第百十八話 ドロシーの決意+おまけ『なかなおり』

 ドロシーはいつになく真剣な顔で皆の話を聞いている。最近のドロシーは、まるで自分もチャップマン商会の一員だとでも言うかのように率先してお手伝いに励んでいた。いつもならとっくに眠くなる時間なのに、こうやって夕食後の会議にもしっかり顔を出すのだ。顔つきも、随分しっかりしてきたように思う。


 けれど、それとこれとは話が別である。エマは首を振って自分の考えを否定した。


「いや、駄目だよ。ドロシーには危険すぎる」

「あら、私はいいと思うけれど」


 そんな事を言い出したのは意外にもマリーだった。その言葉にフランはギョッとしたような顔をしている。


「一人で行かせるのなら反対だけれど、オリバーが一緒なのでしょう? それに、別にグランの人達は好戦的ではないもの。きっと優しくしてくれるわ」

「マリー⁉ 本気で言ってんの?」

「本気よ。エマ、私達は今までずっとドロシーはまだ幼いから、口が利けないからって理由で隠すようにしてきたけれど、それはドロシーにとって良い事だったのかしら?」


 最近のドロシーは以前よりも毎日が楽しそうだ。笑う頻度も増えてきたし、フランを見ても怯えなくなった。これは成長、なのではないのか。


「で、でも、ドロシーは……」


 ドロシーはエマの守るべき妹である。危ない事からは出来るだけ遠ざけ、嫌な物は見せたくない。ただでさえ傷ついてボロボロになったドロシーだ。これ以上苦しんでほしくないのだ。


 涙をにじませたエマを見てオリバーは頷いた。


「エマの気持ちもマリーの気持ちも分かるっすよ。それに、どちらも正しいと思うっす。ドロシーは、お母さんが二人居るみたいで幸せっすね?」


 コクリ。


 ドロシーが頬を染めて笑顔で頷いた。オリバーの言葉にマリーもエマもハッとした顔をしている。ドロシーは二人から十分な愛情を受け取って育っている。それはドロシーを見ていれば分かる。たとえ口が利けなくても、ドロシーは不幸ではない。


「オリバー、気づいたのはキャロラインかもしれんが、計画を立てたのはノアだな?」

「そっす。よく分かったっすね?」

「分かるだろ。そんな人の弱みに付け込むみたいな作戦、あいつしかいねーだろ。で、最終的にはノアはグランとどうしたいんだ?」

「ノアはグランと料金固定の長期契約をチャップマン商会と結んで欲しいみたいっす」

「うちと? 何故」

「そうしないとグランの面目が立たないって言ってたっす。グランが中立をこれからも貫けるようにって事みたいっすね。国との契約をしてしまえば、グランがルーデリアの属国のようになってしまう。それは避けたいみたいっす」

「……なるほどな。向こうの面目も保ちつつ、こちらと契約させるってか」

「そっす。しかも、グランの方から頭を下げて契約してくれと言い出させるって言ってたっすよ。このスマホを使って」


 オリバーの言葉を聞いてダニエルは、はぁ⁉ と素っ頓狂な声を上げた。フランも隣で同じような顔をしている。


「ルーデリアには軍事力だけじゃなくて、色んな事が進歩してるって思わせたいみたいっすね。

だからグランに入ったら俺はスマホやラーメンやジャムの情報を流すっす」


 まだどれも試作段階ではあるが、それをさも普及しているように見せる為に華の無いオリバーを遣わせるというのが、いかにもノアらしい。


「そんで? うちとの接点は? どうやってうちと繋げるんだ?」

「散々同情を買って向こうに信用してもらえたら、チャップマン商会に拾ってもらえそうだって話すっす。今まで言った商品を専属で契約してる商会だから、信用出来るって」

「なるほど。そこでうちの名前が出る訳か。相変わらずエグいなぁ」


 祖父の時代、グランとの契約は失敗に終わった。それはチャップマン商会の名前が悪名高くグランに伝わったままだったというのもあるし、何よりも後ろに王家が居たというのも大きかったのだろう。その時には既に王家との契約は切れていた訳だが、まだグランの所までは届いていなかったのかもしれない。もし届いていたとしても、グランはきっとチャップマン商会とは手を組まなかっただろう。王家にあだ名した一族と手を組むなど、愚かの極みだ。


 けれど今はどうだろう? グランは今のチャップマン商会の事をどう思っているのだろう?


