第125話 憎悪は、感謝を以て狂信に

 魔窟探索と言う名の経験値稼ぎレベリングが終わり、連盟拠点ギルドハウスへと帰った僕は早々に斡旋所へと足を運ぶことにした。

 本当ならそのままベッドに直行したいのが本音だったが、それでは明日になるのが目に見えていたし、休むなら何の心残りも無く休みたかったので、面倒事は先に済ませることにしたのだ。


 そして向かった斡旋所。僕が「冒険者アドベルとして報告したいことがある」と受付で言えば、斡旋所の所長自らが対応してくれることになった。

 斡旋所の所長とは言っても、相手は正真正銘の貴族であり、子爵位を持つ存在だ。斡旋所所長とは爵位号、つまり爵位を持つ者の役職名でもあるのだ。

 そんな高貴な立ち位置にいる人だ、普通なら一介の冒険者の為にわざわざ自らが対応することなんて無い。当然と言えば当然の待遇ではあるのだが、改めてジャスパーと言う名前が持つ影響力と言うものを目の当たりにした心境だった。


「して、此度はどう言った報告であろう?」


 斡旋所所長のそんな問いかけから始まった報告会だったが、僕は敢えて四十一階層のことは話さなかった。


 本来であれば伝えるべきことなのだが、これは僕の判断で口にしていい情報では無いと思ったのだ。

 嘗て最低の評価を得た冒険者達は、自身が四十二階層に潜ったと訴えても信じて貰えなかった。しかし、今回はザルードの英雄と呼ばれる、冒険者第6段階アドベルランク6の冒険者の言葉だ。

 ザルード公爵家当主自らが身元保証人となり、連盟ギルドの後援をするまでに信用と実力の保証をされている。加えて、国王より勲章すら賜った、この国で最高峰に位置する冒険者だ。

 そんな冒険者が「四十一階層に潜った」と言えば、誰も疑うことはしないだろう。現在に於いて最高の栄誉と名声を得ている冒険者が、偽りを口にしてまで自らの力を誇示する必要が無いからだ。


 そんな僕が仮に「四十一階層には俺が苦戦する程に強大な魔獣が居たぞ」なんて言葉にしたとしよう。確実に斡旋所から城塞都市ガーランドの代官の耳に届き、宮廷か大臣の元へ情報は送られ、最終的に国王へと差し上げられるだろう。


 問題は国王の元へと情報がたどり着くまでの過程だ。

 人の口に戸は立てられぬと言うし、必ずどこかで情報は漏れる。最も可能性が高いのは、最初に情報が送られる場所が宮廷の内政官だった場合だ。あそこには派閥貴族が有象無象と存在している。確実に情報は伝播し、国中に広がるだろう。

 それがどんな結果を齎すかまでは不明だが、貴族に、冒険者に、商人に、確実に広まっていく。幸いが生まれるか災いが降るかは分からない。分からないからこそ、僕の勝手な判断で口にしていい情報では無いと判断したのだ。


 故に、この情報は一度父上に報告を差し上げた上で、どうするかを決めるつもりだった。斡旋所に伝えれば最終的に父上の元へ情報が届くことは確実なのだ。それならば要らぬ騒動は避けた方が良いだろうと言う結論だった。


 そんな訳で、僕が斡旋所に報告したのは小鬼属のことだけだった。その証明として、死体も提出した。

 僕の言葉だからか証拠があるからか、斡旋所の所長はこれといった言及をすることなく、「ご苦労であった」とだけ口にし、報告会を終わらせた。

 彼がそれをどうするかは知らない。恐らくは城塞都市ガーランドの代官と共に情報を纏め王城へと一報を送るだろうけれど、それは僕の関知しないところだ。

 危険度第5段階の魔獣が闊歩している三十二階層に小鬼属が居た、と言う事実もそれなりには異常な事態ではあるが、逆にそんな下の階層だからこそ、緊急性があるとは認められないだろう。


