第百八十一話 ジャスパーとレイ

 その頃、フルッタではまだジャスパー邸で会議が開かれていた。


 リアン達は昨日も遅くまでここに滞在していたが、寝る為だけに宿に戻り、また早朝からずっとこの状態である。


「じゃあここまで入れるって線は統一しなきゃだな」

「炭酸の圧力は結構なものだ。ちょっと計算してみたんだが、最低でもこれぐらいの分厚さはあった方が安全だぞ」

「どういう運び方をするかにもよるな。そこんとこどうなんだ? ダニエル社長」

『揺れは出来るだけ少なくしたいが、今の馬車のサスペンションじゃ色々と課題が残りそうだな。リアン、何かいい案ないか?』

「そう言えば、アイツが作ってるゴムとやらがサスペンションにいいとか言ってたっけ。僕も触ったんだけど、弾力があってある程度の衝撃は吸収してくれそうだったよ」


 いつの間にかビデオ通話でダニエルまで混じっている。


 アリス達が出て行った後、商品の説明をする為にダニエルに電話をすると、ダニエルは自らその会議に自分も参加すると言い出したのだ。小さな画面越しの会話に最初は戸惑っていたジャスパーと職人達だったが、慣れてくればこれは便利だと気付いたようだ。


 炭酸飲料の瓶は職人達とリアン、ダニエルで話し合いが続けられている。


 肝心の中身はと言えば。


「もう少し甘い方が子供には飲みやすいわね」

「でも飲むのは子供だけじゃないでしょ? 辛口のも作っておくべきだわ」

「でしたらやはり二種類あった方がいいんじゃないですか?」

『でも、それをしたら膨大な種類になってしまうわ』


 ジャスパーを中心にライラとガラス職人の妻たち、果樹園をしている農家たちがシロップについて話し合っていた。そこに、こちらもスマホを使ってマリーとエマとドロシーが参加している。


『思ったんだけどさ、季節限定みたいなのを作ってみたら?』

「それだ!」


 エマの一言に全員が賛成した。その都度シロップを作らなければならない面倒さはあるものの、そうする事でフルッタの良さを他所の土地にアピールする事が出来るのではないか。


「そうと決まれば、農園の雇用を増やさなきゃだね! ここに来られなかった果樹園にも声を掛けるよ」

「それじゃあ僕は、ジュースを作る為の工場を拡張するよ。そこに新しくシロップを作る部署を作ろう。責任者は誰がいいかな」


 今まで領民達とどこか距離のあったジャスパーだったが、ガラス職人達から話を聞きつけて雪崩れ込んできた職人の妻たちは、ジャスパーにひとしきり説教をして友人達を集めてくれた。 


 そこからとんとん拍子に話は進み、気付けば立場など関係なく、こうして一つの部屋で新しい事業について話し合っている。ジャスパーにとって、これほど幸せだと思える事は無かった。 


 ずっと悪魔の泉と呼んでいたものが、まさかこんな風に自分と領民達を繋げてくれるとは、夢にも思っていなかったのだ。


 そこへ、ジャスパー家の家令のウィルがジャスパーを呼びに来た。色々切り詰めて沢山の使用人達を解雇したが、このウィルだけは薄給で未だにジャスパーを支えてくれている唯一の使用人だ。


「どうした? ウィル」

「はい。それがその……レイ様がいらっしゃってるんですが……お通ししても?」

「えっ⁉ レ、レイ⁉」


 何故? ジャスパーは目に見えて動揺した。もしかしてどこかから炭酸飲料の話を聞きつけてまた嫌味を言いに来たのだろうか? 一瞬そんな考えが脳裏を過ったが、すぐに消しゴムの話だろうと思い至った。


 それにしても、わざわざレイが領地を離れてここまでやってくるだなんて、そこまでして何か言いたい事があるのかと辟易していると、屋敷の外から待ちくたびれたのか、レイの大きな声が聞こえてくる。


「ジャスパー! ジュース、飲んだわ! とても美味しかった! これで、あなたの愛するフルッタはもう大丈夫ね! 今までごめんなさい! 私は、どんどんやつれていくあなたが本当に心配だったのよ! あなたの夢だったこのフルッタのガラス工芸を世界に広めてみせるって言う夢を、私もずっと手伝いたかったのー!」

「……え?」


 レイの屋敷中に響き渡りそうな声にジャスパーは目に見えて狼狽えた。


 ジャスパーの夢を手伝いたかった? あれだけ嫌味を言ってきたのに? だったら何故いつも顔を合わせるたびにイフェスティオと統合するべきだと言っていたのだ? 色んな疑問が頭に浮かぶが、何よりもこれ以上彼女に大声で叫ばせる訳にはいかない。


 ジャスパーは腹をくくって屋敷の外に飛び出した。屋敷の外にレイは居た。


 けれど、そこに居たのはいつもキチっと髪を束ねた凛としたレイではなく、髪はボサボサで服もヨレヨレになって顔中埃まみれになったレイの姿である。


 レイは出て来たジャスパーを見て、見た事もないぐらいの笑顔を浮かべて言った。


「出て来てくれないかと思った」

「出て来るさ、あんな大声で……恥ずかしいな」


 今日は何を言われるのかとビクビクするジャスパーを見てレイは苦笑いを浮かべている。


「さっきね、うちにもカイン様たちがやって来たの。全部聞いたわ」

「ああ、うん」


 何を聞いたのか知らないが、そっと視線を逸らしたジャスパーの顔をレイが覗き込んでくるが、鼻の頭が埃と煤で黒くなっていて、ジャスパーはハンカチでその汚れを拭ってやった。そんなジャスパーにレイは顔を真っ赤にして驚いている。


「よ、汚れてるからさ! 髪もボサボサだし」

「ご、ごめんなさい。すぐに伝えなくちゃと思って早駆けしてきたの。髪は結んでたリボンが途中で取れちゃったのよ」

「……」


 何故そこまでして? ジャスパーの疑問にレイは気付いたように少しだけ俯いて話し出した。


「私、今まであなたにして来た事や言って来た事が、あなたを追い詰める事になってるなんて、ずっと思いもしなかったの。信じてくれないかもしれないけど、私はずっとあなたの夢の話を聞くのが好きだった。だからずっと、いつかその夢を私も支えられるようになりたいって思ってた。でも、ご両親があんな事になってどんどんやつれていくあなたを見る内に、何だか凄く、私には何も出来ないんだって思い知らされて……だから、あなたの気持ちも考えずに、イフェスティオと統合すれば職人達だって守れてあなたの夢を守れるんじゃないのか、なんて勝手に思ってたのよ――ずっと。それが、あなたの為になるはずだって」

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