番外編 ヒロイン達 後編

 ダニエルは体を起こしてエマをおもむろに抱き寄せた。


「てかさ、エマ、そろそろ結婚しよっか」


 まるで何でもない事のようなダニエルの言葉にエマは驚きすぎてダニエルを二度見してきた。


 今日一日一人で居たけれど、どこへ行っても何をしててもエマの事ばかりを考えてしまう。これはもう、さっさと結婚でもしてずっと一緒に居る口実を作ってしまった方がいい。


「ダニエル、それは俺も賛成ダ」

「そうダヨ。早くした方がイイ」


 一体いつから聞いていたのか、ケーファーとコキシネルが部屋の入り口に立っていた。そして二人して神妙な顔をして腕を組んで頷いている。


「なんだよ、二人とも。何かあったのか?」

「あっタ。エマ、人気。どこへ行っても男子に声かけられル」

「そ、それはコキシネルもでしょ! 違うよ、そういう意味のじゃないからね!」


 二人の言葉にエマは慌てて否定したが、それを聞いてダニエルは目の色を変えた。


「ふーん……分かった。エマ、すぐに書類取り寄せて籍入れんぞ」

「え⁉ い、いや、もう役所閉まってるけど……」

「大丈夫。こっちには歩く役所が居る」


 ダニエルはそう言って徐にノアに電話をして王都の婚姻届けの書類を一枚、至急送ってもらった。そこにエマが何か言う前にさっさと自分の名前を書いてエマに突き出してくる。


「な、何でノアさんこんなの持って……いや! そ、そうじゃなくて! で、でも私爵位も何もないし、今のままの関係でも全然幸せっていうか!」

「何だよお前、子供とか欲しくねーの? ていうか、俺が爵位とか気にすると思ってんの?」

「お、思ってないけどでも……」

「いいからさっさとサインしろ! あと、俺一人の休暇は今後一切とらない! 俺が休むときはお前も休め」

「そんな無茶苦茶な……」


 横暴だ。


 けれど、それがダニエルだと言う気もする。


「ほら早く!」

「わ、分かったよ! もう、全然ロマンチックじゃない!」

「大丈夫だよ、安心しろ。そんなもの結婚したっていくらでもしてやるから」

「……分かった」


 エマはそれを聞いて頬を染めて書類にサインした。まさかこんな感じで婚姻届けにサインする事になるとは思ってもいなかったエマだ。


 ダニエルはエマがサインしたのを見ると、そこにケーファーとコキシネルに見届け人のサインを求めた。


「俺達でいいのカ?」

「妖精でも大丈夫なノ?」

「関係あるか! 家族にサイン貰って何が悪いんだ! ほら、さっさと署名しろ」

「……ダニエルはほんとニ……」

「いいヨ! こんな時の為に私、人間語で自分の名前練習してタ!」


 コキシネルは意気揚々と見届け人の所に名前を入れた。その隣には妖精語でケーファーの名前が並ぶ。


「よし! サンキュ。じゃ、俺ちょっとこれ持って行ってくるわ!」


 そう言って上着を掴んで家を駆けだしたダニエルを、エマとケーファーとコキシネルはポカンと口を開けて見ていた。そして思い出してハッとする。


 だから役所はもう閉まっているのだ!


 ダニエルは馬を走らせて城までやってくると、門番に挨拶をして城の中に入れてもらった。しょっちゅうルイスがチャップマン商会で買い物をするので、もう門番とはすっかり顔見知りである。


