第81話 百二十人の夢姫
娼館があった場所から離れると屋根の上を駆け抜け飛び越え、そのままの勢いで城壁門を抜け、外で待機していた集団の側に到着して【
そしてすぐさま馬車の荷台全てを【
「馬を繋げ」
僕の言葉に、サガラの面々が一斉に動き出す。
手際良く荷台と馬を繋げていくその面々を他所に、ミミリラ達三人が僕を迎えてくれる。
「お帰りなさい」
「お疲れ様でした」
「お疲れなのん」
「これからが本番なんだよなぁ」
娼婦の娘達を何事もなく都市内から連れ出す、これが最初の関門だった。それが終わった以上、ここから出来るだけ早く離れなければいけない。
その為にも、第二の関門を突破することにしよう。
少し離れた場所ではアンネとアンナ、そしてジャルナールが都市兵と押し問答を繰り広げている。集まっている都市兵の総数なんと百十五人。この短時間にこんなに集まるとか馬鹿じゃないのか。仕事はどうした。
聴覚を強化しながらその集団に近づいていくと、やりとりが聞こえてくる。
「ご事情は理解致しましたが、やはり危険が大きいかと。『セルリーム』の方々は貴族の方々のご寵愛を受けている女性も多いので」
「ご心配頂けるのは大変ありがたいですわ。でも大丈夫です。しっかりとした護衛の方々が居ますから」
「はい。私もここまで安心して帰ってこられました」
「ですが」
「私めも、ザルード領のみならず、国王直轄領は城塞都市ガーランドでもこの者達には世話になっております。その信用と実力は誓ってよいものかと」
どうやら都市兵としては『セルリーム』の娼婦全員が一斉に城壁外に出るのは嬉しくないようだ。一応ジャルナールとアンネとの打ち合わせでは、都市を出る名目を「商機があるので娼館の娘全員を出張娼婦として連れて行く」にしようと決めていた。
普通に考えれば「そんな訳あるか」と言う理由だが、今回は敢えて堂々と行くと決めているので、下手な言い訳はしない。ミミリラと初めて出会った日に僕が思ったことと意味合いは同じだ。行いが同じでも、昼と夜にするでは印象が変わる。
どうせ
だから、ジャルナール達も既にその辺りの説明はしている筈だ。それを聞いた上で尚、都市兵としては引く訳にいかないのだろう。
今のザルード領がどういった状況かは確実に伝わってきている。だから城塞都市ポルポーラに娼婦が行くと言えば理由としては自然だろう。だが都市兵が言いたいのは危険性。十数人を護衛するのと百二十人もの護衛をするのでは意味が違い過ぎる。
それに恐らく一番気にしているのはアンネとアンナ、高級娼婦達だろう。
アンネはもちろんだが、道中聞けばアンナも侯爵やそれ以外の上位の貴族の寵愛を受けていたらしい。それ以外の高級娼婦達も多数の貴族を顧客に持っている。
万が一アンネ達が野盗や魔獣に襲われるようなことがあれば、それを見過ごした責を問われかねない。そんなことになればこの場に居る都市兵とその家族全員の首は物理的に飛ぶだろう。いや、首が飛べば幸せな方かな。
それに、別の意味でも怒りを食らうだろうな。
彼らの側まで近寄ると、僕は押し問答を続けている都市兵、その隊長らしき男に声をかけた。己の命の為に必死になるのは結構だが、邪魔なので疾くと去って貰うことにしよう。
「失礼」
「何か?」
「今回護衛をする
「それが? ……ジャスパー?」
「ああ。これが俺の
そう言って、先日
「なっ、これは、いや」
「これでも護衛にはこと足りないか? それともまさか国の直轄組織である斡旋所が認めた冒険者の評価なんて当てにならないとは言わないよな? 斡旋所の所長は歴とした爵位号を賜った貴族の方々であることはもちろん知っているよな?」
「無論だっ。だが人数がだな!」