 それも含めて、きっとノアはオリバーに頼んだのだろう。 


 ダニエルはグラスの底に残ったワインをチビリと飲むと、ため息を落とした。


「ドロシー、お前が決めろ。お前の人生だ。お前のしたいように生きろ」

「ちょ! ダニエル!」

「エマ、ドロシーはもっと色んな世界に触れた方がいい。お前たちをここに紹介したキリも、きっとそう思ってる。お前が、自分の人生が動き出したと思ったように、ドロシーの人生だってようやく動き出したんだ。そうだろ?」


 ダニエルの言葉にマリーが頷いた。それを見てエマは泣きそうな顔をして部屋を飛び出して行ってしまった。切なげにその背中を見送っていたダニエルは、やれやれと髪をかき上げる。


「まあ、なんだ。ドロシー、後でエマを慰めてやってくれ。どちらを選んでも」


 コクリ。真剣な顔をしてドロシーは頷いた。そしてやはり同じようにじっと机に座って話を聞いていた桃を抱きしめると、見つめあう。


 やがて顔を上げたドロシーは、オリバーの服をギュっと握りしめた。


「……一緒に来てくれるんすか?」


 コクリ。


「ご飯とか、贅沢は出来ないっすよ?」


 コクリ。


「着替えもお風呂も、全部自分でやるんすよ?」


 コクリ。じっとオリバーを見上げて頷くドロシーを見て、オリバーは頷いた。ノアに頼まれていたとは言え、オリバーも最後まで迷っていた。怖がりで寂しがりなドロシーを、知らない人ばかりの所へ連れて行くのはどうなのだろう? と。


 けれど、オリバーの心配や不安など他所に、ドロシーは心を決めたらしい。


「分かったっす。じゃあ、しばらくよろしくっす。あと、これ、渡しとくっす」


 オリバーはドロシーにノアから預かったスマホを渡した。それをしっかりと受け取ったドロシーは真剣な顔で頷く。


 そんなドロシーの頭を撫でたオリバーは微笑んだ。幼いながらに自分にしか出来ない事をやろうとしているドロシーを、少しだけ格好いいと思ってしまった。


「オリバー、ドロシーを頼む。でも、万が一危ない目に遭いそうになったら、すぐさま戻ってきてくれ。ノアの作戦が破綻したとしても」

「もちろんっす。てか、ノアもその場合はすぐに帰れって言ってたっす。その時はアリスをゴーしてどうにかするからって。でもそうなったらグランがアリスに乗っ取られる未来しか見えないっすけど」


 アリスに任せたら怪獣に蹂躙される小麦畑がすぐに思い浮かぶので、それは極力避けたい。それを聞いたダニエルは顔を引きつらせて神妙な顔で頷いた。


「それは流石にグランの人達が哀れすぎるから、無理のないよう頑張ってこい! な!」

「っす」


 ダニエルが立ち上がり、会議は終わった。皆バラバラと自室に戻っていく。





おまけ『なかなおり』


 胸に桃を抱えたドロシーは、自分の部屋へは戻らずにそのままエマの部屋に向かった。エマの部屋の前までやってきたドロシーはノックをしてみたが、エマからの返事はない。それでもドロシーはエマの部屋のドアを勝手に開けて部屋へ足を踏み入れた。暴れたのか、あちこちに物が散らばっている。


「なに」

「……」


 不機嫌な声のエマはベッドにうつ伏せで転がったままこちらを見もせずに言う。ドロシーがベッドに近づくと、ようやくエマは顔を上げた。


「行くの」


 コクリ。


「ふぅん」

「……」


 寂しそうな、辛そうなエマの顔を見てドロシーも泣きそうになったが、腕の中で桃が軽くドロシーの腕を撫でた。一人じゃないだろ。そう言われてる気がしてドロシーはベッドに腰かけてエマに抱き着く。


