第65話 ごめんなさい

 あぁ。


 遠い昔の記憶だ。



 母親が亡くなって、父親と二人でたくさん泣いたあと。


 この薬草屋を商っていくのは、自分しかいない。


 だから、薬草や花のことを学ぼうと心に決めた。



 そうして、父親に率先して教えを請うたのだ。


 そんな健気な娘フィルメラルナを、父親は慈しんでくれていた。



 その関係を疑ったことなど、一度だってない。




 寝台に伏したまま、窓の外を眺め見た。



 もう五日になる。


 あの日から、ずっと雨が降り続いている。



 鉛のように重く暗い空。


 それはフィルメラルナの心境を、ありありと映しているかのようだった。



 神の妃。


 その祈祷が捧げられないままの世界。



 ふっとフィルメラルナは、自虐的な笑みを零した。



 このまま自分が伏していたならば。


 本当に世界は、災厄に見舞われるのだろうか。



 いや、ずっとそう言い伝えられてきただけで、実際は神妃の存在など、世界の存続にはなんら関係ないのではなかろうか。


 暗黒の五百年だって、偶然の産物であっただけなのでは。


 そう証明されたならば、晴れて自分は自由になれる。



 それとも、本当に世界が危機に陥ったのならば。



「イルマルガリータ様は……」



 どこかに潜んでいるであろう彼女も。


 流石に黙って見過ごしていられなくなり、姿を現してくれるのでは。


 そうして蔦の印を引き取って、フィルメラルナを故郷へと帰してくれるのではないだろうか。



 いや、違う。


 もうどちらも関係ない。



 自分には、帰る場所などなくなってしまったのだから。



 新しい涙が頬を伝って、枕へと染み込んでいく。




 部屋に引きこもったままの聖女。


 この状況を危惧しない者はいない。



 しかし誰も、フィルメラルナ自身を心配しているわけではなく、神妃という尊い存在を失うかもしれない可能性だけを怖れている。


 その事実が、激しくフィルメラルナを孤独に貶める。



 今はとにかく、誰とも会いたくなかった。


 この神殿へ来て、初めて話し相手になってくれそうなところまで漕ぎ着けたジェシカ。


 他の侍女たちも代わる代わる部屋へとやってくるが、彼女は毎日何度もここへ訪れてくれる。



 けれど。


 あの日、がらりと変わってしまった父親との関係を、誰かに話す気になどなれなかった。


 ただただ「ごめんなさい、出て行って」と、一言返すだけしかできない。


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