 面倒な報告を終えて連盟拠点へと戻った僕は、大量の食事を終わらせるとその日はもう連盟長部屋ギルドマスタールームに籠もってひたすらにミミリラ達に癒して貰っていた。

 とにかく倦怠感が強く、何もしたく無かった。僕の心を読める七人がそれを察し、他の女達も僕の体調を理解したのか、特にそう言った行為をすることは無かった。



 ※



「これは……ウーツ鋼じゃな……」

「ウーツ鋼と言えば、別名ダマスカス鋼だったよな。それってかなりの希少金属じゃなかったか?」

「ああ、それもここまで大きいものはそうは出回らん。わしが商人になってからも国内で出回ったのは聞いたことがない」


 次の日。僕の姿はベルナール商会、ジャルナールの処務室にあった。

 朝食を終えた後に、昨日倒した『コロン』と言う魔獣のことについて改めてローラルとシムシスに問いかけてみたのだが、双方共に聞いたことも無いという答えが返って来た。

 念には念を入れてアンネ達娼婦全員にも尋ねて見たが、やはり誰一人として耳にしたことがある者は居なかった。


 一体こいつは何だったのだろう。

 そう思いながら何となしに【透魂の瞳マナ・レイシス】で確かめてみれば、そこには『ウーツ鋼』と言う表示が浮かび上がってきた。その名前には心当たりがあった僕は、もしやと思いこうしてジャルナールの元に足を運んだと言う訳だ。


 そしていざ【僕だけの宝物箱カラーレス・ジュエルス】から取り出した魔獣の骸を目にしたジャルナールは、一度処務室から出て行くと、透明の球体を手に戻って来た。

 聞けば金属の種類を判断する魔道具で、金属に近づけると無色が様々な色に染まると言う。その色によってどんな金属かを判断出来ると言うものらしかった。


 その球体を魔獣の骸に近付け、球体に宿った色を見たジャルナールから漏れ出た言葉が先程のものになる。


 ウーツ鋼。またの名をダマスカス鋼。

 非常に頑丈でありながらもしなやかな性質を持っており、また魔力をよく通す為に戦士や魔術士を問わず入手することを望むものが多い。劣化現象が著しく低い為、魔道具や高級建築物、その他様々な用途で使用されることもある。

 また加工した際には美しい光沢を見せることから、王侯貴族に人気が高い金属でもある。


 ただその生産量は非常に低く、入手が困難なことがあり中々手にすることは叶わない。アーレイ王国では生産は愚か採掘も不可能で、完全に他国からの輸入でのみ入手が可能となっている。

 端的に言えば、凄まじく希少で、とんでもない価値を持つ金属、それがウーツ鋼と言うものだ。


 それが直径四メートル程の球体で目の前にあるのだ。自他共に認める豪商であるジャルナールでも、驚きに値するものだったようだ。


「……」


 ジャルナールの背とウーツ鋼の塊を見つめつつ、ふと昔を振り返った。

 僕は嘗て、王城の宝物庫でウーツ鋼で作られた全身鎧を見たことがある。だが、自分には縁遠いものと確信していたし、殊更に貴重なものと言う思いを抱いていなかった。

 父上から「無いよりマシ程度の装備だな。まぁ褒美にするくらいしか価値の無いものよ。少し力を入れて殴れば壊れる、戦いに於いて動きづらくなるだけだ」と教えられていたこともあるし、お祖父様が若い頃に槍で破壊したことがあると口にしていたことも、僕に価値を認めさせなかった理由でもある。


 だが改めて考えてみれば、希少も希少な金属。それが直径四メートル程の球体でこんなところに無造作に転がされている光景は、ちょっと違和感があった。本来であれば王城の宝物庫に保管されていてもおかしくない代物なのだから。


 それを理解してはいるのだが、僕の頭にあるのは、僕が全力で殴ってもこいつを破壊出来なかったのは、果たして身体がウーツ鋼で出来ていたからなのか、それともウーツ鋼を外殻に魔獣として存在していたからなのか、と言うことだけだった。

 幼い頃は無論、今となっては殊更に、父上やお祖父様がこれを破壊出来ると言うことに疑問を覚えることは無いが、今の僕が純粋なウーツ鋼を破壊することが可能か否か、気にはなってしまう。


 まぁジャルナールの元に持って来て、且つ希少価値があると判明した以上試すつもりは無かった。この形状のままだからこその付加価値もあるだろうし、どうしても確かめたければまた四十一階層に潜れば良いだけの話なのだから。


