第124話 四十一階層の脅威

 そして到着した四十一階層、そこに広がる広間は、どこか今までよりも明るい岩肌を見せていた。所謂赤土と呼ばれるそれに近い色合いだ。

 そんな色合いが壁一面に広がっている光景は、今までとの対比もあって若干の不気味さすら生み出している。


 だが、重要なのはそこでは無い。明らかに空気が変わった。

 三十一階層に足を踏み入れた瞬間にも空気が重たくなる感覚があったが、それとは比べ物にならないほどの圧迫感、重圧感。そう言ったものが周囲から大衆の視線が如くに襲いかかって来ている。


 はっきりと理解出来た。

 この階層には、これまでとは比べ物にならない程の魔獣達が潜んでいる。


 僕は敢えて冗談っぽくその気持ちを言葉にした。


「ニール。命からがら帰って来た、って言うのは本当かも知れないな」

「ああ。本能かな。勝手に身体が警戒しちまってる。見ろよ、全員耳と尾っぽが逆立ってるぞ」


 振り返れば、確かに全員が落ち着きを失っている。サガラの面々なんて、原種化して耳を激しく動かしている者まで居る。獣人種が見せる、最大級の警戒態勢だ。

 際立っているのが、今回の参加員の中で最も魂位レベルが低いローラル達吸血属とシムシスが連れた集合体員パーティーメンバーだ。完全に竦み、自らの身体を抱きしめ怯えを見せている。  

 今回はサガラの経験値稼ぎレベリングが主目的なのでこいつらは予定に入っていなかったが、そうも言っていられない様子だ。


「ニール、ちょっと後ろの二組を上げる」

「ああ、分かった」

「後、全員に支援魔術バフと障壁を張っておく。少しはマシになるだろう」

「助かるぜ」


 僕はすぐさま全員の身体を【五色の部屋サン・ク・ルーム】で包み込んだ。【母の手ラ・メール】を掛けて精神的な苦痛を取り除くと共に、精神耐性と魔術耐性を高める【内殻上昇シェリー】、そして魂を防御する【王太子の儀礼服ティーゲル・ドーファン】も掛けておく。

 これで精神的な圧迫感からは開放される筈だ。


 皆の様子を確かめれば、全員がその表情を和らげていた。ローラル達吸血属やシムシスの集合体員が大きく息を吐いているところを見るに、余程に辛かったのだろう。


 これは、あまり宜しい状況では無いな。


「『その瞳は全てを映し出す』――【万視の瞳マナ・リード】」


 普段なら魔術言語カラー・スペリアンなんて用いない【万視の瞳】、しかし今回は改めて【言霊モ・ア】の力を足して使用することにした。

 実は三十一階層からそうだったのだが、どうにも【万視の瞳】が魔窟の構造や魔獣の姿を映し出す速度が遅くなっているのだ。

 最初こそ気のせいかと思っていたのだが、三十二階層、三十三階層に下りていくにつれ、それは錯覚などでは無いと気付かされた。ここ四十一階層に下りてからもすぐに展開していたのだが、ニールとの会話が終わっても完全には読み取れていなかった。


 だからこそ改めて魔術言語を用いて発動させたのだが、それでも先程より多少マシになった程度で、今も完全には【万視の瞳】がこの階層の全てを読み切れていない。

 ここに至り、僕は認識を改めることにした。この魔窟の本当の姿は、紛れもなく四十一階層からなのだと。


「ニール、例の非公式記録の冒険者達は、四十一階層からの最高危険度段階は何て言ってたんだ?」

「いや、それが本人達も分からねぇって口にしてたらしい。それもあって余計に信ぴょう性が無いって判断されたんだろうな」

「分からない、か。そいつらの言葉が真実と仮定すれば、そう言うことなんだろうな」

「だな」


 十一階層から二十階層までの最高危険度段階は3の上。

 二十一階層から三十階層までの最高危険度段階は4の上。

 三十一階層から四十階層までの最高危険度段階は5の中。


 例の冒険者達が本当にこの階層まで下りることが可能であったのなら、相当の実力を持っていたと予想出来る。周囲からの評価が最低とされながらも、斡旋所が高い実力等級値を認めていたのだから、強さに関しては本物だったと考えられる。


 そんな彼ら、彼女らが「魔獣の強さの判断が出来なかった」と言うのであれば、また昨夜ニールが言っていたように、「命からがら帰って来た」と言うのであれば、少なくともこの階層から現れる魔獣の強さは危険度第5段階の上よりも上になるだろう。