 家令に案内された部屋でダニエルがルイスを待っていると、しばらくして血相を変えてルイスが部屋に飛び込んできた。


「よ! 王子」

「ダニエル! どうしたんだ、こんな時間に。ま、まさか何かあったのか⁉」

「いや、これ受理してもらおうと思って!」


 そう言ってダニエルがルイスに渡したのは、先ほど無理やりエマに書かせた婚姻届けだ。それを見たルイスが嬉しそうに顔を輝かせてふと我に返ったように言う。


「おめでとう! というよりもだな、これを俺が貰っても何も出来ないんだが」

「え⁉ 王子だろ? そのまま王に渡してくれればいいじゃん」

「いや、婚姻届けを受理するのは俺でも父さんでもないぞ。しいて言えば婚姻関係の大元はロビンだな。いや、今はもうカインか」

「マジか! ちょっと王子、あの妖精手帳一枚くれよ。今すぐ行ってくる!」

「いや、カインはもう寝てると思うぞ。明日じゃ駄目なのか?」

「駄目だ! どこの誰とも知らん奴らがエマにちょっかいかけようとするんぞ! お前、耐えられるか⁉」


 ダニエルのあまりの勢いにルイスは何かを察したかのように深く頷いた。


「無理だな。分かった。俺も行こう」

「わりぃな」


 ダニエルはそう言ってルイスが妖精手帳に『カイン』と書き込んだのを見てルイスの肩を掴む。


 カインの部屋に到着すると、それはもうカインはぐっすりと寝入っていた。


 時刻は夜の11時5分。11時になると眠ってしまうカインは、もう当然夢の中である。ダニエルとルイスは眠るカインを二人して覗き込んだ。


「寝てるな」

「ああ。何かちょっと起こすのもわりぃな……」

「……んー……?」


 何か耳元で聞きなれた声が聞こえた気がしてゆっくりと目を開いたカインは、目と鼻の先でこちらを真顔で覗き込んでくるルイスとダニエルを見て飛び起きた。


「うわぁぁぁ! な、え? な、なに⁉」

「起きたな」

「悪いな、カイン。おはよう」

「おはよ、いや、何で……え?」


 状況が全く理解できないカインに、ルイスが一枚の紙を取り出してカインに突きつけてくる。


「え、なに、これ」

「サインをやってくれ」

「は? サイン?」


 こんな時間に押しかけて来るなんて、そんな緊急の案件なのかと思いながらカインは明かりをつけて書類に視線を落とし、頬を引きつらせる。


「……こんなもん朝まで待てよ!」

「待てない。エマが他の奴にとられる」

「そうだぞ、カイン。これは緊急案件だ」

「全然緊急じゃねぇよ! 寝込みまで襲うなんて何考えてんの⁉ 二人とも馬鹿なの⁉」


 たかが婚姻届けである。一晩寝て役所に持ち込めばすぐにでも処理してくれるだろう。何もこんな時間にカインの所に直接持って来なくとも!


「まぁそう言ってやるな。仲間の結婚だ。喜んでやれ」

「嬉しいよ、そりゃ。でもな、朝までぐらいは待てただろ? てか、そんぐらい待てよ」


 呆れたカインにルイスとダニエルは揃って首を振る。これはもう、てこでも動かなさそうだ。カインは渋々書類に乱暴にサインをすると、それをベッドサイドの引き出しにしまった。


「はい、おめでと。おやすみ」

「え? これで終わりなのか?」


 サインだけ済ましてさっさとベッドに入って目を瞑るカインを見て、ダニエルとルイスは目を丸くする。


「終わり終わり。明日俺がこれ持って城行って登録したら終わり。おやすみ、グー」

「……寝たな」

「……早くね?」


 ベッドに横になってそれだけ言ってカインはまた健やかな寝息をたてはじめる。あまりの寝つきの良さにダニエルが驚いていると、ルイスがダニエルの袖を掴んで妖精手帳に『自室』と書いた。


 ルイスの部屋に戻って来た二人は、ルイスが淹れたお茶を飲んでホッと一息つく。


「それにしても……おめでとう! ダニエル。いや~シャルルに続いてお前もか! これは負けてられんな!」

「ありがとな、王子」


 心底嬉しそうな顔をするルイスに、ダニエルも照れたように笑った。こんな風にルイスとお茶を飲むなんて、もう一生無いかもしれない。しかもルイスが自ら淹れてくれたお茶だ。


「どんどん仲間たちが未来を歩んでいくな」

「次はあんただよ、王子。国民全員が、それを願ってるし待ってる」


 ルイスとキャロラインの結婚は、皆が待っている。


 あの宝珠を見た国民達は、国を、島を守り戦う彼らの姿に何よりも感動した。キャロラインは既に聖女と名高かったが、そのキャロラインをルイスがしっかりと支えていたのだという事も、あの宝珠で明らかになったからだ。


「ははは。そうだな。皆の期待に応えられるよう、がんばろう。またカインを夜中に叩き起こすか」

「ああ! 明日カインに生ハムとビール持ってくよ。それじゃ王子、こんな夜更けに付き合ってくれてありがとな! 俺達チャップマン商会はルイス王子を支持してる。何か困った事があったらいつでも言ってくれ。必ず力になるから」


 ダニエルの言葉にルイスは力強く頷き、固く手を握り合って別れた。ルイスはアジトまでダニエルを送ってくれると言っていたが、馬を門番に預けてあるのでダニエルはそれを断って、帰りはゆっくりと帰った。


 アジトに戻ると、アジトの前にはエマを筆頭にケーファーとコキシネル、そして両親がソワソワした様子で待っていた。


「ダニエル! あんたどこ行ってたの⁉ 急に出てったら心配するじゃん!」

「わりぃ。ちょっと王子と宰相に会って来てた。あ、婚姻届け受理されたぞ。これからもよろしくな、エマ」

「え……えぇ⁉」


 ダニエルの言葉にエマは仰け反って驚き、ケーファーとコキシネル、両親は喜んで手を叩いた。これでもう、エマは妻だ。誰にも渡さないし、誰にも手出しさせない。


 ダニエルは目を白黒させて驚くエマを抱きあげて、頬に口付けて皆に言った。


「あ、エマは明日休みもらうから」


 きっとエマは明日動けないだろう。それぐらいダニエルだって色々我慢していたのだ。


 そんなダニエルの言葉にケーファーは神妙な顔をして頷き、コキシネルは呆れたような顔をして、両親は何とも言えない顔をしていた。


「ああ、分かっタ。程々にナ」

「……エマにあんまり無茶しないでネ」

「分かってるって! じゃ皆、お休み!」

「ま、待って! なになに? こ、怖いんだけど!」

「大丈夫だって。ちゃんと優しくしてやるから、な?」

「な? じゃない! お、下ろしてーーー!」


 エマはこれから起こる事に何となく予想がついてダニエルの腕の中から逃れようとしたが、ダニエルはそれを許してはくれない。


 翌日、エマがベッドから這いずって起きて来たのは夕方だった。ダニエルは昼から仕事に向かってしまったようだ。朝までずっと動いていたのに、元気な事だ。


 アレックスの湿布を腰に貼ってもらい、疲れ果てた様子のエマを見てコキシネルがポツリと言う。


「エマ、しばらく覚悟してた方がイイ。ダニエル、多分一生あのまんマ。めちゃめちゃツヤツヤしてタ。いつもよりも仕事、上手くいってタヨ」


 それを聞いてエマは青ざめた。


「は、早まった……かも」


 何とも言えない顔で呟いたエマとダニエルの結婚生活は、まだ始まったばかりだ――。 

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