番外編 そして関係は、少しずつ変わり始める 後編
『アリス・ノア』
キリが部屋を出て行ったあと、ノアはまだしがみついて離れないアリスの頭を撫でた。支倉乃亜の記憶が戻り、自分がどうしてこのゲームを作ったかを全て思い出した。
だからこそ自分でも驚いている。あれほど執着したアリス・バネットへの想いすら、今はもうシャルと幸せになって欲しいと思えている事に。
「アリス、僕ね、全部思い出したよ。この世界にやってくるまでの事、全部」
ノアの声にアリスはハッとして顔を上げた。その目はどれほど泣いたのか真っ赤で、ぱんぱんに腫れている。そんなアリスを見てノアは苦笑いを浮かべてサイドテーブルに置いてあった水をハンカチに染み込ませて、そっとアリスの目の上に乗せてやる。
「顔、酷い事になってるよ。ちょっと冷やしとこうか」
目が腫れ過ぎてリアルに3になっている。こんな顔すら可愛くて仕方なく見えるなんて、本当に自分でもどうかしているとは思うものの、こんな風に思える事こそが自分はノア・バセットだという証拠だと思っている。
アリスの瞼を冷やしつつそんな事を言うノアにアリスは頬を膨らませた。
「誰のせい?」
「僕かな?」
「他に居ないよ! 兄さまはいっつもそうやって――」
「ストップストップ! お説教はまた元気になったらちゃんと聞くから、今は少しだけじっとしてて」
「……分かった」
アリスはじっとして説教出来ない。つまり、それほどに目の腫れが酷いから今は冷やしておけという事なのだろう。
アリスは大人しくノアの膝の上に頭を置いて寝転がると、ノアに髪を撫で続けられていた。それが無性に嬉しくて思わず笑みを漏らしたアリス。
「どうしたの? 何で笑ってるの?」
「んーん! 別に! 兄さまには内緒だよ!」
アリスが言うと、ノアの焦ったような空気にアリスはさらに笑ってしまった。それと同時に、涙がポロリと零れる。
それに気付いたノアが慌ててハンカチを避けると、心配そうにアリスの顔を見下ろしてくる。
「な、何で泣いてるの? これも内緒?」
焦るノアを見て、アリスはまたポロポロと涙を零す。そしてポツリと言った。
「兄さま……怖かったよ。凄く……怖かったよ……」
「うん」
「ダメだよ。私を守って死ぬとか……そんなの、全然かっこよくないんだからね」
「……うん」
「あんな事次したら、もう絶交だからね」
「分かった」
「約束じゃないよ。これはお願いだよ」
アリスが言うと、ノアは困ったように笑った。
「お願いかぁ。僕がアリスのお願いに弱い事知ってて言うんだもんなぁ」
「そうだよ。私、ズルいもん。兄さま約束はすぐ破るけど、お願いだけはちゃんと聞いてくれるって知ってるもん」
小さい頃からずっとそうだ。アリスのお願いを、ノアは滅多に断らない。何とかして叶えようとしてくれる。それがノアだ。
だから……アリスはずっとそれに甘えていた。甘えすぎていた……。こんなアリスだから、ノアはあんな勝手な事をしたのだ。
アリスが腫れあがった目でノアを睨みつけると、ノアは泣きそうな困ったような複雑な顔で笑う。
「全部思い出しても、やっぱり僕にはもう、このアリスしか居ないんだよなぁ」
「?」
「アリスには内緒」
ノアがウインクをして口に人差し指をあてて笑うと、アリスはハムスターのように頬を膨らませてジリジリ詰め寄って来た。
「なんで? なんで私には内緒?」
「え、さっき僕には内緒って言ったじゃない」
「私はいいの! バカだから絶対バレてるもん!」
「どんな理屈⁉」
とんでもない理屈でノアを責めてくるアリスに、思わずノアは噴き出した。
うん、やっぱりこのアリスがいい。
全然お淑やかじゃないし、裁縫はからっきしだし、ドレスにも宝石にも興味ない。
でも、誰よりも純粋で嘘のないアリス。いつでも真っすぐに前だけを見て力技で全てをどうにかしてしまおうとするアリスが、ノアは好きだ。
あれほど追いかけたアリス・バネットへの想いは、もしかしたらノアがこのアリスと出逢う為だったんじゃないかとさえ思える。
ノアはジリジリと近寄ってきたアリスを抱きしめて頭を顎でグリグリすると、アリスは小さい頃のように喜んでいたと思ったら、ふと動きを止めて真正面からノアをじっと見つめてきた。
「どうしたの?」
「……おはようのキス忘れた」
そう言ってアリスは突然、ノアの唇の端に軽くキスした。
それを受けてノアは一瞬キョトンとしたかと思うと、次の瞬間には口を押さえて顔を真っ赤にしている。
