第六十話  こんな子ですが、王都に行ってもいいですか?

 すっかり事情を聴いたリトとカーラは戻ってきた一行に暖かいお茶を淹れてまわってくれる。

「皆さん、すみません。本当にお騒がせしました。そろそろだなぁとは思っていたんですが、まさかこんなに早いとは……」

 皆の前で頭を下げたノアを見て、皆も神妙な顔をして頷く。アリスとの闘いを目の当たりにしたからだ。特にダニエルなど知らぬうちに気づけば自ら囮になっていたのだ。足払いをかけられたダニエルはしこたま腰を打ち付けて、まだズキズキしている。

「でも流石のお嬢様もよその土地なので遠慮はしたみたいですよ」

 そう言ってキリはアリスの戦利品を持ってきた。籠一杯にカボチャやニンジンを始めとする野菜が詰められている。

 ノアはそれを覗き込んで頷いた。

「ほんとだね。随分少ない。暴れ方も大人しかったし、武器も今日は少なかったもんね」

「あんた達、普段どんな生活送ってる訳⁉」

 思わず突っ込んだリアンの手にライラが自分の手を重ねて首を振った。

「リー君、アリスは天災のようなもの。私はもう、そう思う事にしているわ。アリスは台風や地震や雷なのよ、きっと」

「……なるほど?」

 そこに居た全員が納得しかけたが、それをリアンが止めた。

「ダメダメ! それで納得しちゃ駄目でしょ! ライラも! 親友でしょ⁉ しっかりして!」

「でも……ドラゴンとか拾ってくるのよ? 人の皮を被った何かだと思うのだけれど……」

「んー……ライラちゃん、おっとりしてそうでなかなか発想力が豊かだね。でも、一応アリスは人間だから。やる事成す事はちゃめちゃだけど、限界はあるからね?」

 アリスだってリミッターを自由に外せるだけで限界はある――はずだ。その証拠に刺繍や歌やダンスと言った淑女に必須なものは軒並み壊滅的である。

「いつもはこの時期はどうしてるんだ? まさか野放しなのか?」

「ううん。ベッドに縛り付けてる。それでも脱走した時はもう野放しだね。朝にどこかの家の荷馬車に揺られて帰ってくるよ」

「そ、そうか」

 聞かなければ良かった。そんな言葉を皆は飲み込んだ。とんだヒロインも居たものである。そして心底思う。本当に、ほんっとうにループの件を教えておいてもらって良かった、と。

 何か間違えてアリスと婚約なんて事になれば、体がいくつあっても足りない。

「あの、ノア様、一つ相談があるのですがいいでしょうか?」

 そう言ったのはルーイだ。アリスの討伐にも参加して、あの動きを目の当たりにしてようやく決心がついた。

「なんでしょう?」

「ここで滞在した後、王城に来られるとの事でしたが……」

 そこまで行ってルーイがお茶を濁した。言いにくそうな雰囲気を察したノアが口を開く。

「ああ、やっぱりそうですよね。今回は時期が悪かったという事で僕たちは遠慮して――」

「違うんです! アリス様の身のこなしを見ていて思ったんです。これは、訓練に使える、と!」

「?」

「お、お前、突然何を言い出すんだ! アリスは深夜に野生化するとは言え、客人だぞ⁉」

「失礼は承知の上です。ルイス様、昨今の騎士団の質はかなり落ちています。戦が無いに越した事はありませんが、このままではどんどん我が国の騎士たちは弱体化するでしょう。それでは困るのです! 不測の事態に備えておかなければ、いつ何時何が起こるか分からないのですから! ノア様、アリス様には絶対に傷つけません。私が約束します。だからどうか、王城ではアリス様を野放しにしておいてほしいのです」

 頭を下げたルーイを見て、ノアはキリと顔を見合わせて頷いた。

「なんだ、来るなって言われるのかと思った! そんな事ならお安い御用です。少々の怪我も舐めてれば治るので大丈夫です。ただ、そちらに怪我人が出ないようにだけ気を付けてくださいね、本当に。危ないと思ったらすぐに引いてください。寝ぼけてるアリスは加減も何も出来ないので」

