第百十七話 おっとり系毒舌娘ライラ

「な、なんですと?」

「パン一つらしいよ。朝も昼も夜も。ほら、長期休暇中はコックさん達もお休みだから。余らせないように食料も全部使い切っちゃうから、な~んにも残ってないんだって。それに、町にも行けないように扉も施錠されちゃうから、本当に他のもの食べられないみたい」


 ライラの言葉にアリスは分かりやすく青ざめた。そして次の瞬間、キリを押しのけて自分の隣にライラを座らせる。


「さ、ライラさん! 時間は有限です! 教えてください!」

「ええ、もちろん。はい、これ。アリス用にノートをまとめておいたわ。ちゃんとお猿さんでも分かるように一杯イラストつけたから、きっと分かると思うの」

「おお! 神よ!」


 一心不乱にノートと睨めっこをして端から問題を解いていくアリスをライラは隣でニコニコしながら見守っているが――。


「ねえ、ライラちゃんサラっと酷いね」

「僕もビックリした。嫌味じゃなくて本気なのがまた何とも……」

「お嬢様にはあれぐらいでいいのです。やはりお嬢様の勉強にはライラさんが一番ですね」


 これがキャロラインならこうはいかない。きっと卒倒してしまう。その点ライラは根気強いというか、言葉の端々で無邪気に毒を吐く。そしてアリスはそれに気づかないし、言いたい事はちゃっかり言ってるので、結果ライラにとってはノンストレスなのである。


「頑張ろうね、アリス」

「拙者、一発で合格してみせるでごわす!」


 やると言ったらやるアリスである。特に食事が絡んでいるのであれば、本気を出さなければなるまい。かくして、アリスは無事に赤点を免れたのだった。


 そして食事がパン一つというのは、アリスのやる気スイッチを押すためのライラの真っ赤な嘘だった事が分かるのだが、それは全てアリスの為だったのだと言われてしまい、アリスは怒るに怒れなかった。


 夜、ノアの元に一本の電話がかかってきた。相手はオリバーだ。


『契約通り、明日でチャップマン商会のお手伝いは終わるっす。俺はそのままグランに行くんで』

「うん、ありがとう。で、肝心のドロシーは?」

『それが、昨日かなり揉めたんすよ。事の起こりは――』


 事件は昨夜、夕食を全員でとった後の短い時間に起こった。


「ごちそうさまっす。今日でフランの手料理も終わりかと思うと、何だか寂しいっすね」


 しみじみと呟いたオリバーに、食事担当のフランが顔を歪ませた。


「そ、そんな事言うな。お前はもうチャップマン商会の仲間だ。だからいつでも食べに来い」

「そうだぞ、オリバー。たった二週間だったが、お前は本当によくやってくれた。おかげでスマホの枠組みも本命との専属契約が結べたんだ。何なら卒業したらここに入社するか?」


 オリバーとダニエルで赴いた製鉄工場で、二人は試行錯誤して練り上げた作戦で大本命だった製鉄工場と専属契約を結ぶことが出来たのだ。ここは新しい事がとにかく大好きな伯爵家が経営していて、スマホにももちろん食いつくとは思っていたが、オリバーと協力して実演したのが功を奏したのだろう。


 何よりもあのクラーク家が絡んでいるという事も手伝って、これはいけると踏んだようだった。そのクラーク家の次期当主であるアランと直接電話をさせたのも良かったのかもしれない。

だからこれは、アランと面識があったオリバーが居たからこそなのである。ダニエルだけではきっと、成し得なかった。


 ダニエルの言葉にオリバーは珍しく純粋に笑った。


 ここの人達はオリバーの話をきっと知っていただろうに、誰も何も言わなかった。学園の仲間たちとはまた違った、まるで家族のようなチャップマン商会の連中は、オリバーにはとても居心地が良かったのかもしれない。


