番外編 キリの優しい日

 身を乗り出して早口で捲し立てるアリスとは違い、何故かノアは感動したように目を潤ませてキリの手を掴んだ。


「聞いた? ねえ、さっきの聞いた? ニコイチだって! 二人で一人だって! ああもう、どうしよう⁉」

「どうもしなくていいのでは」

「そういう訳にはいかないよ! 早速指輪の用意をしないと!」

「何故です」

「結婚は出来ないけど、一生側にいるよっていう証はあった方がいいと思うんだ!」


 ノアの言葉にキリは一瞬目を丸くしてノアを見た。そこまでするか? 流石のキリも少しだけ引く。


 けれどノアはそんなキリの心など知らない。彼の目は至って真剣だ。


「……好きにしてください。ただ、お嬢様は指輪の類はつけてくれないと思います」


 基本的にはアクセサリーは、邪魔だ! と言って全て取ってしまうアリスである。指輪など絶対につけない。


 どうやらノアもそれはそう思ったようで、キリの言葉に深く頷いた。


「言えてる。鎖通してネックレスにしようか」


 ネックレスであれば服の下に入れていればそうそう邪魔になる事もあるまい。そう思ったのだが。


「既にネックレスはドンとミアさんとキャロライン様とお揃いをつけていますよ」


 賭けてもいい。アリスはアクセサリーを二つも同時にはつけない。昔からそうだ。


 違う領地に訪問に行く時でも、イヤリングをしたら指輪は外す。指輪をしたらネックレスは外す、といった具合に、何故か昔からアリスはアクセサリーを一緒につけるという事を嫌う。


 本人に何故かと聞いてみた所『だって、どっちも落としたらどうするの? もったいなくない?』などという実にアリスらしい答えが返ってきた。


 というよりも、落とす事前提でつけているのか、と。


「……」

「残念ですね」


 それを聞いて黙り込んだノアに、キリは小さな息をついて胸を撫で下した。


 アリスが大好きすぎるノアは、どうにかしてアリスとお揃いの物を持ちたかったようだが、これで大丈夫だろう。そう思ったのに――。


「……くも……る」

「?」

「僕もお揃いにする。キリ、君もだよ。と言う訳で明日、一緒に買いに行こうか」

「……はい」


 甘かった。やっぱりノアはノアだった。そして何故自分まで……しかもアクセサリーを一緒に見に行くのか? 男二人で? 何となく嫌な予感がしつつ、渋々キリは頷いたのだった。


 翌日、キリとノアはアリスのつけているアクセサリーを買った店の前で立ち尽くしていた。


 閉まっている。どこからどう見ても閉まっている。


「……何故……」


 ポツリと呟いたノア。店のドアには『営業時間外』の札しかかかっていない。ここの定休日は水曜日で、今日は金曜日だ。


「お兄さん達もアクセサリー見に来たの?」

「?」


 突然の背後からの声に二人が振り返ると、そこには肩から鉱石の入った袋を持った、一人の若い男性が立っていた。仕事帰りだろうか、顔も手も真っ黒だ。


「という事は、あなたも?」

「そうなんだ。明日は彼女と付き合って一年目の記念日なんだ! だから今日はプレゼント買って帰ろうと思って早目に仕事切り上げてきたんだけど……休みなのかな?」

「そうなんですね。僕達もお揃いのネックレス見に来たんですけど、休みにしては営業外の看板しか出てないんですよね」


 神妙な顔をしてそんな事を言うノアにキリも頷いたが、男は顔を一瞬引きつらせた。


「へ、へぇ、うん、いいんじゃないかな。愛の形はそれぞれだもんね。時代は変わったんだなぁ」


 お揃いのネックレスと聞いて、完全に誤解をしている男の名はクルスと言った。


「?」


 何だかよく分からないが、クルスの言葉に頷いたノアは、『営業時間外』の札を何となくひっくり返してみた。そこには『休業日』と書かれてある。今は夕方だ。時間外の可能性は低い。となれば、何らかの事情があって休業にしなければならない理由があったのか。それにしても札すらひっくり返せないほどの事など、よっぽどだ。


