番外編 戴冠式と結婚式1
バセット領にアリスが戻って半年、また賑やかな毎日が始まってしまったと領民が嘆いていた頃、突然それはやってきた。
「兄さまー! キャ、キャロライン様から招待状が届いた! け、結婚するって! カイン様も一緒に!」
アリスは六枚の招待状を握りしめて、アリス工房の事務所に駆け込んだ。
執務机にはいつもの様にノアが座って一生懸命書類作業をしている。その隣ではキリがせっせとノアが承認し終えた書類をまとめる作業をしていた。書類は全てクマのマークの化粧品に関する問い合わせと発注だ。
「あ、やっと届いたんだね。アリス、僕達のも出席に丸付けて送り返しておいて」
ノアが書類から顔も上げずに言うと、アリスはそれを聞いてすぐさまその場で手紙を開いて三人分の手紙の出席の部分に丸を付け、その場で妖精手帳を使ってキャロラインとカインに送り返した。
「戴冠式の次の日にすぐにするらしいよ! 凄いね! きっと城下町はお祭りだよ」
「だろうね。アリス、忘れないように今の内にお小遣いちゃんとキリに渡しときなね。リー君の話では城下町は今、色んなお店が新装開店してるって。きっと面白いと思うよ」
「分かった! キリ、後で預けるね!」
「ええ。あ、秋の分は別に避けておいてくださいね」
「分かってるよぅ。で、兄さまはいつ戻ってくるの? キリも」
「それはアリス次第かな」
唇を尖らせたアリスを見て、ようやく書類から顔を上げたノアが笑う。
ノアとキリは今、バセット領ではなくてここに寝泊まりしていた。
というのも、ノアはバセット家の当主でも家を継ぐ立場でもない。伯爵位をもぎ取ったノアが男爵家のバセット家に居るのはいかがなものかと思って一時的にバセット家を出ているのである。当然キリも一緒に。もちろんそれに関しては皆大反対した。
けれど、ノアはそんな皆に真顔で言ったのだ。
『でもね、皆よく考えて。好きな子がすぐそこに寝てるんだよ。ね? 僕の気持ち分かるでしょ?』
と。
それを聞いてその場に居た全員がチラリとアリスを見て大きく頷いた。最近やって来たばかりのホープキンスでさえ頷いたのだ。これはもう、ノアをここに引き留める方が酷である。その代わり、食事だけは何があっても毎日皆で一緒に摂ると約束をした。
そんな訳で今、アリスはまるで通い妻のようになっているのだが、後はアリスの気持ち一つだ。
次期当主のアリスと結婚する事でようやくノアがバセット家を継げるのだ。その時にバセット家を伯爵家として爵位を上げる。それがルカに貰った褒賞だ。
ちなみにキリもちゃっかり男爵の爵位を貰った。ルカは子爵位をくれると言ったが、キリはそれを断った。
『いえ、男爵でいいです。私は一生ノア様の従者で居たいので、男爵位が妥当です』
それを聞いてルカは深く頷いてノアとキリの関係を褒め称えた。
そこまで従者に言わせるノアを褒め、そこまでしてノアに仕えたいというキリを褒めたのだが、仲間たちは皆知っている。
キリはただ変に高い爵位を貰って一緒にくっついてくる領地を治める、などという面倒な事に時間を割きたくないだけなのだという事を。
爵位は高ければ高くなるほどそれなりの責任が伴う。キリが爵位を欲しがったのは、あくまでミアと結婚する為だけである。
そんな訳でキリは無事に男爵位を貰ってバセット家と爵位が同じになったが、根っこの所は今までと何も変わらない。アーサーが父でハンナが母で、ノアが兄でアリスは妹だ。
「お嬢様、ちょっとこの書類を一束ずつ袋に入れて皆の所へ送ってください」
「はぁい」
キリに言われてアリスは手伝いだした。最近はいつもこうやって時間が空いたらアリス工房のお手伝いをしているアリスだ。少しは出来る所を見せておかねばなるまい!