「はは、考えとくっす」

「で、もう学園に戻んのか?」

「いや、もうひと仕事してから帰るつもりっす」

「もうひと仕事? まだ何かあんのか? あいつら、お前を頼りすぎじゃないか?」


 ここに来た経緯だって、聞けばチャップマン商会の手が足りてないからオリバーを派遣してきたのだと言うし、この後さらに何をオリバーにさせようと言うのか。


 ダニエルは憤慨した様子でワインを飲み干すと、机の上に乱暴に置いた。


「いや、これは自分から言い出したんす。ちょっと思う所があって、グランの様子を見てこようと思ってるんすよ」


 その一言にダニエルとフランの顔が引きつった。


「な、何故グラン?」

「最近、作物の収穫量がおかしくなってるのは知ってるっすか?」

「ああ。あちこちで豊作が続いてるらしいが、それがどうした?」

「あれがね、おかしいってキャロラインが言い出したんすよ」

「どういう事だ? 豊作なんだろ?」


 首を傾げたダニエルに、横からマリーがポツリと言った。


「そう言えば……チェレアーリに居た時にお客さんが変な事を言っていたわ」

「チェ、チェレアーリ……」


 悲し気に視線を伏せたのはフランだ。この大男は柄にもなく料理が得意でマリーの事を好いている。マリー以外は全員それに気付いているのだが、マリーが鈍すぎてフランが一進一退を繰り返している状態である。出来るだけチェレアーリの事を思い出させたくないフランは、マリーの口からチェレアーリの話を聞くたびにこんな風に顔を歪めるのだ。


 一方、マリーの方はと言えば自分の仕事に誇りを持っていたので、どうしてフランがそんな風に悲しい顔をするのかイマイチ分かっていなかった。ここらへんが行き違いの原因である。


「ええ。セレアルでも今年は凄く小麦が取れたんですって。でも、異常なほどに豊作だった年が続くとしっぺ返しが怖いって」


 根が素直なマリーはこの話を聞いて少しずつ三人分の食糧を貯蓄しはじめた所だった。たとえ自分が飢えたとしても、まだ幼い二人にはお腹いっぱいにならなくても、食事の量は減らしたくなかったからだ。


 マリーの言葉を聞いて、オリバーは頷いた。


「同じ事をキャロラインも気づいたみたいなんすよ。で、ノア達がチェレアーリの小麦量と、十八年前の飢饉の時の収穫量を調べたら――」

「見事に合致してたか」

「っす。だから余計にあのラーメンの開発を急いでるんす。でも恐らく国内の小麦では足りないだろうから、グランにちょっと調査に行こうと思ってるんすよ」


 ノア曰く、本当はグランに恩を売る為なのだが、あえてそこは伏せておいた。


「グランか、因縁の、だな」


 ダニエルはグラスにワインのおかわりを注ぎながら言うと、ワインのボトルをエマが取り上げた。


「あ、こら!」

「飲みすぎ。最近毎日じゃない。今日はもうこれで終わりだよ」

「くそっ! お前はほんとに! それで? 一人で行くのか?」

「いや、それなんすけど、最初はミアさんと合流する予定だったんすけど、ミアさんの都合がつかなくなってしまって。グランには妹と二人でルーデリアから逃げてきたって設定で調査しようと思ってたんすけどね~」


 困ったように笑ったオリバーを見てダニエルが納得したように頷く。


 確かにグランは領全体が内向的なので、よそ者を酷く嫌うが、領民も領主も情には厚く、困っている人は放っておけない人柄ではある。そこを上手くついたいい作戦だ。


「実際に俺はキャスパー伯爵の所から逃げてきたようなもんなんで、嘘でもないっていうか。ただ、妹役が居なくなってしまって、どうしようかなと思ってたんす」

「なるほどな。アリスに頼めば、と言いたいがアイツはちょっと元気すぎるし何よりも芝居など出来ないだろうし、ライラはお嬢様感がにじみ出るもんな」

「そうなんすよ。だから本当は平民のがいいんすけど、エマとかどうっすか?」

「わ、私⁉ 無理無理! 芝居なんて出来ないよ! マリーは?」

「私ではオリバーの妹にはなれないわよ~」

「確かに……でも、後は……」


 そう言ってエマはチラリとドロシーを見た。

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