第百二話 悪役令嬢、麺打ちハマる!

 場所は変わって厨房では、ザカリーとスタンリーが汗だくになって大鍋で出汁を取っていた。


「てかー、これなんなんスかね?」

「分からん。お嬢のやる事は俺ら凡人にはさっぱり分からん」


 先日、ザカリーとスタンリーの元に大量の小麦粉が届けられた。二人は顔を見合わせて差出人の名前を見て発狂したのは言うまでもない。それから間もなくこんな手紙が届いた。


『二人ともお疲れ様~! 突然なんだけど、この粉どっかに保存しといてくれると嬉しいな☆ついでに、鶏肉と野菜、キノコ類を大量に入れて大釡で出汁取っといてほしいの! あと、豚骨と野菜だけで作ったスープもお願い☆ もうちょっとしたらそっちに戻れると思うから、二日ぐらい煮込んで灰汁も取っといてね♡ それじゃ、お土産買って帰るからね~! ばいば~い☆ アリスより♡』

「なんじゃこりゃ~~!」

「お嬢はちょっと手紙の書き方とか習った方が良くないっスか?」


 ハートや星がふんだんに散りばめられた手紙を見て、スタンリーが頭を抱えた。とても貴族の娘が書くような手紙ではない。キャロラインに見られでもしたら、えらい事になるのは間違いなしである。


 そんな訳で、何が何だかよく分からないままに出汁を取っている二人である。同僚たちは、またシェフと副シェフが何か始めたと興味津々だったが、定時になると皆さっさと帰ってしまった。まあ、こんなもんである。


「絶対に俺ら損してるっスよね。皆既婚者だからって、調子に乗ってんじゃないっスか?」

「まあそう言うな、スタンリー。俺達はいつまでも仲良く残業しような? な?」


 笑顔で詰め寄ってくるザカリーにスタンリーは慄きながらも丁寧に灰汁を取る。煮込み始めてそろそろ二日目だが、あんなにも濁っていた出汁が、今や底が見える程透明で金色だ。もう一つの鍋は逆に真っ白である。


