一時の安らぎ
第89話 酒池肉林 ミミリラの嘘
流石巨大娼館だけあって食料はたっぷりあったらしく、また【
場所は入口から入ってすぐのエントランスホール。連盟拠点程では無いが広い
僕は中央に置かれた幅広いソファーの中央に座りくつろいでいる。正面にあるテーブルには贅を尽くした料理が並び、僕の両脇や足元、背後には常時誰かが張り付いていて世話をしてくれている。
僕達の周囲では他の娼婦達が上品に食事をしながら華やかに談笑している。これまでの不安から開放された安堵からか、文字通り笑顔に花がある。
そうしながらも、何かあればいつでも来れるようにと僕の方に視線を向けて様子を伺っているのが分かる。
そんな中、僕の対面に座ったアンネとアンナが楽しそうに会話をしている。
「またこうしてお店でご飯が食べられるとは思ってなかったわ」
「そうね。私もだけど、先代はここに何年でしたっけ?」
「私は五歳の頃からだから二十五年ね」
「へぇ」
アンナの言葉に思わず声が出る。
それだけ長く住んでたら愛着も湧くだろうな。いや、娼婦は生涯の殆どをその店で過ごす。サガラで言うところの里。ならば唯の家という表現は不適切だろうか。
「娼婦にとって娼館ってどんな感じなんだ?」
「世界そのものね」
「そうですわね」
二人の即答に、そういうものか、と納得する。
疑問点も指摘する点も一切浮かばない程に説得力溢れる言葉だった。
「ところでジャス、楽しんで貰えてる?」
「もし至らぬ点があればすぐに仰ってくださいね」
「これに不満を言える男はそう居ないだろうな」
それを聞いてたおやかに微笑む二人。
現在の僕はガウン一枚だけを着ている状態だ。エントランスホールに居る娘達もその殆どが上品な布一枚を身に纏っているだけと言う、何とも扇情的な格好だ。その布も素材が理由なのか、全体が透けているので魅力的な肢体は丸見えだ。
僕に侍っている娘達なんてその布を腰元に落とした状態で、上半身には何も纏っていない。そんな状態で飲み物を飲ませてくれたり食べ物を口に運んでくれたりする。その内の一人はリリーナだ。
夜の英雄、なんて言葉が頭をよぎった。
英雄ザーガ、彼はきっと毎日がこんな感じだったのだろう。
「ずっと私達を守りながら旅をしていた訳ですから、今日はゆっくり休んでいってくださいな。もちろんこれからもずっと癒して差し上げます」
「いや、疲れたのは馬車の移動だけで他はそうでも無いんだがな」
「あら、ジャスが言うと本当になるわね」
実際そうだしな。いや、精神的な疲れは結構あったかな?
でも基本的な部分は殆どサガラに任せてたし、やっぱり特別なことはしてないな。
「それよりどうだ。まだちゃんとした顔合わせはしてないが
「それはもう。旅の途中でも皆すっごく気を使ってくれてたしね」
「本当に。男性の方は殆ど近寄られては無かったですけど」
「俺の女には触れられないってさ」
これはニール含めたサガラの男衆から聞いたことだ。
女衆が男に触れられないようにしているのと同じく、男衆も極力僕の女には触れない近寄らないの方針でいるらしい。
まぁ冒険者だし何があるか分からない、そもそも彼ら彼女らは家族だ。誓いも何もしていないので無理をするなとは言っておいた。その代わり彼らの気持ちは有り難く受け取った。
「立派な
「ミミリラ達曰く俺の女ならそれが当然らしいが、娼婦としては縁が無い感覚なのかもな」
「そんなこと無いわよ。娼婦は己が生み出す
「男冥利に尽きるな」
苦笑してしまう。そう言われて悪い気はしない。
そう言えば、アンネには幾つか聞いておかなければいけないことと、聞いてみたいことがあったんだった。
「ところで、アンネとは城塞都市ポルポーラで話してたが、実際