 僕は拡大鏡ルーペでまじまじとウーツ鋼を検分し続けるジャルナールの背中に声をかけた。


「要る? 全部あげるけど」

「有難いの。これだけあれば売値は完全に時価、どれだけ価格が跳ね上がるか想像もつかん」

「へぇ。じゃあ久しぶりに大商おおあきないだな。頑張ってくれ」

「ああ、各所に自慢して売り上げてくるわい」


 それなら良かった、と僕は微笑んだ。

 ジャルナールには本当に苦労を掛けているし、かなりの金を使わせている。これで僅かでも報いてやることが出来たなら、僕としては素直に喜ばしいことだ。


「まぁ無代ただで渡すよ。今後も色々頼むだろうしな」

「なんの。お主のところはよく素材を入れてくれるでな。頻度が多く質もよいからの、優良の商品として出回らせられるわい」

「それを聞けば皆も喜ぶさ。ああ、今回の探索で結構な魔獣の素材も手に入れたから、後で持って行っとくよ。出現ドロップもあったし、一つくらいは良質のものもあるだろう」

「それを見れば引き取り場の者が喜ぶの」


 そんなやりとりに、二人して笑う。


「そうだ、出来れば今度魔石仕入れておいてくれよ」

「それであれば入っておるぞ。少し仕入れが悪く金貨五万枚程度じゃがな。帰る際にでも全て持って行くといい。商会の者には伝えておるでな」

「助かる。金貨五万枚の価値を程度って言って良いのか分からないけどな」


 そう言って苦笑した時だ、頭の中に響く声があった。


『カインや。今は大丈夫か?』

『お祖父様?』


 唐突にお祖父様から飛んできた思念に、僕はジャルナールに『以心伝心メタス・ヴォイ』を指差してから窓辺へと移動した。


『如何なされましたか?』

『なに、様子はどうかと思っての』

『少々手強い敵と対しましたが、それ以外は特に問題ありません』

『ん? 何があった?』

『実はですね』


 僕は昨日のことを、そうなるに至った経緯から最後まで余すところ無く説明した。

 すると、お祖父様から気遣いの言葉が送られてきた。


『怪我は無いんじゃな?』

『ええ。ご心配をお掛けしました。しかしお陰でよいものが手に入りまして、今ジャルナールと二人でその件について話しておりました』

『ほう、どんなものじゃ?』

『直径四メートル程の球体状をしたウーツ鋼です。魔窟ダンジョンの四十一階層で魔獣を倒した際に手に入りました』

『なんとっ。それは今どこに?』

『ジャルナールに全て譲りました。ご入り用でしたか?』

『滅多に出回るものでは無いでな』

『でしたらジャルナールに言うておきます。お祖父様がこちらに到着した際にでも宿へ向かわせます』

『ああ、頼む。ところでカインや、まだ到着まで日数はあるが、その際に連盟拠点の方へ馬車を回しても大丈夫かの?』


 え、という気持ちが湧いた。お祖父様、ひいてはザルード公爵家軍はサガラを滅ぼした張本人だ。

 今回お祖父様と随行しているのはザルード公爵家の直属兵。それが『ミミリラの猫耳キューティー・キャットイヤー』の連盟拠点に足を踏み入れる意味はお祖父様も重々承知の筈。それなのにこんなことを言葉にするだなんて。

 いやまぁ、サガラの一部は既にザルード公爵家の本拠である城塞都市ポルポーラに足を運んでいるし、直属兵と顔を合わせるどころか食事すら共にしているので今更ではある。その際にもこれといった嫌悪感を見せている様子は無かった。