 真剣なノアの顔にルーイもまた神妙に頷いた。

「ノア、いいのか?」

「構わないよ。あのアリスを見てそんな風に言ってもらえるのなら、本人も喜ぶよ」

「そうか。すまないな、客なのに」

「いいって。それよりも、本当に皆に迷惑かけたね。ごめん」

 アリスには目を覚ましたらちゃんと謝らせるつもりだが、ノアはもう一度頭を下げた。

 朝、アリスはキリに一部始終を聞いて青ざめた。それとなくノアが秋のアリスの話をしてくれていたが、アリスにとってはかなり重大な問題なのだ。このせいで領民達と数年間ギクシャクしたのだから、最早トラウマだと言ってもいい。

 アリスは皆が起きだしてきた頃を狙って、キリに書き出してもらったメモを手に、一人一人に頭を下げて回った。

 シェフのカーラから始まり、当主のリト、使用人達にルイスの護衛。それから、友人たち。

「どうだった? 皆怯えてた?」

 何か含んだような聞き方をしてくるノアにアリスは首を振った。

「そう、良かったね」

「……うん」

 ホッとした反面、何だか言い様のないモヤモヤとしたモノが胸の中に残る。本当に? 本当に誰も怒っていない? ダニエルは多少引きつっていたが、それ以外の人達は誰も怒っても怯えてもいなかった。

 ルイスやカインは何故か笑っていたし、ライラなど感動していた。リアンはいつも通りの感じだったし、一番驚かせたであろうカーラとリト、使用人達は皆口を揃えてスープを絶賛してくれた。

「何がそんなに心配?」

 俯いたままのアリスの顔を覗き込んだノアは、アリスの頭を撫でた。すると、その途端にアリスの目から涙が零れ堕ちる。

「嫌われてない? 本当に? 皆、優しいから嘘ついてくれてるだけかも……」

「嘘なんてつける人居ないでしょ? アリスは小さい頃の事を思い出してるんだろうけど、

あの時と今の状況は違うんだよ」

「そうです、お嬢様。ここの家の人達や護衛の方々はともかく、友人たちはお嬢様の奇妙奇天烈な行動など、今更ですよ」

「ひ、ひどい……」

「起きてる時と寝てる時をお嬢様は違う自分だと思っているのかもしれませんが、我々からしたら手間の度合いで言えば、さほど変わりません。何ならあなたは起きて喋ってる時の方が厄介ですよ」

「……」

 これは慰めようとしてくれているのか、それとも本心なのか。恐らく、本心なのだろうな。

アリスはそんな事を考えながら頷いた。

「そっか。分かった。じゃあ兄さま、今日からまたしっかり縛っておいてね」

 自分ではどうにも出来ないのだ。気づけば畑の真ん中で野菜を抱えて眠っていた事も一度や二度じゃない。その度に色んな人に迷惑をかけるので、成長して力が強くなってる分、もっときつく縛ってもらった方がいいのかもしれない。

「それなんだけど、護衛の隊長さんからお願いされてね。王城では夜は縛らないよ」

「え⁉ な、なんで!」

 王城なんて絶対に粗相してはいけないだろう! 目を剥いたアリスにノアが面白そうに言う。

「なんかね、訓練したいんだってさ。寝ぼけて野生に還ったアリスを騎士団の人達で捕まえる練習をしたいんだって。アリスの夢遊病が変な所で役に立ちそうだよ」

 にっこり笑ったノアを見て、アリスは顔を輝かせた。

 ずっと治さなければと思っていた病気だが、まさかそんなところで役に立つとは思ってもいなかったようで、声には出さないが喜ぶアリスを見てノアは安心したように息をついた。

 これで少しでもアリスのトラウマが軽くなればいい。

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