第75話 アンネの訪問2

「あら、久しぶりだけど立身出世したわねジャス」

冒険者アドベルのままだけどね」


 部屋に入り僕を見たアンネは苦笑気味にそんな挨拶を口にした。

 それも仕方無い。僕の身体には未だに四人が纏わり付いたままなのだから。結局アンネが入室してくるまでの間に引き剥がすことが出来なかったのだ。

 そんな光景を見てしまったアンネがそう口にするのも無理はない。


 部屋に入ってきたのはアンネだけじゃなかった。見覚えのある女が数人、アンネの後ろに立っている。流石にこのままの会話はありえないので、はっきり離れろと指示し、纏わり付く四人をどけてから応接テーブルへと向かう。


「まぁ座れよ。メルル。下で紅茶入れてきてくれないか」

「分かりましたー」


 言葉の途中でメルルに指示を出して、上座のソファーに座る。

 即座に左右をニャムリとピピリが陣取り、後ろからパムレルが抱きついてくる。そして表現出来ない丸まった座り方でミミリラが膝の上に座る。もう何だろうこの絵面えづら


 まぁ三人に悪気が無いのは読み取れているし、それはパムレルも同様だろう。

 会話相手も娼婦、つまり公的でも無い上に、言ってみれば身体を売る商売人と客の間柄だ。別に女をはべらせていても問題ないと言えば問題ない。


 もちろんその辺りをわきまえた上での行為だろうとは思う。そうでなければ例えミミリラでも僕は殴り飛ばしている。お祖父様との会話ではないが、僕だけのものになったからとは言え、どんな理由があれ、僕の妨げをしていい道理はないのだから。


 なので、ミミリラ達は悪気も何も無く、その辺りを見極めた上でこの行動をとっていることになる。先程述べたように問題はないし、どちらかと言えば僕を心配しての行いみたいだし、今回は何も言わないでおこうか。


「好かれてるのね」

「少なくとも今は護衛と思ってくれ」

「意味合いは合ってそうだし、そう思っておくわ」


 まぁ傍目から見たら娼婦達お前達から自分の男を守ってる感じだよね。


「で、久しぶりだな。先ずは元気にしてたか、と聞こうか」

「ええ。ジャスとの一夜からむしろ元気過ぎて。皆お代は無しで良いからジャスとご一緒したいとよく口にしているわよ」

「そりゃ光栄だ」


 そう返事はするものの、ちょっと疑問が湧く。

 あの性行為による効果ってそんなに長持ちするものなのかな? ミミリラ達からそういうのは聞いたことないけど、今回結構な期間致して無かったし、後で聞いてみようかな。


「で、わざわざ俺と一夜を過ごす為にここまで来てくれたのか?」

「そうよ、と言いたいけど今回は違うわね。ジャスが居るのを知ったのは偶然」

「愚問だが商売でか?」

「そうなるわね。それで聞けば連盟ギルドミミリラの猫耳キューティー・キャットイヤー』のジャスパーって冒険者の大活躍で領地や都市が守られたって言うじゃない。すぐに貴方の顔が思い浮かんだわよ」

「それだけ持てはやされてるなら悪い気にはならないな」

「皆ザルードの英雄って言ってるわよ。あの時みたいにね。あの時とは比べ物にならないかしら」

「はっ」


 その言葉につい失笑してしまう。英雄並みの力をもってしても心くじけかけたあの瞬間を思い出したから。

 それで何かを察したのか、アンネは微笑んで話題を変えた。

 人の様子を伺う能力の高さは流石男の機微きびに敏感な娼婦だなと思う。もしかしたら娼婦固有の感知系技能でもあるのかも知れないな。


「ここに来たのは本当に挨拶よ。ジャスに会いたいって気持ちは本当だから」

「アンネみたいな高級娼婦に言われるなら皮肉抜きで光栄だな」

「今の貴方にはそれ以上の女性が傍に居るみたいですけどね」


 アンネの視線がミミリラに向かう。

 否定はしない。僕はちょろちょろ動いている尻尾を掴んでさすった。


「可愛いだろ」

「ええ。貴方にとってはもっとね」


 アンネが僕を見ながら笑った。

 肯定をしよう。僕は嬉しそうに動いている尻尾の根元を少し強く握った。


「そう言えば、今回は結構遠いところまで出向いたんだな?」


 アンネの店がある城塞都市ザーケルと城塞都市ポルポーラはかなり離れている。ちょっと出稼ぎに行ってきます、と言う距離ではない。

 長期間ここに拠点を置くなら稼ぎは良いだろうが、先行投資の割合が多い気もする。その辺で花を売るのとは違うのだ。仮宿を取るか作るかしつつ、護衛なども雇わなければならないだろうから、初期投資と維持費に結構な金がかかる筈だ。