 ここの店主は若い夫婦が営んでいる。店頭には妻のユーリが。買い付けには旦那のマルゴが行っているそうなのだが、二人ともとてもしっかりした夫婦なので、札をひっくり返すのを忘れるなどという可能性はかなり低い。


「何かあったのかな?」


 口元に手を当てて考え込むノアの言葉に、クルスは首を傾げた。


「何かって? ただの札の返し忘れじゃなくて?」

「いえ、その可能性は低いと思われます。ここの夫妻がそんなポカをするなんて、あまり考えられません」

「そうだよね。やっぱりおかしい……キリ、ちょっと裏見て来てくれる?」

「はい」


 アクセサリー店『ロンド』は表が店舗で裏が居住区になっている。キリはノアの言う通り店の裏側に回って居住区のドアを叩いてみたが、家の中からは何の返事もない。


 念のため、と思いつつドアノブに手をかけると、鍵が開いていた。ドアは何の抵抗もなく開き、少し迷ったものの一歩家の中に足を踏み入れて息を飲んだ。


「ノア様!」


 とりあえず表に居るノアを呼んで、キリは急いで家に上がり込み、ホールの所でぐったりと倒れているユーリに駆け寄って脈を測った。


「……」


 生きてはいる。だが、呼吸が浅い。ふとキリが視線を移すと、ユーリのドレスのスカート部分が濡れている事に気付いた。


「どうしたの⁉」

「だ、大丈夫? 何があったんだ?」


 キリの声を聞きつけてノアとクルスが居住区までやってくると、そこにはキリがぐったりしたユーリの体の下に、タオルを敷いている所だった。


「破水してます。意識が無いようなので、すぐに産婆さんと医者を呼んでください」


 その言葉を聞くなりすぐさまノアが家を飛び出していく。一方、キリはユーリのドレスの前を開き、コルセットの紐を外しにかかった。その様子をクルスがギョっとした顔をして止める。


「だ、だめだよ! 旦那さん以外の人がコルセットを外すなんて!」


 しかし、キリはクルスの手を振り払い、コルセットを外す手を止めない。


「ねぇってば!」

「このままでは死んでしまいます! 痛みからただでさえ呼吸がしにくくなっているのに、こんな物で体を締め付けたらどうなるか、考えれば分かるでしょう⁉」


 そもそも、身籠っている女性がコルセットなどつけるのがいけない。キリはそんな事を考えながら手早くコルセットを外すと、ようやくユーリの呼吸が戻りだした。


 キリに怒鳴りつけられた事と、ユーリの状況を見たクルスがハッとして目を見開き、キリの側に寄ってくる。


「何か手伝えること、ある?」

「ではまず手と腕を綺麗に洗ってきてください。産婆と医者が間に合わなければ、ここで取り上げなければいけません。あと、乾いたタオルとお湯を沢山用意してもらえますか」

「分かった!」


 クルスは何も考える事が出来ないままキリの言う通り動いた。行動している間は不思議なほど冷静で、けれど心拍数だけはずっと上がっている。


 お湯を沸かしている間にタオルを沢山用意してキリの元に戻ると、ユーリは無事に意識を取り戻していた。


「い、いた……い……」

「今、産婆さんと医者を呼んでいます。もうすぐです。頑張ってください」

「タオル持ってきたよ!」

「ありがとうございます。ユーリさん、辛かったらこれを握りしめてください。あと、叫んでも構いませんから、痛みは我慢しないでください」


 キリの言葉にユーリは安心したように頷いて微笑んだ。


 ユーリはそれから、何度もクルスが青ざめるほど叫んだ。その度にキリが声を掛けながら腰をさすってやっている。


「う、産まれそう?」

「まだですね。降りてはきているようですが、頭は出ていません」


 手だけスカートの中に手を突っ込んだキリに最初はギョッとしたクルスだったが、次第にそれにも慣れて来た。何よりも、堂々とした態度のキリにユーリが安心しきって身をゆだねているのが、クルスにも分かったからだ。


