第三百五十三話 アリスの秘密

「……これ、は……」

「ちょっと待て、これは……」

「……」

「あなた達の話を聞いてから私も調べたんですが、ノア君、大丈夫ですか?」


 家系図を覗き込んで黙り込んでしまったノアにロビンが心配そうに声を掛けると、ノアはハッとしたように顔を上げてポツリと言った。


「だから誰も、母さんの事は口にしなかったのか……」


 誰に聞いてもはぐらかされてしまい、母親の事は何一つ聞けなかった。アーサーに至っては分かりやすく体調を崩すので、幼心にノアはもうそれ以上母親に触れるのは止めようと思っていたのだが――。


「おかしいと思ったんだ。僕の事は魔法にかけられてて息子だって思い込んでるのに、どうしてそこまで頑なに母さんの事を誰も話してくれないんだろう? って。もしかして僕の事を本当は知ってるんじゃないかとも思ってたんだけど、なるほどね。そういう事」


 腕を組んで何かに納得したようなノアを見て、ロビンもカインも驚いている。この家系図が真実であれば、ノアはきっとショックに違いないと思ったが、どうやらそうでもないらしい。やはり、よく分からない男である。


「一体何事だ? そんなおかしな事になっているのか?」

「どれ、俺にも見せろ」


 固まる三人を押しのけてルイスとルカが同じように家系図を覗き込んでゴクリと息を飲んだ。そこには、バセット家の秘密がありありと書かれていたからだ。


 バセット家の現当主はアーサーだ。それは間違いない。


 けれど、問題はここからだ。アーサーに結婚歴が無いのだ。では、アリスは一体誰の子なのか。それは誰がどう見ても一目瞭然だった。


 アーサーの妹、エリザベスとなっている。つまり、アリスはアーサーとは甥と姪の関係だという事だ。アリスの本当の父親はユアン・スチュアート。そこには既に二重線が引かれていて、離婚した事になっている。


 ところで、誰だこれは。ルイスはそんな思いを込めてルカを見上げると、ルカは唖然としたような顔をして言った。


「ユアン・スチュアートって、あのユアン・スチュアート……か?」


 その言葉にロビンは頷いた。


「でしょうね……私もあの話を聞いてこれを借りて見た時は驚きました。あの時の被害者に、アリスさんのお母様も居た、と言う事です。でも今まで全く気付きませんでした……」


 ノアが登城した時にもこの家系図は確認していたはずなのに、何故誰もこの事に気がつかなかったのか。ノアなど、家系図に名前すら無いというのに。


 これはまるで、島の外にある国の事をすっかり忘れていた現象と同じではないのか。


 そして何よりも、ロビンはアリスの本当の父親の素性に眉根を寄せた。


「親父、どういう事だよ? 被害者ってなんなんだ? 誰なんだよ、これ」

「あまり気持ちのいい話ではないんですが、まぁ簡単に言えば、ユアンは何度も結婚詐欺をしては家の財産を奪った悪党です。元公爵家の長男だったのですが、遺産目当てに何人もの妻を殺害した罪で捕まり、処刑されました。殺害されなくても財産を取られ泣き寝入りした家も多く、全ての被害者が明らかになった訳ではなかったんですが……まさかここにこんな繋がりがあるとは……おまけに子供まで残していたなんて……どうして今まで気づかなかったのか……」


 そしてそれがアリスだとは思いもよらなかった。ロビンは視線を伏せた。それを見てノアがポツリと言う。


「僕がバセット家の子供ではないって事はいくら公表していただいても構いません。でも、アリスの事だけは、ここだけの話にしておいてもらえませんか?」


 アリスはノアとは違ってこういう部分はとても繊細だ。本当はノアが本当の兄ではないと分かった時も、気丈には振舞っていたが、こっそり泣いていたのも知っている。ようやくどうにか折り合いはつけたみたいだが、それでもノアの事を今でも「兄さま」と呼ぶのは、もしかしたら心のどこかでまだそうであって欲しいと思っているのかもしれない。だからその事に関してはキリも触れないのだ。