 まぁジブリー領も近いと言う訳でも無いし、条件は同じなので今更なところはあると言えばあるが、相変わらず大変そうだ。

 しかしそう考えたらアンネって結構各地をうろちょろしてるな。確か店主だった筈なんだが、そんなに店を空けて大丈夫なのだろうか。 


 ――いや、それってよく考えたらおかしくないか? どうして人口がここの二百分の一程度のラッシ町に、アンネは出張娼婦として足を運んでいたんだ?


 ラッシ町とここ城塞都市ポルポーラは、城塞都市ザーケルから見ればそう距離は変わらない筈だ。ポルポーラですら先行投資の割合が、なんて思うのに、ラッシ町なんて都市ですらない場所にどうして出向いたんだ? そんなの赤字前提ではないか。

 しかもアンネは貴族を顧客に持つ高級娼婦だ。

 ラッシ町ではまだ冒険者になって間もないころだったし、娼婦についてもそう詳しくなかった。だから高級娼婦であるアンネが出張娼婦としてラッシ町なんてところに足を運んだと聞いても、「大変なんだな」程度にしか思わなかった。


 だけど今なら分かる。店主でもある高級娼婦がわざわざ利益が出るか分からない、移動の道中、野党に襲われるかも知れない危険を冒してまで出張娼婦となる必要はどこにも無い。


 内心で疑問を膨らませる僕を見ながら、アンネは僅かに眉根を寄せた。


「ああ、それね……ジャスが居ると知ってちょうど良いとは思ったんだけど……」


 アンネが僕に纏わり付く四人、そして少し離れたところに立っている女達に視線を滑らせた。なるほど。どうやらアンネの言う挨拶とは、そう言った意味での挨拶だったようだ。

 そう思ったのは僕だけじゃないようで、室内に控えている女衆サガラの表情が僅かに変わったのが見て取れた。僕に纏わりついている四人も密着する力を増している。

 もしかしてこいつらはこうなることを警戒していたのか?


 僕は片眉を上げながらアンネにはっきり告げる。


「ここに居る奴らが信じられないなら俺を信じられないと思ってくれていいぞ」

「……そう」


 アンネは左右に座る娼婦の女達を見た後に、小さく息を吐いた。


「お店を移転しようと思っているの」

「……確か前に聞いた話じゃお前達の店、大店おおだなだったよな。しかも結構古い」

「ええ。城塞都市ザーケルでは一、二を誇るくらいには大店ね」

「それがまたどうして」


 城塞都市ザーケルと言えばアジャール侯爵が収める領地で一番大きい主要都市だ。しかも南に存在する魔術大国と呼ばれるエングリッド王国からの特産品などを扱っており、それをまた王都や大きい都市に売ることで利益を上げている、筈だ。

 これは本から得たり人から聞いた知識なので実際はよく分からないが、少なくとも人口百万人を越える主要都市が急激に廃れたなんてことは無いだろう。


 そんな僕の疑問に、アンネは数秒躊躇ってから答えた。


「アジャール侯爵が、最近ザーケルに傭兵団連盟ソルディアーズギルドを誘致し始めているの。それと、荘民として使う為の奴隷も増やしてきてる」

「ふむ」


 まぁ、おかしいことではない。そう言うことなら普通にあるだろう。

 強いて指摘するなら、呼んだ傭兵ソルディアはどこで何をしていた奴らなのか、そしてどれだけの奴隷を、どこから手に入れたのか、と言う点だ。

 更に突っ込むなら、その荘民としての奴隷は農民として扱うのか、領兵として扱うのかくらいだろうか。


 ただ基本的にそういうのは領主の裁量の範疇だし、気にする程でもない。

 極論、領地内の村や町を気に入らないから滅ぼしました、と他の王侯貴族が耳にしても「ふぅん」で終わってしまうだろう。基本的に領主が自分の領地で何をしようと自由なのだ。

