第17話 聖なる傷と微笑む人(1)

(1)

 レッドキャッスル帝国の帝国議会では臨時会が召集された。

 臨時会、とはその名の通り、通常会とは異なり臨時の議案を審議する必要に迫られて召集されるのであるが、これまでにない焦燥感に駆られて開会した今回の臨時会は、代議員も証人もかつてない危機感を抱き登壇している。


 折しも、近隣各国がレッドキャッスル帝国との取引を一斉に停止し、各国大使達が次々と自国に引き上げていた。この議会で審議するのは、国際連合に宣戦するかどうか――世界大戦は避けられないとの見方が、最早大勢を占めていた。


 「お言葉ですが、まだ必要な外交努力を尽くしたと言える段階にありません」

ビルフォードが声を荒げる。

「そもそも、サルラ山脈の調査団が消息不明のままです。サンタバーレが魔法核弾を発射したという物的証拠も挙がらぬままに宣戦を行うこと自体、近代主権国家の取るべき舵取りを怠ったとの批判を免れないと、閣下はお思いにならなかったのですか?」

「黙れ、ビルフォード! そんな小言を聞く為にお前を召還したのでは無いぞ!」

方や、皇帝は帝国軍元帥を激しく罵倒した。

 保守強硬派はともかく、既存の有力与党議員の殆どがエリオによる懐柔を受けた者である。ビルフォードを始め、非戦論者の意見など、参考意見にもならずに聞き流されてきた。

 しかし、この異常を世界に発信するため、ビルフォードは折れない。野党議員が何とかビルフォードの肩を持つが、皇帝の権力の前に無力に近い。


 帝国議会本会議場の控室にて、本会議前に開催される懇談会という名の「予定調和」会議では、今にも反旗を翻しそうな帝国軍元帥と皇帝が大激論を交わすため、本会議の開始時間が遅れに遅れる。この数年で、この光景を見慣れてきた各省大臣たちは、借りてきた猫のように黙って二人の論戦を見守っていた。

 

 「調査団が戻らないのは、サンタバーレが発射した魔法核弾の高濃度魔法分子に被爆したからだということは明白。直ちに報復に出ない事こそが、近代主権国家のあるまじき姿であろう! まして、お前はこの帝国の陸海空軍の統帥権を一手に担っているのだぞ」

――ふと、皇帝の傍に控えているロイヤルガードの一人が、ビルフォードを一瞥し、笑いかけてきた。

「……お前の言動は今後の帝国軍の士気に大きく影響する。肝に銘じて置くが良い」

口調と内容は激しいものの、そう言い切った皇帝の眼には力が無い。陛下には副脳が取り付けられているのだと確信しているビルフォードは、以前の皇帝をよく知っているだけに、見ているだけでも辛いものがあった。


 帝国軍の統帥権を持つビルフォードが頑なに宣戦に同意しないため、この日の本会議は、とうとう流会となった。

「(何とか、乗り切ったが、最早時間はないな)」

ビルフォードは、決意を固めていた。


 退場したビルフォードに、声を掛ける男がいた。先程笑いかけてきたロイヤルガードだった。黒髪をオールバックにしたその男は、帝国軍元帥の前だというにもかかわらず、着崩した制服を直そうとすらしない。しかし、ビルフォードはそのロイヤルガードを一瞥して目を背けただけに留めておいた。