 ノアの言葉にルカは頷いた。


「もちろんだ。それに、アリス嬢は既にアーサーの養子になっているのだから、バセット家の正当な当主になるのは間違いない。それに、それは君もなんじゃないか?」


 ルカのからかうような目にノアは小さく笑った。いずれはアリスとどうにかして結婚してみせるというノアの心など、ルカはお見通しなのかもしれない。


「見た限り君達の母親はこの後再婚などはしていないが、君の話ではどこか別の男の所に行ったと言っていたな?」

「そう、聞いてます。ですが家系図を見る限り、アリスの本当の兄、ジョーもまた違う人との子ようなので、ここから推測するに、母さんは今、このジョーの父親と暮らしているのではないか、と」


 家系図ではジョーもまたアーサーと血が繋がっていない。そしてジョーの父親は家系図には名前が載っていないのだ。多分、相手は貴族ではないのだろう。そして母親がジョーだけを連れて家を出たのも、それが理由だったのではないだろうか。


「これは……結局当事者に聞かない事には分かりそうにありませんね」


 ポツリとシャルルが言うと、ノアも頷いた。


「多分、父さんも分かってるんじゃないかな。僕をジョーだと思い込んでいるかもしれないけど、僕達が自分達の子ではない事は分かってるわけだから、いつか聞かれるだろうって思ってると思うよ」

「そうだな。アーサーさんに聞くのか……聞きづらいなぁ」

「……だな。あんな人のいい人間も中々居ないからな……」


 カインとルイスの言葉にノアは無言で頷き、ロビンとルカとシャルルは首を傾げている。


「そうなのか? あまりアーサーと話す機会は無かったから分からんが、そんなに人がいいのか」

「それはもう、あの領地を見れば分かる事ですが、人の良さに付け込まれてある日破産したと言われても信じるレベルには人がいいですね」

「それは言えてる」

「うちが傾いたのは確実に父さんの人の良さも一役買ってるからね。そこは否定しないよ」


 何せ行きずりの子供を拾ってホイホイ自宅に上げてしまうような男だ。未だに領民の子供達を預かって面倒を見ていたりするのも、何事にも大らかなアーサーのなせる業なのだろう。


 そもそもあんなにも破天荒なアリスを寄宿学校に入れたり教会に閉じ込めたりしない時点で相当人が良い。


「父さんにも幸せになって欲しいんだけどな。誰か良い人居ないのかな」


 アーサーの浮いた話など一切聞いた事がないノアである。今度帰ったら大人しくハグしてあげよう。


「何にしてもこの家系図を見て何か分かるかと思ったんですが、結局謎は深まったばかりですね」


 シャルルの言葉に一同は頷く。知りたくない事まで知ってしまった感じだが、ロビンは眼鏡を押し上げて言った。


「どうします? エリザベスさんを探しますか?」


 その言葉にノアは頷いた。


「お願いします。ただ、母さんに会うのは僕だけにしときます。アリスの母親はもう、ハンナ一人なので」

「そうですか。分かりました。では引き続きエリザベスさんを探しましょう」

「ええ、お願いします。今日は突然押しかけてきてしまって申し訳ありませんでした」

「いえいえ、もしかしたらこれが何かの解決の糸口になるかもしれませんから」


 そう言ってロビンは広げた家系図を丸めて部屋を出て行く。それに続いてノア達もルカに挨拶して、そのままルイスの部屋に向かった。


 部屋に入るなり、ふとカインが口を開いた。


「でも、解放してくれてありがとう、ってのは結局この事だったんだろうな?」

「分かんない。その頃は僕にはまだ記憶があったらしいんだ。だから何かを母さんに言ったのか、もしくは母さんに何か頼まれたのか……どちらにしても思い出せない事にはどうにもならないんだよ。とりあえず父さんともう一度ちゃんと話をするよ。悪いんだけどシャルル、僕だけバセット領に送ってくれる?」

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