「なに? 餞別のつもり?」


 こんな風にドロシーに怒るのは良くない事だ。それは分かっているのに、どうしても止まらない。裏切られたという気分でもない。なのにどうしてこんなにもむしゃくしゃするんだろう。


 冷たく言い放ったエマに対して、桃がドロシーの腕の中から飛び出してエマの腕をポカポカと叩いてくる。しかしスライムだから全く痛くない。


「なんであんたが怒んの? ドロシーはそんなつもり無いって事?」


 コクコクと桃が頷く。見ると、ドロシーの目には涙が浮かんでいた。


「なんで泣くの? 自分で決めたんでしょ?」


 コクリ。そうだけど、そうじゃない。どう伝えればいいのかわからなかったドロシーは、床に落ちていた本を手に取った。そして一文字一文字指さす。


「? やくにたちたい。みんなだいすきだから?」


 コクリ。頷いた途端、エマにきつく抱きしめられた。鼻をすする音が聞こえて来て、エマが泣いているのだと気付く。


「あんたは! 私の妹みたいなもんだから! だから、ずっと大事にしなきゃって!」


 コクリ。私もだよ。それを伝える為にエマに強く抱き着いたドロシーもまた泣き出した。物心ついた頃から、ずっと一緒だった。いつもエマとマリーが側に居てくれた。未だに夜が怖いのも口が利けないのも治らないけれど、それでも眠れるようになったのは二人のおかげだ。


 ドロシーにとって、エマもマリーも家族だ。愛すべき家族なのだ。その家族の為に、ドロシーは心を決めたのだ。


「あらあら。桃ちゃんが呼びに来たから何事かと思えば、仕方ないわねぇ」

「マリー……」

「エマ、ドロシーとお話出来たの?」

「うん。役に立ちたいって。みんな大好きだからって本で教えてくれた。いつの間に字、覚えたの? へへ、私、何も知らなかった」

「私も知らなかったわ。いつの間に覚えたの?」


 もしかしたらもう随分前から文字が分かっていたのだろうか? それをいつまでも子供扱いしてマリーとエマが聞かなかっただけなのかもしれない。


 そう思って問うと、ドロシーは桃を指さした。なるほど、桃に教えてもらったのか。


「桃が来てくれて良かった。ありがとね、桃」

「そうだったの。ありがとう、桃ちゃん」


 エマがお礼を言うと、桃は慇懃な礼をとって空気を和ませた。


「エマ、何もドロシーがずっと戻って来ない訳じゃないんだから、明日は笑顔で見送りましょうね。それから、本当は明日渡そうと思っていたんだけど、これを三人に。四人でお揃いのお守りなの。この小さいのは桃ちゃんのね」


 そう言ってマリーは手縫いのお守りをエマ、ドロシー、桃の首にかけてやった。お守りには小さな鈴がついてて、その透き通るような音が心を沈めてくれる気がする。


「はは! 見て、桃が一番喜んでるよ!」

「ほんとだわ」

「!」


 鈴をチリンチリン鳴らしながら桃はその場で飛び跳ねて喜んだ。そんな桃を見て三人で笑った。どれだけ笑っていたのか、四人はそのままエマのベッドに横になって思い出話に花を咲かせる。出会った日から今までの事を、沢山話した。途中でドロシーがオリバーからもらったスマホを使って、メッセージを打つことを思いついた。


「そっか! 字覚えたからこうやってドロシーと話をすればいいんだね」

「ほんとだわ。少しも思いつかなかった! これでやっと、ドロシーとちゃんとお話しが出来るのね」

『桃が教えてくれたよ。桃は凄いんだよ』


 メッセージを覗き込んだ桃が照れたように頭をかく仕草はあまりにも人間くさくてまた笑ってしまう。


 こうして四人は、空が薄っすら白んでくるまで飽きる事なく話していた。


 翌日、盛大に寝坊した三人だったが、なかなか起きて来ない三人を心配したダニエルが、エマの部屋で全員寝ているのを見て、そっとしておいてくれたようだった。

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