第3話  悪役令嬢との対峙と和解

「も、もう来るかな? 兄さま、ドレスこれでいいと思う?」

「うん。さっきのピンクのも良かったけど、僕はこの緑の方が好きかな」

「そっか! じゃあこれにするね。キリ、お菓子ちゃんとある?」


 アリスは目に見えてうろたえていた。昼食を食べている時にノアが急に言い出したのだ。今日の放課後にキャロラインが部屋にやってくる、と。


「ありますよ。ですが公爵家の令嬢に本当にこれでいいんですか? ノア様」

「何でも構わないでしょ、別に。どうせ食べやしないと思うよ」

「そ、そうなの?」


 お菓子を食べないなんて! 生きていて何が楽しいのだ。アリスは驚愕に目を見開いた。


「アリス、世の令嬢は実にしょうもない事に日々を費やしてるんだよ」

「しょうもない事?」

「そう。どれだけ腰を細くするか、とかね。その為に絶食なんて日常茶飯事なんだって」

「う、嘘⁉」


 高燃費アリスは驚いた。食べないでどうやって動いているのか。アリスなど一食どころか、食事の時間が二十分遅くなっただけでも眩暈がすると言うのに!


「ほんと。だからしょっちゅう倒れるんだ。僕から言わせたら馬鹿の極みだよ」

「それが美徳だと思っていらっしゃる方もいるようです。お嬢様と足して2で割ると丁度いいですね」

「足したくない! 割りたくない!」


 アリスから食欲を取り除いたら一体何が残ると言うのか! そんなアリスの言葉にノアは深く頷く。


「アリスはそのままでいいよ。高燃費アリスは個性だから。長所だから」

「ノア様、あまりお嬢様を甘やかさないでください。これ以上暴食を続けたらお嬢様がどんどん丸くなってしまいます」

「い、言いすぎじゃない⁉」


 そんなハッキリ言わなくてもいいじゃないか。思わずお腹を押さえたアリスにキリはさらに意地悪く微笑む。


「ああ、言い間違えました。お嬢様は既にまん丸なので、これ以上むやみに餌は与えないでください、でした」

「酷くなってる! さらに悪くなってる!」

「まあまあ、キリ。今はまだ大丈夫だよ、成長期なんだから。アリスだって年頃になったら流石に自重するって」

「……そうでしょうか?」


 不安そうなキリの顔にノアも心配になったのか、すぐに言葉を足す。


「その時は僕たち二人で柱に縛り付けてでも自重させるようにしよう」

「に、兄さま!」


 両手をグーにして抗議しようとすると、控えめなノックの音がして皆で顔を見合わせた。


「来たね。どうぞ」


 ノアの返事に扉がゆっくりと開き、その隙間から青白い顔をしたキャロラインが顔を出す。


 キリが扉を開けて礼の姿勢を取ると、キャロラインは一瞬目を見張って部屋の中に体を滑り込ませ、素早く視線を走らせてアリスを見るなり、目に見えて体を強張らせた。


「え、えっと! ア、アリス・バセットです」


 アリスは急いで立ち上がると勢いよくキャロラインに向けて頭を下げた。おそらくこれが初めてではないだろうか。アリスとキャロラインがこんな風に相まみえたのは。


 キャロラインも同じことを考えたのか、アリスとは違い綺麗なカーテシーを披露してくれた。


「キャロライン・オーグと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「ほ、ほあぁぁぁ」


 あまりの美しさに思わずポカンと口を開けたアリスの顎を、一切の迷いもなくキリがバクンと無理やり閉じる。


「いだい!」

「はしたないです、お嬢様」

「ひは! ひははんは!」


 勢いよく閉じられた顎のせいでアリスはやはり勢いよく舌を噛んだ。めっちゃ痛い。


「大変! 水、水! あ、キャロライン、悪いけどそのへん座っててくれる?」

「え? え、ええ……」


 慌てるノアと口を押えるアリス。そしてその元凶とも言えるキリはシレっとした顔をして淡々とお茶の準備などしている。


 あまりにも予想外の雰囲気にキャロラインはガチガチに固まっていた体から勝手に力が抜けていくのが分かった。


「公爵家で出る物とは大分差があるとは思いますが、どうぞ」

