第百十六話 パン一つ
それから毎日チャップマン商会での仕事を手伝いつつ、時間を見つけてはドロシーの所に行くようにしていた。
ドロシーも最初はマリーやエマが居ないと嫌がったが、桃がオリバーを見かけると手を振ってきて駆けて来ようとするので、だんだんマリーやエマが居なくてもドロシーの方からオリバーに近寄ってくるようになった。
ある日、夕食のじゃがいもの皮を剥いていると、ドロシーが厨房にやってきて無言で隣に腰かけて来た。
オリバーはそんなドロシーにいつものように作業をしながら話しかける。
「どうかした?」
すると、ドロシーが桃をオリバーの膝の上に置いて自分を指さしだした。オリバーの持つナイフと自分を交互に指さすドロシー。ふと桃を見ると、桃もオリバーのナイフをドロシーに渡してやれと言ってくる。(ジェスチャーなので定かではないが)
「出来んの?」
首を振るドロシー。どうやら出来る訳ではないようだ。でも、ナイフを貸せと言ってくる。
オリバーはドロシーにナイフを渡すと、小さなジャガイモを一つ手渡すと言った。
「よく見てて。こうやって、この刃の所を押さえながら、ゆっくりジャガイモの方を回す。そうそう、上手。指切らないように気を付けて。桃もやってみる?」
コクリ。
二人がやっているのをじっと見つめていた桃は何か言いたげに脇差しを抜いたり差したりしていたので、彼もどうやらやりたいようだ。オリバーは一番小さなナイフを桃に渡すと、ドロシーに渡したモノよりもさらに小さな小さなジャガイモを桃に持たせた。
二人はオリバーの隣に腰かけ、無言でジャガイモの皮を剥いた。その顔は真剣そのものだ。ドロシーがようやく一個剥き終わった頃にはオリバーはすでに三つも四つも剥いている。
「……」
無言でオリバーをじっと見上げて来るドロシーにオリバーは苦笑いを浮かべる。
「これは慣れ。ドロシーも沢山剥いたらすぐに早く剥けるようになるよ。でも突然どうしたの? マリーとエマはドロシーに手伝えとは言わないっしょ?」
「……」
コクリ。ドロシーは頷いた。
そうなのだ。チャップマン商会の人達は誰もドロシーに手伝えとは言わない。だから皆が仕事をしている時は、ドロシーはいつも一人で絵本を読んでいた。それはあの花町に居た頃からそうだ。誰もドロシーに何かをしろとは言わない。でも、ドロシーはそれでいいとは思わない。桃に相談すると、桃はオリバーに言えと言った。オリバーは自分の事は何でもしてしまう凄い奴で、きっとドロシーの気持ちも分かってくれる、と。だからこうしてお手伝いをしに来たのだ。
無言でオリバーを見つめていると、ふっとオリバーが微笑んだ。
「ああ、手伝いたかった?」
コクリ。桃の言葉は正しかった。オリバーはドロシーの事を可哀相だとは言わない。もしかしたら思っているのかもしれないけれど、だからと言って特別扱いをする訳でもない。
「じゃあ、これお願い。こっちのジャガイモはまだ洗ってないんだ。湯はこの桶の中に入ってるんで、ここで洗ってくれると助かる。桃も手伝ってくれる?」
コクリ。二人が頷いて、早速泥だらけのジャガイモをゴロゴロと桶に入れて一つずつ泥を落としていると、厨房にエマがやってきた。
「あれ? 何でドロシーがそんな事してんの? それはオリバーの仕事でしょ?」
眉を吊り上げてそんな事を言うエマに驚いたドロシーは、急いでオリバーの後ろに隠れた。それを見てエマが目を丸くする。
「ああ、俺が頼んだんすよ。桃は寮ではずっと俺の手伝いをしてくれてたんで、その癖でこうやって手伝いに来てくれてるんす。でも、そしたらドロシーが一人になるんすよね。だからこうやって一緒に手伝ってもらってたんすよ。そうっすよね? ドロシー、桃?」
コクリ。二人は同時に頷いた。手にはしっかりとジャガイモが握られている。それを聞いたエマは小さなため息を落として肩をすくめた。
「危ない事はさせないでよね。あと、終わったら手荒れしないようにクリーム塗っといてやってよ?」
「了解っす」
厨房から出て行くエマの後ろ姿を見送ると、ドロシーがホッとしたように息をついた。
「はは! そんなにビクビクしなくても! 手伝いして怒られるなんて聞いた事ない。大丈夫。あれはエマなりの心配。エマはドロシーが可愛くて仕方ないんだよ」
コクリ。頬を染めてオリバーの隣に腰かけたドロシーは、桶に浸かって泳ぎながらジャガイモを洗っていた桃を取り出してギュっと抱きしめた。
この日を境に、オリバーとドロシーの仲は急速に深まった。とはいえ、それはまるでお父さんと娘のような雰囲気だったと後にダニエルは語ったのだが。
その頃、アリスはまたノアの催眠術にかかっていた。
「だから! どうしてこれが分からないんです⁉」
キリがノートを机に投げつけると、それに抗議するかのようにアリスもダン! と机を叩いて立ち上がった。
「分からんもんは分からんのです! ライラさんを呼んでください! 拙者はもうライラさんの元でなければ勉強は致さん!」
「あんたさあ、そのキャラどうにかなんないの?」
「失礼な! 私は生まれた時からこうですぞ!」
色々とあったせいで、アリスはすっかり授業についていけなくなった結果、追試で赤点を逃れなければ長期休暇を返上して補習を受ける事になってしまった。そうしてまたノアに催眠術をかけられたのである。二回目だから流石に慣れているだろうと思いきや、アリスはまたおかしな事になってしまって手が付けられなくなってしまったのだ。
「あんたもさぁ、安易に妹に催眠術かけんの止めなよ。一回やったら分かるでしょ? こいつが相当暗示に弱いってさぁ」
リアンは腕を組んでチラリとアリスを見た。ノアに頼まれて勉強を教えにやってきたリアンだったが、あまりのアリスの物覚えの悪さにアリスに教えるのはもうとっくに放棄している。
その時、部屋の扉がノックされて、扉の陰からライラがそっと顔を出した。
「ごめんなさい、アリス。先生のお手伝いをしてたらこんな時間になっちゃって。もう終わっちゃった?」
胸にアリス様にまとめたノートを抱えたライラが申し訳なさそうにリアンを見ると、リアンは視線だけでアリスとキリを見て言った。
「ずっとあの調子。大丈夫、何一つ進んでないから」
「え⁉」
「ごめんね、ライラちゃん。僕達だけで本当はどうにかしなきゃなんだろうけど、アリスがライラちゃんとで無いと嫌だってゴネちゃって」
「それは別にいいんですけど……アリス、追試に落ちたら大変だよ? 噂によると、追試に落ちた生徒の食堂のメニューがパン一つになるって聞いたんだけど」
それを聞いた途端、それまでキリと喧嘩をしていたアリスがピシリと固まった。
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