 これまで十階層ごとに上がっていった危険度段階の上昇率も鑑みれば、現れる魔獣の最高は――危険度第5段階の特殊個体は居ないと仮定して――危険度第6段階の下、中と見るのが順当だろう。

 同時に、それは例の冒険者達が見たことも無かった、未知の魔獣が存在していることを意味する。

 既知の魔獣にはその全てに危険度段階が振られているし、斡旋所が発行する魔獣図鑑に載っている。彼ら、彼女らが逃げ帰る理由となった魔獣が既存のものであったのならば、危険度段階が分からなかった、なんて口にする筈も無い。


 もしかすると、これは経験値稼ぎどころの話では無くなってきたかも知れない。場合によってはこの階層で終了も考慮しておいた方が良いだろう。


【万視の瞳】が完全にこの階層の全てを読み終わるのを待ってから、僕達は徒歩で進むことにした。

 初めての階層の状況、また実際にどんな魔獣が現れるのかを直接目にしておこうと思ったのだ。直接相対することによって、この後どうするかを決めるつもりだった。

 もしも一体一体の力が本当に危険度第6段階に匹敵するのであれば、これまで通りの経験値稼ぎが通用しない可能性がある。呼吸の有無は別として、毒を体内に取り込んでもすぐに分解、還元してしまう特性を持っていることだって否定は出来ない。

 危険度第6段階の魔獣とは、それだけの脅威と力を持った存在なのだ。

 違う魔術を用いての方法もあるが、それが通用するかどうかも分からない。故に、その判断を含めての確認だ。


 最初の獲物として足を向けたのは、都合よく一体だけで存在している魔獣だった。

 はぐれているのか、あるいは元々そうだったのかは知らない。ただ、確かめる相手としては丁度良かった。


「……」


 数分程歩いて向かった先に居たそいつは、直径四メートル程の黒い球体だった。

 その中央には大きな一つ目が付いており、中は全て赤く染まっている。一応その瞳はこちらを向いているが、果たして僕達の姿を視認出来ているのか定かでは無い。


 結構な距離を取って立ち止まり、暫く様子を見ていたのだが、魔獣は一向に動く気配を見せようとはしなかった。

 それでも、僕の【危機感知ラップス・センス】が目の前の魔獣の危険を強く訴えかけている。単独の脅威としては、僕がこれまで出会ったどの魔獣よりも遥かに強い感知反応だった。


 攻撃される前に倒した方が良い。

 半ば反射的にそう感じた僕は、奴の真上の天井の土に魔力を流し凝縮させ、更に【性質硬化マナ・キューリング】で強度を増した柱を生み出し、一気に魔獣目掛けて叩きつけた。


 一切の加減無しに作り出し発動させた魔術だ、大抵の生物であればこれで確実に押し潰される筈だ。


「――」


 なのに、僕が殺す気で放った魔術は地面を凹ませただけで、魔獣本体には一切のダメージを与えたようには見えなかった。


 そこで、ようやく魔獣が反応を見せた。

 そいつは押し潰されたままに身体を回転させ天井に瞳を向けるや、更に大きくそれを開いた。球体の半分が瞳と化したその部分は先程よりも更に赤みを帯び、まるで火そのもののように真っ赤に染まっている。


 次の瞬間、その瞳から火が吹き出した。僕が生み出した柱はあっという間にその火に飲み込まれ、その姿を火柱と化していった。

 火が消えた後には何も残っておらず、天井が黒く染まり、小さな光を幾つも放っていた。あれに直撃すれば、人なんて一瞬で燃え尽きてしまうだろう。


 魔獣が再び身体を回転させ、その瞳をこちらに向けてくる。

 開かれた瞳が完全にこちらを向く前に、僕はその場から跳んだ。掛けられる支援魔術は全て発動しており、踏み出す瞬間に【優激の風ブリーズ・カース】で足の裏を爆発させ、その背中を【励ましの風ブリーズ・メント】で後押しする。更に風属性魔術士筆頭バルド子爵から学んだ、物体を加速させる風属性の魔術で速度を増している。