 それを省みれば問題ないと思うが、一応理由は聞いておこう。


『それは大丈夫ですが、何か御用でしたか?』

『ああ。大発生スタンピードを鎮静に導いた一件の褒美を持って来ておるのよ。それを渡そうかと思うてな』


 ああなるほど、と納得した。そう言うことなら何の問題もない。

 多少顔を合わせる時間こそあれど、事情が事情だ、皆も納得するだろう。


『それでしたら何も問題はないかと。感謝致します』

『うむ――時に、カインよ。その際にわしも連盟拠点に足を運んでも構わんか?』


 僕は一瞬、言葉を噤んでしまった。

 それは、お互いに差し障りがあるのでは無いだろうかと。


 褒美の為に公爵家の直属兵が足を運ぶこと、お祖父様が連盟拠点に足を踏み入れること、二つの意味は全く違う。


 サガラにとってお祖父様は正真正銘、里の、家族の、仲間の仇だ。


『ふむ。やはり不味いか』

『あ、いえ』


 僕が言葉を詰まらせたのが分かったのだろう、お祖父様は難しそうな声を出した。

 どう答えたら良いものか。そう思いながら、当たり障りの無い返答を送る。


『私個人としては特に。ただ不味いと言いますか、互いにどう感じるかと思いまして』

『うむ。お主の言いたいことは良く分かる。だがの、だからこそ、わしは一度お主が守っておる、お主を支えておる者達と顔を合わせてみたいのよ』

『お祖父様……』


 これは決して悪い意味ではない、そう思った。

 それに、現実的な話をすれば今後は否が応でも『ミミリラの猫耳』とザルード公爵家は関係を持つことになる。その点を踏まえれば、ある意味良い切っ掛けでもある。

 両者の間にあるものが今回で完全に払拭するとは思わない。けれど、今回の機会を逃せばいつまでもわだかまりを残したままになってしまうだろう。


 逡巡の後、僕は決断した


『でしたら是非お越し下さい。あの者達にも伝えておきます』

『うむ。助かるぞ。では近くなればまた連絡するでな』

『はい。どうかご無事にお越し下さい』

『ははは、お主では無いが移動するだけは退屈じゃからの。野盗の千も襲って来て欲しいものよ』


 快活に笑う声が届くのを、僕は慣れたもので微笑んでいた。

 襲って来る方が可哀想だ。


『それでは、また後日』

『うむ。あまり無理をするな』

『畏まりました』


 そうして、お祖父様との会話は終わった。

 僕が息を吐いて振り返ると、ジャルナールが心配そうに声をかけてきた。


「どうしたのだ?」

「ああ、お祖父様がな。ウーツ鋼を少し融通して欲しいと」

「なんと」

「こちらに来られた際に足を運んでくれるか」

「無論じゃて」

「後はまぁ、お祖父様直々に連盟拠点へ足を運んでよいかと相談をな」

「それはなんとまぁ」


 サガラを滅ぼした張本人がお祖父様であることを僕に教えたのはジャルナールだ。僕以上に当時の経緯や状況を知っている。むしろその驚きは僕以上のものがあるかも知れない。


「それで、どうすると?」

「お越し頂くことになったさ」

「ほう……」


 興味深いようで気遣っている、何とも言えぬ表情で、ジャルナールは顎を撫でた。

 僕は微妙な空気を払拭する為に、敢えて軽い口調で言った。


「それと、先日の大発生に於ける褒美だな。正直少し楽しみだ」

「あれだけの天災を救った後の公爵家からの褒美。期待するなと言う方が無理じゃな」

「だよな」


 ジャルナールも分かったもので、軽い口調で合わせてくれる。

 お祖父様が連盟拠点に足を踏み入れることを認めたのは僕。ならば、その判断にこれ以上触れる必要は無いと、そう思ってくれたのだろう。


 二人して互いの茶番じみたやりとりに微笑んでいる最中、ふと頭に浮かぶものがあった。


「なぁジャルナール。これってどこで売るんだ?」

「王都のオークションじゃな。単品か量り売りになるかはその場次第になるであろうな」

「その時って、入手先と場所は言うのか?」


 僕が小首をかしげると、考えこんだジャルナールは僕と同様に首をかしげ口を開いた。その口辺には、若干の笑みが浮かんでいる。


「どちらがよいかの?」

「正直どっちでも良いけど、まぁたどり着く先は一つしか無いよな」

「然り。わしが何を言わずとも、結果は変わらぬだろう」


 ジャルナールが顎を撫でる。


「わしと連盟『ミミリラの猫耳』、そしてジャスパーと言う冒険者との密な関係は知るところは知る。そしてこのように巨大な希少金属の塊を手に入れることが出来る冒険者なぞ知れておる。ではその希少金属自体はどこで手に入れたのか、となるとな。

