第百八十四話 寂しいのはアリスだけ?

 翌日、ジャスパーとレイと沢山の職人達に見送られてフルッタを後にした一行は、帰りもまたアリスの地獄の歌に付き合わされていた。


「今日、何か元気ないね」


 しばらくアリスの歌に耳を傾けていたノアが言うと、キリも無言で頷く。


「そうかな? いつも通り物凄い声量じゃない?」

「音もビックリするぐらい外れてるし、変わんなくない?」


 首を傾げるカインとリアンに、ノアとキリ、そしてライラまでもが首を振る。


「元気ないわ。いつものあの底抜け感がないもの。いつもは真夏のお日様がギラギラして暑っ苦しい感じだけど、今日のは何だか雨が降り出す前のいつまでも煮え切らない感じだもの」

「いや、よく分かるね⁉ 俺にはいつも通りのギラギラな感じに聞こえるんだけど」

「どうしよう……ライラがどんどん大地と対話を始めようとしてる……」

「リー君、アリスは人間だよ。でも、ライラちゃんの言う通り、何だかちょっと元気ないね。お腹減ったのかな」


 そう言って視線を下げたノアにキリが首を振った。


「そんな事にはならないように、お嬢様には多めにオートミールクッキーを持たせてあります。どうせまた慣れない事して眠れなくなったんじゃありませんか?」

「そうかな?」


 大方キリの言う通りなのだがキリの言葉にノアは納得いかない、とでも言うように首を傾げた。まさかアリスがノアの留学の事で思い悩んでいるとは夢にも思っていないノアである。


 行きにも宿泊した宿に夜に到着した一行は、荷物を下ろしてぐったりとそれぞれの部屋へ戻って行く。そんな中、アリスだけはいつまでも部屋に戻ろうとはしない。


 そんなアリスを心配したノアはキリに声を掛けた。


「キリ、皆で先にご飯食べてて。僕、ちょっとアリスの様子見てくるよ」

「はい」


 そうしてキリはそのまま部屋へ戻って行った。アリスの事はノアに任せておけば問題ない。


「ア~リス?」


 アリスは宿屋の前にある長椅子に腰かけて、空を眺めていた。


「美味しそうな雲でもあった?」


 とにかく食欲第一のアリスである。どうにか機嫌を取ろうとアリスの隣に腰かけたノアもまた空を見上げてみたが、空は真っ暗で雲一つない綺麗な夜空である。


「なに見てるの?」

「……ゴリラ」

「……へぇ」


 どうしよう。ゴリラなんてどこにも居ない。途端に何も言えなくなってしまったノア。大概おかしいアリスだが、居もしないゴリラを見ているようでは末期である。


「あそこのね、星とこっちと繋いでね、あれとあれを繋いだら、武器持ってるゴリラだよ」

「う、うん?」


 いや、あれはオリオン座……。ノアはそんなセリフを飲み込んだ。


 しかし今心配すべきはそこではない。例えアリスに勇者オリオンがゴリラに見えていようとも、そもそもアリスがこんな星などに興味を示す方が一大事である。


 ノアはゴクリと息を飲んで意を決したように話し出した。


「アリス、何か嫌な事あった? 皆心配してるよ?」


 ノアの声にアリスが分かりやすく肩を揺らした。決してノアの方を見ようとはしないが、珍しくアリスの手が震えている。この症状は初めてである。アリスはもしかしたら喜怒哀楽の哀を覚えたのかもしれない!


「ア、アリス?」


 しかしアリスだ。怒りで震えているという可能性も否定は出来ない。


「……さまが……ちゃう……」

「ん?」


 聞き取れなくて思わず聞き返したノアの顔を、アリスがようやく正面から見つめて、いや、睨みつけてきた。


「帰ったら兄さまが行っちゃう! 私、もうここから帰らない!」

「は?」


 ノアはポカンと口を開けて涙ぐむアリスを見下ろした。


「だって、私一人で工場建てるとこ探すなんて無理だもん。ずっと兄さまとキリが居たから出来たんだもん」


 転生している上にループしているという事に気付いてから、アリスは一番にノアとキリに話した。それから二人がどうにかここまでアリスを引っ張ってきてくれたのだ。


 それが一月とは言えノアは留学してしまう。しかもあのシャルルに会う為だ。アリスはゲームの中のシャルルしか知らないが、設定上のシャルルの魔力は、それはもう凄まじかった。そんな所に一人で行くなんて、危ないに決まっている。


 一応補足しておくとルイスとカインも行く訳だが、あの二人はそもそも戦闘力という意味では全くの役立たずだとアリスは思っている。


「アリス……」


 涙ぐむアリスを呆気にとられた顔で見ていたノアだったが、ようやくアリスの言ってる意味を理解したのか、真正面からアリスを抱きしめた。


「アリスがそんな事言うなんて、これは夢?」

「夢じゃない!」


 夢であればどれほど良かったか! そんなアリスの頭をノアは両手でグリグリと撫でまくってくる。おかげで髪はグシャグシャだ。


「アリス、僕は一月で戻るよ、絶対に。それに、君は一人じゃない。キリも居るしキャロラインもリー君達も居る。アランだって居るよ。アリスはループの事を僕達にあっさり話したように、今まで通り皆を遠慮なく使えばいい」

