第32話 刑事は踊り子の誘惑を撥ねつける


 照明の光を浴びてステージ上に現れたのは、エキゾチックな衣装をまとったダンサーたちだった。


 催眠状態を装った俺はシートに身を沈めつつ、ダンサーたちのうねるような動きを見つめた。しばらくそうしているうちに、俺はあることに気づいた。ダンサーの動きを目で追っていると、まる全員が俺を意識しているかのように一人づつ順番に目が合ってゆくのだ。


 ――なにかが変だ。


 それまで冷静さを保っていた意識が徐々に濁りつつあることに気づいた俺は、はっとなってステージから目線を外そうとした。だが、ダンサーたちの動きが視界に入るとどうしても視線が引き戻されてしまうのだった。


 まずい、せっかく罠にかかったふりをつづけてきたのに、これでは芝居が芝居じゃなくなってしまう。俺が焦りを覚え始めた、その時だった。


 ――目を合わせたら、駄目。


 二列で踊っているダンサーの後方の一人と目があった瞬間、俺は頭の中に言葉が突き刺さるのを感じた。あの目は……店に入る前、廊下で声をかけてきた子だ!


 しかし、と俺は思った。あの子は他の店の従業員ではなかったのか?他店の子が『タランチュリア』のステージで踊るなんて、そんなことがあり得るのだろうか?


 なるべくダンサーたちと目を合わせないようにしていた俺はやがて、別の異変が周囲に生じ始めていることに気づいた。それまでショーを見ていた他の客たちが、席を立ってテーブルの前から移動を始めたのだ。一人、また一人と動き出した客――いや、客を装った連中は徐々に一点に集まり、気がつくと俺の席は十人を超える客たちに包囲されていた。


「お客さん、なんだかお疲れみたいね。奥にリラクゼーションルームがあるけど、いかが?」


 俺の左手を撫でまわしていた女子はどうやら、俺の装備品を偽物とすり換えようとしているらしかった。


「……そりゃいいね。ただその前に俺の持ち物を返してくれ。手錠がないと容疑者を捕まえることができない」


「――なんですって?」


 俺は女子生徒の隠した装備を素早く取り返すと、席を立ち特殊警棒を構えた。


「……催眠が失敗したというのか」


「先日はうちの先輩たちがお世話になったようだね。ヤサ――拉致した刑事はどこにいる?」


 俺が特殊警棒のスイッチを入れると、ぱちぱちと音を立てて先端から青白い火花が散り始めた。


「……し、知らないわ」


「じゃあ知ってる人を呼んでくれ。フロアにいないのならいる場所まで案内するんだ」


 俺が声を低めて言い放つと、人垣がさっと割れて奥から黒いスーツに身を包んだ男子スタッフが姿を現した。


「どうかなさいましたか?お客様」


「この子たちに監禁されてる刑事の居場所を聞いたんだが、どうも知らないらしい。知ってる人に会わせてほしい」


「……少々、お待ちください」


 多少のことには動じないよう訓練されているのか、男子スタッフは携帯を取り出すとどこかへ連絡を取り始めた。


「……そうですか、わかりました。はい、そのように致します」


 男子スタッフは通話を終えると、俺に「責任者のところまでご案内いたします」と言った。俺とスタッフは左右に分かれた客たちの前を無言ですり抜けると、店の奥に向かって進んでいった。やがて、黒塗りの扉が現れるとスタッフは足を止め、俺の方に向き直った。


「こちらです。このドアの向こうに当フロアの責任者がいらっしゃいます」


 黒いスーツの男子スタッフはそう言うと、ドアを開けて俺に中に進むよう促した。 


「……失礼します」


 俺が頭を下げ、ドアの向こうに足を踏みいれたその時だった。突然、背後でドアが勢いよく閉められたかと思うと、左右から現れた影が俺の両腕を縛めた。


「……しまった!」


 俺の手から離れた特殊警棒を、前方から近づいてきた別の影が素早く拾いあげて首筋に押し当てた。


「――ぐっ」


 衝撃に全身を貫かれた俺は、そのまま真っ暗な闇の中へと吸い込まれていった。

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