 何にせよ、この都市には様々な人が押し寄せて来るであろう。むしろ隠せば隠す程に逆効果であろうな。人は秘められたものを知ろうとする生き物であるが故に」

「だよな」


 僕はつい笑ってしまった。


「だったら大々的に言ってやろうか。ジャスパーが暇潰しで潜った魔窟で手に入れたってな」


 この巨大なウーツ鋼にどれだけの値が付くかは分からない。が、貴族のみならず、戦士に魔術士に、豪商に高級武具を作る職人ですら欲するだろうことは予想出来る。


 そんなものを城塞都市ガーランド保有の魔窟から入手したとあらば、各地から多数の探索者アバドナが集まってくるだろう。魔窟から様々な素材や物質出現アイテムドロップの品を集める探索者は、それらを収集する能力の高さから多くの伝手を持っている。

 逆に言えば、希少なものがあれば伝手から入手の依頼が入ることもあるし、それ以外にも純粋に探索者としての好奇心から魔窟攻略をしてみようとする人も出てくるだろう。


 元々城塞都市ガーランドは物の流れが活発なことで発展している面が大きい。

 そこに大量の探索者が流れてくれば、機を見るに敏な商人達も集まってくる。そうなれば、傘下連盟の一つ『リリアーノ』の連盟長であるネイルと連盟副長キースのように、この都市を活動拠点に移そうとする冒険者だって居るかも知れない。

 今以上に物の流れは活発になり、都市に金が流れる。

 度が過ぎれば話も変わるが、基本的に人が集まることは都市にとっての得となる。


 まぁ、もし本当にそんな事態に発展すれば斡旋所、あるいはこの都市の代官から「どうしてそんな物を手にしていたことを知らせてくれなかったのか」、なんてことを一言二言言われるかも知れないが構わないだろう。

 ジャルナールがオークションでウーツ鋼を売買する際には入手場所の詳細は知らせないだろうし、もし斡旋所が不審に思い言及してこようとも、公式記録を超える階層に到達したことの報告義務は無い。

 貴重な金属が取れたことに関しても、国の害に発展しない情報をどう扱うかは冒険者や連盟の自由。とやかく言われる筋合いは無い。


「よし任せよ。王都では皆が羨む程に自慢してきてやるでな」

「任せたよ」

「うむ」


 それから情報交換や打ち合わせを済ませた後、僕は店の魔石を片っ端から受け取ってベルナール商会を後にした。

 連盟拠点へと帰る道すがら、寄り添うミミリラが腕に絡めてくる尻尾が気持ちよく、また心地よかった。この尻尾も、僕が望んだ日から随分と伸びた。滑らかでありながらも豊かな毛を生やすそれは、自身の為にこそ成長を遂げたのだと思えば、どこか充実した気持ちになる。


 そんなミミリラ、そして他の六人に僕は問いかけた。


「お前達はどうなんだ、実際」

「私はむしろ感謝している」


 何を、とは聞かない。そんなことを口にせずとも、僕が何を言いたいかを彼女達はきちんと理解しているから。

 ミミリラが即答すると、他の六人もまた逡巡することなく頷きを返してきた。それと併せて伝わって来た彼女達の思いとその内容に、僕は苦笑した。


 里が滅ぼされたことで僕に出会えた。だからお祖父様には感謝していると。

 彼女達の心ははっきりそう伝えてきていた。


 人によって判断が変わるであろう彼女達の答えも、本音と分かるからこそ有り難みを感じる。

 それはお祖父様に対して恨み辛みが無いこともそうだが、何より自分に全てを捧げているからこそ至った答えであることに対する感慨だった。


 嘗ての自分を振り返り、今の自分を鑑みる。

 人に支えられることに感謝と安堵を覚える今の僕は、果たして成長したのか、それとも脆弱になったのか。答えは分からない。分からないけれど、悪い気持ちでは無い、それだけは確かだった。

