番外編 1暴食アリスの裏側 2アリスVSクマ
1. 暴食アリスの裏側
あの頃はまだアリスも子供で、少しも加減というものが出来なかった。既にアリスの異常なほどの身体能力はこのころからちょくちょく見られてはいたが、それほどまでとはみんな思っていなかったのだ。
その頃のアリスを甘く見ていた結果、ノアは大きな怪我をした。暴れたアリスが投げたトランプが、ナイフでやられたのかと思う程ノアの脇腹を引き裂いたのだ。
痛みに転げまわった結果、ノアはすぐに領民の手で病院に運ばれて事なきを得たが、その噂はたった一晩で領地に知れ渡った。
翌日から、みんなが腫れ物を扱うようにアリスに接するようになった。自分の意識の無い間にした事で、結果、兄を傷つけ皆からも白い目で見られる。これがアリスにはどうやら相当堪えたらしく、それからアリスはしばらく眠らなくなった。
眠くなるとアリスは自分を自分で叩いて起こす。そんな事を繰り返した結果、アリスの頬はパンパンに腫れあがり、その理由を聞いて領民達のアリスを見る目に同情が混じった。
ぎくしゃくしたまま月日は流れ、次の年、アリスが盗んだ作物がバカ売れして、それが次の年も次の年も続いた結果、アリスが持って帰った野菜は次の年に高く売れるという事実が領民達の間に知れ渡り、ようやくアリスの事をみんなが受け入れてくれるようになったのだ。
その年からアリスの頬は腫れなくなった。その代わり、ベッドに自分を縛り付けて眠るようになったのだが、それでも酷い時はその縄を切って出て行ってしまう。
深夜に畑から音が聞こえてきたら、アリスがやってきたのだな、といつしか皆が思うようになった。誰からともなく畑の脇に籠に沢山の野菜を置いておいてくれるようになったのも、この頃だ。
この頃の話は、今でも領地会議をすると必ず出て来る。
『いや~あの時はほんとに、どれだけ村を出ようと思ったか!』
『俺なんて噛み付かれたんだぞ!』
『ははは! 俺も噛まれた!』
『何度畑で寝こけてるお嬢を屋敷まで運んだ事か! でも絶対野菜は離さないんだ、これが』
今となっては笑い話だ。そう言わんばかりの領民達に、ノアは心の底から感謝している。
あの一件があった後も、誰一人村を出ては行かなかった。アーサーが引っ越し資金を提供すると言っても、だ。
実際に出ようとした者も居たようだが、どの家も家族に止められて、結局出る事はなかった。
『怖いから出ようって言ったら、かみさんに怒られてな』
『そうそう。畑の野菜盗むぐらいなんだ! って。あの子のおかげでクマが下りて来なくなったんだ! って』
『集団食中毒起こした時も、助かったのはお嬢のおかげだったしな。なんだかんだ俺達も世話になってんだよな、お嬢には』
そう言って笑えるようになったのは、みんながアリスを受け入れてくれたからなのだ。心の広い領民達に恵まれて、アリスも今は領民に親しまれている。
アリスは領民がアリスの事を受け入れてくれたのは、ノアが説得してくれたからだ、と本気で思っているようだが、実際はアリスが自分で蒔いた種が実を結んだ結果なのだ。
あらましだけ聞けばとんだ珍事件だが、実際には領民達の広い心がアリスという存在を許してくれた、というとてもいいお話なのである。
2.アリスVSクマ
「ところでノア、さっきの話なんだけど」
カインは子羊のスペアリブを飲み込んでノアを見た。
「うん?」
「あれほんと? クマ倒したって? 本当に?」
「ああ、うん。あれは領民のほぼ全員が見てたからね。夜中に羊飼いのトムが血相変えて来てさ、アリスがクマとうちの畑で遭遇した! って」
あの時の事を思い出したノアはうっすらと笑みを浮かべた。
「凄く……なんていうか、シュールな絵面だったよ。女の子とクマが畑の真ん中で月明かりに照らされて睨みあってんの……」
「……」
今からどんな話が始まるのか。みんなゴクリと息を飲んだ。何故かアリスまで息を飲んでいる。
「アリスは大根と白菜抱えててね、それを下に置いたのが戦闘の合図だったんだ」
「と、止めなかったのか⁉」
