていた。
それにしても、やはりアユミは、死を覚悟してエリオの前に現れたようだ。手紙の最後の段落には、以下のように記されていた。
***
ネハネさん、どうか兄を止めてやってください。よろしく頼みます。
***
「バカね」
いつもは彼に向けて言い放っていたこのフレーズを、今日は宙に向かって呟いたネハネは、なす術も無く天井を仰いだ。
「本当に、バカね……」
何度そう呟いただろう。文字が、景色がどんどんぼやけて、目頭が熱くなってきた。自分が彼を止めてあげられたかも知れないと思うと悔しく、やりきれなくて。
「貴方が死んだところで、何も変わりはしないって言ったじゃない!」
ボロボロと零れ落ちる涙を拭うこともできず、ネハネは暫く床に崩折れていた。
サルラ山脈には、大きな4つの山がある。
アッバス、クレノフ、バーバラ、デロリスとそれぞれ名が付いているその山々は、今、大きな憂鬱を抱え込んでいる。その4つの山が共有する麓は、数年前にサンタバーレが所有していた魔法核弾が打ち込まれたと騒がれた、例の場所である。
勿論、それはペリシア帝国特殊工作部隊によって捏造された事実でしかないのだが、光の民は、まさかそんな場所に“異世界への入り口”があるなどとは想像もしていないだろう。
「あ、エリオさん!」
M・A(マウント・アッバス)の東の麓に潜伏していた少年は、久しぶりに姿を現した上官の顔を見るなり、駆け寄ってきた。
「作業は順調のようですね、ポープ様。何よりです」
エリオは、直径が半哩にまで達した混沌の大穴を眺めて、思わず溜息をついた。
「まあね。でも、思ったより光魔法分子の抵抗が強くて疲れたよ」
ポープはそう言うと、縮小を始めた穴の前に立って両手を挙げて見せた。
「焦る必要はありません。計画は、順調ですので」
順調なのは、あくまでも「計画だけ」だが――エリオが視線を落としたところ、ポープが呼びかけてきたので、エリオは何とか再び顔を上げた。
「基地が騒がしかったみたいだけど、何かあったの?」
ポープは、数日前に基地に侵入者があった事を知らされていない。“穴から動くな”というエリオの指示を純粋に守っていた為である。
「アユミが、……」
一度、エリオは言葉を選ぶための間を作った。
「アユミが殉職しました」
理由あって、エリオはあえてポープとアユミと引き合わせたことは無かった。このポープという少年は、恐らくアユミについては何も知らないだろうと、エリオはそう思っていたのだが、
「ふーん。良かった」
ポープからは意外な言葉が返って来たので、エリオは虚を衝かれる。
「――だってエリオさん、アユミってヒトばっかり構うんだもん」
ポープが真っ赤な頬を膨らませている。エリオは少し驚いたまま少年を見つめていた。
「だからボク、アユミってヒト、嫌いだった」
ゴメンナサイと、頬摺り寄せてくるまだ幼い少年を何とか抱きとめたエリオは、
「寂しい思いをさせてしまいましたね、申し訳ありませんでした」
とだけ言うと、暫く、収縮し続ける穴を見つめていた。
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