「あ、ありがとう」


 冷たいと思える程のキリの対応にキャロラインはノアに視線を移したが、ノアは今アリスのお世話で大忙しだ。


「お騒がせして申し訳ありません。少々お待ちください」

「え、ええ」


 あなたのせいでは、とはキャロラインは口には出さなかったが、明らかにこの従者が元凶である。


「呼びつけておいて煩くしてごめんね、キャロライン」

「煩くしてごめんなさい……キャロライン様」

「いえ、もう舌は大丈夫なの?」


 兄妹揃って頭を下げるが、キャロラインの言葉を聞いてアリスがぱぁ! っと効果音がつきそうな程の笑顔で頷いた。その笑顔には品性の欠片も無くて、こんな女に何度も何度もルイスを取られたのかと思うと悔しくてならない。


 表情を歪ませたキャロラインに気付いたのか、ノアが小さな咳払いをした。


「さて、じゃあ話そうか、お互いに知ってる事を。キリ、あれを」

「はい」


 淡々と机の上に本やノートを並べていくキリ。キャロラインは並べられた本やノートをしばらく首を傾げて眺めていたが、その中からノアが真っ黒な本を手に取った。


「キャロライン、これは君と同じように何度もループを繰り返しているアリスの手記なんだ」

「……は?」


 意味が分からなくて思わず叩き込まれたお淑やかさや優雅さを忘れたキャロラインは、ポカンと口を開いた。


「僕たちは過去アリスと呼んでるんだけど、君にはこういうのは無いの?」

「ちょ、ちょっと待って。時間が戻っているのにどうして手記が残っているの?」

「分からない。でも、確かに残ってる。嘘だと思うのなら、君の記憶と照合してみればいいんじゃないかな?」

「……」


 手渡された本を手に取って中をパラパラとめくると、キャロラインが覚えている限りのエンディングは全て合致している。それに気づいたキャロラインは喉の奥がヒュっと鳴った。


「こ、これ……ど、どうして……」

「あのぉ、そこには無いんですけど、前回の私の記憶はその、ルイス様ルートだったんですが、合ってます?」


 恐る恐る尋ねてくるアリスにキャロラインはただ頷いただけだった。合っている。

一番新しい記憶だ。どうやら本当にアリスもこのループを知っているようだ。


 いや、むしろ回数でいけばアリスの方が多くループしている。


「私にあるのは記憶だけよ。こんな手記は残っていないわ。というよりも、そもそも手記を残そうだなんて考えた事も無かったわ。あなた、よく全部書き残したわね」

「え? いやぁ、それほどでも」


 てっきりキャロラインに褒められたのだと勘違いしたアリスは照れたように頭をかく。


「お嬢様、誰も褒めてません」

「え!」

「むしろちゃんと覚えていたキャロライン様と手記に残さなければならなかったお嬢様との頭の出来の差が露呈しただけです」

「ひ、ひどい」

「……」


 落ち込むアリスに宥めるノア。キャロラインはそんな三人の行動をじっと見ていた。


 これは初めての現象だ。今までアリスとはずっと敵対していたのだから。その多くが謂れのない濡れ衣ばかりだったのだが、何故かいつもキャロラインはこのアリスに陥れられる。


「キャロライン、君が信じるかどうかは君に任せるけど、今まであった事を教えてほしいんだ」

「ええ。私もいくつか聞きたい事があるわ。アリスさん、あなたに」


 キャロラインは冷たい瞳をアリスに向けた。どんな理由であれ、何故アリスなのか。何故ルイスは自分ではなく、いつもアリスを選ぶのか。


 睨まれたアリスはきちんと座りなおすと、真剣な顔をして頷いた。


「私も、聞きたい事沢山あります。でも、まず説明しないといけない事も沢山あるんです」

「説明しなければならない事?」

「はい。率直に言います。私は今世はアリス・バセットですが、前世では佐伯琴子という名前の十六歳の少女でした」

「……」


 一体何を言い出したのだ? 戸惑ったキャロラインがノアに目を向けると、ノアはキャロラインに一枚の紙を差し出して来た。さっきの日記とは違い、まだ新しいその紙にはノアの丁寧な字で意味の分からない事が書かれている。