「俺は先日ザルード領に発生した
「それはだな」
「ではこれでも駄目か?」
駄目押しの一手を打つ。差し出すのは先日お祖父様から頂いたばかりの感状と昇格推薦状、そして身元保証人証明書だ。
この三枚は僕の人として冒険者としての信用と信頼、そして実力の全てをザルード公爵家当主が認めている証だ。仮にも主要都市の都市兵に就いている男が、その意味を理解出来ないなんてことは無いだろう。
僕が差し出した羊皮紙を目にした都市兵は明らかな焦りを見せた。
「これ! こっ」
「もし俺が信用出来ないと言うのであればザルード公爵閣下より賜ったこの羊皮紙に価値は無いと言っているも同然だが、それでも駄目か? 駄目なら俺はちょっとザルード公爵閣下の下に趣き、これは紙切れ同然だと言われた、とお伝えせねばならんが」
と、ここまで言って僕はわざとらしく首を振った。
同時に手を前に出して何か言い出そうとした都市兵の言葉を遮る。
「いや、ここ城塞都市ザーケルはアジャール侯爵閣下のお膝元。つまりこの都市の兵はアジャール侯爵閣下の命の下に働いている訳だ。言い換えればこの羊皮紙を価値無き物と言っているのはアジャール侯爵閣下ご自身であり、お前はそのご意思をこの場で口にしていると言うことか。なるほど、お前は己の役を果たしていただけだったんだな」
そこまで言うと、微笑みを浮かべて目の前の男の肩に手を置いた。
「そう言うことであれば話はザルード公爵閣下とアジャール侯爵閣下のやりとりになる訳だな。そんなに
「問題ありません! どうぞお気をつけて!」
「ああ、感謝するよ」
そう言うや否や、隊長らしき都市兵は顔色悪くして足早に去って行った。集まっていた都市兵達もそれを見て慌てたように城壁の中へと姿を消していく。
焦りを撒き散らしながら去って行った集団に目を細める。
これで更に難癖付けられたら逆に認めてやっても良いくらいだったが、あの程度の詭弁で尻を見せるようでは土台無理な話だったな。どちらにせよ、お祖父様の正式な文書に難癖つけた時点で絶対に許さなかったが。
まぁ、最悪は全力の覇気で脅すことも選択肢の一つにあったから、手間が省けて助かった。
「やれ、これで第二関門突破だな」
「で、あるな。最高級娼館の影響力。決して侮っていた訳では無いが、これ程とはな」
「本当だよな」
僕とジャルナールは同時に溜め息を吐いた。
犯罪を犯している訳でも無し、都市から出るだけで都市兵が百以上集まるってどう言うことだよ。しかもあれ、時間が経てばもっと集まっていただろうな。多少の兵が集まることは想定していたが、数が想定外にも程がある。
まぁ溜め息を吐いている場合でも無い。今の都市兵達は確実にここでのやりとりを自分達の上位者に伝えに行っている筈だ。早く移動しなければ今度は爵位持ちがやってくる。別に来てくれても構いはしないのだが、面倒なことは避けたい。
そんな僕の両腕をアンネとアンナが抱きしめた。この二人本当に大きいな。
「素敵でしたわ旦那様」
「ジャス、私貴方を見る目が正しかったことが誇りだわ」
「これからもっと誇りに思ってろよ」
僕は苦笑してからジャルナールを見た。
「じゃあ、後は打ち合わせ通りに。場所は俺が指示するよ」
「あい分かった。よろしく頼む」
二人の腕を解いてからミミリラ達の元に向かう。すると、こちらを見ていた三人が自ら近寄って来てくれる。
「ジャスパーお疲れ様」
「これからが本番だからお疲れるのはもうちょっと先かもな。と言うか単純に行程の長さがな……まぁせめて気持ちだけでものんびり行くか」
「ジャスパーさん、帰ったら少し休みましょう。最近働き過ぎです」
「一日中ベッドの上なのねん」
