第30話 刑事は暗黒の心を装備する


「大した怪我じゃねえよ、ちょっと油断しちまっただけさ」


 レッドは医務室のベッドの上で顔を顰めると、忌々し気に舌打ちをした。


「コーディネーターが裏切ったとかいう話ですけど、一体何があったんです?」


「ひでえ話さ。壱係が頼った生徒と俺たちとは以前から面識があった。裏稼業に通じた奴ってことで何かと重宝してたんだが、いつの間にか連中の側に取りこまれてたようだ。奴に連れて行かれたのは東棟の西通路に面した店だったんだが、そこは偽の店で本物は偽の店舗の真裏だったんだ」


「いつそれに気がついたんです?」


「それがふがいない話でさ、最初は全く気がつかなかったんだ。とにかく綿貫栄治の情報を集めようと女の子たちから話を聞いてたら近くの席でも揉めごとがはじめったんだ」


「揉め事?」


「知亜の知り合いを名乗る娘が、フロアマネージャーに会わせろって詰め寄ってたんで、俺たちが間に入って宥めたんだ。ところが俺たちが代わりに話を聞こうとしたら、娘が消えていつの間にか用心棒が俺たちを取り囲んでいた……要するに全部芝居だったのさ」


「なるほど、来店前から罠が準備されていたんですね」


「そういうことだ。俺たちが武器で威嚇すると、用心棒たちが「よく見てみろ」と嘲笑い始めた。確かめてみると、全部偽物だった」


「すり替えられてたってことですか?」


「そうだ。最初に話を聞いた店の女の子たちもみんな催眠スキルを持つ工作員だったのさ。思考力を麻痺させる香水を使って俺たちを朦朧とさせ、そのすきに装備を役に立たない偽物とすり替える……俺としたことが、闇の世界を甘く見過ぎてたよ」


 レッドは自嘲気味に笑うと、「こうなると刑事も普通の生徒と変わらない。あっという間に手錠をかけられて奴らの監禁部屋に連行だ」と吐き捨てた。


「でもこうして戻ってこられたということは、どこかで振り切って逃げたってことですよね?」


 俺が問いを投げかけると、レッドは無念を噛みしめるように「連行を拒んだのは事実だ。立ち回りならこっちに分があると思いこんでね。だが……またしても俺は自分を過信していた」と漏らした。


「過信?」


「連行された時点で、俺とヤサは催眠効果のある香水をたんまり吸わされていたんだ。自分では相手が束になってこようとそう簡単に負けることはない――そう踏んでいたが、いざ乱闘となると手も足もまるで思うように動かねえ。結局、碌に反撃もできないうちに用心棒のボス格らしい野郎にストレートを喰らってそのまま店の床にお寝んねってわけさ」


「でも監禁はされなかった……そうですね?」


「ああ。二人も人質を取ると負担だってことで放り出したんだろうな。気がつくと医務室近くの廊下に転がされたってわけだ。ご丁寧に自分の手錠をかけられた状態でな」


「敵はヤサさんを、俺たちと交渉をする時のカードに使うつもりなんでしょうか」


「さあ、そいつはまだわからん。だが急いで救出するに越したことはない。仲間を人質にとられているうちは、こっちも迂闊に動けないからな」


「レッドさん、俺が行きます。必ずヤサさんを助けだしてみせます」


「やめろ、といいたいところだが他に方法はなさそうだ。信じてるぜ壱係のエース」


 レッドは呻きながら上体を起こすと、俺の顔を見据えて檄を飛ばした。


「今度はコーディネーターに頼らず本物の『タランチュリア』に直接、乗り込みます」


「それはいいが、一つだけ俺から忠告させてくれ」


「なんです?」


「俺たち刑事に必要なのは闇を理解する心――『ノワールハート』だ」


「……『ノワールハート』?」


「敵は闇の世界と普通の学園社会の両方に跨っている。見た目の怪しい連中にばかり気を奪われていると、一見、弱そうな奴に足元を掬われることになる。常に闇に目を向けるんだ」


「なるほど、見た目に囚われず周囲にいる人間すべてに警戒しろってことですね」


「そうだ。お前さんはまだ、裏切られることに慣れてない。ある程度危険な目に遭うことは避けられないだろう。だからこそ、いったん敵と判断したら、容赦なく叩きのめせ」


「刑事のルールを逸脱することになっても?」


「そうだ。時には刑事の顔を捨てることも必要だ。たとえそいつが……」


 レッドは人差し指を自分の喉元につきつけると「首筋にナイフを突きつけられているか弱い女であっても……だ」と言った。


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