第三百六十話 エリザベス
「はは! そうだね、君はそう言うだろうなって思ってたよ。リズがアリスをここへ置いてジョーの本当の父親の所に行ったのはね、理由があるんだ。本当はリズはアリスも連れて行くつもりだった。でもね、君が言ったんだ。アリスまで連れて行ったら、ユアンは嘘だと気づくかもしれないって。ほとぼりが冷めるまでアリスはここに置いておいて、全てが終わったら迎えに来たらいいってね。その言葉にリズは頷いた。ジョーもアリスもリズにとっては可愛い子供だ。本当はどちらも置いていくなんてしたくなかったんだろう。でも、もしもユアンに見つかったら三人とも無事では済まないかもしれない。それならばノアの作戦に乗ろうと僕が言ったんだ。それと、君が聞いた僕とリズの喧嘩というのは、君の言う通り君達が兄妹だという魔法をかけるかどうかの喧嘩だったんだ。リズは魔法をかけようと言ったんだよ。アリスはまだ幼い。兄が突然居なくなってしまうのはあまりにも可哀相だ。ノアも逃げて来たと言うからには何か深い事情があったに違いなくて、それならばもうこの二人は兄妹だと思わせた方がいいって。でも、僕はそんな事をしたらノアが本当の事を思い出した時に混乱してしまうと言って譲らなかったんだ」
「母さん……」
ずっと他所の男と一緒に出て行った母親だと思っていたノアからしたら、まさかリズがそんな事を考えていただなんて思いもよらなかった。
「幸いな事に、ユアンはアリスの顔も名前も知らない。もちろんジョーの名前も顔も。だから僕は急いで戸籍をお金の力で書き換えてアリスを僕の子供という事にして、ジョーの死亡届を出したんだ。君に言われた通り偽物のお葬式まで出して、お墓もちゃんと作ったんだよ。あの時は本当に驚いたんだ。君がね、言うんだよ。本物の悪党は墓を暴いてでも死んでるかを確認するから、何か動物の骨でいいから焼いて一緒に埋葬しようって。そこまでする⁉ って思ったんだけど、実際に次にユアンが来た時、連れてきた従者と一緒に墓を掘り起こしていたからね……あの時は本当にホッとしたよ」
「……ノア……あなた、どれだけ用心深いんですか……」
「それは今の僕に言われても……」
そんな事まで指示したのなら、やはり四歳のノアにはまだ確実に支倉乃亜の記憶があったのだろう。わざわざ焼いて埋葬したのも、流行病だったという理由をつける為だ。
「で、これでユアンはジョーを諦めた。でも、まだアリスが居る。今度はそっちを出せと言ってきたんだ。そうしたらノア、君がユアンに言ったんだよ。この時既に君はうちにジョーの代わりに引き取られた養子と言う事になっていた。それを踏まえた上で、可愛がってくれたリズは心を病んでしまってもう二度と会えないかもしれない。おまけにお腹の子も流れてしまった。それは全部お前のせいだ、ってね。流石のユアンも僕も驚いたよ。まさかアリスが生まれてすら居なかったって事にするなんて思ってもみなかったからね。まぁアリスは僕の子だって皆は思ってるからあながち間違いではないんだけど、咄嗟によく思いついたなって感心したんだ」
あの時のノアの演技は迫真すぎて怖かったアーサーである。見ていた使用人達もあまりのノアの演技に思わずそれが芝居だと言う事すら忘れてノアに加勢した。
そんな中、アーサーと手を繋いでいたアリスがノアの手を取って言ったのだ。
『兄さま、どこか痛い?』
と。
そんなアリスの手を握ったノアは、とても優しく悲しそうにアリスの手を握り返した。
それを見た時にアーサーは思った。リズの言う通りだったのかもしれない、と。リズは、これから十六歳の記憶を失っていくであろうノアの心も守りたかったのかもしれない。
「ごめんね、ノア。僕が君達に魔法をかけたんだ。君達は兄妹だと思わせる魔法を。アリスは既にリズがかけた魔法のせいで僕を本当の父親だと思い込んでた。その上に僕が魔法をさらにかけてしまったから、あんな風になってしまったのかもしれない……」
二重にかかった魔法のせいでアリスはあんなにも破天荒に育ってしまったのかもしれない、とアーサーはずっと気に病んでいた。年頃になってもいつまでもドレスやアクセサリーよりも、山に入っては珍しいキノコや動物に興味を示すアリス。あれはもしかしたら全てアーサーのせいかもしれない。
落ち込むアーサーにノアとシャルルは苦笑いを浮かべた。
