第42話 無能王太子の怒り

「心身共に酷使し過ぎたのでしょう。過労で御座います」


 僕だけが呼ばれた弟が使用する天幕の中で、従軍した魔術医はそう言葉にした。

 それで何故僕だけが呼ばれたのかを理解した。大将を務める王子が戦場で過労で倒れるなど恥でしか無い。


 しかし魔術医としては原因を伝えねばならない。では誰に――と言う訳で、弟を除く最高上位者であり、血の繋がった親族である僕だけが呼び出されたのだろう。

 この魔術医は有能だ。王族にとって何が大事かをはっきり理解している。


「貴様、名は」

「ジャーナルで御座います」

「覚えておこう」

「有り難き幸せ」


 僕に名前を覚えられても嬉しくは無いだろう。だが僕は弟の矜持を守ってくれたこの者への恩を生涯忘れることは無いだろう。


「大義であった。これからは私が指揮を執る。貴様は弟に付け。何かあればすぐに私に言え。寝ていようとも叩き起こして構わん」

「ははっ」


 弟の顔を見下ろす。憔悴しきった何とも弱々しい顔だ。

 昔弟が熱を出して倒れた時、こいつは泣きながら父上や母上、僕に泣き顔を晒していた。王族らしからぬその姿に、僕は哀れみも無様も思うことは無かった。こんな自分を慕ってくれる可愛い弟として、心底心配し手を握ってやったものだ。


 そんな親愛足る弟と言う存在は変わらず、確かに今ここにある。

 成長していようがここに居るのは紛れも無くクロイツと言う、僕の可愛い弟だった。


 その頬を一つ撫でてから、僕は天幕を出た。するとそこにはお祖父様が居た。


「クロイツ殿下は?」

「この戦では最早もはや動けまい。今後は私が指揮を執る。異議は無いな?」

「……御意」


 僕は初めてお祖父様を凝視するように見据えた。それは自分の決定に意義を唱えさせないと言う気持ちを伝える為だった。

 お祖父様が礼をするのを置いて、僕は軍議の天幕へと向かった。


 そこには未だに困惑した表情の貴族達が座っており、僕の顔を見るなり立ち上がり礼をした。

 僕はそれを無視するように通り抜け、弟が座っていた席に着いた。

 顔を上げた全員が驚く顔を見せる。


「これより指揮権は私へと移る。ザルード公爵も承諾した。不服がある者はおるか」


 僕が見渡すと誰も何も言わず、ただもう一度だけ礼をした。



 ※



 次の日の昼過ぎ、お祖父様は敗北したジェイナル伯爵達の戦域へと向かって行った。昨日僕に指揮権が移った後の軍議で、援軍に向かうのに最も適切であろう軍がお祖父様であると判断したからだ。

 既に町や村どころか城郭都市ですら被害にあっているだろう劣勢の戦域に向かい、確実に勝利を勝ち取ってこれるのはお祖父様しかいないと言う逆の消去法による選択だった。


 お祖父様は向かう際、兵の三百を置いて行ってくれた。

 これで僕が直接率いるのは近衛兵二十、直属兵が百、ザルード公爵家直轄兵が三百に、弟の率いていた直轄兵の残り六百、傭兵が二百の総数千二百二十。

 常備兵は全て弟の護衛に付かせた。本来であれば今回の兵の中で最も精強な部隊。半分でもいいので参軍させたかったのが本音だが、元々常備軍は今回弟の御側付きと護衛を兼ねていた筈だ。

 例え僕に指揮権が委ねられたとは言え、それを勝手にすることは流石に躊躇われた。そして元々そのつもりだったが、彼らには万が一の場合があれば弟を連れ、独断で撤退するように命じている。


 他に残った貴族達の兵は凡そ二千五百。これは現在の動員限界数であり、これが無くなること、増援することは一部領地の生産力の低下――即ち国力の低下を意味する。


 相対する敵兵、増援を重ねて凡そ八千。倍以上ある敵兵との、命をかけた睨み合いが始まった。





 一日目。


「王太子殿下、敵は斥候を増やしておるようです」

「防衛に徹しろ」


 三日目。


「王太子殿下、敵は軍を分けたようです。これは他の町を攻めに向かったのでは」

「防衛に徹しろ」


 七日目。


「王太子殿下。敵は少数の部隊を動かし挑発を行っております。こちらも兵を動かし敵部隊を攻撃するべきでは」

「防衛に徹しろ」


 十日目。


「王太子殿下」

「防衛に徹しろ」


 僕に指揮権が移ってから、僕は徹頭徹尾防衛を命じ続けた。

 例え敵が一当てして即時撤退しようと、夜襲を仕掛けてこようと、籠城戦の如く防衛に徹し続けた。今僕達に出来るのはこうしてここで敵に圧力をかけ続けること。無駄に兵を動かして減らすことは絶対に出来ないのだ。


