第四百十四話 お兄ちゃん

「キリ……ありがとう。じゃあ結婚式に招待するぐらいにしとこうか」

「はい、それが一番喜ぶと思います。リズ様も」


 手放したとは言え娘は娘だ。その娘が幸せだと笑っていれば、きっとリズも喜ぶだろう。頷いたキリに、ノアはいつもよりもずっと柔らかく笑ってくれた。


「さて! じゃあ僕達も行こうか。向こうに負けてられないからね」

「だな! よし、行くぞ!」


 張り切って歩き出したルイスに、アランがそっと言う。


「ルイス、君は今日は最後ですよ」

「おお! そうだった! すまん、癖だ」

「ボロ出さないでくださいね? 狙われて一番困るのはルイスなんですから」

「す、すまん」


 珍しくアランに叱られたルイスは素直に頭を下げて、意気揚々とルーイとユーゴと共について来る。


 一同は外に出て一面に広がる小麦畑を前に感嘆の声を上げた。そこには既に飛ぶ事が出来る妖精達が不織布を持って支柱に掛けて回っている。畝の間に一生懸命支柱を立てて回っているのは人間だ。


「こんな事になるなんてなぁ」

「この光景はずっと守っていきたいな」


 カインの隣でルイスが言うと、皆がコクリと頷く。


 夢みたいな光景を眺めていた一同だったが、畑で楽しそうに作業していたレスターに呼ばれて皆で畑に向かって歩き出した。

 

 時間は少しだけ遡り、畑にグランに住むほとんどの人達がやってきたと聞いて、アリスは胸が熱くなるのを感じていた。やはり皆が一丸となって何かをやるのはいい。


「ちょっとアリオー! ここどうしたらいいのー?」

「今行くー!」


 リアンに呼ばれて担当していた畝を離れると、そこにはアリスと同じような髪色をした男女がリアンと共に四苦八苦しながら不織布を扱っている。


「これはねー、ここをこうやって……ん?」


 不織布を受け取ってふとアリスが女の人の顔を見て、あ! と声を上げた。その声に女の人は驚いて慌てて顔を背けようとしたのだが、アリスはそれを許さなかった。


「やっぱり! リズさんだ! うわぁ~、懐かしい!」

「ひ、久しぶりね、アリスちゃん」


 リズはここにアリスがやって来た時、やっぱり前回のようにこっそり隠れてアリスの活躍を見守ろうと思っていた。


 ところが、ジョーがそれを許さなかったのだ。自分達の住む土地の事なのに手伝わなきゃ面目ない! そう言って無理やりここに引きずってこられたリズは、出来るだけアリスには会わないようにしていたというのに……。


 ジョーはアリスの事を覚えていない。別れた当時、ジョーはまだ幼かったというのもあるが、かけた魔法のせいなのか何なのか、あの頃の事はほとんど覚えていないのだ。


 でも、グランで暮らそうと決めたリズ達にとってはそれはとても好都合だった。


 あいにくジョーの本当の父親は三年前に病気で他界してしまい、それからも親子二人で今も仲良く暮らしているのだが、こうやって実際にアリスと会ってしまうとやはり胸が苦しくなる。


