第78話 失った故郷
「あなたは、彼に会わないとおっしゃられたので、そのまま帰しましたが。やはり、一言お声をかけるべきでしたでしょうか?」
父親の釈放について、エルヴィンが訊いた。
一瞬だけフィルメラルナは考えた。
けれど、すぐにフルフルと首を振る。
そう。
今の自分には、もう父親グザビエの顔が、脳裏に浮かばない。
記憶が、どんどん曖昧になっているのだ。
「どうなされたのです?」
開け放した窓から吹き込む風に銀髪を靡かせて、エルヴィンが畏まった。
「あなたが受けた衝撃を、私なりに理解しているつもりです。ですが、今のあなたが抱える問題が、お父上の拒絶だけだとは正直思えないのです。他にも何か思い煩うことがおありなのでは?」
鋭い、とフィルメラルナは思った。
関わった時間はこんなに短く、たどたどしいだけの間柄だというのに。
彼はフィルメラルナの混乱を感じ取っている。
それを少しだけ、嬉しいと感じてしまう。
誰一人として、今の自分の混乱を正しく理解できる人間はいないと思っていたから。
「私は前回あなたにお会いした際に、ガシュベリル領へ視察に行ったとお話しました。それは、ある問題を確かめるためだったのですが――その折りに、あなたのご自宅にも足を運んだのです」
何が言いたいのだろうか。
エルヴィンの青い瞳をみつめ、フィルメラルナは少し首を傾げた。
「覚えておいででしょうか。あの日、蒼玉月の輝く夜。確かに私は、あなたを迎えに伺ったのです。部下を連れて……彼らも、もちろんあなたの部屋に入ったのを覚えています。そこで私はグザビエの首に騎士の剣を向け、あなたが部屋から飛び降りるのをお止めした。ですから、それは確かなのです。しかし……」
形の良い唇を引き結び、エルヴィンは少しの間をあけた。
「しかし、先日あなたの家に行ってみたところ、何の痕跡もなかったのです。あなたがあの家に住んでいた、その証拠が何もない。もちろん、隣人に聞けば、あなたを覚えている者もいました。ですが、ほんの数名でした。それもボンヤリとした記憶だけで、はっきりとあなたという個人の姿を説明できる者はいなかったのです」
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