 なので、軍議が開かれる度に僕は情報と報告だけを聞き、後は防衛することだけを命じ続けた。それ以外は一切聞かない。何か言いたそうな貴族達の顔を見て、いつまで持つかなと思いながら。


 十五日目。


「王太子殿下! このままでは我らはいたずらに兵を失うばかり! 攻めることも出来ねば引くことも出来ず、援軍は来ぬ孤立無援の状況下。座して待てば敗北は必死! 王太子殿下はどうお考えかお教え願いたく!」

「王太子殿下!」

「王太子殿下!」


 とりあえず黙れ。僕が言いたいのはそれだった。


 悪化する戦況。自分達が不利になるばかりの状況下。不安と焦燥に困惑し、何かに救いを求めるのは当然のことだ。だが今は防衛以外にどうしようも無いと言うことは分かり切ったことだろうに。


 一応王城には早馬で現在の状況を知らせ、判断を仰ぐ旨を伝えている。その指示如何いかんではこちらも動きようがあるが、現時点ではやはり出来ることは限られている。


「ならば貴公らに問おう。何か策があるか?」


 僕がそう聞くと、一斉に言葉を詰まらせる。そうだろうな。自分達ではどうしようも無い状況だと分かっているからこそ、そうやって声を荒げるしか出来ないんだから。


「今は喫緊きっきんの状況下。我らの言葉よりも王太子殿下のご意思こそが重要かと」


 まぁ上手いことを言う。流石戦場では無く社交界サロンで戦う有象無象。それだけは褒めてやりたい。


「では改めて言おう。防衛に徹せよ。頑丈な城はそう落ちん。敵も落ちん城を攻め続ければ意気も絶えよう。違うか?」


 これはあくまでも例えでしかない。しかし状況として間違っているとは思わない。あちらは攻城戦。こちらは籠城戦。実際は平地戦なので攻城側の負担が大きいとは言えないが、少なくとも籠城側の僕達は城壁から出て戦うなんて選択肢を選べる筈も無い。夜襲であろうが奇襲であろうがそれは同じ。今正に対陣している敵の本軍を留めると言う役割を持つ僕達には、最早打つ手は一つしか無い。それはもう結論が付いている。

 しかし彼らの考えは違うようだった。彼らは僕よりも年を重ねている上に伯爵級まで居る。五年前の戦いに参加していた者も居る筈。ならば僕よりは余程に戦と言うものを知っているだろうし、現状を理解している筈だ。理解した上での発言と言うのであればもう救いが無い。