「これは?」

「それは、私の佐伯琴子だった時の記憶です。私は前世では地球という星の日本という国に居ました。そこには乙女ゲームというものがありまして、一つの物語を軸にして、出て来る攻略対象と呼ばれる人達との恋愛を楽しむという遊びがあったんです。ゲームの中には選択肢と好感度というものがあって、その選択肢を選ぶ事で対象者と徐々に仲良くなり、いずれはその人とのエンディングを迎えます。一つの物語の中には多数のエンディングが用意されていました」

「……はあ」


 一体どんな遊びなのだ、それは。


「それを踏まえてこっちを見て」

「?」


 次にノアに手渡された数枚の紙はアリスの言う攻略対象の名前と詳細、それぞれのエンディングだった。


 キャロラインは紙に視線を落として息を飲んだ。そこにはしっかりと攻略対象の所にルイスの名前があったからだ。


「こ、これは不敬罪に当たるわよ⁉」

「そんなのは百も承知だよ。この紙見て何か気付かない?」


 そう言われて名前の書かれた紙をじっと見てみるが、特になにも思わない。いや、違う。


「これ……今までに体験したわ。わざわざエンディングとやらを書き出したって事?」

「いいや、違う。よく見て。アリスでは知り得ない情報がいくつもあるでしょう?」

「?」


 そう言われてもう一度視線を紙に落とす。そこには攻略対象達の詳細な情報と、この国の事が事細かく書き記されていた。中には国家機密とも言えるような情報やキャロラインですら知らないアランの隠された生い立ちまである。


 読み進めるうちに知らぬ間に紙を持つ指先が震えだす。そして最後の一枚に目を通した時、キャロラインはとうとう悲鳴を上げて紙を投げ出してしまった。


「な、何故こんな事を知っているの⁉ あ、あなた魔女なの⁉」


 最後の一枚はキャロライン自身の事だった。身長、体重から始まり仲間内だけで流行っている趣味や、幼い頃にあった事故の事などが書かれている。こんなのは身内しか知らない事だ。


「アリスは魔女じゃない。ただ、前世の記憶を持ってるだけ。そして、アリスの前世では僕たちは乙女ゲームと呼ばれる物語の中の人物だったって話だよ。ちなみに君の役どころは悪役令嬢だそうだよ」

「に、兄さま!」


 アリスは青ざめて兄の口を咄嗟に塞いだ。なんて事言うのだこの人は! 怖いもの知らずにも程がある!


「ちなみに補足しますと、悪役令嬢というのは主人公の行動を毎度毎度、邪魔をしてくるお邪魔虫のような存在だそうです」

「キリ⁉ 言わなくていいよね? 誰も聞いてないよね⁉」

「お邪魔……虫……」

「キャ、キャロライン様! 私はそんな風には思ってませんからね⁉ 誤解しないでくださいね⁉」 


 血の気が失せるというのはこういう事だ。アリスは顔を真っ青にして俯くキャロラインの顔を覗き込んで小さな悲鳴を上げた。


(わ、笑ってる! 怖い! めっちゃ怖い‼)

「ふ……ふふ。なるほど。それで? 私にどうして欲しいの? 次もまたルイス様を狙うの?」


 これが笑わずにやっていられるか。アリスの話が全部本当の事だとは思わない。


 けれど、これだけの情報をアリスが知っていたというのも説明がつかない。納得は出来ないが、嘘は言っていない。そう思うしかないのだろう。キャロラインをここに呼んだのも、宣戦布告と言った所だろうか?


 キャロラインのセリフにアリスは一瞬キョトンとした顔をしたが、次の瞬間首を横に振った。


「まさか! 私の推しはシャルルなので!」

「……へ?」


 シャルル? 推し? 首を傾げていると横からまた失礼な執事が口を挟んだ。


「キャロライン様は何か誤解をされているようですが、お嬢様が好きなのはシャルル・フォルスでルイス様ではありません。過去アリスが必死になって見境なく攻略対象に手をつけていたのも、偏にシャルル・フォルスに会う為だったとこの手記で供述しています。ちなみに、推しというのは好きな人の事らしいですが、生憎シャルル・フォルスは攻略対象ではないそうです」


 一息にそこまで言い切ったキリは、ふぅ、と小さなため息を落としている。この男は優秀なのか何なのかよく分からない。


「そ、そう。つまりどういう事? アリスさんの好きな人はシャルル・フォルスで、シャルルに会う為に何度もループしていたという事? このループはやっぱりあなたがしているの?」


