第百十五話 ドロシーと桃

 振り返ると、ドロシーがオリバーの肩をじっと見つめている。


「これが気になる?」


 オリバーはしゃがみ込んで桃をドロシーの目の前に差し出すと、ドロシーがコクリと頷く。驚かせてはいけないと思って、桃にはいいと言うまで人形の振りをしていてくれと頼んであるので、桃は動かないが、それでもドロシーは桃が気になるようだ。


「すまん、俺も気になってたんだ」

「私もよ」

「私も。いい歳して、何でお人形肩にのっけてんの?」


 ズバリと言うエマの口を慌ててダニエルが塞いでその頭にゲンコツを落とす。


「お前なぁ! 人には触れてほしくない事の一つや二つあんだろーが!」

「いや、触れてほしくなかったら隠しとけばいいじゃん。そんな所に乗せてたらドロシーじゃなくても気になるってば!」

「いや、当然っしょ。これは通信装置なんです。桃、もう動いてもいいよ」


 もしも人形の存在を怪しまれたらそう言えとノアに言われてある。普通に言っちゃ駄目なのかと聞いた所、量産できる訳じゃないから、変に欲しがられても困る、というのがノアの見解だった。確かにこの人形の商品化はまだ検討段階なのだ。そしてこれを怪しまれずにドロシーに渡さなければならない。


 けれど、アリスは言った。もしもドロシーの所に行きたがらなかったら、オリバーがそのまま引き取ってね、と。この人形達には、ちゃんと自我があるそうだ。


 桃に動いてもいいと伝えると、桃はやれやれと言った感じで大きく伸びをして机の上に飛び降りた。


「!」

「おお! な、なんだこれ!」

「か、かわいい……」

「あら、まぁ」

「名前は桃って言います。簡単なことなら何でも出来るっす」


 皆に紹介された桃は着物の裾を払ってお辞儀をすると、簡単な剣舞を披露して皆を驚かせる。


「こ、これはあれか? またアイツの仕業だな⁉」

「そっす。ダニエルさんも大分アリスに毒されてるっすね」

「付き合いは短いが、あいつはその、何て言うか、色々――なぁ?」

「っす」


 お茶を濁しはしたものの、ダニエルの言いたい事が何となく伝わったオリバーが返事をすると、ダニエルも納得したように頷いた。


 皆同じように驚いていたが、やはり一番食いついたのは、年少のドロシーだ。


「触ってみる?」


 コクリ。ドロシーが両手を広げて机の上に置くと、桃はその手の平にちょこんと乗る。スライムだから少しひんやりしていて、ちょっとした衝撃に震える。


 ドロシーは表情を輝かせて桃を見つめ、桃もまたドロシーをじっと見上げた。しばらく見つめ合っていた二人はお互いに頷きあい、まるでそれは会話しているようにも見える。


「ド、ドロシー? あんた、もしかしてこれと喋ってる?」


 コクリ。


「え! 声が無いのに何て言ってるか分かるの⁉」


 コクリ。


「声が無いからこそじゃないっすか? この人形は思考を読み取るのかもしれないっす」


 校長の孫の所に行ったイエローがそうだったと聞いている。まだ赤ん坊の意志を読み取り、それを姉の人形に伝える事で食事や排せつを知らせていたそうなのだ。


 オリバーがそれをダニエルに伝えると、ダニエルは感心したように頷いた。


「それはまた、凄いもん作ったな。こいつに口を付けたらえらい事になりそうだ」


 思考が外に駄々洩れてしまうのは誰よりも困るダニエルである。万が一にもそんな事になったら、恥ずかしすぎて真冬の海にでも飛び込まなければならなくなってしまいそうだ。


「普通の人ならそんなに困らないっすよ。でも意図せず汲み取られるのは俺も勘弁っす」


 そう言ってオリバーはまたしゃがみ込むと、ドロシーの頭を軽く撫でて言った。


「ここに居る間、こいつと仲良くしてやってほしいんすよ。話し相手が出来たら、こいつも退屈しないで済むんで」

「!」


 オリバーの言葉にドロシーはコクコクと頷いて桃を抱きしめた。桃もドロシーの頬を優しく撫でると、そのままドロシーの肩によじ登って行く。そしてまたお互い頷き合い、ドロシーが笑う。それを見てエマもマリーも少し驚いたような顔をしてドロシーと人形を見ていた。