 まぁ度が過ぎればこの国特有の実力主義に於ける抑止力が発生するか、国王よりお呼び出しがかかるのでやる阿呆あほうはあまり居ないが。


 と言うかこれって貴族の情報なんだが、仮にも高級娼婦がこんなに軽々しく口にしてもいいんだろうか? まぁ今の話の内容だけを言えば娼婦じゃなくても知ることは出来るだろうけれど、問題は「貴族を顧客に持つ高級娼婦が他者に喋った」という点にある。娼婦とは、場合によっては商人以上に口を閉じていなければいけない職業なのだから。


 あんまり深入りしない方がいい話かな、なんて僕の考えは、次にアンネが口にした内容によって吹き飛んだ。


「で……気になっていたから、アジャール侯爵の屋敷にお呼ばれした時に聞いてみたの。お酒も入って機嫌の良い時にさりげなく。で、これはご本人の言葉そのままなんだけど、『これからは私も更に出世する。上手くいけば公爵も夢ではない。そうすればお前達を店ごと妾にしてやる』と口にされて」

「――ほお?」


 アンネ達が一斉に身体を硬くした。

 いけない、魂の波動が漏れてしまっていたらしい。だがそれも致し方無し。公爵になるなぞと戯けたことを抜かす愚か者が居ると耳にしてしまったのだから。


 公爵家と言うものは、遡れば王族の血を受け継いだ一族になる。そして、現在その数はもう決まっている。降嫁こうかした王女を娶ったからと言って公爵になれる訳では無いのだ。

 四公三侯。四つの公爵家に三つの侯爵家。我が国でこれが変わることはない。


 で、ありながら侯爵家の当主が公爵位を賜るだなんてありえない。

 それでも、もし、普通であれば思いつきもしない可能性を持ち出すのであれば、一つだけ公爵位を手にする方法がある。


 どこかの公爵家が没落してしまえばいいのだ。


 公爵位の数が変わらないのであれば、公爵位を持つ存在が消えればいい。

 そうすれば新しく公爵位を賜った存在が家を興すこともあるだろう。


 アンネが口にした言葉は、普通であれば一笑に付すものだ。だってそうだろう。どこの誰が国を支えるの四つの柱が一つでも折れるなんて考えるものか。それを侯爵家の当主が口にしていただなんて誰も信じない。

 だが、それを口にしたのがアンネと言う高級娼婦であり、大店の高級娼館の店主であれば事情は変わる。恐らくは何度も世話をしているだろうから、アジャール侯爵も多少気を許しているとしてもおかしくはない。

 それに、アンネは濁しているが今の話を聞いたのは間違いなくベッドの上、致した後のことだろう。男が寝床では口が軽くなると言うのは最初の女の時に理解させられている。そこに酒が入っていたならばもう完璧だろう。


 更に言えば、アンネの言葉に説得力を持たせる情報を僕は知っている。

 お祖父様がザルード領をお出になられた後に武器や物資を買い集めていたスーラン伯爵とジーバ子爵、それとザバッカ子爵。こいつらの情報をニャムリとピピリから初めて聞いた時にも述べたが、この三人はザルード領の南に領地を持つ、とある侯爵の派閥貴族だ。


 その侯爵の爵位号こそが、アジャールなのだ。


 アジャール侯爵は傭兵や奴隷を集め、その派閥貴族が隠れるように武器や物資を買い集める。

 そして今回、大発生によって没落してもおかしくない公爵家が一つあった――


 ――僕はそこで首を振った。

 筋が通りそうではあるが、色々と理屈に合わない点があるし、不明な部分も多い。何より大前提として十数万規模の大発生を人為的に起こす方法が無い。つまり僕の頭に浮かんだ考えは、現段階では推測どころか憶測にすらならない。

 だからこそ、結論を出しそうになる自分に制止をかけた。そうしなければ、腹の底で煮えたぎる何かを抑えられなくなりそうだったから。


 ただまぁ、先程アンネから聞いた言葉をアジャール侯爵が口にしていたとしても何ら不思議ではないという考えには至った。そもそもの話、アンネが上位貴族の情報を一介の冒険者である僕に話しても意味はない。だからこそ、信憑性がある。