 今の話を聞く限りではアリスが意図的にループを起こしているように聞こえる。


 けれど、それをノアが真正面から否定してきた。


「違う。確かに今までのアリスはシャルルに会う為にゲームと同じように物語を進行していたみたいだけど、少なくとも今のアリスは違う」

「そうなの?」

「はい。私はキャロライン様と違って過去アリスの記憶が無いんです。だからかどうか分からないんですが、シャルルに会う事よりもこのループを終わらせたいという想いの方が強いです。過去アリスもそれは分かってたとは思うんですが、いかんせん過去アリスはシャルル愛が強すぎて細かい感情の機微が分からないというか何というか……すみません」

「……」


 申し訳なさげに頭を下げるアリスをよそにキャロラインはアリスの手記を手に取った。


 最初のページから読んでみるが、この世界に対しての戸惑いや感想は書いてあるが、確かに今アリスの言う通り全ページを通してシャルルへの賛辞や愛で溢れている。なんならその他の攻略対象については悪口まで書いてあるではないか。


「本当にルイス様が好きではないのね、あなた」

「あ、はい! 全くタイプじゃないです!」

「……」


 物凄い笑顔で言い切ったアリスを見て、何だか長い間憎らしく思っていたものが急に音を立てて壊れていくのを感じる。


 こう見えてもキャロラインはルイスを愛している。それは婚約者だという事もあるが、それだけではない。ルイスの人となりを愛しているのだ。それを全て否定するようなアリスには正直腹がたつが、何度も何度も見て来た過去を思うと、むしろ嫌いでいてくれた方がありがたい。


「一つ聞いてもいいかしら?」

「はい」

「あなたはルイス様の事が大して好きでもないのに私からルイス様を何度も奪ったの?」


 ずっと聞きたかった事だ。もしもアリスがルイスの事をキャロラインのように愛していたのなら、まだ許せる。けれどもしもそうではないのだとしたら――。


「おそらく、ですが、そうせざるを得なかったんだと思います。この紙を見てください。何度も出て来るエンディングの過程が全て違うのが分かりますか?」

「ええ。エンディングは全て同じだけれど」

「そうなんです。過去アリスはシャルルに会う為だけに行動してます。それなのに、まるで軌道修正するみたいにどれかのルートに乗ってしまってるんです」

「では、あなたの本意ではなかったという事?」

「はい。でもそれはキャロライン様もですよね? 私を虐めた事実なんて、本当は無かったはずです」

「!」


 アリスの言葉にキャロラインは息を飲んだ。その事実をアリスは知っていたのか。


「全て要約するとね、ヒロインのアリスと敵役の君はゲームにはかかせない存在で、このループはそのゲームに沿って動いているって事。だからどれだけ違うルートをアリスが選ぼうが軌道修正が入るし、君はやってもいない罪をでっち上げられる」

「……」

「けれど、例外もある。アリス」

「うん。えっと、ゲームには出てこなかったエンディングがいくつかあったんです」

「そうなの?」

「はい。それがこのエンディングです。見てください。どれもキャロライン様が何かしら行動を起こしてるんです。それが、ちょうど十五回前。多分、キャロライン様が気づいた時だと思います」

「‼」 


 キャロラインは過去アリスの手記とまとめられたエンディングを見比べて息をのんだ。アリスの言う通り、一度しか出てこないエンディングは全てキャロラインがなりふり構わず何かしらの行動を起こしている。それによってアリスが悪者になっているのだ。


「これはおそらく、軌道修正のしようが無かったエンディングだと思われるんだよ。でね、僕達なりに考えたんだけど、ループを終わらせるには、正規のルートを踏みつつゲームのメインストーリーをきちんと終わらせなければならないんじゃないかって」

「メインストーリー?」

「そう。アリスの話ではこの世界は『花咲く聖女の花冠』というゲームの設定らしいんだ。そのゲームのメインストーリーがこれだよ」

「……」


 差し出されたノートをしばらく読んでいたキャロラインは全て読み終えてため息を落とす。  


 読めば読むほど、この世界とゲームのストーリーが合致しているからだ。どうしてこんな事になっているのだろう? 果たしてこんな事が現実に起こり得るのだろうか。いや、既に起こっているのだ。キャロラインも腹をくくるべきなのかもしれない。すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干したキャロラインは、顔を上げてまっすぐにアリスを見つめた。