「初めまして、ビルフォード元帥」

ロイヤルガードはニヤリと笑った。一方、

「何を他人行儀に」

と舌打ちしたビルフォードがそのロイヤルガードと目を合わせたのは、彼を睨み付ける為である。

「そう殺気立たなくても良いんですよ。貴方達とは、いずれは戦う事になるでしょうが、それは今日この時ではない」

ロイヤルガードは声を上げて笑った。

「何が可笑しい?」

「いえ、失礼」

――ジリジリとぶつかり合う殺気の音まで聞こえてきそうなほどの静寂が、暫し、あった。

「良からぬ噂を聞いたのですが、」

先に切り出したのはロイヤルガードの方だった。

「敵国サンタバーレと密通している軍幹部が居るんだとか?」

彼は明らかに、ビルフォードが先日サンタバーレに子供達を預けた事を含ませている。

「そのようだな」

つとめて、ビルフォードは冷徹に遣り過ごした。

「流石、ご存知でしたか」

ロイヤルガードは失笑していたが、構わず、ビルフォードも反撃に出た。

「それよりも、皇帝のお顔色が優れないのが気になる。きっと、近年の軟禁生活にお疲れを感じていらっしゃるのだろうな」

ロイヤルガードから笑みが消えたのを横目に、彼は続けた。

「何処ぞの国の特殊工作員かは知らんが、ポーカーフェイスならオレも得意だ。茶番劇はこの辺で止めて置けよ」

完全に口を閉ざしたロイヤルガードを見据えて、ビルフォードは止めを刺した。

「お前の好き勝手にはさせんぞ、エリオ」

 ビルフォード元帥の身の安全を案じて警戒していた軍職員や衛視が、二人のただならぬ様子に気づいて、こちらにやってきた。

 ピンと張り詰めた緊張の糸を、いち早く断ったのは、またもエリオの方だった。

「フ……やはり、どんな手段を使ってでも、お前だけは真っ先に懐柔しておくべきだったようだ」

これがオレの唯一の誤算だ――そう言い残して、エリオは在るべき場所へと戻った。

「くっ!」

これまで感じた事も無いような、強烈な殺気とプレッシャーであった。冷や汗を握りしめていた拳を漸く解放したビルフォードは、

「とんだバケモノだな」

と小さく呟いた。

(2)

 カッカディーナの繁華街へと抜ける林を歩いていた凍馬の目の前に、何の前触れも無く、その男は現れた。

アユミ……」

念のため間合いを確保し、凍馬も足を止めた。

「お兄ィ、取引しようか」

義理の弟から切り出されたそれは想定外の打診だったが、その内容は実にありふれたものだった。

「ヴェラッシェンドの第一皇女を置いて元居た世界に戻ってよ? そうしたら、オレ等、戦わなくって済むんだし」

そう言ったアユミの声が震えているのが凍馬にも分かった。

「お前こそ、エリオとつるむのは止せ。とばっちりってモンじゃ済まされないぐらい怪我するぞ?」

エリオが目指す光の民への支配の実行は、この世界にとって、大いなる凶に他ならない。アユミの人の良さを誰よりも知っているだけに、その矢面に、アユミが立つことなど、凍馬には到底納得いかないのだ。

「お兄ィには、いや、……」

アユミはボウガンを構えるふりをしてみせた。

「”凍馬”には、関係ないことだろ?」

光の民も、ぺリシアとヴェラッシェンドの冷戦も、光の民と闇の民の世界大戦も、天涯孤独で盗賊稼業の「凍馬」には、確かに関係のない話である。

「お兄ィは、何でこんなところで戦ってんのさ?」

「それは――」

林を抜ける風がにわかに色めき立つ。言い淀んで口を閉ざしてしまった凍馬の代わりに、アユミがいち早く答えを出した。

「イェルドのため?」

それはまるで詰問のようで、凍馬はとうとう視線を落とす。

「……変わったね、お兄ィ」

悲壮なまでの孤高なる父・”凍馬”として生きること。それが、名無しの兄の選んだ道だった筈だ――矢を仕込まずに向けただけのボウガンの右手を力無く下ろす代わりに、アユミは、

「ホント、変わったよ」

と重ねて呟いたのだ。

「ホントの“家族”が見つかって、よっぽど嬉しかったんだね」

確かに、それは喜ぶべきことであるし、それが悪いと言っている覚えはないのだが、


――何故か、凍馬の表情に影が差した。


「オレさ、お兄ィが大人しく帰ってくれる方法を思いついたんだ」

何とか、もう一度凍馬と目が合ったので、アユミは続けた。


「真っ先に殺してやるよ、アンタの弟」


驚愕の表情を返したかつての兄に、アユミは強い口調で言い放ったのだ。

「そしたら、気も変わるんじゃない?」

アユミは林の奥へと消えた。

アユミ……」

どうする事もできずに、暫く、凍馬はそこに立ち尽くしていた。

(3)

 「ややこしくなってきたわね」

凍馬の簡易報告を聞いたイオナが天を仰いだ。

「アユミってコ、ランちゃんに相当近づいてたわ――道理で、敵にはアタシ達の動きが丸分かりだったわけね」

「ランの所為じゃないさ」

度数の強いアルコール飲料を呷る凍馬から甘い香りが漂う。こちらまで酔いが回りそうと、イオナは小さく溜息を吐いたが、構わず、凍馬は続ける。

「敵組織に浸透する能力においてはアユミにかなう奴はいない。ランは、もう書き換えようも無いくらいの信頼をアイツに寄せている筈だ」

「狡猾なコね」

そう言ったイオナの言葉を否定したかったが、アルコールに潤(ふや)けてだいぶ気だるい今の凍馬にはそれができなかったのだ。とうとう見兼ねたイオナが凍馬の手から酒瓶を取り上げる。


