第154話 血の涙(ミシェル)

 勢い良く振り向いたミシェルの視線の先には、ニヤリと笑う男がひとり。


 王宮騎士の赤い制服を着用していた。



 その後ろにも数名の男がいる。


 こちらは皆、バラバラの装備を身につけている。



 傭兵だろうか。


 顔の造作から、他国の者もいるようだ。



「俺はフロリオ。あんたの力を借りたいと思ってやってきたんだ」



 王宮近衛騎士の男はそう名乗った。


 声をかけてきたのが神殿騎士だったならば、今からでも海に飛び込むところだった。



 神殿騎士卿を勤める兄の顔に、これ以上泥を塗るわけにはいかない。


 幽閉されるなど、まっぴら御免だ。


 それでは、愛する彼のもとへも旅立てない。



 ――が、このフロリオという男が王宮の者ならば、それほど危険でもないだろう。



「わたくしの力?」



 こんな女に何ができるのかと、両手を広げて見せた。


 やせ細った両腕には、生気の欠片すら存在しない。



「ああ、あんたの力だ。俺は神妃を取り戻したいんだ。フィーナは俺のものだ」



 フィーナ?


 そうか、フィルメラルナ・ブランの。



 あの《最後の被験者》の――。



 ふと男の姿に目をやれば、既視感のある腕章が視界に入った。


 確か、神妃解放党の証だったはず。



「わたくしには関係なくってよ。勝手にすれば良いんじゃないのかしら」



 新しい神妃の未来など、どうでもいい。



「俺は、イルマルガリータも自由になるべき権利を持っていたと思う」



 何を知ったような口を。


 ミシェルはぎりっと歯を食いしばった。



「俺の領地ガシュベリルの町で集団催眠を施したのは、前神妃イルマルガリータだった。そのとき、俺があんたたちに出会っていれば、手を貸してやれたかもしれない」



 フロリオという男の悔しげな口調に、少しだけミシェルの心が揺れた。



 まさにそうなのだ。


 あのまま二人で逃げてしまえばよかったのだ。



 悔恨の念が、腹の底から頭をもたげた。



「神妃だって人間だ、そうだろう?」



 そうだ。


 彼だって人間だった。


 感情溢れる人の子だった。



「神殿なんていう牢屋に永遠に閉じこめられるなんて、家畜じゃねぇか!」



 蔦の聖痕を持ちながら男として生まれてしまった彼は、家畜以下の未来を押し付けられた。


 神殿騎士卿との婚約なんて、反吐が出たに違いない。



「理不尽だと思わねぇか」



 そうだ、不条理だ!



「なぁ、俺と共に立とうじゃないか。犠牲になったイルマルガリータを、忘れないためにも」



 ミシェルの右目から涙が流れ出た。


 その水滴は、真っ赤な血の色をしていた――。


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