「なるほどね。話は分かったわ。それで、私はこれからどうすればいいの?」

「キャロライン様! し、信じてくれるんですか⁉」

「仕方ないでしょう? それ以外に方法が無いのだから。それに、ずっと心につかえていた物も無くなったし、改めてこれからよろしくね、アリスさん」


 キャロラインの言葉にアリスはまた顔を輝かせた。不思議と、今度はその顔に嫌悪感は抱かなかった。


「紅茶のおかわりは?」

「ええ、お願いするわ。少し濃いめにしてくれる?」

「かしこまりました。お嬢様は?」

「あ! 私も濃いのがいい! あとね、お砂糖ももうちょっと入れてほしい!」

「駄目です。それ以上丸くなったら目も当てられませんよ」


 冷めた目でアリスを見下ろしたキリは、そう言って退出してしまった。そんなキリを驚いたように見ていたキャロラインは、ふと攻略対象の紙を見る。そこには(アリスの執事)キリ・カーターと書かれていた。


「ねえアリスさん、この方もしかして……あの方?」


 キャロラインの言葉にアリスは錆びついたブリキの人形のようにギギギと頷く。


「えっと……攻略対象?」


 コクリ。無言だ。アリスの隣でノアも苦笑いしている。


「あれで恋愛に発展……するの?」


 そう思わざるを得ないほどキリのアリスへの態度は酷い。というよりも、執事としても従者としてもアウトだろう。顔がいいのは認めるが、どうやればあれと恋愛出来るのだ。


「過去アリスはしっかり攻略してましたが、私は絶対に無いです」

「……でしょうね」

「あれでも今日はキャロラインが居るからマシな方だよ。普段はもっとけちょんけちょんだよね、アリス」


 ニコっと何故か嬉しそうに笑うノアの闇を垣間見た気がして、キャロラインはもう何も考えないようにした。


「ところでキャロライン、アリスはこの通り過去アリスの記憶が全くないんだけど、君の記憶力を元にこの穴を埋めたいんだけど手伝ってくれる?」


 そう言ってノートを広げたノアは、ペンをクルクル回しながら言った。


「ええ。私も所々抜けてると思うけど、それでも構わない?」

「もちろん。全部埋め終わったら次はルイス達にも話さないと」

「え? ルイス様達にも話すの?」


 こんな突拍子もない話を、果たして彼らは信じてくれるだろうか? そう思うのに、何故かノアは自信満々に頷いた。


「もちろん。彼らもこのストーリーには無くてはならない存在だからね。最悪信じてもらえなかったとしても、こちらの思う通りに動いてもらわないと困るんだよね」

「……あなたね、前から思ってたんだけど、ちょっとその態度どうにかならないの? 一応、彼は王族なのよ?」


 呆れたようなキャロラインだったが、ノアは笑顔だ。


「もちろん尊敬はしてるよ。すごいなーって」

「その言い方がどうにも馬鹿にしてるようにしか思えないのよね」

「考えすぎだってば。だってほら、僕がテストで彼らよりも点数良かった事なんてないでしょ?」

「それはそうかもしれないけど……」


 そこまで言ってキャロラインはまじまじとノアを見つめた。あれ? 何かが頭を過る。


「アリスさん、主要人物はこれだけなの? ノアは?」

「いないんです。兄さまの事は私もずっと考えてたんですけど、それこそ設定集にアリスの兄として存在があっただけで、ストーリーにもこれっぽっちも出て来なかったんです」

「そうなの?」

「そうなんだ。僕も最初に聞いたんだけど、そもそも過去の学園には僕は居なかったみたいなんだよね。そのせいか過去アリスの手記には僕の名前どころか存在すら出て来なかったんだ。だからこそ、今回は色々イレギュラーなんだろうと余計に思うんだよ」

