第20話 エースは闇のエースと対峙する


 『電気生理学研究室』を後にした俺とマッドは、いったんロビーの手前まで戻ると今度の段どりについて意見を交わし始めた。


「いいんですか、この程度の収穫で」


 俺が尋ねると、マッドは「まあ、こんなところだろうね。とにかく『電気生理学研究室』に井石が来ていたことはわかった」


「えっ、被害者が?……どこでわかったんです?」


 マッドが訝しむ俺に「それは……」と返しかけたその時だった。小走りの足音が聞こえたと思うと、見覚えのある顔が俺たちの前に現れた。


「あの……」


 俺たちの前で足を止め、息を整えていたのは先ほど聞き込みをした研究者の一人、冨美田蘭だった。


「どうしました?」


「さっき、言わなかったことがあるんです」


「言わなかったこと?」


 マッドが眉を顰めると、蘭はあたりを見回した後、小声で「はい」と言った。


「なんです?」


「……見学に来た女の子のことなんですけど、ちょっと気になったことがあって」


「気になったこと……というと?」


「こんな設備初めて見ました、とか言いながら機器の性能にやたら詳しかったり、刑事さんたちと同じように王賀さんのことを根掘り葉掘り聞いていったんです」


「ふうん……それをどうして僕たちに?」


「私、研究者のほかに女性の見学者をチェックする担当でもあるんです。私の証言が捜査の役に立つなら、その子を調べて欲しいんです」


「それは『イモ―タル・ソサエティ』の仕事の一環なのかな?」


 マッドが尋ねると蘭は硬い表情で頭を振った。


「私が個人的に知りたいんです。実は私、校内の可愛い女の子の情報はほぼ漏らさず把握してるんです。……でも、その子は少なくとも私のデータベースにはいない子なんです」


「いない女の子……」


「あれだけ可愛いのに私が知らない子がいるなんて、考えられません、それと……」


「それと?」


導師ロードらしい人とその女の子がソサエティの外れを一緒に歩いてるのを見かけたことがあるんです。やって来たばかりの見学者とうちの最高幹部が一緒なんて、どう考えても不自然です。私はどうしても、その子が何者か知りたいんです」


「わかった、調べてみましょう。……ちなみにその子が王賀将生と一緒だったっていうのは、どのあたり?」


 マッドが畳みかけると蘭は一瞬、躊躇するそぶりを見せた後「……ご案内します。ただし案内するだけです。早く研究室に戻らないと怪しまれますから」と言った。


「場所を教えてくれるだけでいいです。……お願いします」


 マッドが興奮した口調で言うと、蘭は「わかりました」と緊張した面持ちで頷いた。


                  ※


「ここです。この扉の前で話していました」


 蘭が俺たちを案内したのは、曲がりくねった廊下の突き当りにある何の表示もない扉の前だった。


「この向こうは?」


「わかりません……あっ」


 角の向こうから足音らしき物が聞こえた瞬間、蘭は「すみません、これで失礼します」と頭を下げて俺たちの前から離れた。蘭と入れ替わるようにして姿を現したのは、額の秀でた小柄な中年男性だった。


 ――生徒じゃない……教師か?


 男性は俺たちの前まで来ると「どこの研究室かね?」といきなり横柄な口調で言った。


「すみません、迷ってしまって……僕らはこういう者です」


 マッドが手帳をかざすと、男性は「ほう……壱係」と目を丸くした。


「刑事さんがこんな外れのエリアに何の用で?」


「実は先日、我々の捜査線上にある女子生徒がひっかかりまして……このあたりでその生徒が目撃されたらしいんですよ」


「ほう、『イモータル・ソサエティ』のメンバーですか?」


「それがよくわからないんですよ。心当たりございませんか?」


「女子ねえ……あ、申し遅れましたが私は生体電子工学担当主任、飯野いいのと言います」


「主任さんでしたか。……ちなみに、この扉の向こうは?」


「刑事さんのお仕事には関係ないかと思いますが……お知りになりたいですか?」


「……差し支えなければ」


 マッドが食い下がると飯野は「中庭ですよ。ご案内しましょうか?」とあっさり返した。


「中庭……ぜひ、お願いします」


 マッドと俺が頭を下げると、飯野はカードキーをスリットに通して暗証番号を打ち込み始めた。一呼吸おいてロックの外れる音がすると、ドアが開いて目の覚めるような緑が視界に跳びこんできた。


「広い……『イモ―タル・ソサエティ』の内側にこんな空間があったなんて」


「ここは憩いの空間であると共にある種の実験場でもあるのですよ。さあ、どうぞ」


「実験場……」


 促されるまま俺たちが芝の敷き詰められた広大な中庭に出ると、突然、背後でドアが閉まり確かにいたはずの飯野の姿が溶けるように消え失せた。


「……なんだっ!」


 俺慌てて身を翻すと閉じたドアに飛びついて取っ手を回した。が、内側からロックされたドアの取っ手は渾身の力を込めてもびくともしなかった。


「素直に許可された部屋だけ調べていればよかったのだよ、壱係諸君。今後、我が『イモ―タル・ソサエティ』を調べる時は間違っても『導師ロード』の話題になど興味を示さぬことだ」


 飯野の嘲笑が聞こえた直後、四つの建物に囲まれた地形の一部から芝生が消え、茶色い土と野球のダイヤモンドが姿を現した。


「……グラウンドだったのか。ここでいったい、何をさせようって言うんだ?草野球か?」


 マッドが呟いた瞬間、奥の建物の一部が開いて電動カートに乗った人影が姿を現した。


「……あれは」


 カートが中央の盛り上がった土の前で停まると、ユニフォームを着た長身の若者がマウンドらしき場所に降り立った。


「お前は……朱堂すどうか?」


「久しぶりだな、零」


 マウンドの上で目を細めてみせたのは、中学時代のチームメイト、朱堂冷刀すどうれいとだった。

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