第百九十二話 フォルス留学

「とりあえずレスター王子は元気そうで良かったよね~」


 今日のレスターとの電話が終わったルイスにカインが言うと、ルイスは満足げに頷いた。


「ああ。今日は畑の収穫を手伝ったらしい。母さんのテンションが上がりすぎて大変だったようだ」


 レスターがバセット領に移って早三日。てっきり毎日のように電話がかかってくるんじゃないかと危惧していたが、意外にもそんな事は全然無かった。何ならルイスから毎日電話をかけている。その度に今日あった事を楽しそうに話してくれるレスターに、誰もが安心した。


 一番気にしていた目の事も、レスターの話では誰もレスターの目の事は気にもならないようで、昨日など領民に、夜に光る目が近づいてきたから「レスター王子!」って声掛けたらウルフだったよ! 何て笑い話にまでされているそうだ。


 流石はバセット領である。やはり色んな事がアリスで耐性がついてしまっているのだろう。そう思うとどこよりも可哀相な領地なのかもしれない。


「楽しくやってるんだね」

「ハンナが居るから大丈夫! それに、自慢じゃないけどうちの領地は世界一楽しい所だよ!」

「楽しいと言うよりも、愉快な所だと言った方がいいのでは? その原因も大半はお嬢様のせいですけどね」

「何で⁉」

「何でと言われても。領主のお嬢様がお花畑ゴリラなのですよ? これほどおかしな事はありません」

「断言した! とうとう私をゴリラって言いだした!」

「ほんとの事です」


 頬を膨らませて抗議するアリス。気丈に振舞ってはいるが、明日からノアが居ない。


 その事はアリスの心に重くのしかかっていた。


 夕食を皆でとり、それぞれ部屋に戻る。部屋の入り口には既にノアの荷物が準備されていて、それを見るだけで何だか泣きそうである。


「アリス、キリ、明日から僕はフォルスに行くけど、くれぐれも無茶はしないように。特にアリス」

「うん」

「ノア様の留守はしっかり守ります」

「うん、頼りにしてるよ。それから、乾麺の方もよろしくね」

「……うん」

「そちらも何か進展があり次第すぐにお知らせします」

「ありがとう。後はー……そうそう、キリ、アリスの勉強の方もお願い。一応催眠術セットは置いていくけど、何かあったら使って」

「……はい」


 またあのキャラと戦うのか。面倒だから嫌だな。多分、全部顔に書いてあったのだろう。ノアは苦笑いしてアリスを抱きしめた。


「アリス、キリの言う事をちゃんとよく聞いて。人に迷惑はかけないようにほどほどにね」

「うん」

「お嬢様、いつまでしょぼくれてるんですか。俺が居るんだからまだマシでしょう」

「当たり前だよ! キリまで居なくなったら私、どうしていいか分かんないもん!」

「では、そろそろノア様を休ませてあげてください。お嬢様と違って明日は早いんですから」

「今日は兄さまと寝る! 明日も見送る!」


 そんなアリスの宣言にノアは顔を引きつらせた。


「えぇ……僕、明日丸一日馬車なんだけどなぁ……」


 出来れば一人でゆっくり寝たいのだが。ノアはそんな言葉を飲み込んだ。どうせアリスは断っても勝手にベッドに潜り込んでくるに決まっているのだ。


 結局、ノアの抵抗も空しく仲良くベッドに入った二人は、遅くまで昔の話を沢山した。


 ノアは深夜にやっぱりアリスに蹴られてベッドの端で小さくなって寝る羽目になったのだが、明け方にはアリスはノアにぴっちょりくっついてきていたので、まぁ良しとする。こんな風に寝てくれるのも、寂しいが今だけだろうから。


 早朝、ノアはアリスを起こさないようにキリに見送られてこそこそと部屋を出た。


 アリスはノアを見送る! と息巻いていたが、実際に顔を見たら絶対に泣くのは分かっている。こんな朝早くにあの怪獣の雄叫びを上げられても困るし、何よりもアリスの顔を見たらノアの決心が揺らいでしまいそうだったのだ。


 学園の入り口に留学生用の馬車が三台止まっている。全部留学生用の馬車だ。留学申請をしたら、今回の留学希望者は二十人も居たという。毎年フォルスへの留学は少ないのだが、今年はシャルルが卒業をするから余計に申し込みが多かったのだろう。

 