 そろそろ雨季が終わるという。

 この2,3日の雨が恐らく雨季最後の雨になるという観測が出ている。星も月も、雲に隠れて見えたものではないが、凍馬は、そんな空を見ていた。

「でもねトーマ、」

そろそろイェルドがアルバイトから戻ってくる時刻である。イオナはそれを確認して話を続けた。

「ランちゃんは、人を見る目があるのも確かなの」

凍馬の視線が曇天から、イオナへと移った。

「――アタシは、貴方が一番辛いんじゃないかって思う」

円に近い月が、一度、群雲から顔を出した。

「全部教えてくれて、ありがとう」

自分を責めないでね、とか何とかイオナが言っている。

「え、いや……まあ」

どう彼女に返事するべきなのかさえ、よく分からなくなってしまった凍馬は、最早、此処に居る理由や大義を探すのを、暫くやめてみようと思った。

(4)

 祈る人々を横目にオルガンを演奏すると言うのは、イェルドにとっても不思議な感覚だった。


 光の民の宗教観はかなり大衆的になっていて、このオルガンも、ただ滔々と聖歌を演奏するだけに留まらず、奏者の演奏を聴くという事をメインに人を寄せると言う感じだろうか。

 イェルドのオルガンの演奏自体にはかなりのブランクがあったが、演奏の拙さは観客の寛容な心と奏者の器用な誤魔化しで取り繕うことにしていたが、その雑音が気になるのだろうか、先程からオルガンから一番近い席に座る老婆が居る事に、イェルドは気付いていた。

「申し訳ありませんね。鍵盤を叩くのは久しぶりなんです」

演奏の合間に、イェルドはその老婆に声をかけた。

 顔はよく確認できなかったが、白い髪や白い衣服は床を引きずるような長さ。しかし、煤けた感じなどはなく、むしろ神々しささえ感じる程の清楚な外観である。彼女は杖で身体を支えながらゆっくりと立ち上がったようだった。

「レイプリッツ=リチカ賛美曲集第13番『ウラノス』を弾いてみてくれまいか?」

彼女はそれだけ言うと、再び椅子に深く腰掛けた。

 丁度、訪れる客も途絶えた。次の曲が最後の演奏となるだろう。加えて、『ウラノス』というこの曲は、イェルドが養父から教わった最初の曲で、思い入れも深い――イェルドは老婆のリクエストに応えることにした。


 ホ短調。イーマイナーから展開するこの曲は、最終章でホ短調からニ長調に転調する。幼少の時はよく、転調しなければならない事を忘れてしまって養父から指摘を受けたが、そんな事もなくなった今は、荘厳で隙の無い短調部分の前半よりも、常闇の地に救いの光が差し込んでくるような旋律の長調への転換部分から後半の方が好きだ。

「そう」

そのニ長調への転換部分を演奏している最中に、老婆が再び話し掛けてきた。

「救いの光は自らが創り出すものだ」

この老婆も、この曲に同じ印象を抱いているようだ。イェルドは構わず演奏を続けた。

「――まして、『光の勇者』ならば」

「!?」

イェルドは思わず演奏を中断して、老婆の方を振り返った。

「(何故、それを知っているんだ?)」

イェルドはエントランスまで見渡す――やはり、居ない。老婆など、まるで始めから何処にもいなかったみたいに。

「バカな……」

此処に居て、確かに座っていた筈だ。しかも、リクエストまでして。


 丁度、懺悔の刻を告げる鐘の音が鳴り、神父がイェルドを呼びに来た。

「明日もどうか、宜しくお願いしますね」

神父は今日の客の入りに満足しているようだった。今日の日当と一緒に、「貰い物ですが」と恐縮しながら野菜を持たせてくれた。

「それにしても、」

オルガンに鍵をかけて、神父は尋ねた。

「今日の最後の曲は、何とも心地良い旋律と和音の響きでしたが、あれは何と言う曲なのですか?」

「え?」

こう問われてから、イェルドは漸く思い至った。そういえば、あの老婆がリクエストした曲は、リチカという名の闇の民が書いた賛美曲集の中のレコードである。光の民であるこの神父が知る由も無い。

 この場は「即興です」と取り繕えばそれで終わる。ただ、あの老婆が闇の民であるならば、まだ了知していない「敵」ということになる。

「(あの老婆は一体何者なんだ?)」

――この問題を片付けない限り。

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