「おまたせ! 連れてきたよ」


 そこへ、ようやく産婆と医者を呼びに行っていたノアが戻ってきた。産婆を背中に背負い、医者は引きずられるようにしてやって来て、到着するなりゼーゼー肩で息をしている。


「どんな状況?」

「ノア様、意識は戻りました。十分ほど前から陣痛が始まってます。降りてはきているようですが、まだ頭は出ていません」 

「そう、ありがと。それじゃあ、後はプロにお願いしようか」

「はい」


 ノアの言葉に立ち去ろうとしたキリの服を、ユーリが掴んだ。苦しそうに顔を歪め、どうにか声を絞り出す。


「あ、あり、が……と」

「また顔を見に来ます。どうか元気な赤ちゃんを産んでください。あと、妊娠中はコルセットなどの体を締め付けるような物は避けてください。出来れば、出産後もしばらくは」


 キリの言葉に、ユーリは微かに笑って頷いた。


 表に出ると、医者がまだゼーゼー肩で息をしている。


「いやぁ、まいったよ。こんなに走ったのはどれぐらいぶりかね」

「すみません、意識を失っていたみたいだったので呼んだんですが、無駄足だったようで」


 到着した頃にはすっかり意識を取り戻したユーリを見て、医者はすごすごと現場から出て来たのだ。


 頭を下げたノアに、医者はおかしそうに笑う。


「いやいや! ワシが出動しない方がいいんだよ! しかし君達はよくやってくれたね。チラリと見ただけだったが、お産に立ち会った事があるのかい?」


 お産に必要なお湯やタオルなどの物が全てユーリの周りに用意されていた。それを見て医者は驚いたのだ。


「それは僕も気になってたんだ。凄く手慣れてる感じだったから、もしかして医者か何かの卵なのかい?」


 クルスの言葉にノアとキリはお互い顔を見合わせて同時に言った。


「領地で嫌ってほど家畜の出産を見てるので」

「領地でこれでもかと言う程、家畜たちの出産を見ていますので」

「……」

「……」


 二人の言葉に医者とクルスは真顔で黙り込んだ。そして、これは絶対にユーリには伏せておこうと心に誓う。


「ところでお兄さん、名前は?」

「ん? クルスだよ。炭鉱で働いてるんだけど、今日はもうプレゼントは諦めようかな」


 笑いながらそんな事を言ったクルスに、ノアも笑って頷いた。


「クルスさん、ありがとうございました。最初は役に立たない男だと思っていましたが、動き出したら仕事が早かったので、助かりました」

「い、言うねぇ。こちらこそごめんね、怒鳴って。でも、君の言う通りだったよ。僕は先入観に囚われてたみたいだ。それじゃあ僕はもう行くよ。君達もお幸せにね!」

「クルスさんも、彼女さんと末永くお幸せに。さよなら」


 三人はそこで別れてそのまま帰路につく。


「はぁ~。とんだアクシデントだったねぇ」

「全くです。こういう事に巻き込まれるのはお嬢様だと相場は決まっているというのに」

「ほんとだよ。アリスの呪いかな」


 それはそれでいいな。そんな事を考えて笑うノアを見てキリが顔を顰める。


 こうして、長いようで短かった一日が終わった。



 数日後、ノアの元にユーリから手紙が届いた。名乗らなかったはずなのに、どうして自分達だと分かったのかは定かではないが、手紙の内容はとても喜ばしいものだった。 


「キリ、ユーリさんとこの赤ちゃん、女の子だったんだって。赤ちゃんもユーリさんも元気みたいだよ。ずっとついててくれた方にありがとう、って。これはキリ宛てだね。はい」


 ユーリから届いた手紙をキリに渡すと、キリはそれをそのまま読まずに内ポケットに仕舞い込んだ。


 夜、キリは部屋でレース編みの休憩にと、手紙を取り出して読んだ。


 あの後、三十分程で赤ちゃんは無事に産まれたらしい。キリの言う通り、今はコルセットを付けずに過ごしているそうだ。旦那はどこからユーリが産気づいた事を聞きつけたのか、戻ってくるなりユーリと赤ちゃんを抱きしめて、まるで子供のように泣きじゃくったという。それから、キリが言った『ノア様』という名前と学園の制服を頼りに、この手紙を出してくれたようだった。出来ればもう一人の方にもお礼を言いたいのだが、名前を知らないだろうか? と書かれていたので、キリは翌日の昼の休憩時間にノアに許可を貰って一人でユーリの元へ向かった。


