百三十話 生きるための勉強

 メグとルードがライト家に戻ってから二週間が経った頃、ようやく二人は話し合いを終えたらしく、一度学園に戻ってくることになった。子供たちを引き取ってそのまましばらくはライト家で過ごすらしい。


 それをライリーとローリーに伝えると、意外な事に二人は大泣きしてそれを嫌がった。


「また十三歳になったらここに通えるから、な?」

「で、でも、その頃、も、もうノアく、い、いないもん!」

「ノアかよ! そこは俺だろ⁉」


 思わず突っ込んだカインにライリーはグズグズ言いながら涙を拭う。


「お、お兄ちゃんはいつも会える、も!」

「僕もいつでも会えるよ、二人とも。良い子だから泣かないで?」


 しゃがみ込んで二人の頭を撫でるノアは、まるで天使のような笑みを浮かべた。いつものノアを知っているだけに、その笑顔に背筋が寒くなるカインである。


「ほ、ほんと? ほんとのほんとにほんと? 今日も一緒に寝てもいい?」

「ほんとのほんと。いいよ、一緒に寝よう。ローリーも?」

「ぼ、ぼぐも、ぼぐもねる」


 大量の鼻水をすすりながらそんな事を言うローリーの鼻をティッシュで拭いてやると、ノアは二人を抱きしめた。


「はい、もう泣くのは終わりだよ。今日は何するんだっけ?」

「ア、アリスちゃんと麺作り」

「ぼくがふむの」

「そっか。じゃあ厨房に行かなきゃ! アリスちゃん怒ってるかもよ?」


 ノアの言葉にライリーとローリーは顔を見合わせて頷くと、カインの脇をすり抜けて廊下に飛び出していった。そんな後ろ姿をカインは見つめながら苦笑いを浮かべる。


「おーおー、早い早い。もうすっかり学園の中は庭扱いだなぁ」

「子供は何でも覚えが早いよね。ちょっと着替えてくるよ」


 そう言ってローリーの鼻水がついたジャケットを脱いだノアを見て、カインが顔をしかめる。


「こんな事でそんな顔してるから懐かないんだよ。子供なんて、グチャグチャのドロドロなんだから。あの二人は随分綺麗だよ」

「えっとー、それはアリスちゃん?」

「そ。それはもう酷かったからね。真っ黒になって帰ってくる、の次元が違うから、アリスは」


 本当に真っ黒になって帰ってくるのだ。最早目がどこにあるのかすら分からないほど泥に毎日まみれていた。そしてそのままノアに抱き着いてくるから堪らない。


 酷い時はジャケットどころか、全部着替えなくてはならないほど汚されたものだ。


「何にしても、今になってはそれもいい思い出だよ」


 にっこり微笑んだノアを見て、カインもおかしそうに笑う。


 夕食は、ライリーがこねてローリーが踏んだラーメンだった。ライリーとローリーはラーメンが相当気に入ったようで、学園に居る間はほぼ毎日どこかでラーメンを食べていた。栄養を心配したザカリーが、二人には特別に野菜たっぷりラーメンを考案したほどだ。


 翌日、昼前にルードとメグが戻ってきた。念のためにキリに『サーチ』をかけてもらったが、メグは一切の魔法を解除していて、顔の艶も何やら良くなっていた。


「魔法を使わないって、こんなにも楽だったのかって実感してるわ!」


 学園馬車から降りたメグが大きく伸びをしながら言うと、後ろから荷物を持って降りて来たルードが苦笑いを浮かべる。


「そりゃ十何年も毎日ずっと使いっぱなしだったんだから疲れるよ」

「おかえり、兄貴。どうだった?」


 荷物を受け取りながら軽く挨拶をしたカインが問うと、ルードは自分の頬を指さす。


「やっと腫れが引いたんだ。親父ってあんなに力あったんだね」

「殴られた?」

「そりゃもう、椅子から転げ落ちる程。その後は母さんに泣きつかれて二時間ぐらい説教されて……でも、話して良かった。これでもう、本当に自由だよ。アレックスもちょっと症状が改善したみたいだし」

