第31話 アンチテーゼ―勝者と敗者―

(1)

 目的地は決まっていた。

 レニングランド――『勇者』に所縁がある場所なのだそうだ。


 ヴォルフテッド海沖まで流れ着き、水質調査船から脱出後、何とかサンタバーレ王国に逃げ込めた一同は、慌しく諸手続きと簡単な情報収集を済ませ、半ば逃げるようにレニングランド行きの定期飛行船に乗り込んだ。

 

今、ビルフォードはアリエス王子に手紙を書いているところである。


***

 ――私は今、サンタバーレからレニングランドに向かっている。例の闇の民4人と共に居る。

 敵と一度目の接触を試みだが、彼等の力は我々の想像を超越したものであった。…この手紙が届く頃には、私は政治犯としてレッドキャッスル帝国軍元帥の位を剥奪され、同ポストには、エリオかその手の者が付いていることは先ず間違いない。

 近々、我が帝国は連合国に先制攻撃を仕掛ける可能性がある。しかしながら、防戦準備はともかく、制裁については、やはりまだ一月の猶予が欲しい。

 我々は、再度エリオと接触し、勝利する事を約束する。連合国現行体制の理解者として、一愛国者として。

最後に、子供達と家内をよろしく頼む。

***

ペンを置いたビルフォードは一つ、溜息を吐く。

 

  仮病を装ったイオナは、船からの善意で、人気ひとけの無いヴィップルームを貸し切りで使用していた。庶民と肩を並べて移動するのが億劫だというわけでは、勿論無い。彼女には、今、長時間独りで居られる場所が必要だった。

『――我ガ四肢ニ眠リシチカラノ封ヲ解カン』

彼女の居るこの部屋中に結界が施されていた。結界は闇魔法分子を部屋の外に漏らすのを防ぎ、術者の集中力を高める助けをする。イオナは攻撃呪文の封印解除に踏み込んでいたのだ。

「(“守るべきものを守る”)」

アユミはそう言って、それを実行して見せた。自らが犠牲となる事で。

「(そんなの、どうかしてるわ)」

そんなにどうでも良いものじゃない! 命とは!

 ――アユミは結局知る事は無いのだ。彼の死が、どれほどの人間を大きな悲しみのどん底に突き落としてしまったのかを。

「(それとも……)」

どうかしているのは自分の方なのだろうか。

 現に、自分は今、アユミに触発される形で、攻撃呪文のキャパシティーを開放しようとしている。

“裏切り者には死を!” “裏切り者には死を!” “裏切り者には死を!”

「!」

未だに強く残る、ペリシア帝国から受けたマインドコントロールに驚いたイオナが詠唱を中断してしまったはずみで、集まりかけていた闇魔法分子が散逸してしまった。イオナは、もう一度始めから、呪文の封の解除呪文を唱え直した。

「(守りたいもの? 在るわよ、こんなアタシにだって!)」

 

 展望ホールでは、サンタバーレからレニングランドへ向かう観光客御一行様方が、一様に大きな窓から見える雲の海と、その更に下方に見える海を見ては歓声を上げている。

 かの双子達は、その明るい光景には馴染めずに、暫くホールの片隅で観光客の波が落ち着くのを待っていた。


「あー、シンドイったらねえな」

「兄さん、滅多なコト言わないでくださいね」

兄の爆弾発言を制したイェルドも、言った後で失笑してしまったので、何の説得力も持たなくなってしまった。

 あえて誰も何も言わないが、あの戦いの日以来、凍馬の頭から紺のバンダナは無くなってしまった。棄てた訳では無いだろうが、当分身に付ける事は無いだろう。根拠は無いが、皆がそう思っている。

「『勇者』ってのは、どうもよっぽどのお人好しだったみたいだな」

「兄さんにぴったりの業種ですね」

「……ホントに全くその通りで」

などと双子達がぼやいている内に、観光客の群れは昼食の為、ビュッフェに移動した。

 イェルドは漸く、絶景を前に大きな溜息をつくことができた。

「チカラが足りない」

握力の戻らない両手を隠すように腕を組んだイェルドの傍らに控えていた凍馬が、嘆息を漏らしたばかりの弟へと視線を移した。

「チカラが足りないって言うか、」

そう言ったっきり、言葉を選んで立ち止まった兄は、どうやら気が付いていたようだ。

「誰かに邪魔されているように見えた」

この兄の分析を否定も肯定もしない代わりに、イェルドは左手首の傷を晒して見せた――鬱血しているイェルドの左手首を凍馬は一瞥する。「治らないのか」と、訊いた彼に、イェルドは小さく頷いた。

「レニングランドに、答えはあるのでしょうか?」

イェルドの率直な疑問には、凍馬も「さあな」と応えるしかなかったが、『勇者』について何らかのヒントを得なければ、“スペルマスター”であるエリオと戦う術が無いとは凍馬も思う。

 ただ、あの戦いを振り返れば振り返るほど、本来ならば“白キ勇者”であるイェルドを守護するべき“明護神使”は、むしろエリオを守護していたようにも見えたわけで……

「(まあ、しかし、)」

凍馬は思った――今回の戦いに、果たして勝者がいただろうか、と。

(2)