 その日の夜、夕食を終えてドロシーを寝かしつけたマリーがリビングに戻ってきてオリバーに言った。


「あの子、桃ちゃんを離さないの。いつもは寝る前に誰かに本を読んでもらってからでないと寝ないのに、今日はじっと桃ちゃんと向かい合っていただけで……ほんとに不思議」

「ああ、あの人形の脳は全部の人形と繋がってるらしいんすよ。多分、キャロラインの所の人形が毎晩絵本で字を勉強してるって言ってたから、それを桃が話したんじゃないっすかね」

「そんな事も出来んのか?」

「っす。だから、桃の中にはキャロラインに教わった沢山の本が詰まってると思うんす。そしてそれは今も更新中っす」

「何にしても、ドロシーと意思の疎通が図れる人が出来て良かったよ。人形だけど」


 エマはそう言って笑う。


 ドロシーは、ある日気づいたら花町に居た。全身泥と怪我まみれで、髪は坊主かと思う程短く、痩せ細り今にも死んでしまいそうな所をマリーが保護したのだ。


 最初は食い扶持が減ると言って反対したエマだったが、何だかんだと一緒にいるうちにドロシーが可愛くなってきてしまって、髪が肩辺りまで伸びた頃には、今度はドロシーに客がつかないようにするのに必死だった。ドロシーの髪は見事な金髪で顔も愛らしい。そういう趣味の男に買われてしまわないように、エマとマリーは出来るだけドロシーを表には出さないようにしていた。花町では金だけがモノを言う。そうやって不本意な客に身請けされて花町を去った者も少なくない。


 そんなドロシーは暗闇を嫌い、寝るときは必ず誰かについて居て貰わないと眠れない。だからいつも寝かしつけるのに大変なのだが、どうやら今日からはしばらくの間、桃がその役を買ってくれそうだ。


「本当に。いつかあの子の声を聞けたらそれが一番いいんだけど。それにしても、あの子あなたの事も怖がらなかったわね。珍しい」


 そう言って笑ったマリーはまるでドロシーの母親のようである。


「そうなんすか?」

「そうだぞ。俺なんて未だに手すら繋がせてもらえないぞ。フランなんて、顔見るたびに逃げられてるからな」


 ははは! と笑い飛ばすダニエルは、それでもドロシーを追い出そうとは思わないらしい。リアンから聞いていた通り、ダニエルは女性にとことん優しいようだ。


 自室に戻ったオリバーは今日の出来事をノアに報告した。


『まさか桃とドロシーが話せるとはね。これは校長には報告しない方がいいかもなぁ』


 ドロシーと話す桃の事を伝えると、ノアは苦笑いして言った。


「まだ反対なんすか? 人形の量産」

『うーん、脳が一つに繋がってるって事は、そこをついて悪用されないとも言い切れないじゃない。それこそ、アリスみたいな魔法を使う人とかに誰かを暗殺しろみたいな魔法かけられたら、怖いと思わない?』

「そんな事出来るんすか?」

『出来なくはないんじゃないかな。今はまだ身内にしか配ってないからいいとしても、これが全世界にってなったら、ちょっと怖いね』


 そう言ってため息を落としたノアの脳内には、あの人形を使って思いつく悪事が沢山あるのだろう。そんな事を考えられる時点で十分ノアもヤバイ。


「どこかで管理するとかっすかね。スマホみたいに、この人形とこの人形は繋がない、みたいな」

『そうだね。それしかないんだろうけど、あの子達は自分で思考出来ちゃうから、それが難しいよね。うーん……ちょっとアランに相談してみようか。それで、ドロシーの印象はどう?』

「どうって言われても、普通に可愛いっすよ、としか。まだ接触も何も無いので何とも」

『そりゃそうだよね。じゃあまぁ、引き続きドロシーと仲良くしてよ。こっちはもう、今大変なんだ』

「どうしたんすか?」

『いや~アリスが長期休暇取れるか取れないかの瀬戸際なんだよね。また催眠術かけようかな』

「……」


 サラリとそんな事を言うノアにオリバーは顔を引きつらせながら電話を切ってベッドに転がる。何となく癖でついつい今までのようにベッドの周りとドアの入り口に鈴の罠をしかけてしまう。学生寮でもこうなので、最早この鈴が無いと眠れないのが辛い所だ。

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