第百九十話 まるで親子のように

「そっか! 暗がりに行く時はレスター王子連れて行けばいいのか! そしたら私についてるも同然じゃない⁉」


 言い考えだと言わんばかりのアリスにレスターもユーゴも青ざめる。


「いや、アリス様ぁ、この人一応王子様だからさぁ、それはちょっとぉ~」

「い、嫌だよ! 僕なんてすぐに狼に食べられちゃうよ!」


 必死になって拒否するレスターの意見など、もちろんアリスは聞かない。


「大丈夫大丈夫! ルンルンに頼んで野生で暮らせない狼の赤ちゃんもらお! その子レスター王子にあげるから! それで狼怖くないでしょ?」

「ね、ねぇ、この人何言ってるの?」

「僕もねぇ、分かんなぁい。でも、ここの領地には狼がウロウロしてたよ」

「嫌だよぉ! 僕今のままでいい! 僕なんてどこ行ったって何の役にも立たないんだから!」


 声を荒げたレスターに、アリスは突然真顔に戻った。その目はハッキリと怒っている。


「役に立たない人など居ない! バカか! 何もやってないのに何も出来ないなんて、そんなのただの言い訳だよ。やりたくないからそんな事言って逃げてんでしょ? 大体幽閉されてたのだって、別に監視が付いてた訳でもないし、鍵だって錆びててすぐ壊せたって話じゃない。逃げようと思えば逃げれたよね? でもしなかった。あんたのはね、勝手に自分が不幸だって思い込んで、そっちにどんどん自分から突き進んでるだけ。五体満足で光る目もあって、何が不幸か! このバカチン!」


 アリスの言葉に、レスターもユーゴも、護衛達ですら目をまん丸にした。よくぞ言ったと言うよりも、やっちまったな感満載である。レスターは仮にも王子。方やアリスはしがない男爵家。これはもう、極刑街道まっしぐらである。


「アリスの言う通りだぞ、レスター」


 ここに救世主が現れた。ユーゴに連れられて行ったアリスがあまりにも遅いのでルイスが様子を見に来たのである。


 ルイスは部屋の外からアリスが林檎を握りつぶした辺りから話をきいていたのだが、出る機械をずっと伺っていたのだ。


「ルイス王子……」


 自信なさげにルイスから目を逸らしたレスターに、ルイスは近寄って頭を撫でた。その行為に驚いたレスターは、思わずルイスの顔をまじまじと見てしまう。


 レスターよりもずっと濃い青い目は、とても綺麗だ。


「初めて目が合ったな。ああ、なるほど、アリスの言う通りこれは綺麗な目だな。ルーシー様と同じオレンジ色も入ってるのか!」

「母様?」

「そうだ。ルーシー様はお前のその虹彩のような鮮やかなオレンジ色の目だった。それはそれは綺麗でな。明るい人柄にピッタリの瞳の色だったよ。それに青い部分は叔父上そっくりだ。緑の所は二人の色が合わさっているのか! 素晴らしいな!」


 マジマジとレスターの目を覗き込んだルイスがそんな風に言うと、レスターは持っていた手鏡でじっと自分の目を見た。


「綺麗……?」


 ポツリと鏡に映る自分の目を見ていたレスターが呟いた。


 絵姿でしか知らない母。母の目の色は確かに、こんな鮮やかなオレンジだった。化け物の自分に本当の母親は居ないとずっと思っていたが、こんな所に母はちゃんと居たのだ。そして父も、ちゃんとここに居た。ずっと一緒に居てくれたのか。


 ポロリとレスターの目から涙が零れ落ちた。何が化け物だ。アリスの言う通りだ。今まで自分は与えられるままに酷い仕打ちだろうと何だろうと受け入れて来た。拒否したらもっとひどい目に遭うかもしれないからだ。だから何もしなかった。


 でも、それは言い訳だったのかもしれない。だって、本物の化け物がこんなにも楽しそうに暮らしている。それなのに、自分はこのままでいいのか? もっともっと幸せになれるんじゃないのか?