しばらく手伝っていると、森の奥からパパベアの声が聞こえてきた。それに気付いたアリスは手伝っていた書類を投げ出す。
「パパベアが困ってる! ちょっと行ってくるね!」
「はいはい、気をつけて。帰りはパパベアにちゃんと送ってもらうんだよ」
「うん!」
アリスはそう言って事務所を飛び出して真っすぐ森に向かって駆けて行った。そんな後ろ姿を窓から見下ろしながらノアは笑い、キリは呆れる。
「アリスはいつでも元気だなぁ」
「全くです。それにしても戴冠式の次の日に結婚式をするなど、キャロライン様も随分思い切りましたね」
「ほんとだよね。全部まとめるってなかなか難しかったと思うよ」
ノアの言葉にキリは真顔で首を振った。
「いえ、そちらではなくて、そんなに長い間お嬢様はお城でじっとしていられるでしょうか……」
「あー……確かに。戴冠式終わったら一回こっちに戻る?」
ルイスは確実に城に泊る準備をしてくれているだろうが、それはそれで心配なノアとキリだ。
二人は顔を見合わせて大きなため息を落としてまた仕事に戻った。森から聞こえてくるアリスの奇声を聞きながら。
ルイスの戴冠式は仲間たちが見守る中、城の中にある戴冠の間で厳かに行われた。
ルカは自らの冠を外し、部屋の真ん中にある台座に無言でそっと置く。
それを見て、それまでルカに仕えていた者達がうっすらと涙を浮かべた。中には俯き、嗚咽を堪える者も居た。
まさかこんなにも早くルカが王位をルイスに譲るとは、誰も思っていなかったのだ。
幼い頃から暴れん坊で手がつけられなかったルカだ。
賢王とは言い難かったかもしれないが、飢饉の時に真っ先に国庫を開き、独断でオピリアが蔓延る地域にすぐさまオピリア対策ブレスレットを自腹を切って送ったルカ。
もしかしたらそれはロビンや他の誰かに助言されたのかもしれないが、最終的に決定を下すのは王だ。土壇場で何をすべきかを踏み間違えなかったルカを見直した者も多かった。
ルカは冠を台座に置いて、少しホッとしていた。本当はルカに王など向いては居なかった。それを自分でもよく理解していたのだ。
けれど、ステラやルイスを見ていて思った。国民は家族だ。自分はその家族を守る父なのだ。
そう思った途端、何かがストンとルカの心に落ちて来た。今まで決して良い父ではなかったが、最後にはちゃんと良い父で居られただろうか? 冠を置いた途端、そんな事が頭を過ってルカは思わず涙を浮かべる。
「王、長きにわたりこの国をお守りいただき、感謝いたします。これからは私がその役目を引き継ぎ、ルーデリアの更なる発展と安寧を目指すとここに誓います」
ルイスの言葉は、シンと静まり返った部屋の中に響き渡った。それを聞いてとうとうルカの目から涙が一粒零れ落ちる。
「王子、そなたに今日、王位を譲る。これからもこの国の為、人々の為に尽くしてくれ」
ルカは台座に置いた冠をそっと持ち上げ、随分背が伸びたルイスの頭に冠を乗せた。自分が出来なかった事、本当はしたかった事の全てを込めて、ルイスに託す。そして小声で誰にも聞こえないようにルイスの耳元でポツリと言う。
「頼んだぞ、ルイス。俺はようやくこれで、お前達だけの父に戻れる」
「……父さん……」
ルカの一言にルイスはハッとして顔を上げてルカをまじまじと見つめた。
ルカはルイスが生まれた時から既に王で、父というよりはずっと王さまだった。それはステラもだ。母というよりは王妃だったのだ。それが今日ようやく終わる。ようやくルカとステラはルイスの父と母になるのだ。
それに気づいたルイスが嬉しそうに笑みを浮かべると、ルカもそんなルイスを見て、今まで見た事のない顔で微笑んで一歩下がりそのまま退席した。
そこへカインがやって来て文書を延々読み上げ、最後にルイスが皆の前で誓約を言って戴冠式は幕を閉じた。
静かに戴冠の間を出ると、そこにはすっかりラフな格好に着替え終えたステラとルカが並んでルイスに向かって拍手をしてくれている。
そんな二人を見てルイスは年甲斐もなく走り出すと、二人を力いっぱい抱きしめた。
「父さん、母さん、どうかこれからも俺を見守っていてください。俺が何か間違えそうになた時は止めて下さい。そして……これからはもっと、家族で一緒に色んな所へ行きましょう」