少なくとも月に金貨五万枚は平均的に稼いではいたと思う。つまり年間平均で三十五万枚の売上はあった訳だ。そこからどれだけ支出があるのかは知らないけれど、改めて計算すると恐ろしいものがあるな。これだけでその辺の伯爵なんて目じゃない程の財貨を手に入れていることになるのだから。
いやまぁ、貴族の年の収支って正直計算出来ないところはあるから、難しくはあるんだけどさ。僕が普段言っている貴族の年収とかだって、特別なことをしないと言う前提が付く訳だし。その気になれば男爵だって年に金貨数万は稼げる筈だ。いや、その気になれない理由があるからこそ稼げない訳だから、結局は同じか。
「それはジャス。あの時言った通り、一切無くて構わないわよ。生活の面倒さえ見て貰えたら」
「ええ、旦那様はお気になされず。ただ女として必要なものに関してだけはお許し頂けましたら」
「それは構わない。生活必需品はもちろん、女として必要なものは遠慮無く何でも言え。王都から取り寄せてでも手に入れてやる。と言うより、お前達には十万の金貨があったな。あれで暫くもたせてくれ」
後で返すつもりだったあの大量の財貨。あれだけあれば無駄金使ってもそうは無くならない。金貨だけじゃなくて白金貨や価値のある装飾品だってかなりあった。十数年は軽くもつだろう。
「あれは旦那様の物ですから。私達が使う訳にはいきません」
「大金払って妾になるなんて聞いたことないよ。良いから使え。後でまた同じところに戻しておくから」
「ジャス、あれは本当に全部貴方の物よ」
「じゃあ俺がお前達にやった、これで良いな」
そう言って、隣に座る娘に料理を食べさせて貰う。これはこれで良いんだけど、正直もっとがっつり食べたいな。ミミリラ達なら心を読んで完璧にしてくれるんだが。これを言っては僕を想って世話をしてくれているアンネ達に悪いか。
連盟拠点の方から強い喜びの感情が伝わって来たのはきっと気のせいじゃない。
「感謝致します、旦那様」
「私からも、感謝致します旦那様」
アンネまでもが口調を正して礼を言ってくる。預かっていた物を返しただけでお礼を言われるのもまた何と言うか、おかしな話だ。
さて、次が本題だ。
「で、アンネ。後これはアンナも、になるのかな? 気になってたことがあるんだよ」
「何かしら?」
「何でしょう?」
「お前達、どうして俺に娼館の命運を懸ける覚悟で頼ろうって思えたんだ?」
城塞都市ポルポーラで色々と理由は聞いていた。
だが、どれだけ力がある冒険者で、一度肌を交わらせ、アンネの【
それを思わされる理由が、帰路でのアンネやアンナの娼婦達に対する接し方だ。この二人、本当に娼婦の娘達を我が子のように慈しんでいた。
そんな彼女達の命運をよくも全賭け覚悟で僕に託そうと思えたものだと、改めて気になっていたのだ。
いやまぁ、その時点で時間的な猶予が無かったことや、他に頼るに値する候補者が居なかったと言われればそれまでなんだけど、それでも保険くらいは掛けておいて然るべきだろう。
僕の質問に、アンネは右頬に手を当て、アンナは左頬に手を当てて首をかしげた。
やっぱりお前達姉妹だろ。
「以前のジャスの言葉を借りれば、賭けと言えば賭けだったんだけど、ただ確信はあったの」
「確信? ……ああ、そう言えば何かそういうこと言ってたな」
「ええ。私、高級娼婦以上が手にすることが出来ると言われている、とある固有技能を持っているんだけどね。それは接した男性の内面、個体特性を感じ取ることが出来るものなの」
「ふむ」
これはあの日【
高級娼婦以上が手にすることが出来る、それはあの時の説明文を踏まえて考えれば、娼婦としての素質と技術が一定以上あって初めて手に入れられる技能と言うことか。やっぱり床上手かどうかが関係するのかな?