 時代は混沌へと、一つコマを進めた。


レッドキャッスル帝国は、最も人望の高かった帝国元帥の失脚という大スキャンダルに騒然となっていた。帝国議会が宣戦布告を承認するのも時間の問題で、国内の有事ムードによる混乱は避けられない情勢である。

 

 しかし、最後の砦を崩したエリオに会心の表情は無かった。

 今日もエリオは、予定された仕事をキャンセルして、自らの手中に収まったレッドキャッスル帝国を、殆ど住家と化していたパレスのロイヤルルームから、何をするでもなく眺めていた。勿論、傍らにはネハネが控えている。


 「コレも罰なのだろうな、きっと」

この日初めてエリオの声を聞いたネハネは、突然始まってしまった会話に驚くままに首を傾げることしかできなかった。

「オレは彼を、2度もこの手に掛けてしまった」

それはあたかも宿命付けられたシナリオであるかのようで……エリオは顔を掌で覆う。


 あの日――砂埃だけが残ったそこには、アユミとエリオだけが取り残されていた。

“アユミ!”

エリオは今にも崩れそうなアユミの身体を抱き上げた。彼の皮膚はまだ脆弱に熱を保っていた。

“何故……”

どうして、こんなことになってしまうのだろう。エリオは、何度もヒール(回復呪文)をかけ続けたが、アユミの闇魔法分子は無情にも散逸し続け、治癒を受け容れてくれない。それを悟っているのか、アユミは弱弱しく目を開け、口元を緩めてみせたのだ。何かを伝えようとしている。

 エリオも一生懸命それを聞こうとした。緊急事態を告げるサイレンの音や、床や壁や天井が崩れ落ちる音をできるだけ無視して、アユミの声に耳を傾けた。

“良かった……兄さ……――”

アユミは、それ以上は何も話してはくれなかった。もう、何も。


 「何故、」

エリオはペンダントトップの赤い石を強く握り締めた。それはもう、握り潰されるのではないかと思うほどに、強く。


「何故、オレの前に現れたんだ、ジュリオ!」


(3)

 展望ホールに弟を残したまま、凍馬は客室に戻った。

 昼食時である。

 ビュッフェに行かない疎らな観光客に混じって、何やら書簡をしたためているビルフォードと、彼から一つ座席を開けて、退屈そうに窓から狭い空をぼんやりと眺めているランがいる。

 凍馬は、ランの横に座った。驚いた視線をこちらに向けた彼女に、

「……イオナは?」

と、当たり障りのない質問から始めてみる。

「んー……」

ランも、何故この男がわざわざ自分の隣に座っているのか分かっているので、当たり障りの無いように応える。

「もう少しで帰ってくるんじゃない?」

凍馬からは、「そうか」という当たり障りのない納得の意思表示が帰ってきた。

 しかし、これからが本題である――言葉を選ぶ為、お互いに僅かな沈黙があった。但し、ランも凍馬も互いに語彙力に不安がある。仕方なく、ランはストレートに訊いた。

「アタシ、……アユミに騙されてたのか?」

明朗で優しい、それも大きな傷を笑い飛ばせるくらいの……ランは、視線を窓の外に向けた。そこ抜けの明るさを孕んだピュアな青――それを少しでも分けて欲しくて。

「騙されてた、ってか、」

凍馬も窓の外に目を向けた。窓枠に切り取られた断片的な空。それは彼のほんの一部分に過ぎないとしても……

「お前だけが、アイツの素の部分を見ていたんじゃないか、って思う」

凍馬だからこそ、よく判ったのだ。アユミが、最も傷付けないようにしていたのは、むしろ……


“嘘吐いてて、ゴメン――それだけは伝えたくて”


ランは顔を上げた。丁度凍馬が席を移動しようと腰を上げたところだった。

「イェルドなら、展望ホールにいるぞ」

凍馬は口元を緩めた。

(4)

 ランは階段を駆け上った。急ぐ必要は全く無かったが、何故かそうしたかったのだ。

 間もなく目に飛び込んできた一面の空の青の明るさに、彼女は少し怯んだが、暗い金髪の青年を見つけると、もう、それどころではなかった。

「!」

彼はすぐにランに気付いた。亜麻色の長い髪を翻して、彼女はこちらに駆けて来る。

「どうかしましたか?」

努めて、イェルドは冷静に振舞う。今は彼女が感情的になっているのが判った為である――何故、アユミについて、今までずっと嘘を通してきたのか。それについて、いつか必ず追及されるとは思っていたのだ。

 「一つ、約束してくれ」

しかし、切り出された内容は、イェルドの想像とは異なるものだった。

「アタシを守って死ぬなんて、絶対しないで欲しいんだ。これからも……ヴェラッシェンドに帰ってからも、ずっと」

「ランさん……」

口元を緩めたイェルドは側頭部に手をやる――困惑している時の表情だ。

「こんな思いは、もう嫌だ!」

ランは傷の癒えぬボロボロのイェルドの両手をそっと握りしめ、言った。


「――絶対、嫌だからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る