「使う? 兄さまみたいに? 無理だよ。だって、頭良くないもん」


 そう言って視線を伏せたアリスにノアは苦笑いを浮かべる。


「いや、アリスの頭が良くないのは否定しないけど、こうしたい、ああしたい、って皆に言ってみて? そしたら皆は絶対に力になってくれるから。それに、毎日ビデオ通話で何があったか僕に教えて?」

「毎日?」

「うん、毎日。そうしたら僕も安心だから」

「毎日電話してもいいの?」

「構わないよ! 僕は初めからそのつもりだよ! アリスはもしかして僕は寂しくないんじゃないかって思ってる?」

「うん」


 いつだってノアは何でも一人でこなしてしまう。それは小さい時からそうだ。いつもいつも先回りして何でも一人でやってしまう。飄々としてて何を考えているのかよく分からないノア。  


 そんなノアだから、アリスはいつもノアの言う事は話半分ぐらいにしか聞いていない。


 アリスの即答にノアは悲しそうに眉を下げた。


「そっか、そう見えてるのか……」


 ポツリとノアは呟いた。いつまでもノアの愛は一方通行である。悲しいぐらいに。


「えっと、アリスは知らないかもしれないけど、そもそも学園に入るのも僕は嫌だったんだよ」

「そうなの?」

「うん。アリスと離れるのが嫌だったんだよ。だから学園に入学する事が決まった時、僕は父さんに初めてワガママを言ったんだ。アリスとキリを連れて行くって」


 十三歳の時だ。あの時のアーサーの困ったような嬉しそうな顔をノアは未だにはっきりと覚えている。それまでずっとワガママらしいワガママを言った事の無かったノアが、涙を浮かべてアーサーにそんな事を言ったのだ。


 もちろんそれは叶わなかったが、アーサーはノアに一つ約束をしてくれた。もしもアリスの魔法が学園に入るのに相応しいものであれば、必ずアリスも学園に入れるから、と。


 それを聞いてノアはようやく首を縦に振った。アリスが入学してくるまで二年の我慢だ。自分にそう言い聞かせて。


 生憎アリスは十三歳になっても魔法らしい魔法を使えず、結局ノアは三年我慢する羽目になったのだが。


 それでもアーサーはちゃんと約束を守ってくれた。アリスを学園に入れるだけの資産はちゃんと残しておいてくれたのだ。


 ノアの口からそんな事を聞いたアリスは、勢い余ってノアに抱き着いた。


「私も寂しかった!」


 ノアの胸にグリグリとおでこを擦り付けるアリスの頭を撫でながら、ノアは苦笑いを浮かべる。


「いや、それは嘘でしょ? どんどん新しい技開発してたじゃない。僕が行った後もエンジョイしてたでしょ?」

「う……さ、寂しくて?」

「はいはい。言っておくけど、いつだって僕の方が寂しい思いしてるんだからね。アリスは知らないかもしれないけど!」

「だって、兄さま何にも言わないもん。ちゃんと喜怒哀楽示してくれないと分かんないよ!」

「ア、アリスに言われたくない」


 喜怒楽しかない人間がどの面下げてそんな事を言うのか。


「……ほんとに帰ってくる? 危ない事しない?」

「しないよ。大人しくしてるつもり。ただ、シャルルとは一度ちゃんと話さないとな、とは思うよ。これ以上アリスにちょっかいかけられても困るしね?」


 そう言って笑ったノアの顔は完全に極悪人の顔である。アリスにちょっかいを掛けようなんて、例え世界を破壊しそうなほどの魔力を持っているとは言え、絶対に許さない。


「シャルルと? 兄さま一人で大丈夫?」

「むしろアリスと会わせたくないよ。だって、シャルルは君の推しなんでしょ?」


 こんな嫌味を言う程度にはノアはシャルルが嫌いである。はっきり言ってただのヤキモチだ。


「今は推しじゃないよ。過去アリスはそうだったかもしれないけど」


 強くて綺麗なシャルルは大好きだったが、現実にずっと一緒に居たいか? と聞かれたらそれはどうだろう? という感じである。  


 そんなアリスの言葉を聞いたノアは、嬉しそうに微笑んだ。


「そうなんだ」

「うん。だから兄さま、シャルルに何か言われたりされたらすぐに言ってね! 私、すぐに行くから!」


 もちろん、殴りにである。


 意気込んだアリスを見てノアは肩を揺らして笑った。元推しにも容赦ないアリスである。


「分かった。約束するよ。アリス、もう元気になった?」

「うん。お腹減った」

「それでこそ僕のアリスだね。じゃあご飯食べに行こ。皆もう食べてるよ」


 ノアの言葉にアリスはガタンと立ち上がってノアの手を引いてくる。


「は、早く行こ! 無くなっちゃう!」

「はいはい」


 すっかり機嫌がなおったアリスに手を引かれ、ノアは立ち上がった。繋がれた手は小さい頃のままだ。一体いつまでこうやってアリスはノアと手を繋いでいてくれるのだろう。少しだけ寂しくなったノアは、アリスの手を強く握りしめた。

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