 現時点で僕が出せる最高速で魔獣に飛び込み、全力で拳を叩き込んだ。


「っ――」


 今までに経験したことが無い衝撃が拳から腕、肩に伝わってくる。

 これまで相対した魔獣の全てを打ち抜いてきた一撃に反動なんて無かった。なのに、今は自分が放った衝撃が丸ごと返ってきている。

 痛みすら感じる重みに、破壊出来ていないのが感覚で理解出来た。


 僕の一撃を受けた魔獣は甲高い音を魔窟内に轟かせながら一瞬でその姿を消し、向こうにある魔窟の壁へとその身をめり込ませた。

 しかし、【視力上昇サップ】で強化された僕の目にも、立体表示に映し出される魔獣の姿にも、傷一つ見つけることは叶わなかった。


「……冗談だろ」


 自分で言うのも自画自賛になるが、僕の全力の拳を受けて無事な奴なんて居なかった。これまでそんな相手と相対したことが無いだけに、僕を襲う精神的な衝撃はかなりのものがあった。


 しかし、そんな驚愕に戸惑う暇は無かった。

 魔獣は勢いよく身体を回転させ壁から抜け出すと、その瞳をこちらへ向けてきた。その赤色に【危機感知】が最大級の危険を知らせると同時、僕は【間の間マナ・リル】で皆の前に転移し、叫んだ。


「【僕だけの部屋カラーレス・ルーム】!!」


 本来であれば魔術名カラー・レイズなんて言葉にする必要の無いそれ。僕が最初に作った最強の障壁を、全員が覆うように発動させた。

 瞬間、視界の全てが真っ赤に染まった。凡ゆるものを消しさらんとする業火が、完全に僕達を飲み込んでしまった。

 どれだけそんな時間が続いたか。ようやく戻ってきた景色は、先程までとは全く違うものへと変貌していた。魔獣からこちらに向かって通路の壁が真っ黒に染まり、幾数もの小さな煌めきを放っている。


「嘘だろ……」


 後ろから誰かの声が聞こえてくる。全くの同意だった。

 こんな馬鹿な攻撃、あってたまるものか。


「皆動くなよ。強い火は風を飲み込む。外は吸える空気が無いぞ」


 この階層に至るまでに、僕が経験値稼ぎに用いた方法だ。いや、僕が為した方法よりもこちらの方が圧倒的に危険な状況を生み出している。

 黒色に染まり、小さな光を放つ魔窟の壁はかなりの高温を持っている筈だ。障壁の外に出た瞬間、毒を吸い込む以前に、肌を焼く熱で瞬く間に生命力が奪われてしまうだろう。

 今は【僕だけの部屋】の中なので問題は無いが、これを解除すれば下手をしなくとも僕の集合体以外は全滅だ。火属性に弱いシムシス達なんて一瞬で世界へ還元してしまうだろう――いや、【五色の部屋】があることだし、そうでも無いか。


 何にせよ、現状が危険なことに変わりは無い。


「ジャスパー」


 近付いてきたミミリラがそっと腕に触れてくる。

 言葉は無くとも心で伝わってくる。どうするのか、と。


 実際問題、どうすれば良いか。あの魔獣の強さを見るに、これまで通りの経験値稼ぎは不可能だ。恐らくあの球体の魔獣は呼吸を必要とする個体では無いだろう。

 仮にあんな奴ばかりでは無いとしても、あれに準ずる強さを持つ魔獣がこの階層に溢れているのであれば、他の魔術を用いても厳しいものがある。


 いや本当どうしたものか。

 僕の全力の攻撃が効かない以上、例え僕に準ずる力を持ったミミリラや、ずば抜けた物理攻撃を持つピピリでも無理だろう。

 火を吐いてくるのだから、シムシスの脅威的な技能だって一瞬で消し炭になってしまう。そして傷が付けられない以上、ローラルの種を植え付けることだって不可能だ。

 そもそも植えたとしても種が枯れてしまいそうだし、あの魔獣に血が通っているようには見えない。


「後ろの皆に怪我は無いか?」

「うん。驚いてるけど大丈夫」

「そうか」


 僕は動きを止めている魔獣を見据えた。

 どう言った理由からか、瞳の赤色はくすんでいるように見える。もしかすれば一度大きな火を吹き出せば、次の攻撃までに時間が必要になるのかも知れない。もしそうなら今の内に攻撃すべきだろう。


「コロン……?」


 試しに【透魂の瞳マナ・レイシス】で魔獣の個体情報を見てみれば、個体名にはそんな文字が表示されていた。

 僕はこんな魔獣、見たことも無ければ聞いたこともない。

 僕の浅学からくる無知かとミミリラに心の中で問いかけてみれば、彼女もまた知らないと言う。彼女が知らないと言うことは、サガラの誰も知らないだろう。ローラルやシムシスなら知見があるかも知れないが、確認は後だ。


