第32話 レニングランドにてⅡ
(1)
半島の先端の大きな火山が見えてきた。
白い煙が立ち昇るその山は、ユイノスという名が付いている。世界有数の活火山だそうだ。このユイノスを抱える町こそが、5人の目指すレニングランドである。
そこは、かつて『勇者』を輩出した町である。
「これからどうするのさ?」
ランは身を乗り出して、一つ前の席のビルフォードに尋ねた。
「適当に宿を取って、首都・レベッカで情報収集だ」
“情報収集”と聞いて、ランと凍馬の表情が曇る。その表情を見たわけではないが、
「案ずるな。ハナっから、お前達に情報収集させる気は無い」
市内観光でもしておけ、とビルフォードは笑った。
「え!? 良いの?」
ランの表情は一転、明るくなった。市内観光なんて、元居た世界では自由にさせてもらえない。ましてや、レニングランドは祖父・ヴァルザード大魔王と共に冒険を繰り広げた『双子の勇者』の生まれ育った町だ。
「イオ聞いた? 市内観光だって!」
ランは後部座席のイオナを覗き込んだ。
「……。」
彼女は小窓に寄りかかって眠り込んでいた。無理は無い。攻撃呪文の封を解く為に、精神力を使いこんだ結果だろう。果たして、呪文の全開放は成功したのか否か――
「お疲れ、か」
ランの代わりに凍馬が呟いて、それぞれ一つ、小さく頷いた。
正直、辛い戦いだった。
ビルフォードは、異世界から来た戦士達に気を遣ってくれたのだろう。今日明日は、束の間の休息を取れそうだ。いや、
「(休んでいる場合ではない)」
イェルドはそっと拳を握り締める――チカラが足りない! レニングランドで一刻も早く、兄の持つ“銀のブレスレット”のような、自身のチカラを開放する何らかのツールを求めなければならない。
先日の戦いでの敗北は、前の席に座るビルフォードを祖国の政治犯にしてしまった。今のこの身の上は、さながら“悪の枢軸国からの亡命者”だ。連合国側であるレニングランド公国で気兼ねすることは無いだろうが、そもそもレッドキャッスル帝国が“悪の枢軸国”という訳ではない。
胸を痛めたイェルドが溜息をついたその時、
「ヤダぁ、イェルドさんったらァ、……」
「!?」
突然のイオナの寝言に、イェルドと他3人は思わずビクついた。
「ソフトクリームにお醤油なんてかけるからキャラメルソースになっちゃうのよォ」
どうやらイオナは不可思議な夢を見ているようだ。
「気持ち悪いから起こしてやれ」
ビルフォードが言って、ランと凍馬が立ち上がる。
飛行船は間もなく着陸態勢に入った。
(2)
レニングランド公国――人口800万の小規模国ではあるが、国力はサンタバーレに次ぐ。レッドキャッスルもルビーを中心とした貴金属加工で華やかな町だったが(有事ムードが鬱積していることを除いて)、レニングランドは行商が盛んで、町中が商人達の声で賑わっている。何とも、活気のある町だ。『勇者』に所縁ある町だということで、この国には他国から多くの観光客がやってくる為であろう。
光の民と闇の民が同一空間上に存在し、互いに争っていた悲しい時代、この町から双子の戦士が旅立った。双子達は『白キチカラ』と『黒キチカラ』を使って奇跡を起こし、民を終戦へと導いた『勇者』として、現在に語り伝えられている。但し、昔々の「物語」として。
「良かったのか?」
ビルフォードがイェルドに声をかけた。
二人は今、レニングランド首都・レベッカにある公立図書館へ向かう馬車に乗り込んだところだ。市内観光をするラン達とは別行動になってしまうものの、イェルドはビルフォードと共に情報収集をすることにしていた。
「ええ。何だか落ち着かなくて」
今、まさにこの世界は混沌に足を踏み入れようとしている。
先日のエリオとの戦いで敗北を喫したことにより、その混乱に更に拍車をかけてしまったことは先ず間違いない。
エリオとのチカラの差を目の当たりにしたイェルドは、正直、観光という気分にはなれなかった。ビルフォードからは「お前らしいな」という言葉を貰ったが、イェルドの焦燥感を、彼も感じていたのだろう、
「オレとしても、古代語のできるお前がいると助かる」
などと適当に理由をつけて、彼はイェルドに仕事を与えた。
北へと走る馬車は、あの活火山・ユイノスの麓の町に到着した。
「まだ、信じ切れていないんです」
イェルドは、吐露した。
「自分が本当に『勇者』なのか、と」
それは、単に、『勇者』などという抽象的なものの存在そのものを疑っているのではない。視線を落とせば、まだ治り切らない左手首の圧迫痕――まるで何者かに強く握り締められたような痕が赤黒く残っている。回復呪文(ヒール)を何度とかけたが治し切れなかったこの傷は、いわゆる“霊障”(神霊的なものが意図的に付けた傷痕)であると考えられる。
過去に、ビルフォードの部下に装着されていた副脳を解除する為の解放呪文(ディスベル)を助けてくれた明護神使は、先日の戦いではあたかもエリオを守護していたように見えた。
「(自分が『勇者』であるか否かが重要なのではない)」
――何故、あの場面で、明護神使がむしろエリオの方を守護したのかが重要なのだ。「(そもそも明護神使を味方だと考えることに根拠は無かったな)」
“明護神使を助けて欲しい”と依頼してきたアリスの言葉を、ペリシアと敵対するこちらの都合のいいように勝手に拡大解釈していたに過ぎない。光の民の世界の危機に自分達を招いたアリスの意図が、ここへ来ていよいよ見えなくなってきた――
「……お前らしいな」