 嘗ての自分が居たからこそ、今の自分が在る、今の自分に満足を覚えている。

 で、あれば。僕が歩んできた道は間違いでは無く、今の自分は正しいのだと断言出来る。故に、これもまた良し。


 僕は連盟拠点に住まう皆を思い、ぽつり、呟いた。


「皆はどう思うかな」

「私達と変わらないと思う」

「そうか」

「そう」



 ※



 その日の夜。晩食を終わらせた僕はパーティーホールに娼婦以外の全員を集めた。ローラルとシムシス、この二組に関してはもうこの屋敷に移り住んでいる

 僕は皆の視線を受けながら、上階に繋がる階段とフロアーの間にある一部高くなった壇上に立っていた。


 一体何の話があるのだろうかと言った顔を見せる皆に、僕は口を開いた。


「単刀直入に言う。もう暫く先の話になるが、こちらに先代のザルード公爵閣下がお越しになられる」


 この場に僅かな揺らぎが広がった。

 ローラルとシムシス達は純粋に、元とは言え最上位の貴族が来ることへの驚きだ。

 ただサガラの面々は違ったもので、僅かに目を見開いた者と表情すら変えない者の二通りだった。本来であれば、前者の二組以上に驚愕や動揺を見せてもいい筈なのに。


 僕は皆の反応に触れることなく、言葉を続ける。


「先代の公爵閣下は俺が守るサガラ、そして俺を支えるサガラを一度目にしたいと仰っている。俺はもう了承した。だがサガラの皆は思うところがあるだろう。責めることはしない。先代の公爵閣下がここに足を運ばれることを否と思う奴は居るか? 居たら手を挙げてくれ。俺は決して責めんと約束する」


 僕がサガラ全員の顔に視線を巡らせるも、彼ら、彼女らはお互いの顔を見合わせることもなく僕を見ている。周囲の反応を確かめていない。そこには同調と言うものは一切存在していない。

 結局誰も手を挙げないままに、静謐さだけが場を支配する。


 僕は首をかしげ、手前の方に座るニールに声を掛けた。


「ニール、誰も手を挙げていないんだが、お前はどうしてだ?」

「はっ」


 聞くと、ニールから笑いが漏れた。

 まるで愚問だと言わんばかりの、そんな笑みだった。


「そりゃ来て欲しくないと思う理由が無いからな。来て欲しいと思う理由もまた無いと言えば無いが、それは単純に今までお会いしたことが無いからだ」

「恨みは無いのか?」

「無いな」


 返事は即答だった。そこに一切の躊躇いは無かった。

 ニールは表情を僅かも変えることなく、言葉を続けた。


「もちろん昔はあった。この国が憎くて憎くて仕方なかった。ザルードという名を思い出すだけで反吐が出る程だった。何度この手で復讐しようと考えたか分からねぇ。

 お前から正体を教えて貰った時だって、正直に言えば複雑だった。仲間を守る為とは言え、どうしても燻るものはあったさ」


 そりゃそうだろう。ニールの言葉は至って道理だ。

 よくも下に着くことを認めたものだと、あの時は心底思ったものだ。


「族長の決定。里の仲間の命。それが有ったからこそ従った。だがまぁ、だ」


 ニールはそこで大きく息を吐いた。


「色々あるんだがな。一番分かり易いのは、先代の公爵閣下が里を滅ぼしたからこそ、こうしてお前さんに出会えた。最高の場所で、毎日楽しく暮らせてる。俺だけじゃない、皆がだ」


 ちら、とニールがミミリラに視線を送った。


「族長達を見てれば分かる。族長達はもう里や仲間がどうのより、お前を選んでる。俺達が全員死ぬ羽目になっても、族長達はお前一人を選ぶだろうな。だが俺はそれを責める気は無い。いざその時を迎えたって、責めようと言う感情すら無いだろうさ」


 またニールは大きく息を吐いた。

 軽く首を振り、顔を上げ言葉を続ける。


「里は大事さ。仲間も大事。当然だ。俺達は仲間を第一に考える種族であり里の一族。里が滅んで嘆いた。世界へ還元していく家族を見るたびに絶望したし、枯れるくらいに何度も何度も涙を流した。

 逃げ回るしか出来ない先行きの無い日々に、惨めさを感じながら震えるしか出来なかった。里の家族を、仲間を見捨ててまで生き延びた自分の存在価値を疑うようにすらなった。どうして、何の為に生きているのか自問自答の毎日だった」