「確かにそうね。私の記憶にもクラスにノアなんて名前の人は居なかったし、アリスさんと話をした事もいくらかあるけれど、その時にノアの話は一切聞いていないわ」


 そう考えると、ノアは今回初めて出て来た登場人物という訳だ。キャロラインは口元に手を当てて、もう一度過去アリスの手記とノアがまとめたノートを読みながら考え込んだ。


「兄さま! やっぱり兄さまの言う通り、キャロライン様にお話しして正解だったね!」

「そうでしょう? この調子で他の皆も信じてくれたら言う事ないんだけどね~」

「私の予想では、ルイス様は案外あっさり信じてくれそうですけどね。カイン様は渋々と言った所でしょうか。アラン様は分かりませんでしたが」

「キ、キリ⁉ い、いつ戻ってきたの!」


 いつの間にか戻ってきていたキリが、皆の前に紅茶を配っている。


「さっきです。はい、お嬢様には特製紅茶を淹れてきました」

「ねえ、何か紅茶とは思えないぐらい黒いんだけど……」

「ええ。濃いのがいいと仰っていたので、限界に挑戦してきました」

「お砂糖無しでこの濃さの紅茶を飲むの? 多分私、噴くよ?」

「お嬢様は出されたものは全て平らげるので大丈夫です」

「ねぇキリ、アランのは見えなかったの?」

「はい。残念ながら。流石クラーク家ですね」


 そう言って視線を下げたキリを見てキャロラインと何故かアリスも首を傾げた。その視線に気づいたノアがノートの攻略対象の所を指さすので、アリスとキャロラインは同時にそこを覗き込む。というか、何故アリスまで覗き込むのだ。


「ここだよ、アリス。キリのメイン魔法の所」

「?」

「あら、珍しい魔法を使うのね」


 そこには『サーチ』と書かれている。『サーチ』というのは読んで字の如し、失くし物や道に迷った時などに大変役に立つ魔法なのだが、それほどメジャーな魔法ではない。


 しかし、どうして『サーチ』魔法でアランが見えなかったなどと言うのだろう? キャロラインの謎に答えるようにキリが自身の能力について話し出した。


「私の『サーチ』は人にもかけられるんです。その人の本質やステータス、などですね」

「それは……凄いわね」

「お褒めにあずかり光栄です」


 素直に頭を下げたキリを見て、突然アリスが何かを思い出したように短く叫んだ。


「そっか! それでか!」

「何がです?」

「ゲームの中でね、皆の好感度を知りたい時はキリに聞くと教えてくれてたの! なるほど~それでか~」


 納得したように頷いたアリスだったが、キリは眉を寄せてそんなアリスに苦言を呈してくる。


「言っておきますが、今は頼まれても教えませんからね。ああ、でもノア様のお嬢様への好感度は振り切って天井知らずですよ。今も昔も」

「も~キリ駄目じゃない、ばらしたら。恥ずかしいでしょ?」

「いえ、もう周知の事実なので今更どうという事もないと思います」


 キリの一言にノア以外の全員が頷いたところで、ノアがパンと軽く手を打った。


「さて、じゃあキャロラインにはこれを埋めてもらうという事で、今日はお開きにしようか。もう夕食の時間だし」

「晩ごはん! お腹ペコペコ!」

「あれだけ食べておいてどの口が言うんですか?」

「お菓子は別腹だよ! 違う所に入ってるの! ね? キャロライン様!」

「わ、私? いえ、私は……」


 律儀に答えようとしたキャロラインの言葉を遮ってキリがポンと手を打って口を開いた。


「ああ、そうでした。お嬢様の母は牛でしたね。牛は胃袋が沢山あると言うので、納得です」

「ぐぬぅぅ」


 キリの暴言にアリスは思いっきり睨みつけてみたが、キリにアリスの睨みなどきくはずもない。ポカポカと殴ろうとするが、キリに頭を抑えられて手が届かなくて、結局うやむやのまま全員で食堂に移動する事になった。


「あれで攻略……対象?」


 二人のやりとりを見ていたキャロラインがポツリと呟くと、すぐ隣を歩いていたノアが珍しく声を出して笑った。


「あれで仲良しなんだよ、昔から。僕ほどではないにしても、キリのアリスへの好感度も高いと思うよ」

「そう、なの? 分からないものね」

「そ。この世は計り知れない事で満ち溢れてる。そんな訳でキャロライン、これからよろしく」


 スッと出された手をキャロラインはしっかり握り返した。満足げに頷いたノアは、今までで一番親近感を感じる事が出来た。


「あ、それからキャロライン、君にはさっそくしてもらいたい事があるんだ」

「?」


 一体何を言われるのかキャロラインは身構えたが、ノアから頼まれたのはとても意外な事だった。

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