突然思索に耽り始めたイェルドに、ビルフォードはそれだけ声をかけて笑った。
(3)
一方のラン達は市内観光を楽しんでいた。勿論、心の底から楽しんでいるわけでは無い。
「……。」
「……。」
ランと凍馬はじっと店の中を見つめていた。
「何がそんなに楽しいんだろうな」
耐え切れなくなった凍馬は、貴金属の並ぶショーケースの立ち並ぶ店内から、人の活気で賑わう店外へと視線を移した。
「アンタも好きなんじゃないの? こういう店」
ランは次から次へとショーケースを巡り歩くイオナの後ろ姿を見つめていた。
「昼間じゃなく、夜間なら燃えるんだがな」
凍馬の問題発言に軽く突っ込みを入れて、ランも店の外の賑わいを目で追いかける。
各々何も触れないが、イェルド同様、その心の真ん中には焦燥感がある。ただ、物事には向き不向きがある。情報収集のスキルにやや懸念がある彼等にとって、今は休むことしかできないのだ。
「成功したのか? アイツの、攻撃呪文の封印の解放は」
ふと、凍馬がそんな事を訊いてきた。
「さあな。アイツ、そういうまじめな質問にはとぼけるから」
ランはもう一度、店内のイオナを見た――店員と何やら話し込んでいる。何やら購入すると決めたようだ。「そうだろうな」と、凍馬が呟く声が小さく聞こえた。
「魔法を封じろってアイツに言ったのは、アタシなんだ」
ランはそう言うと、驚いた顔をこちらに向けていた凍馬と目を合わせた。
「だから、もし封印の解除に成功していても、すぐにアタシには言わないんじゃないかな」
凍馬も店の中へと視線を投げた。
「よく分かんねェモンだな」
表面上、イオナに全く変化は見られない。ブランドの服やアクセサリーに歓声を上げたり、ランとイェルドの火付けに走ったり、先日の戦いの分析をしていたり……
確かに、彼女を取り巻く魔法分子に、負の因子を帯びたものがちらつくようにはなった。でも、本当にそれだけだ。
「アンタになら、教えてくれるんじゃない?」
ランは店に背を向けた。首を傾げ、まだきょとんとしている凍馬を見たランは、
「……意味分かってる?」
と、ケラケラ笑うのだった。
「何を笑っているのかしら?」
そう言って店から出てきたイオナは、いわゆるアクセサリーではなく、『回復呪文(ヒール)』を発動する奇石・ルーンストーンを購入していた。
(4)
レニングランド公立図書館の蔵書、およそ60万。その中で、古代期の『勇者』について扱っているものが1500冊。流石、『勇者』所縁の町であるとは感じたものの、1500冊全てに当たる必要があるのかと、イェルドとビルフォードは途方に暮れていた。
勿論、司書等にも協力を依頼しているものの、今日明日中で何とかなると思ってはいけないようだ。
「(あ……)」
イェルドの目が、懐かしいタイトルの背表紙を捉えていた。
「(まさか、こんなところでお目にかかるとは)」
イェルドが見つけたのは、彼が幼い時に読んだことがある『聖伝書』という書物だ。
この異世界にも同じ書物があるということは、かつて光の民と闇の民は同一空間上に存在していたことを裏付けている。が、それはともかく、この書物は『聖伝書』という簡単なタイトルではあるが、養父や神学校の教師からは、“世界の真理を網羅している”書物として教えられてきた。
イェルドは思わずそれを手に取る。この書物にも『勇者』について記載があった気がするが、確信は無い。というのも、イェルドが単に、この本の内容をあまり覚えていないからである。それでもあえて、彼が覚えていることといったら……
「(神は残酷、か)」
詳しいやりとりなどはとうに忘れてしまったが、養父・アルが神についてそのように漏らしたのは、この『聖伝書』のとある記載について語り合っていた時の、ただの一度だけとイェルドは記憶している。
「(それが、帝国の
イェルドは思う。
「(バカな)」
と。
「(神など、居るものか)」
イェルドは『聖伝書』を何となく捲る――同じ腹から同じ時刻に生を受け、同じ森に同じように遺棄されていた双子だって、同じレヴェルの福祉や教育は勿論、同じ育ての親からの愛情を受けられなかったのだ。そこに信仰の差など無い。兄を引き取ったのが盗賊であり、自分を引き取ったのが神父だったというだけのこと。
「あ……」
イェルドの視界に、「神が眠る」と伝えられる“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)”という文字が飛び込んできた。
その場所には、一体誰が何の為に張ったのか、強力な結界が施されているという。学説によれば、何らかの強力な魔法分子を帯びた魔法鉱石の鉱脈があの海域一体に集中し、それが偶発的に強力な結界となり島を取り囲んでいるらしい。しかし、この『聖伝書』では、そんな自然界の神秘もいわゆる“神”の眠りを妨げぬ為のものに成り下がる。イェルドはまた一つ、嘆息を漏らす。
やおら、イェルドの不意を突くように、丁度イェルドの開いているページの文言が読み上げられた。
「黄金(こがね)白銀(しろがね)の光共、数多(あまた)に天空を射て、それ即ち閉ざされたるを破る」
聞き覚えの無い声だった。他人の気配に全く気が付いていなかったイェルドは、驚くままに背後を振り返る。そこには、凡そ司書とは到底考えられないような風体の男が立っていたのだ。
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