「レスター、俺はお前の事をずっと見てみぬふりをしてきた。幽閉されている事も知っていたのに何もしなかった。その償いが今更出来るとは思わないが、せめてお前がこれからの人生を幸せに向かって歩む為の手助けをさせてはくれないだろうか?」


 優しいルイスの声に、レスターは初めて声を上げて泣いた。何度も咽てしゃくりあげ、鼻も出るが関係ない。そんな風に誰かに言われた事など、無かったのだから。


「ぼくも……僕も幸せ……なりたい……ぼくもぉ……」


 もう一人ぼっちは嫌だ。どうして自分ばかりいつも我慢しなきゃならないんだ。一度考え出すと、どんどん今までの不満が溢れてくる。それをアリスもルイスもユーゴも、護衛達ですら怒らずじっと聞いていてくれた。


 やがて全ての不満を言い終えると、何だか胸の中が急に風が通った部屋のようにスカスカした。初めての気分で少しだけ居心地が悪くて思わず胸を押さえたレスターを、心配そうにアリスが覗き込んでくる。


「大丈夫? 体力ないのにそんなに泣くからだよ」

「……化け物でも心配するの?」


 正直なレスターの言葉にアリスは頬を引きつらせて、レスターの耳を容赦なく引っ張ってくる。


「私の名前はア・リ・ス! 人間だから!」

「い、痛いよ! アリス……アリスって呼んでいい?」

「いいよ。レスター王子」

「僕もレスターでいいよ、アリス」


 何だか誰かとこんなやりとりをした事なくて嬉しくて何度も名前を呼ぶレスターに、ルイスはおかしそうに肩を揺らした。


 最後に見たレスターはもっと陰湿でウジウジしていたように思うが、今はその顔はとても晴れやかだ。もう光る玉虫色の目を隠したりもしていない。


 和やかな雰囲気になったルイスの部屋の扉の隙間から、カインがひょっこりと顔を出した。


「そろそろ終わったかな? 俺らも入っていい?」


 実はカイン達もずっと廊下で聞き耳を立てて待っていたのだ。アリスが林檎を握りつぶした辺りから。


「ああ。レスター、俺の友人達を紹介しよう。きっと、お前の友人にも相応しいはずだ」

「う、うん!」


 ルイスの言葉にレスターは目を輝かせた。彼の目は輝くと本当に宝石のように美しい。


 それから、一人ずつルイスが紹介を始めた。レスターは一人一人覚えようと何度も何度も名前を呼ぶ。


「それから、ノア・バセット。アリスの兄だ」

「ノア……アリスのお兄さん……」


 ぼそぼそと言うレスターの目を、ノアはじっと覗き込んでにっこり笑う。


「よろしく、レスター王子。一個だけ僕と約束してくれる?」

「うん」

「アリスに手を出そうとしたら承知しないからね?」

「……うん?」


 一体何を言われたのかよく分からないレスターに、ルイスが耳元でこそこそと話して来た。


「レスター、ノアはとにかくアリス至上主義なんだ。アリスの事に関してはノアには逆らうな。絶対だぞ! 俺ですら抹殺されかねんからな! 程度は違えど、バセット家の人間は皆十分に化物だから気をつけろよ」

「わ、分かった」


 化け物の兄も化け物なのか。納得して頷いたレスターにルイスは満足げに頷いた。レスターをノアの毒牙に掛ける訳にはいかない。レスターが幸せになる手助けをすると誓ったからには、しっかり守ってやらなければ。


「ルイス、全部聞こえてるんだけど?」

「間違ってはないだろうが!」


 そのまま言い合いを始めそうなルイスとノアを止めたのはキャロラインだ。


 キャロラインは痩せ細ったレスターの手の甲を撫でながら言う。


「それで、これからどうするの? レスター王子をセレアルに戻すのかしら?」

「いや、それはどうだろうな。まだ危ないんじゃないか? まずはレスターの体調を整えないと」


 ルイスもレスターの頭を撫でながらそんな事を言う。


 当のレスターはルイスに頭を撫でられ、キャロラインに手を撫でられて顔を真っ赤にしている。傍から見たらまるで親子だ。

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