第59話 牢への道

 それは。


 本当に牢獄と呼ぶにふさわしい場所だった。



 仮初かりそめとはいえ。


 神妃として〈祈祷の儀〉をこなし、神脈を修復する崇高な任を行っている少女の、父親に対する処遇ではなかった。



 陽のまったく当たらない、深い深い地下牢。


 ところどころ壁に掛けられた、蝋燭の弱い光だけが揺らめき、不快な湿気を多く含む空気が、淀んだように渦巻く空間。



 鼻をつく異臭。


 汗と埃、血が混ざった臭い。



 あのハプスギェル塔解放の時を思い出すような不吉な臭いが、フィルメラルナの胸を締め上げた。



「ヘンデル様、お待ちくださいっ」



 牢獄への入口までフィルメラルナを連れて来たヘンデル・メンデルは、またしてもいつかのように、背後から部下に呼び止められた。


 振り返れば。


 やはりあの時と同じ、灰色のフードを被った男が駆け寄ってくる。



 けれど、今回は相当急いでいるのか、顔を隠すことすら忘れて取り乱した風体だった。


 息を弾ませた横顔には、夥しい汗が浮かんでいる。



「何かあったようだね、その慌て方は」



 尋常ではないと感じたのだろう。


 ヘンデルは柄にもなく、自らその男の方へと足早に歩み寄っていく。


 耳元で短く囁かれた言葉に、ヘンデルの肩が驚きに揺れた。



 いつも冷静でどことなく緩慢な態度の彼が、今は激しく動揺しているようだった。


 とても珍しいことに感じられる。



 急いで歴史棟に戻らねばというヘンデルは、看守にフィルメラルナを託したあと、さっさと戻っていってしまった。



 簡単な説明だったが、何でもヘンデル宛に荷物が届いていて、大きな騒ぎとなっているらしい。


 どこが急用なのかフィルメラルナには理解できないが、いつも鉄仮面のように感情を見せないヘンデルが、これほどまでに焦っているのだ。


 引き止める気は起こらなかった。



 背を丸めた口のきけない看守の男と共に、長い螺旋階段を降りていく。


 永遠に続くのではないかと思われる牢獄への道を、フィルメラルナと看守はひた歩いていた。



 ときおり、大きなネズミが足元を駆け抜けていく。


 ひっという声を押し殺し、竦む両足を叱咤して進んでいく。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る