 そしてその日の昼、果たしてアリス達はやってきた。各々の従者も連れて来ているので、人数が凄い事になっている。


「何か、日に日に増えてません?」

「そんな事ないない! あ、これがスープ⁉ うっわ、想像以上の出来! よ~し、麺打つぞ!」


 アリスはそう言ってノアに貰ったフリルのエプロンを付けて、送っておいた粉を測りにかけだした。他の皆もそれぞれにアリスからの指示に従って動き出す。


 そんな中、オリバーだけがその光景を見て呆然としている。それに気づいたのはスタンリーで、オリバーの肩を叩いて人好きのする笑顔を浮かべて言った。


「何事も慣れっス。あんたも早く色々諦めた方がいいっスよ」


 親指を立ててそんな事を言うスタンリーの目には諦めの色が浮かんでいるので、オリバーは頷いて、渡されたヒラヒラのエプロンを付けて厨房に立つことにした。


「これは気持ちいいな! 以前のパン作りとはまた違った感触だぞ!」

「ルイス、ルイス! 足で踏むともっと気持ちいいよ」


 はしゃぐ王子と次期宰相にオリバーがドン引きしている頃、違う場所ではリアンとライラが楽しそうに豚肉の塊を鍋の中で転がしている。


「美味しそうな香り~」

「大分色がついてきたんじゃない?」


 コロコロコロコロ肉を転がしているだけなのに、何だか二人の間には割って入れない独特のオーラがある。


「ネギ切るの上手いですね」

「え? ああ、ずっと自炊だったから」

「ああ、なるほど。では、問題ありませんね」


 一人黙々とネギを切っていたオリバーが気になったのか、キリがオリバーの手元を見て安心したようにニ、三度頷いて隣の作業台へと去って行った。


「ミアさん……驚くほど不器用ですね」

「す、すみません」


 別にキリは怒っている訳ではない。しかし、いつもこの人は圧が強い。


「誰でも得意不得意はあるものです。貸してください」

「は、はい」


 そう言って包丁をミアから受け取ったキリは、物凄い速さでキャベツを刻みだした。


「す、すごいですね」

「慣れです。あの猿に付き合っていたら嫌でも出来るようになります」

「そうなんですか? 私もアリス様にお料理を習った方がいいかもしれません……」


 裁縫は得意だが、料理はからっきしのミアである。落ち込んで俯いたミアにキリが視線も移さず言い切った。


「料理など、出来る人と一緒になればいいだけです。別に女性は全員出来なければならない訳ではないのですから」

「そ、そうでしょうか?」

「そうです。最悪出来なくてもパンを切ってバターを塗って出せばいいのです。それも立派な料理です。少なくとも、俺は気にしません」


 そんな言葉をサラリという物だから、思わずミアは頬を染めそうになったのだが。


 キャベツを切り終えたキリは次の具材をミアに渡そうとして口の端を上げた。


「これはミアさんには切らせる訳にはいきませんね」

「ど、どうしてです? 下手だからですか?」

「いえ、チャーシューなので」

「?」


 意味が分からなくて首を傾げたミアに、キリはおかしそうに言う。


「豚なので。ミアさんにとっては仲間を切るのも同然でしょう?」

「だから! 情緒!」


 思わず大声が出てしまったミアは、キッとキリを睨んで、その手から包丁を奪い取った。


 一瞬トキメキかけた心をかき消すようにチャーシューに包丁を入れていく。


 そう言えばキリはミアの事を以前に豚だと言ったのだ。生産性があって大変良い、と。しかし、どの世界に豚に喩えられて喜ぶ女子がいるというのか!


「そこ~、イチャついてないで仕事して~」


 ノアの言葉に我に返ったミアは真剣にチャーシューを切った。


「何かあったら遠慮なく呼んでくださいね」

「呼びません!」


 フンとそっぽを向いたミアにキリが肩を揺らしながら歩いて行く。そんな光景をオリバーは青ざめた様子で眺めていた。


 とんだドSっぷりにオリバーが驚愕していると、麺班から歓喜の声が上がった。


「アリス、凄いわね! どんどん長くなるわ!」

「まだまだですよ~。こうやってー麺をーのばーす!」


 一本に伸ばした麺を折りたたみ二本に、それを伸ばしてまた折り畳み四本に、また伸ばしてを繰り返すうちに、だんだん中華麺の細さに近づいていく。


「ふぃ~。出来た出来た。はい、次」

「これよ」


 職人のようにおでこの汗を拭ったアリスが打ち粉をして言うと、キャロラインがルイスとカインによって作られた塊を差し出してくる。


「キャロライン様もやってみますか?」

「わ、私に出来るかしら?」


 そう言いながらもアリスを押しのけて腕まくりをしたキャロラインはやる気満々である。元々は引っ込み思案で新しい事を始めるのが億劫なタイプなのだが、アリスがやっているのを見ると、とても楽しそうに見えるから不思議である。


 アリスの手ほどきを受けつつ麺を伸ばすキャロラインを見て、一息ついたルイスとカインが寄ってきた。


「そっちも楽しそうだな」

「俺にも後でやらせてよ」

「いいですよ! その前にいっぱい生地作ってくださいね!」

「アリス! これでどうかしら⁉」


 アリスほどのスピードでは出来ないものの、何とか形になった麺を見てキャロラインは紅潮した頬で得意げに言った。それを見てアリスも笑顔で頷く。


「初めてにしては上手ですね! キャロライン様は凄く器用です!」

「そ、そう? ルイス、カイン、もうないの?」


 褒められて嬉しくなったキャロラインが二人を急かすと、苦笑いしながら二人は持ち場に戻っていく。


「じゃあここはもうキャロライン様にお任せしますね! 私はスープの方に行ってきます」

「ええ! あの二人にも教えておくわ」


 自信満々に頷いたキャロラインを残して、アリスはラーメンの命とも言えるスープに取り掛かった。まずは無難に醤油と味噌、そして豚骨を作る事にした。


 スープは予めザカリーとスタンリーがしっかり取っておいてくれたので、アリスの仕事はここに調味料を足していくだけである。


 用意した深めの器に調味料を入れ、スープを入れる。途端に辺りに何とも言えない美味しそうな匂いが漂い始めた。


「兄さま、麺はもう茹でれてる?」

「大丈夫だよ。これをそこに入れるの?」

「うん」


 頷いたアリスを見てノアは湯がいて水分を取った麺を器に入れた。そこにアリスはネギ、チャーシュー、炒めたキャベツを盛り付けて、


「ラーメン完成~~~!」


 出来上がったラーメンは琴子時代に食べていたものと比べると、そりゃ見劣りはする。


 しかし、この世界でラーメンが食べられるという事が何よりも感動である。

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