第二百三十四話 魚介のポワソン+おまけ
ポワソンの領主はいつも酒を飲むたびに愚痴っている。自分の所には何も無いんだ、とんだ外れ領地だ、と。今まではバーリーもその仲間だったのだが、今やビールで大成功しているので、余計にポワソンの領主は落ち込んでしまった。どうにかしてやりたいとマヤーレの領主とずっと考えているのだが、貝類やイカやタコしか獲れないのであれば、やはり難しい。
俯いたキースの耳にノアの丁度いいね、という言葉が聞こえてきたのはそのすぐ後だった。
「え⁉」
「魚介類のスープとは言え、主原料はほとんどが貝やタコ、イカ、エビなどなんです。もちろん魚も入っていますが、圧倒的に出汁になって美味しいのは貝類などの方なんですよ」
「そ、それは……本当ですか⁉」
前のめりになって詰め寄って来たキースに、ノアは珍しく驚いて頷いた。
「ほ、本当です。私達が探していたのはそういう場所なので」
「お……おぉ……ちょっと! ちょっとお待ちいただけますか⁉」
「え? は、はい」
頷いたノアを見るなり、キースはあちこちぶつけながら部屋を飛び出してどこかへ行ってしまう。
しばらくして、どこかへ行っていたキースが息を切らして戻って来た。
「お、お待たせしても、申し訳、ありません!」
「いい。大丈夫だからとりあえず座れ」
ゼーゼー言っているキースを見てルイスはすぐさま椅子を勧めた。
キースはそんなルイスにあたまを下げて恐縮したように座ると、二枚の紙を取り出した。
「こ、これを貰ってきたんです。マヤーレの領主のウルトとポワソンの領主のスニークからです」
キースが取り出した紙を見て、ノアとカインは顔を見合わせた。
そこにはあちこちにインクを散らし、明らかに急いで書いたであろう短い文章で、こう書き殴られていた。『ポワソンの権利を、一時的にキース・バーリーに預ける』と。もう一枚も大体同じ内容だ。マヤーレの権利をキースに預けるという委任状だった。
「こんな簡単に……」
呆れたようなノアにキースも苦笑いをしている。それほどまでにマヤーレとポワソンはひっ迫していたという事か。もっと早くに来れば良かった。
そんな事を考えながらノアは二枚の書面を取り出して、空白の部分に契約内容を書き込んだ。こんな事もあろうかと常に持ち歩いている契約書だ。
「お前、引き出しだけじゃ飽き足らず……」
「新しい土地に行く時は常に持ってるよ。経営者として当然でしょ。では、こちらがポワソンとの契約書、こちらがマヤーレとの契約書になります。内容を確認して、了承していただけるならサインを頂けますか? ついでに、こちらの委任状は契約書と一緒にこちらで保管しますので頂いても?」
「も、もちろんです! ああ、ウルトとスニークが泣いて喜ぶ!」
そう言ってキースは契約書を隅から隅まで舐めるように読み始めた。
キースとマヤーレのウルトとポワソンのスニークは学生の頃からずっと仲の良い評判の三人組だ。
しかしその内のバーリーだけにビール工場が出来た事で、その仲は少しだけギクシャクしてしまうのではないかと恐れていた。
けれど、それはキースが勝手に思っていただけだ。ウルトとスニークはそれを聞いて、まるで自分の領地の事のように喜んでくれたのだ。キースはそれが嬉しくてたまらなかった。領地がそれぞれ隣同士という事ももちろんあるが、それ以上に強い繋がりがこのオルゾ地方にはある。それをビール工場が出来た時の二人の反応を見て実感したのだ。
キースはルイス達を待たせてまで二人に転送装置を使ってすぐに手紙を送った。
返事が来るまでの時間はさほど長くなかったが、心臓が張り裂けそうだった。心配で、じゃない。新しい事を同じように仲間と一緒に始められるかもしれないという高揚感だ。
やがて届いた返事はどちらも全く同じだった。『お前に任せる。後は頼む。すぐにそちらに向かう』
たったそれだけの文章と、どちらの手紙にも委任状がしっかり入れられていたのを見て、思わずキースはその場で手紙を握りしめて蹲ってしまった。
自分の領地の未来を預けるという事は、自分の人生を、生活の全てを預けるのと同じ事だ。それを二人は送ってくれたのだ。それほどまでに、キースは二人に信頼されているのだ、と。
「待ってろよ、スニーク、ウルト! 失敗するのも成功するのも、いつも俺達は一緒だ!」
いつも子供達に読んで聞かせる冒険譚の主人公になったような気持ちでキースは工場に戻った。委任状をアリス工房が受け入れてくれるかどうかは、賭けだ。ノアがキースを信頼してくれるかどうかにかかっていたが、ノアは委任状を持って戻ったキースを見て呆れて笑っただけだった。