「父さん、大丈夫。あれはアリスの性格だと思うよ。そっか……そういう事だったんだ。やっぱり僕はレヴィウスの人間なんだね」
「そう、だね。キリもそれを知っていて、ずっと君に隠していただろう? あの子は可哀相に、ずっと君の隣で君の記憶が少しずつ無くなっていくのを全て見ていたんだ。その度に僕に報告に来てくれていたよ。今日はこんな事を忘れてしまいました、今日はこんな事です、って。それを聞いて僕達も話の辻褄を合わせていたんだ。有難い事にアリスはあの通り大らかというか、細かい事を気にしない質だからすぐに君に馴染んでいたけど、キリはずっと怖がってたよ。もしも君がレヴィウスに帰りたいと言い出したら、自分はどうなるんだろうって。また捨てられるのか、ってね。もう家族だというのにね」
「キリを養子にしようとは思わなかったの?」
「言ったんだよ? でもキリはノアを兄とは呼べないって。自分はこのままの関係がいいんだって。ノアを支えるのが自分の役目なんだってさ。ほら、キリはそういう所、強情でしょう? 言い出したら聞かないんだ、昔から」
そう言って笑ったアーサーを見て、ノアも笑って頷いた。確かにキリは昔から強情だ。何を言っても誰が言っても最後の信念は絶対に曲げない。
「そっか……僕はそんな事を父さんたちに言ってたのか。でも、5年前に片付いたんなら、母さんはアリスを迎えに来なかったの?」
5年前というなら、アリスはまだバセット家に居たはずだ。
ノアの問いにアーサーは肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「いいや。リズはアリスを引き取りに来たよ。でも、アリスはリズを見て笑顔で、誰? って聞いたんだ。すっかり本当の母親の事を忘れてしまっているって気付いてリズも僕も慌てて魔法を解こうとしたんだけど、アリスの魔力の方が僕達の魔力よりも強くて解けなくてね――」
そこまで言ってアーサーは、ふとあの時の事を思い出した。
全てが片付いてユアンが処刑された事をアーサーがグランに身を隠していたリズに報告すると、リズはすぐさまアリスを引き取りにやってきたのだ。
けれど、アリスにかかった魔法は解けず、猿のように育ってしまった破天荒なアリスを見てリズは倒れてしまった。
目を覚ましたリズはその後アリスと丸一日話し込んだ。
そして翌朝、皆で朝食を食べたあと、リズはアーサーの部屋にやってきてポツリと言った。
『兄さん、アリスを、あの子をこれからもお願いしてもいいかしら?』
『どうして? 今のアリスに失望した?』
自分でも随分意地悪な質問をしたものだと思うが、リズはそれを聞いても怒りはしなかった。ただ、ゆっくりと首を振って涙を零して笑ったのだ。
『そんな事ある訳ないでしょう? そうじゃなくて……あの子、ノア達の事が本当に好きなのね。昨日ずっと話してたけど、どの話にもノアとキリとあなたが出て来るの。色んな話をしてくれたけど、そこにもう、私は居なかったわ。そんなアリスを、私は連れて帰れない』
『……リズ……ごめん。もっと早くに対処すれば良かった』
『ううん、大人の事情にあの子達を巻き込んだのは私達の責任だもの。それに、アリスはとても幸せそうだわ。あの子はあれね、きっと大物になるわね』
泣きながらおかしそうに笑うリズを見て、アーサーは昔のようにリズの頭を撫でて言った。
『今からでも戻ってくるかい?』
『ううん、私も今は幸せに暮らしてるし、ご近所さん達とも凄く仲良くなったからね! 戻らないわ』
『そうか。でもリズ、これだけは覚えておいて。ここはいつまでも君の家だし、いつでも帰ってきていいんだからね。もう何も心配しなくていいんだからね』
『うん。ありがとう、兄さん。でもね兄さん、兄さんも早く良い人見つけなきゃダメよ? 言っておくけど、兄さんってばアリスやノアにまで心配されてるみたいよ?』
『え! そ、そうなの?』
『そうよ。アリスが言ってたわ。このままでは父様を看取るのは兄さまと私とキリになりそうだって』
真顔でそんな事を言っていたアリスに、思わずリズは噴き出してしまった。それほどアーサーはアリス達に慕われているのだと。もうすっかり家族になっているのに、それを今更壊したいとは思わない。思えない。
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