「しかし城も石垣が崩れては守るものも守れませぬ。城を攻める者達をどうにかせねばいずれは城も崩れまする」


 結局は今の状況を何とかしたい、だから何とかして下さい。彼らが言いたいのは一つだ。どんなに言葉で飾ろうとそれは変わらない。


「貴公らが何と言おうと私から出る言葉は防衛に徹せよ、ただこれだけだ。分かれば下がれ」

「くっ」


 一番上座に近い貴族は歯噛みすると礼をして天幕を出て行った。それを追うようにして、他の貴族も姿を消していく。


 僕は思わず人目があるにも関わらず溜め息を吐いてしまった。


「しかし殿下も流石ですな。あれだけの方々を静かに諭すとは」

「うむ。流石で御座いますな」

「心にも無いことを」


 僕の左右後ろでは、王太子直属直轄軍隊長であるエルドレッド・マルリードと、王太子近衛隊隊長であるロメロ・プラムが立って僕を護衛している。弟の軍隊長みたいなものだ。


「しかし殿下。分かってはいますが、やはり現状維持ですか?」


 エルドレッドが相変わらず親しみのある喋りで聞いてくる。

 僕は腕を組みながら背もたれに身体を預け、頷いた。


「それ以外に何かあるなら是非知りたいな」

「はは、私もです」

「ロメロも何かあるか? 良い案があれば採用だ。それで勝利すれば男爵位くらいは貰えるかも知れんぞ?」

「王太子殿下のご判断は正しく思いますし、私が案を出してもむしろ騎士号を剥奪されるだけかと」


 ロメロが珍しくお茶目を言うと、ついつい笑いが出てしまう。堅苦しい印象しか無かったが、中々どうして言うじゃないか。

 エルドレッドも同じ感想だったようだ。


「何だロメロ。貴様冗談が言えたのだな」

「父は子爵ではありますが、元々プラム家は騎士の家系。騎士として兵を従える以上はしもの者を笑わせる弁も無くては務まらぬ、と教えられましたので」

「何だよプラム、お前さん中々話分かるじゃねぇか。大賛成だ。今度一杯やろう」

「ああ、望むところだ」

「ではそこに私も混ぜて貰おうかな」


 僕がそう言うと、今度こそ三人とも声を上げて笑ってしまった。

 大丈夫だ。まだ、僕たちは笑える。笑えている。


 ただ、もう限界だろうな。



 ※



 夜、僕専用の天幕の中。灯されたランプだけを光源にして、僕は一枚の羊皮紙を広げていた。それは僕が父上に送った手紙に対する返答だ。実はこの羊皮紙自体は十日を超えた辺りで僕の手元には届いていたのだ。

 改めて読む達筆な文字で記されたその端的な内容に、僕は額を押さえて首を振った。


 父上からの端的な手紙を分かり易く言うと、「万事任せる。与えられた責を全うせよ」と言うものだった。


 どうやら僕は本格的に負けることしか許されないらしい。

 もう現段階で指揮権は僕に移っている。だから、これからどう戦おうと敗北の責は全て僕にかかる。

 そして現段階からの挽回なんて、無能王太子と残存戦力では不可能と誰もが断ずるだろう。僕からの報告を受けた上で父上が寄越したこの返事。つまりそう言うことだ。

 もうこの「責」と言う部分がさっさと死ねと言われているようにしか見えない。お前の仕事は負けて居場所を失うか死ぬことだけだ、なんてどうして元気になれようか。


「やれやれ。これが無能に産まれた王太子の責任か。それともロイが僕を恨んでいたかな」


 思わず漏れたぼやきは幸いにも誰に聞かれることは無い。その代わり、誰も側には居ない。

 僕は首を落とし、暫くそのまま動けないでいた。



 ※



 そして二十日目。限界は訪れた。


「王太子殿下! 最早我らの兵数は二千を下回ろうとしております! このままでは我らは戦うまでも無く敗北すること必至!」

「王太子殿下!」

「王太子殿下!」

「どうかご判断を!」

「我らは耐えに耐えたのです! 引くことも致し方無きことと存じます!」


 騒ぐ騒ぐ。完全に目が血走っているし泡も飛ぶ。


「まぁまぁ皆様方、どうか落ち着いて下さい」

「騎士如きが黙っておれ! 誰の許しを得て意見しておるか!」

「それは申し訳無く」


 エルドレッドが落ち着かせようとするも、やはり上座に近い位置の貴族が怒鳴りつける。最早熱くなるという次元を超えている。死に瀕した人が曝け出す、生存本能から来る生への餓えが憤然と溢れ出している。


 現在の彼我の兵数。多少の誤差はあれど、アーレイ王国軍二千二百二十に対し、ナーヅ王国軍七千。こちらの死者が千五百に対し、あちらは千だ。

 それも致し方無し。そもそも兵数が違う。小競り合い程度でも、元々あっちはこっちの倍もゆとりがあったのだ。防衛に徹していたとしても、どうしても競り負ける。こちら側はよく戦っていると思う。同数だったら決して負けることは無いだろう。


 しかし現実として、彼我の差は既に三倍に広がっている。叫びたくもなるだろう。

 僕も彼らと考えは同じだった。幾ら耐える耐えると言っても、やはりそれには兵数差による限界と言うものがある。

 今のこの状況下で敵と対等に戦うには砦か城塞都市で本当の籠城戦くらいしかないだろう。

 平地で真っ向から三倍の敵と戦うなんて論外なのだ。


 だから、限界。ここを守る上での兵力も、そして貴族達の精神も。むしろ良く二十日も耐えたと褒めたくなる。本格的にけしかけられていたら、もうこちらの軍は敗走していただろう。