「え? ……えっ⁉」
「ほっぺだよ!」
ノアのあまりの顔の赤さにつられて真っ赤になったアリスは、フイとそっぽを向いた。
「い、いや、今のは唇……」
「ほっぺなの!」
そっぽを向いたまま叫ぶアリスの耳にノアの笑い声が聞こえてくるが、恥ずかしくて顔が見られない。
「……うん、ほっぺだね」
「そうだよ! もしもさっきのお願い聞いてくれなかったら、もう二度としないからね!」
「えー? それは嫌かなぁ」
「じゃあお願いちゃんと聞いて!」
「そしたらもっとしてくれるの?」
「か、考えとく」
「ははは! 前向きに検討しておいてね」
ノアはまだ林檎みたいに顔を真っ赤にしたアリスを抱き寄せて、髪がグチャグチャになるまで撫でまわした。
そんなノアにアリスは怒っているが、どっちみちアリスの髪を梳かすのはノアだ。これからもずっと。
『三兄妹』
キリが戻ると、アリスはノアを押しのけてベッドの上で豪快に眠っていた。一体何があったのか、目には濡れたハンカチが置いてある。
「えっと……これは一体……」
戸惑ったキリが言うと、ノアはさっきまでキリが座っていた椅子に座って甲斐甲斐しくアリスの目のハンカチを替えている。そんな光景を見ていると、ノアは本当にアリスの世話を焼きたいのだな、と思う。
そんなキリの思考など全く知らないノアは笑顔で言った。
「アリスの目がさ、尋常じゃないぐらい腫れててね。冷やしてるうちに寝ちゃったんだよ」
「はぁ……で、ノア様は何故そんな上機嫌なんですか?」
「え? 僕? そんな風に見える?」
「むしろそんな風にしか見えませんが」
淡々と言うキリにノアはもったいぶって、どうしよっかな~、などと照れている。そんなノアの反応を見てキリは何かを察した。
「いえ、いいです。良い事はそのままそっと胸の中に仕舞っておいてください」
「え、聞かないの?」
「何となく想像はつくので」
「絶対ハズレてると思うけどな!」
「別に当てたくもないのですが」
何となく鬱陶しい雰囲気のノアにキリが言うと、ノアはキリの話も聞かず嬉々として教えてくれた。
「あのね、アリスからここにキスしてくれたんだよ! もう僕、ちょっと本気でどうにかなるかと思った!」
ノアはそう言って唇の端を指さすと、キリは呆れたような顔をしてノアを見下ろしてくる。
「……大変喜んでるので、もっとど真ん中にしてもらったのかと思ったら……そこはほぼ頬ですよ」
「唇だよ!」
「頬です」
「唇だってば!」
とは言え、アリスも頬だと言い張っていたのだが、それはキリには伏せておくノアである。
キリは膨れつつアリスの目のハンカチを替えているノアを横目に、水を取り換えてやる。結局、こうやっていつも末っ子の面倒を見る羽目になるのだ。
「そういうキリもご機嫌じゃない」
「ミアさんに会いました」
「へぇ、良かったね。それでそんな機嫌いいんだ?」
「いえ、告白をしてついでにプロポーズもしました」
何てことない感じで爆弾発言をするキリに、ノアは驚きすぎて持っていたハンカチをアリスの顔の上にびちゃっと落とした。
その拍子にアリスはひぎゃっ! と不細工な悲鳴を上げて跳ね起きる。
「な、なに⁉ 誰⁉ 戦いの合図⁉」
「嘘でしょ⁉ ちょ、何でそんなやる事成す事スピーディーなの⁉」
内容は違うが全く同じ反応をする二人を見て、キリは口の端を上げてさらに告げる。
「ついでに言うと、もう了承は貰ったので、お嬢様が卒業したら結婚します」
「はぁ⁉」
「な、何言ってんの⁉」
やっぱり全く同じ反応を返してくるアリスとノアに噴き出しそうになるのを堪えながら、キリは淡々とお茶の準備をする。
「すみません、お嬢様、ノア様。俺は亀のように遅いあなた達の進展に付き合う程我慢強くなくて。それに、少しでも早く子供も欲しいので」
「け、結婚……ひゃー! カップリング厨の血が騒ぐーーー!」
「僕がようやく唇(ほっぺ)にキスしてもらえたのに……」
「……あなた達だけは本当に……駄目だ、もう無理!」
最後の最後に正反対の反応を見せた二人に、とうとうキリは噴き出した。
やっぱり、キリはここが好きだ。この人達が大好きだ。誰が欠けても駄目なのだ。
いつまでも報われない兄と、いつまでも兄の愛に気付かない妹。仕方がないから、もう少しだけ待ってやろう。
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