あれ? でも固有技能の定義って“個人特有の技能”なのに、条件を達成すれば誰でも覚えられるのか? つまり技能名が同じでも中身は微妙に違うとか? もしくは技能名は違うけど効果は類似しているとか? 知識欲が刺激されるな。後で他の高級娼婦達のも見ておくか。
まぁ僕の【
「で、これはより密接に触れれば触れる程に強く感じることが出来るの。具体的には褥を共にして繋がっている時ね」
これは
「それで?」
「ええ、でね。これは個体特性の中にあるその人の『善正邪悪』を感じることも出来るの」
「それはまた、凄いな」
まさかこの
『善正邪悪』。
それはこの世に存在する凡ゆる生物の在り方を説明する言葉だ。
これは『善悪』と『正邪』に分かれ、それぞれが意味を持つ。
『善』とは、自分、自国、つまり「こちら側」を意味する。
『悪』とは、他人、他国、つまり「あちら側」を意味する。
これは固定されている訳では無く、それぞれの視点で『善悪』が変わる。つまりアーレイ王国にとってナーヅ王国は『悪』だが、ナーヅ王国からすればアーレイ王国は『悪』なのだ。
この言葉自体はどちらが良い悪いの話ではなく、単純な区別を表す言葉だ。
次に『正邪』についてだ。
『正』とは、正しいことや行い、つまり許されることを意味する。
『邪』とは、正しくないことや行い、つまり許されないことを意味する。
この言葉にはそれぞれに『行』と『人』が付く。
正しい行いのことを『正しき行い』。
正しくない行いのことを『邪な行い』。
正しい行いをする人を『正しき人』。
正しくない行いをする人を『邪な人』。
これに『善悪』を組み合わせると、全ての意味が表れる。
『善正』なら「こちら側」にとって正しい行い。あるいは人。
『善邪』なら「こちら側」にとって正しくない行い。あるいは人。
『悪正』なら「あちら側」にとって正しい行い。あるいは人。
『悪邪』なら「あちら側」にとって正しくない行い。あるいは人。
分かり易い例を出せば、冒険者同士が殺し合うことの是非だ。
アーレイ王国では殺し合いを許しているので『善正』となる。
しかし他国ではそれを許していないので『悪邪』となる。
『善』と『悪』の中に『正』と『邪』がある。
これを纏めた言葉のことを『善正邪悪』と言う。
まぁこれは使う人や場面によって微妙に意味合いや解釈が変わるので、あくまでも基礎的な知識となる。そして通常の会話の中で出てくる「良い奴だ」とか「悪い奴だ」、などと言う言葉は『善正邪悪』とは関係ない。『善正邪悪』の意味での善悪や正邪を語る時は、その話題であると相手に分かるようにしなければならない。
ちなみに、アンネと城塞都市ポルポーラでやりとりした時もそうだし、「ケディの邪行」に関しても『善正邪悪』から来ている。
ケディのあれは「決して許されない冒険者ケディの行い」と言う意味になる。
長々と説明したが、これは人それぞれに必ず宿っている性質なので、人の性質や性格を表す個体特性の一つとされている。
アンネはそれを感じ取ることが出来ると言う訳だ。何だかこの時点でアンネから返ってくる答えが見えてきた。
「ジャスと一夜を共にした時、ジャスからは『善』も『正』も感じなかった。でも、『悪』と『邪』では無いという確信があった。それは言い換えれば、“今は”自分の味方では無いけれど場合によっては味方になってくれる、そうじゃなくても決して敵にはならないって判断したのよ」
「ああ、なるほど。だからこそか」
「そう。だから頼っても決して無下にはされないだろうし、助けてくれなくても力を貸してくれる、って確信があったのよね」
だからあの時、選択肢のどれかは確実にいけると思っていた訳か。あるいは僕から四つ目の選択肢が出てくると確信していたか。
実際は断ろうとしていたのだけど、煩わしいと思いながら褒美代わりに力を貸してやっても良いくらいは確かに思っていた。そして煩わしいと思いながらも、確かにアンネにとっての『悪』や『邪』になるつもりは無かった。その上で最終的には僕の迂闊さとアンネの話術があったとは言え今の状況になっているのだから、アンネの考えや判断は正しかったと言う訳だ。
結果論的な部分はあるが、色々と腑に落ちた。
「じゃあ今度繋がった時にどう感じるか楽しみだな」
「確かめるまでも無いわね」
「そうね」
まるで少女のように微笑む二人のなんと楽しそうなこと。
そこからまた小さいことを聞いたりしながら歓談を続けている時に、ふと気になることが浮かんだ。
「そう言えば先々代とかその前の女は居るのか?」
「ええ、いらっしゃいますよ。先々代の前は身請けされていますけど」
「挨拶くらいしておくか。どれだ?」
この場には一応使用人らしき女達も居る。彼女達だけは服装が透ける布では無いからすぐに分かる。それでも十分艶かしい服装ではあるが。