「どうやって? 猟銃で撃とうにも万が一アリスに当たったら一大事でしょ? かと言って誰も間には割って入れなかったんだ。僕もキリに止められてたしね」
「流石に次期当主をクマとの闘いに放り込む訳にはいかないので」
ノアは何かを思い出すようにそっと目を閉じた。月明かりの中たたずむクマと妹……兄としては心臓が止まりそうな程ヒヤヒヤしていた。
「そ、それで?」
乗り出すように続きを聞きたがるダニエルにノアは笑った。
「なんでそんな聞きたいの?」
「え? だって、戦う女の子って、かっこよくないか?」
キョトンとした顔で、さも当然だとでも言うような口調のダニエルにアリスは嬉しそうに笑った。なるほど、これは確かに攻略キャラだ。
「えっと、どこまで話したっけ?」
「戦闘の合図のところだ!」
「ルイスまで……えっと、アリスが野菜を置くのにしゃがんだ途端、クマがアリスに襲い掛かったんだ。ところが、アリスはそれを逆手にとってクマのお腹の下に潜り込んで、思い切りクマを、あれは足で押し上げたんだろうね?」
「ええ、そう見えました。クマがふっとんで柵が壊れたので」
思いもよらぬ下からの攻撃にクマは勢いがついていた事も相まって、そのままふっとび柵を壊した。
「もちろん、クマは怒るよね? でも、実はこの時にアリスも静かにブチ切れてたんだ」
「何故⁉ いや、逃げようよ、そこは!」
「お嬢様は逃げません。決して。いつも、毎回、絶対に」
しつこいぐらいに念を押したキリに、リアンは渋々頷いた。キリもきっと苦労しているのだ。
「クマがね、アリスの大事な白菜と大根を踏んで潰したんだよ。これにアリスが怒っちゃって」
「沸点が低い!」
「クマが体制を立て直すと、アリスは柵によじ登ってそこから宙返りして飛び降りたんだ。クマの頭めがけて」
「あの時何か叫んでましたよね?」
「えー……ああ、確かムーンサルト―! とかなんとか……よく分かんないけど。そのままクマの頭掴んで、引き倒したんだよ。咄嗟の事にクマも対処出来なかったんだと思うんだ。頭を思い切り地面に打ち付けてそのまま伸びちゃって」
「あれは悲惨な事件でしたね」
「でも、最後は拍手喝采だったけどね」
最初はヒヤヒヤしながら見守っていた領民達だったが、最後にはみんな大分興奮していた。
伸びたクマを森の奥に返して戻ってくるなり、深夜だと言うのにみんなで酒盛りをしていたのだから。それほどまでに、あのクマには手を焼いていたのだ。巨体の割にすばしっこく、賢かった。それまでにも猟師が何度も仕留めようとしていたのだが、誰も仕留める事は出来なかった。
あのクマはそれ以来一度も降りて来てはいない。でもたまに、寝ぼけたアリスが領民の畑から取った野菜を山の入り口に置いていたりするので(朝にはいつも無くなっている)、案外、戦った事で友情でも芽生えたのか? と思わないでもない。
「やっぱ、今回の狼もあんただね。殺してしまわないで気絶だけさせるっていう手口が、もうほんと、あんただよ」
「言えてる。俺はアリスちゃんのそういう所がとても好感がもてるよ」
「だって、それは……食べないのにとっちゃ駄目って」
「あー、うん。食べる為なら躊躇わないよね、君は」
釣りの時のアリスを思い出したカインは苦笑いを浮かべた。釣った魚を容赦なく捌くあの横顔は、今もハッキリとカインの記憶の中にこびりついている。
「は~……いつかアリスの事を本にでもしたい気分だな!」
「それ、需要ある?」
満足げなルイスに冷静なリアンの突っ込みが入る。
「わ、私は読みたいわ! 女の子でもここまで強くなれるって事だもの!」
「いや、無理だよ⁉ 男の子でもここまでは無理だからね!」
お願いだからライラはそのままで居て! リアンの悲鳴にも似た叫び声に、食堂の中が得も言われぬ甘い空気になる。
なんだかんだラブラブな二人に、殺伐とした話の後だと言うのにほっこりした気分になったのは、ここだけの話である。
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