「あれ! 君は!」

「ああ、クルスさん。丁度いいです。一緒に行きましょう」


 店の前でやたらとソワソワしている人がいるなと思ったら、クルスだった。


 キリはオロオロするクルスを連れて店の裏に回り、ドアをあの日のようにノックする。すると、今回はすぐに元気なユーリの声が聞こえてきた。それに続いて怪獣のような赤ちゃんの泣き声も。それを聞いた途端、クルスの目からホロリと涙が零れた。


「ああ、良かった……無事に産まれたんだね……」


 そう言ってクルスは安心したように今日も泥で汚れた服で涙を拭っている。


 どうやら、クルスはずっと赤ちゃんが無事に産まれたかどうか心配だったらしい。


 やがてドアが開き、ユーリが出て来た。ドアの前に立つキリとクルスを確認した途端、泣き出しそうな笑顔を浮かべて家の中に向かって叫ぶ。


「あぁ! あなた! この方たちよ! あなたー!」


 近所中に聞こえそうな声で叫んだユーリの声に反応したように、家の奥からガン、ゴンと音を立てながらマルゴが姿を現した。その腕にはしっかりと赤ちゃんが抱かれている。それを見た途端、またクルスの目から涙が溢れた。


「良かった……元気そうだ!」

「ええ! あなた達のおかげで、こんなにも元気な子が産まれました。名前はミリーです。どうか、どうか抱いてやってください!」


 突然泣き出したクルスに感極まったようにマルゴがそっとミリーをキリに手渡してきた。


 キリは産まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、ポツリと言う。


「やはり、牛や豚とは違いますね……」

「!」


 その言葉にクルスの涙は引っ込み、すぐさま二人には見えないようにキリの太ももを抓った。


「クルスさん、痛いです」

「君はもう喋っちゃ駄目! ああ、可愛いな。でも、僕は抱くのは遠慮しておくよ。こんなにも汚れているから、ミリーが可哀相だ」


 クルスはそう言って自分の服を見て恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。それを聞いてキリは首を傾げる。


「何も恥じる事はありません。その汚れはしっかり仕事をしてるという証拠です。また休みの日にでも、綺麗な服で来ればいいじゃありませんか」


 キリの言葉にユーリもマルゴも大きく頷く。


「そうですよ! いつでも来てください! そして抱いてやってください! あなた達のおかげでこの子は産まれてきたし、ユーリも無事だったんですから!」

「は……はい!」


 家を後にした二人は、よく晴れた空を見上げながら通りを並んで歩いていた。すると、ふとクルスが話し出した。


「実はね、僕は明後日から南の方に行くんだイフェスティオってとこなんだけど」

「遠いですね」

「うん。でも、彼女にそれを伝えたら振られちゃった」

「残念ですね」

「そうだね。でも、その事よりも僕はあの赤ちゃんの方が気になってたみたいだ。仕事の休憩中に居ても立っても居られなくて来てしまったよ。笑えるだろ? 振られた事よりも、見ず知らずの赤ちゃんの方が気になるなんて」

「では、明日会いに来て抱いて行くべきです。それほどまでにクルスさんの心を掴んだということですから、抱いて行かないと、今度は抱っこしたくて南から戻ってくる羽目になりますよ」

「そうかな? 彼女にも振られて仕事は左遷。色々自信失くしてる僕が抱いてもいいと思う?」

「もちろんです。あなたはいざという時にはちゃんと動ける人です。もっと自信を持ってください」


 こうやってキリが素直に誰かを褒めるのは大変珍しい。お産という状況に二人で何かしたという事実は、キリの中にも大きな影響を与えたのかもしれない。


 キリの言葉にクルスは頷いて手を差し出した。その手をしっかりとキリは握る。


「君にももう一度会いたいと思っていたんだ。今日は会えて良かったよ。名前は?」

「キリです。バセット家の従者をしています」

「そっか。もう会う事もないかもしれないけど、会えて良かったよ。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました。クルスさん、どうかお元気で」

「君もね」


 こうしてキリとクルスの短いけれど濃厚だった交流は幕を閉じた。

 

 と、思っていた。この時はまだ――。

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