 だからこそ、不愉快。


 僕の心のうちを読み取ったのだろう、ミミリラ達が身体を擦り付けてくる。それが何とも心地いい。今すぐこの湧き上がる激情をミミリラ達と戯れることで塗りつぶしたい。彼女達の温もりと匂いに包まれて眠りにつきたい。


 そんな気持ちを落ち着かせる為に紅茶を一口飲み、黙って様子を見ていたアンネを促す。魂の波動で精神的に負担をかけてしまったかも知れないので、念の為部屋の中の全員に【母の手ラ・メール】を使っておく。


「で?」

「ん……で、これから間違いなく何かが起きると先代店主と話し合って、店の拠点をアジャール領外に変えることにしたの」

「へぇ。それはまた大胆な」

「私達は女を武器に商売をしてる。そこで得る情報は時に凡ゆる情報網を超える自負がある。私が聞いた話だけじゃなく、他の娘達が違う貴族の方々から聞いた話を考慮した結果、このまま座していれば必ず何かに巻き込まれると判断したの」

「それを口にするお前がここに居るってことはつまり?」

「そう。ザルード公爵領は城塞都市ポルポーラと言えばこの国でも有数の安全地帯にして主要都市よ。領主であるザルード公爵様は人柄の評判も良い。ここに拠点を移すことが出来れば、と思っていたの。まさか大発生が起きるなんて思ってもみなかったけれどね……」

「まぁ……商売の観点で言えば時期タイミングは良いな」


 これは各地から集まった人々が客となってくれるからではない。

 冒険者や商人に縄張りがあるように、娼婦だってそれは例外ではない。城塞都市ポルポーラにも老舗や大店の娼館があるだろう。その中にいきなり他所から高級娼婦が店ごとやって来ました、なんて受け入れられる訳がない。必ずどこかしらで妨害が入る。


 だが今なら何とでもなる。第一層ならともかく、第二層から外は崩壊している状況だ。上手く食い込めば店だって置けるし、周囲に名前を売ることも出来る。だからこそ、移転するのであれば完璧な時期なのだ。

 僕個人としてはあまり楽しい話題では無いが、アンネ達の観点ではそう見えてもおかしくはないし、責めるつもりもない。


 それに、そう言った事情なら色々と納得出来る。先行投資する価値どころか必須とも言えるだろう。そもそも出張娼婦では無く土台作りの為の先遣隊みたいなものだ。店主であるアンネがその中に含まれていてもおかしくは無い。

 先程「先代店主と話し合って」とか口にしていたし、店の留守を預かる人も居るみたいだしな。

 アンネ達が現在どう言った状況で何をしようとしているのか。疑問や不明瞭な点こそあるものの、話の筋としては通っている。僕としてもありがたい情報が聞けたので、来てくれてよかったとすら思える。


 が、一つ重大な疑問が残る。

 どうして高級娼婦なんて言う貴族の秘密を絶対厳守する女が、侯爵なんて上位貴族の秘密を打ち明けた? これがアジャール侯爵の耳に入れば確実にアンネは店ごと世界へ還元させられる。

 下手をすればその秘密を聞いた僕にすら手が伸びかねない――まさかとは思うが、僕を巻き込むつもりかこれ? ミミリラ達が警戒していた本当の理由はこういう事態を懸念していたからか?


 思わず眉を顰めそうになる気持ちを抑え、軽い口調で言う。


「信用して話してくれたんだろうし、絶対に口外はしない。ただ何でそれを俺に教えてくれたんだ?」

「ジャス、連盟を作ってるけれど、活動拠点ホームは以前と同じ?」

「ああ。城塞都市ガーランドのままだな」


 それを聞いたアンネは、恐ろしく妖艶で美しい笑みを浮かべた。


 この瞬間、僕は確信した。間違いなく面倒なことになるな、と。

 それを証明するかのように、アンネは艶かしい吐息と共に言の葉を響かせた。


「よかったら私達を連れて行ってくれない?」


 この時僕に出来たのは、心の中で溜め息を吐くことだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る