第二百三十一話 襲われたグラン

「二人ともお帰り~どうだった?」

「ああ、それがな……キース・バーリー! どうして領主だとすぐに名乗らないんだ!」

「えっ⁉」

「ええ?」


 戻ってくるなりそう言って工場長を指さしたルイスにカインもアランまでもが驚いた。それを受けてキースは今思い出したかのように慌てて頭を下げる。


「し、失礼しました! 私がバーリーの領主のキース・バーリーです」

「うん、さっき奥さんに聞いて来たよ。それでね、妖精の件なんだけど、ビールの事、凄く気に入ったみたい。すぐにでも働きに来たいって妖精が既にうじゃうじゃいるみたいだよ」


 ノアの言葉にキースを含め、従業員達が一斉に歓声を上げた。特に大麦とホップを作っている農家の人達は涙ぐんでいる。相当疲れていたのだろう。可哀想に。


「カインとアランから詳しい話は聞いているかもしれないけれど、妖精たちへの対価はお金じゃなくてビールなんだ。向こうが提示してきたビールの本数はこれだけ。出来そうかな?」


 そう言ってノアはシャルルから聞いた本数を書いた紙をキースに手渡すと、キースは驚いた。


「これっぽっちでいいのですか?」


 意外と少なかった要求量にキースが言うと、ノアは笑った。


「妖精たちは人間の様にがめつくはないからね。本当に自分達だけが欲しい量を言ってくるんだよ。だからもしも妖精たちの働きぶりに本数が合わないと思ったら、本数を増やしてあげてもいいし、それこそ食事を提供してあげてもいいし、そこらへんはお任せするよ。ちなみに、ネージュでは本格的に妖精たちを社員として受け入れる予定らしいよ」


 それを聞いたキースは頬を紅潮させて無言で頷いた。どうやら相当喜んでいるようだ。流石妖精大好き領主である。


「あと、ここからはキースさんに個人的にお話があるんだけどいいかな?」

「? もちろんです! それじゃあ皆、持ち場に戻ってくれ! 妖精たちに負けないように、俺達も頑張らなくては!」


 キースの言葉に、顔に似合わず可愛いものが大好きな領主をからかいながら従業員達は持ち場に戻って行った。どうやら職場環境もいいみたいで安心だ。



 アリスは今、グランの荒れた荒野に居た。刀を握り、その眼差しは目の前の敵だけを見据えている。隣にはキリが自分の双剣を構え、その隣にはオリバーも小型ナイフを構えている。


「行くよ!」

「はい」

「了解っす」


 走り出した三人は、敵の真正面から突っ込んで行った――。


 どうしてこんな事になっているのかというと。


 ミランダの家でバカ騒ぎをした翌日、朝になってルイスからキャロラインに贈り物が届いていると、わざわざ役所の人が持ってきてくれた。それはアリスの念願のビールだった。試飲だと称して皆でちょびっとずつ飲んだのだが、これが大変好評だった。