「休むって言葉の定義が難しくなるなそれ」
「大丈夫。私が癒し続ける」
「精神的な癒しの効果は抜群だと知ってるんだよなぁ」
言うなりミミリラが抱きついて来る。ふりふり尻尾が可愛い。
それに負けじとアンネとアンナが再び腕を抱きしめてくる。
「旦那様、私も癒しますわ」
「私もね。今のところ何も出来ていないし」
「まぁ追々な。少なくともここから凡そ二十五日は馬車の旅だ」
全く以て嫌気が差す。慣れたとは言え、僕はベッドで寝たいのだ。
《最近してないです》
間違ってないけどそっちの寝るじゃないんだよな。
しかも数日前、中継の町でしたよな。
「
「ご苦労さん。じゃあ娘達に随時無理ない程度に乗るように言ってくれ。多少のゆとりある乗り方が出来る筈だ」
「分かりました」
報告に来たサガラの男に指示を出す。今言ったように、荷台内にゆとりある乗り方が出来る筈だ。何せ元々余裕がある上にサガラの大半は外で護衛として歩くのだから。
「アンネとアンナも乗って良いぞ」
言うと、二人は艶然と笑った。
「私は旦那様とご一緒しますわ」
「もちろん私もね」
その笑みに背筋が少し震えそうになる。くどいようだがこの二人、間違いなく最高級娼婦だ。その辺の男ならこの笑みだけで言いなりに出来るだろう。
「好きにしろよ。どうせちょっと行けば休憩さ」
『?』
二人して首をかしげる。何だか似てるなこの所作。ミミリラ達を思い出す。もしかしてこの二人は本当に姉妹だったりするのだろうか。
そう思いながらミミリラ達三人を見る。
『?』
三人揃って首をかしげてくれる。これは本当に可愛いと思う。また是非ベッドの上で見せて貰いたいものだ
そう考えると、三人ともが嬉しそうに微笑んだ。
全ての荷台に娼婦達が乗り込んだのを確認して出発する。
サガラが馬車の上に乗って見張りに付いたり、適切な位置で馬車を囲み進んで行くという、正しい護衛依頼の体制で臨む。
もちろん僕もこれまで同様に構えている。それでいながらも何故こうして護衛体制をきちんとしているのか。見せかけと言うこともあるけれど、ここからは正真正銘、ベルナール商会関係者と娼婦百二十人の護衛だからだ。僕の【
一緒に乗ると言ってくれたアンネとアンナには誠残念なことに、僕は先頭馬車の屋根の上に乗っている。流石貨物用大型馬車。小さい馬車とは高さが違う。六頭の馬が牽いていることもあって力強さすら感じる。
そんな感じで【万視の瞳】を確認しながら先の風景を見つめること数時間、ようやく望んでいた場所が見えてきた。
『ジャルナール。この先に良い感じに
『あい分かった』
先頭の御者台に座っていたジャルナールが、僕の指示に合わせてそこへと馬車を操っていく。街道から多少逸れた平地のそこは、馬車を並べても問題ないくらいの広さがある。
その地点を【
この【万視の瞳】も、実は今回の大発生で進化した魔術だったりする。
元々【万視の瞳】は効果範囲内にある「求めるもの」の位置を特定したり、その対象がどう言ったものかを表示する魔術だ。
そして、それは基本的には平面で表示される。だが、元々立体的に見ることも可能だった。でありながらも、僕は殆ど立体的な表示は使ってこなかった。使う機会と必要性が殆どなかったからだ。
しかし今回、城塞都市ポルポーラで大発生の魔獣全てを把握する際に全力で発動したお陰か、その立体表示が以前よりも遥かに容易に、より詳細に使用出来るようになってくれていた。
その立体表示を利用して、馬車を止めようとする地点の地形を把握し、【
これで多数の人が乗った大型馬車十数台が進入しても問題ないだろう。
たった今綺麗に整地したばかりのそこに複数列並ぶように馬車を止めていく。