 ここまで来れば僕達が取れる選択肢は二つに一つしか無い。

 これは弟が初戦で大敗した時と似ている。選択を間違えれば僕達は全滅し、弟の時以上の大敗を喫することになるだろう。

 そしてその選択は僕に委ねられているのだ。


「王太子殿下!」


 無言のままの僕に我慢しきれなくなったのか、一人の貴族が声を張り上げながら迫って来る。

 僕は一歩近づいたそいつの目を見て、口を開いた。


「――おい」


 そいつが動きを止めるだけでは無く、あれだけ喧々囂々けんけんごうごうとしていた場が一気に静まる。

 僕は全員に視線を巡らせてから、再びそいつを見た。


「貴様ら、誰の許しを得て意見しておる。申してみよ」


 しん、となった空気の中、僕は下座に近い男に声をかける。


「貴様、名は?」

「あ、いえ」

「名は、と私が問うておる。答えよ」

「ダンノ男爵、に御座います」

「うむ。で、貴様は?」


 今度はその隣に座っていた男に問いかける。


「わ、私はその」

「答えよ」

「レベール子爵に御座います」

「ふむ。では次だ、貴様は?」


 そうやって、僕は一人一人の名前を確認していく。皆が口を震わせながらも名前を口にしていく。僕はそれに一つ一つ頷いていく。


 最後に、僕に一番近いそいつに声をかける。


「貴様、名を申せ」

「ま、……マタニート伯爵にて御座います」

「うむ。では聞こうかマタニート伯爵――貴様、誰の許しを得て意見しておる? 答えてみよ。貴様らもだ。教えてくれぬか。伯爵以下でしかない貴様らは、一体誰の許しを得て私に口をきいておる? 国王陛下か? 王妃陛下か? それともまさか貴様ら王権を蔑ろにしておるとは言うまいな?」

「申し訳御座いませぬ!」


 全員が膝どころか額を地面に着けて許しを乞う。

 そんな彼らを見下すように見ながら、僅かに目を細めた。


 僕は無能でありながら、仮にも王位継承権第一位の王太子であり、またこの戦場に於いて王命を受けた最高指揮権を持った者でもある。

 それに対し勝手に席を立ち怒声を浴びせかけるなど、王族侮辱罪でこの場で切り捨てられても何もおかしく無い。むしろ殺されていない現状の方がおかしいくらいだ。


 現に僕が彼らを言い咎めた瞬間、後ろの二人が剣を抜く音を響かせていた。

 騎士は貴族に逆らえないが、主君の命あれば例え公爵相手でも牙を剥く。騎士は偉くは無い。だが主人を持つ騎士は貴族よりも遥かに強い。


 平伏する貴族達の後頭部を見ながら、僕は理解した。どうして弟の御側付きである軍隊長が何も言わなかったのか。

 彼は騎士爵位号しか持っていない。つまり、この場にいる貴族に対して一切の意見が許されなかったのだ。


 最初は弟も色々聞いていただろう。何せ弟は指揮を執るどころか戦の未経験者だ。何から何まで経験豊富な軍隊長に聞くしかない。父上だってそれを前提で付けたのだろうから。

 だが何度も軍隊長の意見ばかり聞いてそれに頷いていれば貴族達は面白く無い。だから先日僕に迫ったように、「クロイツ殿下のお考えが聞きたい」と言えば弟は答えなければならない。それに対して軍隊長が助言を入れようにも、それこそ黙っていろの一言で何も言えなくなってしまう。