 淡々と語るニールの視線は僕に向いている。

 しかし、その瞳が見ているのは僕では無いということは分かった。彼が見ているのは嘗ての自分達そのものだろう。


 ニールは一度目を瞑り、幾度目かになる息を吐くと、再び視線を向けてきた。


「そんな中、自分や自分の家族、仲間を守ってくれる、全員に安堵の地と安寧の日々を与えてくれる人が現れた……それがお前さ。だから族長達の選択に全く不満はねぇんだ。むしろ理解出来る」


 ニールはテーブルにあった果実水を一口飲んだ。


「女衆はお前さんに抱かれているから余計にそうだろうが、俺達男衆だって同じだ。もちろん一族は大事。だが一族よりもここに居る全員がお前を選ぶだろう。それだけのもんをお前はくれた。まぁ、お前さんには分からんだろうがな」


 ニールが笑うと、周囲に笑いが広がった。

 だよな、そうだなぁ、そうね。そんな感じの空気を醸しながらの笑みには、自分達がおかしいんだろうと思っているような、不思議なものが含まれているように見えた。


「臭い台詞だってのは重々承知だ。だがそれ以外に言いようがない。だからもう、里が滅ぼされたとか家族が殺されたとかは重要じゃないんだ。辛いことはあった。今はそれ以上大事なもんに出会えた。だから公爵閣下を恨むなんて無いのさ」


 ニールがまた果実水を一口飲み、一拍を置いて言葉を続ける。


「むしろ最近だ。先の王太子殿下が公爵家の名前を受け継いだのを見て、感謝せにゃならんとすら思うようになった」

「へぇ?」

「だってそうだろ? 先代のザルード公爵閣下が居たからこそ、王妃陛下はお生まれになった。王妃陛下を大切に育まれたからこそ、王太子殿下はお生まれになった。無能と蔑まされた王太子殿下を、それでも大事にして下さっていたからこそ、俺達はジャスパーと言う冒険者に出会うことが出来た。

 全ては先代のザルード公爵閣下が居たからこそ、俺達はお前に出会えた。だからまぁ、そう言うことさ」


 僕には何が正しく何が間違っているのかを判断することは出来ない。

 僕とサガラでは生まれも育ちも、辿って来た道も違う。何を思い、何を感じ、何を背負ってきたか。サガラが僕を理解出来ぬように、僕もまたサガラを理解することは出来ない。

 ただ、嘗て憎悪に心身を満たした彼ら、彼女らが、今この瞬間に幸福を覚えるのであれば、それがサガラにとっての正しき答えなのだろう。


 僕が今日、自身に感じたことと同じ。過去の自分があるからこそ、今の自分がある。僕が今の自分を正しいと断言出来るように、彼ら、彼女らにとって今この瞬間こそが正しいと断言出来るのだろう。

 ミミリラを見る。想いが伝わってくる。他の六人からもだ。

 私達が申した通りでしょう、そんな感じだ。今日、この七人が僕に告げた言葉がそのままに今、僕の目の前にある。


 ならばこれもまた、良し。

 僕は素直にそれを喜ぼうではないか。


 一度目を瞑り、そのまま指を振って、変化を解いた。

 瞼を上げた先に広がるのは、膝を着いた面々の姿だ。その光景を見下ろしながら僕は――私は、パーティーホールを埋め尽くさんばかりに、声高らかに、カー=マインの言葉を響かせた。


「ならば良し! これより幾日後、先代がここに足を運ぶ。皆の者は決して無礼無きよう心得よ!」

『はっ』

「そしてこれより先も身命を賭して私、カー=マインに仕えるがよい!」

『はっ!』

「お言葉、確かに我らサガラ一同賜りました。どうぞ我らの忠誠をお受け取り下さいませ」


 ミミリラが代表して口を開く。私は鷹揚に頷き、今日一番の声を轟かせた。


「汝らの忠誠確かに受け取った!! 励め!!」

『はっ!』


 ただただ私に頭を垂れるミミリラ達サガラ一族の姿。

 それを見渡しながら、私は永劫こいつらを守り続けようと――他の誰でも無い、自身の魂に誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る