全ての馬車が止まったのを確認すると、広範囲を覆う【僕だけの部屋】を発動させた。これで外からは誰も見えない。そして現段階で僕達を追って来たり視認している者が居ないことは【万視の瞳】で確認済みだ。
「やれやれ。これで一先ずは休めるかな」
呟いて、馬車の屋根から飛び降りる。
そして広く空いた場所にテーブルや椅子を次々と出していく。連盟設立パーティーの時に使用した物はもちろん、王太子屋敷の宴で余った道具類は全て【僕だけの宝物箱】の中に入れてある。まさかこんな使い方をすることになろうとは思ってもみなかった。本当、いつ何がどこで役に立つか分からないものだ。
ちょっとだけジブリー伯爵の次女サマンサ嬢と出会った時を思い出してしまった。
「わぁ」
「すごぉい」
「何これ」
「ほんと」
そんな感じで、荷台から降りてきた娘達が驚きの声を上げている。そんな彼女達全員を取り敢えずテーブルに着かせてから、僕は皆から見やすい位置に移動した。
全員の視線が僕の方に向いたのを確認してから口を開いた。
「後々知っていけば良いけど、これは今俺が出した。そして今この場は外からは見えていない。こっちの声も気配も漏れることは無い。また余程の攻撃じゃないと破れない障壁も張ってある。だから安心して良い」
言うと、初めて聞く面々はアンナも含めてきょとんとしている。アンナにはアンネが耳打ちしていた。
「改めて挨拶するが、俺がジャスパーだ。これからお前達全員を囲う主人だな。呼び方も口調も任せる。急いで都市を出たから挨拶も録に出来なかったが、俺のところに来る条件その他諸々はアンネに話してある。なのでその辺りは後でアンネから全部聞いてくれ」
アンネを見ると力強く頷いてくれた。
「まだ少し早いが、今日はもうここで一夜を過ごす。お前達が良い女過ぎてどこぞの貴い方々が迎えを寄越すかも知れないからな」
そう言うと、一部がくすくす笑った。
「これからは二十五日程度、途中で中継町に寄るとは言え殆ど馬車の旅だ。だが野盗や魔獣その他の心配はしなくていい。理由もまたアンネに聞いてくれ」
再び視線を向けると、アンネは苦笑した。丸投げされちゃった、と言う感じだろう。
「他に気になることや質問があれば聞いてくれていい。それと必ず守って欲しいのが、体調が悪くなったりした場合は必ず言うこと。お前達はもう俺のものだ。調子が悪いままは許さん。ある程度のものなら俺が治せるから安心しろ。隠すなんてのは『
『正しき人』と同様に長くなるので省くが、『邪な行い』とは許されない行いや愚かな行いのことを言う。
僕が見渡すと、娼婦の全員が真剣な表情を浮かべて見返してきた。僕はそれを瞳に映して頷いた。非常によろしい。言わなければ本当に捨てるつもりだから気をつけて欲しい。
「他に言うことは無い。まぁ気楽な旅を過ごしてくれ。自由にしてくれて良いぞ」
僕の言葉が終わって一拍の後、アンネやアンナを筆頭に娼婦達全員が揃って立ち上がり、その場で優美な礼を見せた。
ここは雑草や小さな木が見えるだけの平原だ。
そんな場所が、彼女達の洗練された所作と美しい姿により、まるで王城で開かれるパーティー会場のように変貌してしまった。
はっきり見えた。豪奢に飾り立てられた煌き溢れるホール。テーブルに並べられた贅を尽くしたご馳走に、高価な礼服や装飾品を身に纏った王侯貴族の姿。
たった一度。たった一回の礼だけで、彼女達はここに夢の世界を作りだした。
思わず瞠目してしまった僕は、思わぬままに微笑みを浮かべて納得した。
夢を売ることが出来るなら、夢を作り出すことも可能か、と。
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