 今問題なのは、この魔獣の魂位が3000を優に越していることだ。

 頑強等級値も、信じられないことに7-2もある。なるほど、これなら僕の直接攻撃が僅かのダメージも与えられない理由に納得がいく。

 全く以て、洒落にならない。能力等級値が7に至る生物なんて、これが人生初めての邂逅だ――まぁ父上やお祖父様は至っているのだろうけれど、個体情報を見たことが無いので対象外だ――。


 僕達を見ている筈の魔獣は、一向に動きを見せる様子は無かった。

 まだ瞳の色が戻っていないこともあるし、攻撃の準備が整っていないのか。それとも僕達の様子を伺っているのか。

 いや、違う。【僕だけの部屋】は内側に居る人が発する音や気配、魔力の感知を不可能にする。外からは姿を視認することが不可能なので、単純に見失っているだけかも知れない。


 どうするか、と考える。攻撃するならまだ準備が整っていない今が好機だろう。

【僕だけの部屋】を展開した状態なら、一方的な攻撃が可能となる。直接攻撃が通用しなくとも、魔術で攻撃すれば良い。奴の頑強等級値は7-2だが、魔術耐性等級値は6-5しか無い。直接攻撃が効かなくとも、魔術での攻撃なら十分通用する。

 ならば、このまま姿を隠した状態で、遠距離から攻撃してしまえば良い。


 良いのだが――そうするつもりには、成れなかった。

 先程向けられた火の脅威を振り返り、現状を把握すればする程に、湧き上がるものがあった。


 どうして僕が――私が、この程度の雑魚に、逃げの一手にも等しい選択をしなければならぬのかと。


「――不愉快だな」


 火属性を得意とする偉大な父を持ち、水と火を司るザルード家当主の私に対し、火で以て脅威を感じさせるなど、不遜極まりない。故に、不愉快。故に、この路傍の石にはその愚かさを教えてやらねばならぬ。


 身体の形態、そして先の攻撃を考えるに、あの黒体の中身は火そのもので出来ていると想像は出来る。で、あれば。己の存在価値である火を真っ向から叩き潰し、自らがどれだけ矮小な存在かを知らしめてやるべきだろう。


 覇気を迸らせながら一歩を踏み出し――袖に感じた感触に足を止める。

 振り返れば、そこには私の腕から手を離したミミリラの姿があった。更に向こうを見れば、私が連れた配下達の姿があった。


「――」


 頭が冷えた。視界が晴れた気がして小さく息を吐き、軽く頭を振った。

 そうだった。今はそんなことをしている場合じゃなかった。僕が今為すべきは、己の矜持の為に戦いに赴くことでは無かった。

 不安気に表情を染める彼ら、彼女らに微笑むと、僕はいつもするように、小首をかしげた。それに何を感じたか、僕を見る皆の顔に若干の安堵が浮かび上がった。


 「やれやれ」


 改めて深呼吸をすると、ミミリラの耳をくすぐってやった。気持ちよさそうに目を閉じる彼女に感謝の念を送ると、再び魔獣へと視線を戻した。

 そこには、瞳の色を取り戻しつつある球体の姿がある。


「さて、さて」


 僕は戦いなんて愚かなことを望んだ自分に反省しながら、気持ちを軽くに魔術を頭に想像した。

 ザルード公爵家の屋敷に居る際、新しく創造した魔術だ。個人的には会心の作と思っている。実際の効果を確かめる検証がてら、こいつにはそれを堪能して貰うことにしよう。


 想像する。魔獣の周囲に、直径五メートル程の【僕だけの王宮カラーレス・パレス】を展開する。これで、僕が許可しない凡ゆる魔力はそこから逃げ出すことは不可能となった。

 その中に進化させた【水激流アクア・フラッド】を放つ。勢い良く大量の水を生み出す魔術は、最早巨大な川の鉄砲水を超える水量をその内部に生み出していく。

 魔獣が内包する熱量は相当のものがあるのだろう。水は発すると同等の速度で蒸発していくが、しかし生み出された水蒸気すらも再び水へと変質させ、【僕だけの王宮】を水一色に染めていく。