「何だ~! グランの人だったんだね! 知ってたらお土産持ってきたのに!」

「う、ううん、それはいいの。アリスちゃん、久しぶり。大きくなったわね」

「そんな事言うのリズさんだけだよ。皆、どこも成長してないっていっつも笑うんだから!」

「そうなの?」

「うん。もう一生このままなんじゃない? って言われるよ」


 そう言って頬を膨らませたアリスにリズとジョーは笑った。


「あ、紹介するわね。この子は私の息子の……ノアよ」

「ノア⁉ 凄い! 兄さまと同じ名前だ!」


 ノアと聞いて興奮して両手を掴んでくるアリスに、ジョーは戸惑っている。そんなアリスにリアンがポツリと言った。


「ノアはノアでも変態とは大違いだよ。こっちはどう見ても好青年じゃん」

「リー君! 兄さまは変態かもしれないけど、他はめちゃくちゃ優秀なんだからね!」

「それは知ってるけどそれ以外がさぁ、ちょっとね……人としてどうかって思う事ちょくちょくあるじゃん」


 リアンの言葉にアリスは思わず黙り込む。確かにノアは人としてどうかと思う事は多々あるが、それを差し引いても大好きな人には違いない。


 頬を膨らませたアリスを見てジョーがおかしそうに噴き出す。


「同じ名前なのか? 君のお兄さん」

「うん! ノアって言うの。あ、私はアリスだよ! よろしくね、えっと……ノアさん!」


 変な感じだ! 思わず頬を染めたアリスを見て何かを察したようにリズが少しだけ悲しそうな顔をする。アリスには何故リズがそんな顔をするのかが分からなくて首を傾げると、リズは慌てて首を振った。


「あ、違うの。何だか娘が居たらこんな感じなのかなって思っちゃっただけ。気にしないで」

「大丈夫か? 母さん。アリスさんも居るし、ちょっと休憩してくれば?」

「大丈夫、ありがとう、ノア」


 そう言ってほほ笑むリズを見てふとリアンが言った。


「髪の色も似てるし、そうやって三人で居ると親子に見えない事もないよ。写真撮ってあげるよ、ちょっと待って」


 あのダムのお披露目会でロビンに散々せっつかれたアランは、無事にスマホに写真機能を搭載する事に成功した。おまけにアリスの発案でそれをメッセ―ジと一緒に送れる仕様になったので、スマホはさらに売れているのだ。


 ただ難点はそれを紙に焼き付ける事が出来ないので、あくまでも写真はスマホの中でしか見られない。


 けれどそれについてはアリスはそれでいいと考えていた。このスマホの写真がもしも現像する事が出来てしまえば、絵を描く人が減ってしまうと考えたのだ。


 この世界の主流はやはり絵姿なので、それを仕事にしている人たちの仕事を奪ってしまうのは本意ではないと思っていたのだが、そこに思いもよらない嬉しい誤算があった。


 何か良い写真が撮れた時は、それを絵描きの所に持ち込んできて大きな絵にして欲しいと頼んでくる人たちがいるそうだ。そのおかげで絵描きの仕事が増えたと言って喜ぶ人達がいると聞いて、アリスは喜んだ。


「写真! 撮って撮って! そんで送って!」

「いいよ。はい、そこ三人並んで。リズさん、顔引きつってるよ! 笑って笑って」


 リアンは細かく手で三人の立ち位置を調整しながら写真を撮った。それを見て満足げに頷く。


「うん、いいのが撮れた。ただなぁ……」

「なに?」

「あんた、男装してんだよね……バックもただの土だしなぁ……気に入らない! ちょっと、来年小麦畑で穂が金色の時にもう一回撮るよ! こんなの僕の美意識が許さない!」


 その言葉にリズが目を丸くしてリアンを見たが、リアンは何かに火がついてしまったようで、ずっと写真を眺めながらブツブツと呟いている。そんなリアンの手元を覗き込んだジョーは肩を揺らして笑った。


「いいじゃないか、母さん。また撮ってもらおう。だってほら本当に親子みたいだよ。男装してるからかな、弟が出来たみたいで俺も嬉しい。あ、いや、もちろんアリスさんは男爵家のお嬢さんなんだけどさ!」

「ほんとだ! 私もまた撮りたい! それにノアさん、うちは男爵家って言ったってノミみたいに小さいから平民と変わらないよ!」

「ノ、ノミ? ふは! どんな例え方するの」

「だ、だって兄さまが言ってたもん、うちはしがないノミみたいな男爵家だって」

「そっちのノアは面白い人だね! そっか、じゃあ呼び捨てでもいい? 俺もノアでいいよ」


 ジョーが言うと、アリスは一瞬顔を輝かせたが、すぐに何かを考え込むように首を捻り、ポンと手を打った。


「何かノアって呼び捨てはしにくいかも……じゃ、お兄ちゃんって呼ぶよ! いい?」

「お兄ちゃん? そりゃ構わないけど……はは、本当に兄妹が出来たみたいだ。な? 母さん」

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