僕は勇者になれない

無地

序章 夢の終わりと悪夢の始まり

プロローグ

ドンッ、という衝撃音と共に、一人の少年が宙に舞った。高く、高く高く舞う。そしてその体は一気に地へ振り落とされる。

骨の砕ける音、肉の裂ける音が、少年の鼓膜を揺さぶった。これが、最後に聞く音になろうとは、少年も思わなかっただろう。

少年の意識が途切れるまで、あと数秒―――――――――――――――――――――










ピピピ、という無機質なアラームの音が意識を呼び起こす。心地よい眠りを破るそれは、いつだって不快だ。アラームを止め、カーテンを開ける。時刻は7時13分。


「やばっ、遅刻する」


慌てて飛び起き、制服に着替える。時間に左右されなきゃいけない生活にはもうこりごりだ。これだから人間は辛い。


「実は休みでした……なんてことないもんかね」


誰に言うでもなく言ってみる。もちろん返答はない。また、憂鬱な今日が始まった。

  

  

 

 朝食を食べ終えると、母が食器を洗いながら聞いてきた。


「柊、あんたお弁当持った?忘れ物は?」

「持った。忘れ物も無い……と思う」

「不安ならちゃんと確認しときなさいよ〜。 」

「つっても時間ねぇし……もう行くわ」

「まぁたそうやって面倒くさがるんだから。大体ねぇ… 」

「あーはい。お気持ちは十分理解しましたので、行ってまいります 」

「あ、ちょっと!……たくしょうがないわねぇ」


後ろでぶつぶつ言ってる母を他所に家を後にした。これもいつもの流れというやつだ。母は立派な人だ。女手一つで育ててくれたことには充分感謝してるし、誰より頑張ってることも知っているが、時間が無い時に説教は勘弁して欲しい。

 



 「ハァ、ハァ……なんとか間に合ったな…我ながら体力無さすぎか?」


危なかった。本当に危なかった。高校一年の時遅刻常習犯だった俺にはもう後がない。一度でも遅刻しようものなら俺にとっては死活問題だ。毎日始業ギリギリに校門へ滑り込む生活をやめたい。ならもっと早く起きろという話なのだが……まあ、そこはご愛嬌。

ヨロヨロと教室へ入り席へ座る。窓際の席なので日差しが暑い。


「お!名取選手、今日は5分前にゴールしました! 」

「人が必死になってるのを実況するな」

「はは、悪ぃ悪ぃ。今日もおつかれさん」

 

そう軽快に笑うのは友人の佐倉だ。元々友人の少ない俺とは裏腹にこいつは根っからのリア充。友達あり、彼女あり、人望ありの勝ち組。俺はこいつに社会的地位で完全敗北している。正直なんで友達やってくれてるのか未だに分からない。


「笑い事じゃないんだぞ。こちとらエスカレーターで転ぶわ電車一本遅れるわスマホ落として画面割れるわでほんと最悪なんだからな…」

「ほ〜それはまた絵に書いたような災難で。まあ元気出せよ、もうすぐ『アルカディア・ドラグーン 』の新刊が発売されるんだからな! 」

「は?!マジ?!」

「マジって、お前知らなかったのか?今朝発表されたんだぞ。てっきり、お前は一番に情報を掴んでるものだと……」

「それが割れた衝撃でスマホの電源入んないんだよ。はぁ、機種変めんどい……。な、ところでさ、お前次の展開どうなると思う? 」

「前回めっちゃ気になるところで終わったもんなぁ……正直展開が読めないが、そろそろヒロインとの進展が欲しいところ」


 アルカディア・ドラグーン。通称アルドラは若者の間で人気なライトノベルだ。典型的な異世界転生ものだが、なんだかんだそのベタな展開が好きで、気づけばアルドラは俺の生活の一部に組み込まれていた。


「この章でそれは難しいんじゃないか?筆者フラグ立てまくってるし」

「いやそれな。推しのユリアたんが死んだらマジで泣くかも……」

「たんって、お前彼女いるだろ。どっちが大事なんだ? 」

「そりゃあもちろん……ってやべ先生来た。また後でな」


早足で席に戻る佐倉を横目に、俺は思う。


(あぁ、いつまでこの日々が続くんだろう)


 夢の見過ぎだと、考えが幼稚だと言われるかもしれないが、俺はこの平凡な日々に飽きている。物語の中では、冒険したり、魔法を使ったり、敵と戦ったりとめまぐるしく世界が回っている。だが現実にそんなものは無い。起きて、学校へ行って、勉強して、帰って、寝て……このサイクルがずっと続くだけだ。社会人になっても行き先ややることが変わるだけで、サイクルが乱れることは無い。それをあと何十年と繰り返さなければならないのだ。はっきり言って耐えられそうにない。俺はもっと変化が欲しい。欲張りだと自分でも思うが、求めずには居られなかった。平和であることに越したことはない。だからこそ道は平坦で、人生はどこまでも退屈だ。




「んじゃ、俺はデートしてくるから。またな、柊」

「ああ、。緊張しすぎてやらかすなよ? 」

「なんだそれ笑 じゃな。 また明日! 」


 そそくさと下駄箱から離れる佐倉の背中を、俺は見つめていた。明日、明日か。また今日と同じような明日が来て、それがずっと続くのか。これを日常っていうのかな。でも、俺は……。


「考えても仕方ないか。帰ってラノベでも読もう」


 放課後になれば空はすっかり茜色。太陽はゆっくりと、溶けるように沈んでいく。この焼けるような色が、あと数時間もすれば深海のような藍色になっているのだから、空は本当に不思議だ。……なんて、詩人のような気分に浸ってしまう。


(と、そうだ。アルドラ新刊発売されるんだったな。アニメ二期も決まったし、ちょっとPV見とくか)


 そう思い立ってスマホを開こうとすると電源がつかない。今朝壊れたのを忘れていた。やっぱり、今日は最悪だ。


「荒療治的な感じで、直んねぇかな」


無謀だとは思ったがスマホの画面を叩いてみたり、電源ボタンをカチカチと連打してみる。しかし画面は依然黒のまま光を灯さない。


「やっぱダメか……」


諦めようとした時、急に画面が白くなった。上には再起動の文字。……まさかこれで直るとは。何事もやってみるものだ。


「よっしゃ!」


 思わず大声を上げてしまう。周りの人に変人だと思われただろうか、と辺りを見回す。

 いつもの交差点。前方には赤信号。右からは走行中の大型トラック。

 何かに夢中になりすぎると、人は相当間抜けになるらしい。……やばい、死ぬ。


「あ……」


 きっと大丈夫。直前で止まってくれる。そしたら、そしたら……

トラックが目前まで迫り、そして----------------------------------------------------------------------------------------------


交差点に横たわる一つの肉塊。それは人々の視線を一点に集めていた。凝視する者、泣き叫ぶ者、嘲笑する者。様々な感情が、肉塊に寄せられる。

少年はひゅっと喉を鳴らし、呼吸をしようとした。だが肺が潰れており、それは叶わない。そうしているうちに、人が自分の前にぞろぞろと集まって、視界が塞がれる。


(そっか、死ぬってこういう感じなんだ。)


少年『だった』ものは静かに瞼を閉じ、その静寂は彼の終わりを示していた。

 声はもう、聞こえない。

 

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