二枚の書類を読み終えたキースが震える手でサインをしてノアに渡すと、ノアはそれをチラリと見てキースに付き返してきた。
「!」
やはり委任状では駄目か! そう思った矢先、ノアが柔らかく笑ってもう二枚、新しい書類を出してくる。
「委任状なんだから自分の名前書いちゃ駄目ですよ。ここに、お二人の名前を入れてください。委任された者として」
「あ……そ、そうか! すみません」
「いえいえ。落ち着いてください」
「は、はい!」
うっかりどちらの書類にも自分の名前を入れてしまった。ノアの、委任された者として、という単語がとても重くのしかかる。自分の名前を入れる時とは全然違う。親友二人の、オルゾに住む全員の生活と夢が今、キースに委ねられている。そう思うと余計に震える。
いつまでもサインが出来ないキースを見兼ねたのか、ふとルイスが口を開いた。
「なぁキース、そんなに震えなくても大丈夫だ。何せこの事業は俺の自慢の婚約者が携わってるんだ。絶対に成功する。お前の夢も、友人の夢も。そうだろう?」
「は……はい!」
涙が出そうになった。ルイスまでもが応援してくれている。大丈夫だ。絶対に。
ようやく、キースは二人の名前を書面に書くことが出来た。それをノアに手渡すと、ノアはすぐさま電話をしだす。
「キャロライン? スープ工場と豚の加工工場の契約が済んだよ。場所はオルゾ地方のマヤーレとポワソン。領主名はウルト・マヤーレとスニーク・ポワソン。ダニエルとリー君にも伝えておいてね。すぐにこっちに誰か寄越してって。うん、お願いします」
簡単な電話だ。報告の為の。でも別に今しなければならなかった訳じゃない。あまりにも震えるキースの重荷を少しだけ軽くしてやろうと思っただけのノアの機転だったのだが、その効果は絶大だったようだ。
キースは電話の内容を聞き終えた途端、大きな息をついてソファにドサリと崩れ落ちた。そしてそのまま意識を失ってしまったではないか!
「……」
「……」
「……え、どうしたらいい?」
ポツリと言ったカインの言葉に、それまでまるで置物のように部屋の隅で動かなかった工場の副管理人が真っ青になってキースに駆け寄った。
「キ、キースさまぁ! いいところ! 一番いいところでどうして気を失うんですかぁ!」
「く、は! ははは! どれだけ緊張していたんだ!」
声を出して笑ったルイスにつられて、その場に居た全員が笑いだした。
その笑い声は、気を失ったキースの夢の中では親友と領民達の笑い声に変換されていた。
とても、とても幸せな夢だった――。
おまけ『老後の計画はお早めに』
※キースが部屋を出て行って待っている間のお話です。
キースが居なくなった部屋でルーイはトーマスを肘で小突き、ボソボソと話し出した。
「おい、バセット領には一体何があるんだ? ステラ様について行った騎士達も城に戻って来て開口一番にあそこに住みたい、戻ってきたくなかった、などと嘆いていたんだが」
会話が聞こえていたのか、突然クルリとルイスが振り返った。
「バセット領はな、俺も住みたいと思ったぞ! なぁトーマス?」
「はい。老後は是非ああいう所で暮らしたいですね」
「うちはいつでも大歓迎だよ。ルイスの従者止めたらいつでも来てくださいね」
トーマスの言葉にノアも振り返って言うと、オスカーも手を上げた。
「俺も! 俺も行きます!」
「あ、ズルいぞオスカー! 俺も行くからな、ノア! あそこは動物たちにとっても最高の環境だしな!」
オスカーに続いてカインまでそんな事を言いだす。すると、ルイスも腕を組んで頷いている。
「俺も子供が大きくなったらさっさと王位を譲ってキャロと移住しよう」
いよいよルイスまでそんな事を言いだしてしまい、ノアは顔を歪めた。
「え、ルイスとカインはいいよ、来なくて。しっかり死ぬまでルーデリアを守るの頑張ってよ」
「お前は鬼か! いい加減な所で休ませろ!」
「そうだよ! 何でそんな俺達にだけ冷たいのかな⁉」
ノアに猛抗議をするルイスとカインを見てルーイもトーマスもオスカーまで笑っている。
「なんかぁ、俺ぇ、やっぱこっちに来て良かったなぁ」
毎日が何だかんだ言って楽しい。生きていると実感できる。あの宝珠を見てから、この世界が何度もループしているのだと知って、余計にそんな当たり前の事を実感するようになった。
そう思うと、今までどれほど自分が毎日何気なく生きていたのかが分かってしまった。だから余計にそう思うのかもしれない。ユーゴの言葉に、隣のルーイが噛みしめるように頷いた。
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