 今の僕みたいに強気で「お前が黙れ」とでも言えるならば話は変わるが、弟には出来なかったのだろう。


 僕とお祖父様が来てからは、お祖父様という経験豊富な超一流の戦士であり、最上位貴族の発言で場は収まった。

 だがそれまでは、弟はずっと一人で耐え続けていたのだろう。

 何も分からぬ戦場で、誰の助言を貰うことも出来ず、それでいて貴族達からは責め上げられる。そして下した自分の決定で兵を殺していく。


 それにずっと、一人で耐えていたのだ。


 ようやく分かった。弟が初戦で負けたのはそれが理由だ。指揮権を持つ者が判断を曖昧にする、判断を遅くする、それは最もやってはならないことだ。

 兵士は命令を受けて初めて動く。受けていない状態での戦いは迷いしか生まない。そんな状況で戦いになどなる訳が無い。大敗して当然だ。


 それでも耐えた。大敗しても戦場から逃げることが許されず、立場の無くなった敗戦の大将と言う茨の椅子に座って僕の弟は耐え続けたのだ。


 なのに何だ、こいつらは。成人もしていない子供に責任を押し付け責めあげ情けなく騒ぎ立てる。それでいて無能の言葉一つで地面にすら這いつくばる。


 ――その無様、誠見苦しい。


 僕は選ぶべき選択肢、その一つを手に取った。


おもてを上げよ」

『はっ』


 全員が僕を見る。その顔にあるのは明確な怯えだ。


「今日はこれよりの昼、そして夜。兵士にはこの二食をたらふく食わせてやれ」

「はっ? ――はっ!」


 意味が分からないと言う顔をするマタニート伯爵を睥睨すると、彼はすぐに平伏した。


「夜は見張り番は最低限でよい。見張りには次の日に十分な飯と休みをくれてやるから耐えろと伝えよ」

『はっ』

「それとマルリード」

「はっ!」

「使者を出せ」

「仰せのままに――して、何と?」


 僕は隣りで膝を着いたエルドレッドに視線を落とし、笑ってやった。


明日あすの昼、決戦を申し込む。臆病風に吹かれて逃げるなら見逃してやると書いてやれ」

「御意に」


 僕の言葉に、エルドレッドはさも楽しそうな笑みを返してきた。彼は解っている。生粋の戦士だ。


「プラム」

「はっ!」

「異論はあるか」

「王太子殿下の御意志は我らの望みでありますれば!」

「よろしい」


 僕はそこまで言って立ち上がった。


「皆の者、決戦である。逃げたい者は逃げて良し。帰って家族に自慢してやれ。俺は戦場が怖いから逃げて来ました、とな」



 ※



「格好付け過ぎたな。私には似合わん」

「そのようなことは。私は今日ほど王太子殿下の近衛であることを誇りに思ったことはありませぬ」

「何だ、今までは誇りでは無かったのか」

「言葉の誤りですな」


 貴族達が去った天幕の中、三人で笑う。


「しかしこれで本当に兵に逃げられたら笑いものだな」

「その時は我らだけで戦いましょう。何、一人で数十斬れば数字は合います」

「おい、近衛は二十だろ、とりあえず一人百は斬っとけよ」

「私にも手柄を譲る気概はあるぞ」

「言いやがる」


 僕が疲れに背を預けているのに後ろの二人の楽しそうなこと。今頃使者の手紙を書いている奴は手を震わせているだろうな。まぁ使者には兵士を使ったし、手紙を渡したらさっさと逃げろと言っているから大丈夫だろう。


「しかし殿下。先程は凄まじい覇気でしたな」

「それは思いました。後ろに立っている我らですら身体を硬くした程、直接目を合わせた奴らが哀れでした」


 覇気ときたか。また僕には縁が無い言葉が出てきたな。

 覇気とは上位者のみが使えるとされる技能スキルで、途轍もない圧迫感を相手に与えると言う。そんなものが僕から出ていただなんてある訳無い。冗談のつもりだろう。


 二人のお茶目に付き合う形で、僕は首をかしげた。


「おかしいな。母上譲りの柔らかな目をしている筈なんだが」

「確かに殿下は顔つきからして王妃陛下に似てらっしゃいますなぁ」

「先程の覇気は国王陛下だったな」

「つまり王妃陛下に国王陛下の強さか? ははっ、大陸制覇も夢じゃねぇな」

「ああ、国内最強は王妃陛下とは有名な話だ」

「お前達いつか王族侮辱罪で斬り捨てられるぞ」


 この会話かなりぎりぎりだと思う、本当に。


「その時は殿下の後ろに隠れます」

「流石は我らが主です」

「いや近衛なら守らねばいけまいに」

「違い無いですな」


 今まで殆ど触れ合いなんてしたこと無かったけれど、この二人とのこう言うノリでの会話も楽しいものだ。振り返っても今更だが、もう少し屋敷で交流を深めておけば良かったな。

 本当に、今更だ。


「さて、と」


 僕はそう言って立ち上がった。まだまだ時間はあるけれど、気疲れしたので自分の天幕でごろごろするとしよう。


「二人も護衛は良い。ゆっくり休んでいろ」

「でしたら違う者を付けておきますが」

「いらんいらん。今日死ぬようなら明日死ぬ。ならば今日死ぬことは無い」


 僕の言葉の意味が伝わっただろうか。僕は振り返った。


「そうだ聞き忘れていた――貴様ら、私の為に死ねるか?」


 僕の問いに、二人は跪き強い視線を向けてくる。


 返ってくる視線は誠の戦士。

 返ってくる言葉は誠の騎士。


「無礼承知で申します。その問いを、人は愚問と称します」

「近衛として任じられた時より、我らはどこまでも着いて参ります」

「よしなに」


 言って僕は天幕を出た。

 空を一度見上げる。何だかとっても綺麗な空色模様だった。

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