 暫くの間、僕が生み出す水と魔獣の熱が互いを打ち消しあっていたが、その勝負の優勢は水に傾いていく。

 大量の精神力を惜しみなく注ぎ続ける僕の方が、魔獣の持つ精神力よりも遥かに上なのだ。真っ向からのせめぎ合いで僕が負ける道理はどこにも無かった。


 そしてとうとう蒸発は収まり、完全に水だけが存在する球体の中。しかし、僕はその勢いを止めることはしなかった。

 たった直径五メートル程の球体の中に、通常なら入りきらぬ水を生み出しながら右の手を伸ばす。開いた手の平を魔獣に向けて、圧力を増していく水と、それに押しつぶされていく魔獣の姿を想像する。

 水はその重みを十重二十重とえはたえと重ねていき、頑強第7等級を持つ魔獣の身体を逃れられぬ世界へと閉じ込めた。


 僕はそんな矛盾した水球の世界を見据えたままに、一気に手の平を握り締めた。


「【矛盾の水牢カラーレス・ラビュリントス】」


 僕の許し無くば出ることの叶わぬ【僕だけの王宮】の中に、数十、数百トンにも及ぶ水を生み出し、その重みと圧力で以て押しつぶす魔術、【矛盾の水牢】。

 通常なら入りきらぬ空間に大量の水を生み出すそれは、矛盾を可能とする金属性があるからこそ可能となる。

 ミミリラの【才知才覚】と【超感覚】を用いることでようやく想像と創造に至った、僕の新しい魔術だ。矛盾を同一にするには相当の苦労があったが、一度創造に至ってしまえば何てことは無い、ただの魔術だ。


 魔獣に対して使用するのはこれが初めてだったが、創造された魔術は確かな効果を発揮してくれた。

 大量の水が生み出す圧力によって潰された頑強な黒色球は、その身体に上部から中程まで伸びる大きな裂け目を作り完全に沈黙していた。

【透魂の瞳】や【万視の瞳】でその生死を確かめるも、完全な死に至っているのが分かった。


 自分の個体情報を見ると、生命力や精神力の最大値は増えていなかった。魂位が3000以上もあったのだ。本来なら一つくらいは上がっていてもおかしくは無いと思うのだが、やはり上昇している様子は無かった。

 その代わりに使用した精神力は凄まじいものがあり、身体を襲う倦怠感は強いものがあった。


 まだまだ習熟が足りないな、と反省しつつ、僕は振り返り共同体パーティーを組んでいた面々に向かって言う。


「ローラル、お前達の魂位がどうなってるか確認してくれ」

「ええ……分かったわ」


 すぐにローラル含め、吸血属の全員が中空に視線を向けて個体情報を確認し始める。間も無くして驚きの声を漏らした彼女達に首をかしげ、僕は問いかけた。


「どうだった?」

「えっと、軽く300以上、上昇しているわね」

「そうか、良かったな」


 ローラル達のような低い魂位を持つ者が、3000以上の魂位を持つ魔獣の経験値を得てたったの300程度か。ザルードに於ける大発生の時もそうだが、やはり大量に過ぎる経験値を得ても、その全ては吸収しきれないと言うことなのだろうか。

 検証出来ないのが少し、もどかしくも感じるな。


 僕は頷き、遠くに見える魔獣を【僕だけの宝物箱カラーレス・ジュエルス】に入れた。

 そして、少し離れた所に立っているニールに声を掛ける。


「ニール。例の冒険者達の言葉は冗談抜きに、真実だったのかも知れないな。四十二階層に潜って生き残ったなら十分凄いぞ」

「ああ。俺はジャスが居なければ確実に死んでいたと断言する」


 ニールの言葉に、他の面々も顔色悪く頷いている。

 これは、駄目だな。今回の参加員の顔を見て、僕はそう思った。すっかり意気が消沈してしまっている。

 まぁ仮にあんなのが当たり前のようにこの階層に居るとすれば、これまでのような経験値稼ぎは不可能だし、そもそも彼ら、彼女らの精神面にあまり宜しくない影響を与えてしまうだろう。


 僕は改めて自分の個体情報をきちんと確認した。

 どっと疲労が溜まっている気がしたが、案の定かなりの精神力を消耗していた。恐らくは【矛盾の水牢】だけで無く、【僕だけの部屋】が火を防いだ際に相当の精神力を削られたのだろう。