「え? アランからは何も聞いてないけど?」

「後で話すよ。とりあえず一旦休ませてくれないか? もう腰がバキバキなんだよ」


 そう言って腰を叩くルードは、まだ二十代半ばである。


「休憩とかしてくれば良かったのに。何やってんの」

「それがメグがさ、早く子供達に会いたかったみたい。何かこの間の電話がショックだったみたいでさ」


 あの時の電話の事を、どうやらメグはまだ根に持っているらしい。


「で、うちの王子たちは?」


 何せ離れて過ごしたのは初めてである。てっきり何だかんだ言いながら寂しがっているだろうと思っていたのに、待てど暮らせど出迎えがない。


「ああ、今は昼の勉強中だよ。で、この後お昼寝タイム」

「俺達が帰ってくるって連絡したよね?」

「したね」

「え? 出迎えは?」

「俺も聞いたんだけど、二人して、今日は先生ノア君の日だから! って断られちゃった」


 アリスのよくやるテヘペロを実行してみたカインをルードが白い目で見て来る。どうやらこれは誰がやってもイラっとするらしい。


「うぅぅ……こうやって子供達は親離れをするのね……でもちょっと早くない⁉」

「メグちゃぁぁぁぁん!」


 じんわりと浮かんだ涙を拭ったメグが視線を上げると、そこにはこちらに向かって物凄い勢いで走ってくるアリスの姿があった。その後ろからライラとキャロラインとリアンが慌てて追いかけてくる。


「アリスちゃん!」

「メグちゃん! 突然いなくなるから心配したんだよ!」

「ご、ごめんなさい。私も眠ってる間に連れ去られてたみたいで、気づいたら馬車の中だったのよ。連絡の一つもしなくてごめんなさい」

「ううん、もういいの。大丈夫だった? 怒られた?」

「ええ、とても。でも、それ以上に私の事を心配してくださって、謝ってくださったわ。悪いのは私なのに……本当に申し訳なくて……」

「メグ、それについてはお互い様って事で決着したでしょ?」

「そうだけど……」


 顔を伏せたメグを見て何かを察したのか、アリスを追いかけてきたリアンが息を整えながら言った。


「あのね、あんた達のした事が正しかったから、ルーデリアは今日も平和なんじゃん。あんた達がどっかで道を踏み間違えてたら、もっと酷い事になってたよ。だから、あんた達が気に病む必要は何もないし、むしろ宰相様と王様に魔法をかけてくれてありがとう、だよ」


 率直なリアンの意見にカインも頷いた。あのまま宰相にルードがなっていたら、それこそ一大事だったかもしれないのだ。そう考えると、メグの行動は正しかったし、その引き金になったあの子供達も、生まれるべきして生まれてきたのだと分かる。


「そ、そうかしら?」

「そうだよ! だから今、こうして笑ってられるんだよ! それは二人のおかげです。どうもありがとう! お腹減ってない? ライリーとローリーが作ったラーメンがあるよ!」


 満面の笑みで言ったアリスを見て、メグとルードはお互いに顔を見合わせて頷いた。


 カインに殴られロビンにも殴られたが、まさかこんな風に自分達のした事を肯定されるとは思ってもみなかった。


「――そんな風にも、考えられるんだね。こちらこそ、ありがとう。あと、うちの王子達の面倒も、ありがとう」

「あ、いやー……それは……うん……なんか、ごめん」


 面倒は見てた。見てたけど、あの二人は今や立派なバセット家信者である。ラーメンと眠りクマのクリームパンにハマり、野菜を収穫した事で野菜の美味しさにも気づいた。何よりも夜ごと繰り広げられるアリスの技に感動した二人は、今日もお昼寝の後にバセット家の面々と森に行くのだと朝から息巻いていた。


 言葉を濁したカインを見てルードの目が全てを物語っている。『お前、何やったんだ?』と。

しかし分かってほしい。したのはカインではない。バセット家である。


「今日はね、お昼寝の後にサンドイッチ持って森に行く約束してるんだ!」

「も、森?」

「そう! 今、ライリーとローリーは刀のお稽古と木登りの練習と、野菜のお世話にハマってるんだよ」

「え? え?」


 一体何をしているの? メグの訴えにキャロラインとライラが同時に諦めたように首を振った。そんな反応を見てメグがサーっと青ざめると、荷物を全てルードに渡して学園内に走って行く。その後をキャロラインとライラが追う。


「えっと、アリスちゃん? 一体うちの子達に何を……」


 言いかけた言葉をアリスが真顔で遮った。


「生きる為の勉強です。いつ何時、何があるか分からないんだから、必要な事を教えています」

「そ、そう」


 あまりにも力強く言われてしまっては、ルードも頷くしかない。


「兄貴、諦めな。あの二人はきっと、兄貴達が驚くほどたくましくなってるよ、この二週間で」

「そ、そう?」

「うん。じゃ、案内するから付いてきて。アリスちゃん、ちょっと荷物持ってやってくんない?」

「了解!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る