 それがすぐにエドワードの耳に入り、飲んだ領民達から話を聞いたあと、彼はすぐさま動き出したのだ。


 まだ開拓していない広大な荒れ地を耕し、大麦とホップを育て、ここにもビール工場を建てる為に。


 今まで何せ小麦しか無かった土地だ。新しい植物を植えてそれが特産物になれば、そしてそれがグランの中だけで作れるようになれば! そう考えての事だったのだろう。


 もちろんその計画にキャロラインは頷いた。アリス曰く、ビールというのはその土地土地で味が微妙に変わると言う。いわゆる地ビールである。


 天才アリスが言うのなら間違いはないはずだ。そう思った領民達はすぐさま鋤や鍬を持って荒れ地を耕しに出かけたのだが、しばらくすると、一人が怪我をして戻ってきた。


「ど、どうしたの⁉ これは何事⁉」


 足を引きずって戻って来た青年を抱き留めたキャロラインに、青年はポツリポツリと話し出した。


「そ、れが……よく、分かんな……ばけ……もの……」


 そう言って青年は意識を失った。


 キャロラインが青ざめてアリスを見ると、アリスは無言で頷いて背中に背負っていた刀を取り出す。


「エマ! あんたは白魔法が使える! その人の治療をお願い! キリ、オリバー、行くよ!」

「はい」

「っす」


 それだけ叫んで走り出したアリス達を、突然名指しされたエマは何が何だか分からない様子でダニエルを見上げた。


「あいつ……何言ってんだ?」

「わ、分かんない……私、魔法なんて……」


 おろおろするエマの肩をリアンが掴んだ。


「使える! 絶対に使えるからやってみて! 早く!」


 青年の怪我は酷かった。ぐったりとして息も浅い。青年の家族がそれを聞きつけて家から飛び出してきて、彼の傍らで泣き叫んでいた。


 そんな光景を見て立ち上がったのはキャロラインだ。エマの手を取り、後ろからエマの肩に手を置いて言った。


「集中するのよ、エマ。いい? 彼の傷に手を翳して……そう、上手よ。そして強く念じるの。元気だった時の彼の姿を。しっかり思い描いて。そうしたら自然と口をつくはずよ、魔法の言葉が」

「……」


 キャロラインに言われるがまま、エマは青年の元気な時の姿を思い描いた。昨夜一緒に飲んで騒いだ。あの無邪気な笑顔を。そして強く念じる。あの時の彼に――。


「戻れ」


 すると、エマの手の平から金色の光が溢れ出した。光は青年を包み込み、青年の体が光に包まれて見えなくなったではないか。これには流石のキャロラインも驚いて言葉を失ったが、エマはもっとポカンとしている。


「上出来よ。見て」


 自分が慌ててはいけない。キャロラインは自分にそう言い聞かせて青年を指さした。


 青年を包んでいた光は徐々に薄れ、ようやく全てが消え去った時、青年の呼吸はすっかり落ち着き、あれだけ酷かった傷も初めから無かったかのように綺麗さっぱり消えていた。


「……な、んで……」


 自分に白魔法なんて使えるのか? そしてどうしてそれがアリスや皆が知っていたのか。それよりも、初めて使った魔法に消耗しきった体力は、エマの体から立っている力さえ奪っていた。ヨロリと膝から崩れ落ちそうになったエマを抱き留めたのはダニエルだ。


「おいエマ! しっかりしろ!」


 突然の事に全く動けなかったダニエルだったが、ぐったりとしたエマを強く抱きしめると、頬に手を当てて愛しそうに撫でている。


「お姫様、僕達も行くよ!」

「ええ。ミア!」

「はい!」

「お、おい! お前達が行ったって……」


 エマを抱きかかえたまま言うダニエルに、リアンは眉を吊り上げた。


「何も出来ないかもしれない! でも、出来るかもしれない! それに、他にもまだ怪我人がいるかもしれないのに、動かなくてどうするの! ライラ!」

「はい! 皆さん、怪我人が他にもいる可能性があります! 教会の講堂を解放して椅子をベッド代わりに!」


 てきぱきと動き出したライラに釣られたように、領民たちはこぞって動き出した。青年の家族はぐったりしているエマにお礼を言いながら、まだ泣いている。


「ライラ! ここは任せたよ!」

「うん! 気をつけてね!」


 そう言ってリアンを送り出したライラを見て、ダニエルもエマをミランダに渡して動き出した。


「ライラ、悪い。俺も手伝う。手の空いてる力のある奴はついてこい! 怪我人を助けに行くぞ!」


 ダニエルの掛け声にその場に居た男たちが、おお! とダニエルに従った。


「お姫様! あそこ……うわぁ……」


 荒れ地に到着したリアン達は目の前の光景に思わず顔を引きつらせた。


「あの子……進化してるわね……」

「あいつどんな修行してんの……」


 アリスは正に蝶のように舞い、蜂の様に刺していた。その動きはまるでダンスでも踊っているかのように軽やかだ。暴れまわってもいいように、とノアがアリスに与えたドロワーズも丸見えである。


「お嬢様! こちらに怪我人が!」

「今行くわ!」


 ミアの声がした岩陰に行くと、そこには数人の怪我人たちが横たわっていた。

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