 まだ問題の無い状態ではあるが、これはミミリラから精神力を譲渡して貰った方が良さそうだな。


 そう思った僕の首に、唐突にミミリラの両腕が回された。ん? と思う間も無く、何故かミミリラに口付けられる。


《精神力の譲渡です》


 そんな言葉が頭に響いてくるが、ミミリラよ。確かに他の六人は僕に触れていなければ譲渡は不可能だが、お前はそんなことをしなくとも可能だろう。

 どう見ても触れ合う口実でしか無いが、まぁ良いかと好きにさせることにした。

 彼女達との触れ合いは僕の自然回復量が増す効果があるし、実際こうして触れていた方が譲渡の流れが良いことは確かなのだから。


 正直に言えば、今すぐミミリラ達と絡みたくて仕方が無かった。性的な欲求では無く、癒しと休息が欲しかった。

 あの大発生以降、そう言った気持ちを抱く瞬間が増えてきた。そんな自分に若干思うところはあるものの、これはこれで悪い気分では無いな、と言う気持ちもある。


 頭に響いてくる六人からの抗議の嵐と、今すぐ連盟拠点ギルドハウスに帰ってベッドに行きましょうと言う声は聞き流すことにした。


「ん、ありがとな」

「うん」


 精神力が満タンになるまで注いで貰い倦怠感が取れたので唇を離す。鼻腔がミミリラの匂いで満たされるのが酷く心地良かった。

 僕は連盟員に視線を送り、再び全員に【母の手】を掛けた。先程の莫大な火で、精神的に負担を掛けていた様子だったから。


 さて、と。僕は気分を入れ替えてから、未だに茫洋とした様子のニールに声を掛けた。


「これはどうするかな。俺でも倒すのに苦労するって、あれ絶対危険度段階は5じゃないぞ。いや、5の特殊個体かも知れないけど、これまで通りに経験値稼ぎするのは厳しいものがあるな。かと言って一体一体倒してくってのも効率がな」

「ああ、こりゃちょっと、いやかなり厳しいもんがあるな。おりゃジャスが殴ってダメージ無いのを見た時は背筋が凍ったぞ。いやマジで」

「俺も目が点になったよ」


 二人して口を閉ざす。

 再度後ろに立つ皆の顔に視線を巡らせてから、僕は一つ頷いた。


「今回はこの階層で終了だな。それと、今後は三十階層より下は探索禁止だ。全員に伝えてくれ。大丈夫だとは思うが、万が一があった場合を考えるとな」

「確実に伝えとく」

「今のところそのつもりは無いが、一応ローラルとシムシスにも言っておく。何があろうと三十階層までだ」

「畏まりました」

「ええ、と言うか私達だけじゃ二十階層も行けないけど」

「もう一回上に戻りながら上げるよ。魔獣が再出現リポップしてたら、だけどな」


 それから。

 水を氷に変質させる魔術を応用して壁の熱を冷やし、その場に風属性で新たな空気を生み出してから、僕達は四十階層へと戻ることにした。

 今後の予定としては安全地帯セーフティースペースで一度休憩し、再び三十一階層までの魔獣を倒しながら帰るつもりだ。三十一階層の魔獣を殲滅した時点で経験値稼ぎは終了、そこで【間の間】を使用して連盟拠点に帰ると言う流れだ。


「やれやれ」


 安全地帯の広場でパムレルを背もたれに座り、ミミリラ達に包まれながら一つ息を吐く。あまり尾を引くつもりは無いが、今だけは自省の念に心を浸す。

 先程の魔獣との邂逅に於ける自制心の弱さと、大量の精神力を用いてようやく倒せたという結果。その事実を忘れぬ為に、敢えて己の未熟さを心に刻み込む。


 カー=マイン、お前はまだまだ強者足りえていないのだ、と。


《そのようなことは決してありませぬ》

《ありがとな》


 ミミリラの慰めに頭を撫でてやりつつ、向けられる笑みに、今のままではいけないなと言う気持ちになる。この程度で配下に不安を覚えさせるようでは、主人としては不出来だろう。


 ただ漠然と力を得るだけでは無く、確かな強さを手に入れなければいけない。

 もっともっと――そう、成人を迎えたあの日、力に目覚めたように。自分の殻を破るが如く。己の限界はここでは無いと自らに言い聞かせ、その力を開放させなければいけない。


 そう、だって僕はまだ――まだ、何だ?


“――”


 ――まぁ、殊更に焦る必要は無い。幾ら未熟を身に染みたとしても、焦って失敗しては意味が無いのだから。一つ一つ、確かな力を得て前に進んでいこう。

 することは王城に居た頃と同じ。僕はただ、歩き続けるだけで良いのだから。


 それから連盟拠点へ戻るまでの間、僕の手は自らの心を慰めるかのように、ひたすらミミリラの尻尾を弄り続けていた。

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