凄く気になるのが、使用人として働いているのは現役を引退した娼婦達と聞いているのに、そうには見えない容姿ばかりなんだよな。あの中には四十代の半ばも普通に居ると聞いているのに、これは一体どうしたことだろうか。
アンナが立ち上がり、一人の使用人の元へ近づいて行く。
そして何かを説明してから、その女を連れて戻って来た。
「旦那様、こちら先々代の店主アンシーですわ」
「改めてのご挨拶をさせて頂きます。
使用人の格好ながら、丁寧に礼をする女のその所作。喋り方や視線の置き方一つが猛烈な女を感じさせる。先々代と言うわりに、どう見ても二十代の半ばにしか見えない。またか、またなのか。
「アンシー、お前歳は?」
「三十五になります」
僕は額を抑えて首を振った。もう絶対に女性の年齢と容姿は信じないと誓った。これは十分現役で通用する。確かにアンネやアンナよりは年上という感じだが、その代わりそこに居るだけで匂い立つような色香を放っている。恐らくはアンシーも最高級娼婦だったのだろう。今でも容易に金貨百枚取れる女だ。
「旦那様?」
「いや、もう何も言うまい……しかし代の入れ替えが早かったんだな」
「ええ。私が三十で代を変わり、その時アンナは二十五。そして五年経ち今のアンネが店主になりましたから」
「品質にこだわり過ぎも……いやまぁ綺麗な女がこうして居るから良いんだが」
「まぁ。お口がお上手です」
「心の底から本心だ。寝床に来るのが楽しみなくらいだ」
「アンシー姉さん、久しぶりに出番ですわね」
「女として認めて頂けるなら、誠心誠意尽くしますわ」
「ああ、よしなに」
何だかどっと疲れた瞬間だった。
すると、何故か三人に笑われた。
「なに?」
「ジャスって時々お貴族様みたいな喋り方するわよね」
「ええ。旦那様という呼び方すら足りません」
「それでいてお強いですから。凄いお方」
「はは」
中身は貴族超えてるからな。なんてもちろん言わず、それからもずっと入れ替わり立ち代り娘達から世話を受けながら三人と話し続けた。
会話をしているだけで満足感を与えられる目の前の店主組三人に、凄いを通り越して恐ろしさすら感じた瞬間だった。
※
国王でもようやく味わえるかという程の饗宴を存分に堪能してから娼館を出て連盟拠点へと向かう。
この世の楽園とはこう言うものか、という程の時間だった。男を満足させる手管の全てを知っている極上の女達からの心尽くしのおもてなし。そんな女達全てが自分だけのものという事実から得る充実感。自分の目の前で金の神に誓い、
これら全てが今後余すことなく自分の思うがままに出来るなんて、男としては最高の栄誉だろう。
だが、僕は館に戻るなり心の声でミミリラを呼んだ。
《大至急私の部屋に来い》
そう伝えてから早足に
ベッドに向かってミミリラを強く引っ張りながら変化を解く。そうしてベッドまで近寄ると、ミミリラを投げるようにベッドの上に寝かせた。
その上から伸し掛かり、瞳を合わせんばかりに顔を近づける。
「ミミリラ、貴様私に偽りを申したな」
「そのようなことは決して致しません」
「では答えろ。貴様を食せば飽きが来る。他を食しそれに飽きればまた貴様に戻る、そう申したな?」
「はい、確かに申しました」
「それを偽りと申すのだ」
半ば強引にミミリラの唇を奪った。それに驚くこともなく、ミミリラは僕を受け入れ背中に手を回してくる。
そして僕の心の中を読んだのだろう。僅かな申し訳なさと莫大な喜びと感謝の激情が流れ込んできた。
そう、アンネ達娼婦一同の歓待は人生で最高級の時間と夢をくれた。それは間違いない。だが彼女達とミミリラとでは決定的に違うものがあった。
アンネ達は男の喜びの全てを知っている。
ミミリラは僕の喜びの全てを知っている。
似て非なるこれは、娼婦達を味わえば味わう程に高まっていった。
僕は元々ミミリラに飽きたから娼婦のところへ行った訳では無い。アンネ達から感謝をしたいと言う折角の気持ちを無碍にしない為、改めての娼婦達との挨拶の為、そして異国とも言える程に離れた土地に住まいを移した不安などが無いかの確認の為に足を運んだのだ。
そこで得た極上の味。それを味わえば味わう程にミミリラが欲しくなるなんて、これを偽りと言わずして何とする。飽きるよりも先に欲しくなるだなんて、どうやって飽きろと言うのか。大嘘吐きめ。
乱暴気味にミミリラに思いをぶつけていく。それにミミリラも応える。
そう、僕がしたいことされたいこと、それら全てをミミリラは理解して受け入れ僕の為に動く。彼女は【
魂が強く繋がってからは尚更だ。
僕はその日、初めて本当の意味でミミリラを求めた。
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