泣きながらそんな事を言うルイスに、ステラとルカは揃って小さな笑い声を漏らす。
「ルイスは小さい頃から何も変わらないわね。誰に似たのかしら」
「うーん……泣き虫な所は俺かもしれんな」
困ったように言ったルカはルイスを抱きしめ、その背中を軽く叩く。
「今まで出来なかった家族がする事を、これから沢山しよう。その前にまずこの子が生まれてくるのが先だな」
「そうね。今から楽しみだわ。可愛がってあげてちょうだいね、お兄さん」
「お、お兄さん……」
ルイスはその言葉を噛みしめる様にステラの大きくなったお腹を見つめて顔を輝かせる。
最近しょっちゅうテオを抱かせてもらうのだが、赤ん坊はルイスが思っていたよりもずっと小さく、そして何故かとても重いと感じた。体重はとても軽いはずなのに、不思議なものだ。
「さて! 明日はいよいよ結婚式よ! あなたは明日の準備をなさいな!」
「はい。行ってきます」
ルイスは二人に頭を下げて足早に部屋に向かった。いよいよ明日はキャロラインとの結婚式だ。そう思うと何だか今から心臓がドキドキしてくる。
「ルイス様、キャロライン様からメッセージが届いていますよ」
部屋に戻るとトーマスがそっとスマホをルイスに差し出してきた。それを受け取りメッセージを開いたルイスは、ポツリと感激したようにキャロラインの名前を呟く。
「何だったんです?」
「ん? ああ、戴冠式おめでとう、というメッセージと明日からよろしくという……その、挨拶だ」
顔を真っ赤にしてそんな事を言うルイスに、トーマスはそれはもう嬉しそうに微笑んだ。
この国では花嫁と花婿は結婚の一日前は会えないというしきたりがある。独身最後の日はそれぞれの友人や家族に挨拶をしてまわるのが習わしだ。だからその点ではこの間のダニエルのした事は本来あまり歓迎されないのだが、彼らは仕事仲間でもあるので誰もそれを咎めたりはしなかった。
けれどルイスは王だ。やはり国民の手本になるようにしなければならない。ただ今回はルイスの戴冠式の翌日が結婚式だと言う事で、それにキャロラインが参加する事は許された。
「本当はお会いして伝えたかったでしょうね」
トーマスは先ほどの戴冠式で涙を浮かべて遠くからルイスの戴冠式を見守っていたキャロラインを思い出して言うと、ルイスは笑顔で首を振る。
「いいや。ちゃんとキャロの想いはあの時に受け取った。それに、こんなメッセージは恐らくどちらにしても直接言ってはくれなかっただろうからな。これで良かったんだ」
戴冠式でルイスが宣誓する時、キャロラインと目が合った。その時にちゃんとキャロラインの想いは汲み取れたはずだ。共にこの国をこれから支え守っていく者として。
「そうですか。それを聞いて私も安心しました。ではルイス様、ご友人に挨拶に行きますか?」
「そうだな。キャロはそれこそ今は大忙しだろうが、俺の方はさほど忙しくもないしな。結局誰が今城に居るんだ?」
「男子チームですね。女子チームは今日はキャロライン様の所にお泊りするそうですよ」
「そうか! それは楽しそうだな。では、俺達も今日は楽しもう」
「はい」
ルイスは重いマントを取り払ってトーマスを引きつれて友人たちが集まっている歓談室に移動した。すると、そこには見事に男子だけが集まっている。
「む、むさくるしいな……」
「皆思ってるんだからわざわざ口に出さないでよね」
扉を開けて入り口で固まってそんな事を言うルイスに、リアンは唇を尖らせる。
「いや、すまん。リー君がいるだけで大分華があるぞ。大丈夫だ」
「褒めてないよね⁉」
「ははは! すまん」
眉を吊り上げてそんな事を言うリアンに、ルイスは声を出して笑った。
王子でも王でもルイスはルイス。ここに居る皆は、きっとそう思ってくれている。一生ものの仲間だ。
「今日は皆ありがとう。家だと思ってゆっくりくつろいでくれ。ん? ダニエルとレスターはどうした?」
「ダニエルはエマちゃんがアジトに居るから明日来るってさ。レスター王子は新しい乾麺工場の稼働作業で忙しいって言って一旦戻ったよ。明日朝一でまた来るって相変わらず感動して泣いてた。血は争えないよな」
カインの言葉にルイスは腕を組んで深く頷いた。
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