 結局、四年生、五年生、六年生の中から留学申請している成績優秀者上位3人ずつが留学出来る事になり、ルイスもカインもノアも、無事に留学する事が出来たのである。


 指定された馬車に乗り込むと、そこには既にカインが居た。もちろんオスカーも一緒だ。


 けれど、カインもオスカーも元気がない。その理由はすぐに分かった。


「おはよう。動物たち、やっぱり駄目だったんだ?」


 ノアの問いにカインは身を乗り出して言う。


「そうなんだよ! あっち、動物禁止なんだってさ。リーン以外は皆家に戻したよ」

「悪いね、ドンの為にリーン置いてってもらって」


 何せ今やリーンは立派なドンの師匠である。そんな訳でリーンだけはバセット家で面倒を見る事になったのだ。


「構わないよ。リーンはこっちで拾った子だから学園の方が慣れてるだろうし、キリなら安心だよ」

「そうです。キリ君になら安心して預けられます。アリス様は……ちょっと心配ですが」


 そう言ってオスカーは苦笑いを浮かべた。その言葉にノアも無言で頷く。


 アリスの事だ。リーンにおかしなことを教え込まないのを祈るばかりである。


「遅くなってすまない! 二人ともおはよう、良い朝だな!」

「おはよう、ルイス。随分機嫌いいね」

「おはよ。何かあったの? 気味悪いぐらい満面の笑みじゃん」


 二人の問いかけにルイスは何を思い出したのか、顔を真っ赤にして慌てだした。


「べ、別にと、特別な事は何もないぞ⁉」

「ふ~ん。あれ? 何かルイス、ラベンダーの匂いしない?」

「ほんとだね。ああ、なるほど。おめでとう、ルイス」


 何かに気付いたようなノアにカインも納得したように頷く。


「はぁ~あのルイスがね~」

「そっか。とうとう……」


 ふぅ、と小さなため息を落とすカインとノアにルイスは顔を真っ赤にして叫んだ。


「キ、キスだけだ! 言っておくが、それ以上の事は何もしてないからな!」


 二人の反応にルイスは握りこぶしを作って叫んだ。それを聞いてカインは堪えられないとでも言う様にノアの肩を掴んで噴き出す。


「ふは! 聞いた? ノア! キスだけだって! 可愛すぎない?」

「聞いた。本当にルイスは馬鹿正直なんだから。そんな事で大丈夫なの? フォルスで余計な事言わないでよ?」


 爆笑するカインと呆れるノアにルイスは顔から火が出そうになるのを堪えて腕を組んでフン! と座ったと同時に馬車が動き出す。


「お早うございます、皆さん。あまりルイス様をからかわないでやってください。こう見えてそっち方面は本当に駄目な人なんです」


 まだ耳まで真っ赤にしているルイスを見てトーマスが言う。


「ごめんごめん。ちょっと幸せそうだから虐めちゃった」


 まだ目尻の涙を拭いながら笑うカインに、ルイスは憤慨したように言う。


「ふん! お前たちなどキスすらないだろう⁉」


 何せ動物オタクと妹オタクである。キスすらした事無いに決まっている! そう断言したルイスだったのだが、突然カインが声を出して笑った。


「いやいや、キスは普通にあるでしょ。ていうか、何ならその先だってあるけど。ねぇ? ノア」


 元々こんな事になるまではダニエルほどでは無いが適度に遊んでいたカインである。それはあのアリスの黒い本にもしっかりと書かれていた。何せ、軽い、と。


 まぁそれが設定だったのだろう、カインの。ルイス命で女の子とは遊ぶだけ。でもヒロインに出会う事で一途になる。どうやらそういうルートだったようなのだ。


 でも今回のカインは一途とまではいかなくてもそこまで遊んでは居ない。そういう事をしていても不毛だと割と早い段階で気付いたのである。


 それを聞いたルイスは愕然とした顔でカインを見つめ、慌ててノアに聞いた。


「ノ、ノアは⁉ お前は無いよな⁉ アリス一筋だもんな⁉」


 あまりにも必死なルイスの形相にノアはにっこりと笑った。


「さあ? どう思う?」

「……」

「……」


 この答えにはカインも引きつって黙り込んでしまった。いや、あれだけアリスアリス言っておきながら? でも気持ちが無くても出来るとも言うし……。アリスは妹で手は絶対に出せないから他所でという事もありえる……のか? 色んな想像が頭の中を駆け巡る。


「ふふ。二人とも真顔で嫌だなぁ。僕のそんな話聞いても面白くないでしょ?」

「面白くはないけど……気になる……」

「だな」


 いくら王族や高位貴族とは言え、男子は男子である。恋愛事に興味が無い訳がない。


 そんな訳で、内緒ね、と言ってフォルスに到着するまでずっと恋話をしていたのは、女子には絶対に内緒である。何よりも人生の先輩トーマスの話を授業よりも真剣になって聞いていたのは、ここだけの話だ。

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